地下
その道しか選べないなら、進むしかない。
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2020/02/26 改稿
心許ない明かりだけが周囲を照らしている空間。時沼さんと共に落とされたこの場所の出入口らしき所は一つだけ。
一応確認する為、壁に手をついて一周したが何処も彼処も硬い鉱石でしっかりと作り込まれていた。
ここは――ムオーデル・シュス・アインスの地表の下。
私はいつの間にかいなくなった赤黒い手を警戒しながら、壁から手を下ろしていた。
ひぃちゃんにらず君を抱えて肩に乗ってもらい、りず君にはハルバードになってもらう。
顔を見合わせた時沼さんは頷いてくれて、私も首を縦に振った。
見るのは一つだけある空洞。奥に広がるのは部屋と同じように淡い光で照らされている廊下。出入口のその先。
私はりず君を握り直して息を吐いた。
「この先に……祈さんはいるのでしょうか」
「……そう願いたいよね」
心配が含まれたひぃちゃんの声に答え、私は見えない闇の先を見つめる。
時沼さんは「俺が先に行く」と廊下に踏み入り、私は彼の後に着いて行った。
時沼さんの染められた金髪はオレンジがかった光を受けて、綺麗だなと思っている私がいる。
能天気か、現実逃避か。そんなのはもう判断出来なかった。
彼は本来落ちるべき人ではなかった。
私が油断していたから。
だから彼を、
「凩」
思考中に呼ばれ、一瞬で返事が出来ない。時沼さんは前を向いたまま言葉をくれた。
「一緒に落ちたのは俺の勝手なんだ。だから、気にするな」
まだ口にしていない心配を的確に拭われる。それに驚いた私は自然と聞いてしまうのだ。
「口に出て、いましたか?」
時沼さんは微かに振り返ると、仕方がなさそうに眉を下げて笑ってくれる。
「いいや、何となくだな」
そう言った彼は、私の大事な友人だ。
突然そんなことを頭の中で確認して、私の目は時沼さんを凝視する。彼は不思議そうな空気で首を傾げていた。
背が高くて目が吊り気味の彼ではあるが、仕草は可愛らしいものだ。
私は笑って首を横に振った。
「ありがとうございます。進みましょうか」
「あぁ、そうだな」
二人並んで薄暗い道を進む。靴の裏が地面に当たる低い音が周囲に響き、私の耳にはその木霊がこびり付きそうだ。
ハルバードであるりず君を体の横に立てた状態で持ち、いつでも動けるようにはしておきたい。
あれ、でも待てよ、ならばハルバードでは無い方がいいのかも。この通路はそこまで広くない。
考え直した私はりず君を見上げ、パートナーである彼も気づいてくれる。瞬時に形を変えてくれたりず君は、私の片手に収まるクファンジャルになっていた。
刃が湾曲している、独特の形をした短刀。それを握って軽く回せばりず君は笑っていた。
「俺の扱いも慣れたもんだな、氷雨」
「そうかな?」
「そうだよ」
「りず君のお陰ですな。ありがとう」
「どういたしまして、だ」
りず君と笑いあって、私は片手でひぃちゃんの頭を撫でる。固くなっているお姉さんの頭には鱗があって、その凹凸が私は好きなんだよな。
「ひぃちゃんは大丈夫? らず君変わろうか」
「大丈夫ですよ、氷雨さん。ありがとうございます」
お姉さんは微笑んで私の頬に頭を擦り寄せてくれる。それが可愛くて愛しいから、私は笑い続けていられるよ。
らず君を見る。
彼はまだ戻らない。
それでもその欠片の輝きを知っているから、私達は待っているよ。
大丈夫、ゆっくり治そう、らず君。
「凩は、凩だな」
不意に時沼さんの声がして、隣を見る。彼は前を向いて、けれども意識はこちらに向いていると言った感じだ。
私は、私。
そう、そうだよ、そうなんです、私は私以外にはなれないから、だから私らしくありたくて、凩氷雨を肯定して欲しくて、変わりたいと思う自分は嘘だと知っているんだ。
――大丈夫だよ、凩ちゃん。君の性格も言葉も、俺は美点だと思うから。そのままでいいよ、俺が許す
頭の中で声が反響する。ここにいない、彼の声が。
私を初めて肯定してくれた言葉。それが彼の口から出た嘘であっても、建前であってもなんでも良い。その言葉を貰えたという事実が私は嬉しいのだから。
青空の中で揺れた赤いピアスと茶髪を思い出して、私は目の前に広がる闇を見る。
その闇に向かって一緒に歩いてくれる彼に意識を向けながら。
「私は私、ですよ」
「あぁ、そうだな……そうだよな」
時沼さんは、まるで自分に言い聞かせるみたいに呟いている。私は彼の金髪を見て、口角は自然と緩んでしまっていた。
「時沼さんは、時沼さんですよ」
彼は目を丸くして私を見下ろしてくる。その目は驚きに染まっていると思い、けれども徐々に温かさを滲み出ていくようだった。
「……そっか」
彼は笑ってくれる。その笑顔にはどんな意味があるのか。私には汲み取れなくて、けれども貰った「ありがとう」に不快な感情は混ざっていないと判断は出来た。
「……こちらこそ、ありがとうございます」
首を傾けながら笑う。時沼さんは微笑んで、私の前髪を指先で撫でてくれた。
穏やかな気持ちになる。
あぁ、そうだ、焦るな氷雨。いらない気は捨てていけ、不必要な緊張は置いていけ。
思った私は、黒い翼を瞼の裏に浮かべていた。
「……祈君、無事だといいんですが」
「だな。特に物音は聞こえねぇけど……」
意識を前に集中させながら、耳で音を拾おうとする。けれども今この場にあるのは私達が歩く音だけで、祈君の声もルタさんの羽ばたきも聞こえなかった。
無事でいて、どうか無事で。
強く感情が溢れそうになって、それは閉じこめる。感情が強すぎれば動きを鈍くする要因となってしまうから。
クールにいこう。冷静であれ。
逸る気持ちに言い聞かせて、私は暗がりの向こうに視線を向ける。ただぼんやりとした明かりの先に何か変化が現れるのを期待して。
時沼さんも私も口数が多い訳では無い。ましてやここはアルフヘイムの、得体の知れないシュスの地下であろう場所だ。
言葉数が少ないまま永遠かと思える時間歩き続けると、不意に前方にある色を見つけた。
淡い光の色ではない。
シュスの藍鼠色の鉱石とも少し違う。
それは瑠璃色の扉。
時沼さんと私はお互いに顔を見合わせて、彼が手を差し出してくれた。
私はその手に掌を重ね、一瞬にして視界が変わる。
ジャンプでもしたような感覚で足を地面に着くと、そこはもう扉の前だ。
転移の感覚に慣れることはまだ無くて、私は息を静かに吐いてしまった。
「ありがとうございます、時沼さん」
「いや、それよりこれ、どうする?」
確認されて考える。
ここまでは一本道。特に横に抜ける扉とかは見つからなかったし、上も下も鉱石でトンネル状態。引き返しても意味は無いわけだし……。
私は暫し思考して、時沼さんを見上げた。
「開けてみるべきだと思うのですが、どうでしょう。今までは一本道で、ここに入る、もしくは出るかをしなければ進展はないように思うので……」
「いいと思う。ここまで来て戻っても意味ねぇよな」
時沼さんは肯定して微笑んでくれた。だから私も笑い返すことが出来る。
その時、不意にりず君がヤマアラシに戻って時沼さんと私の前に着地した。
「俺が開けるから氷雨と相良は下がってろ。何かあったら危ねぇぞ」
背中の針を二つ、人間の手の形に変えたりず君が持ち手に触れている。
「ぇ、ぁ、りず君、そんな」
「氷雨、俺は万が一この先で捕まったり攻撃されてもへっちゃらだ。でも氷雨が怪我したら俺だけじゃなく、ひぃもらずも動けなくなっちまう。それが一番起こっちゃいけぇことだ。だから俺が先に行く」
止めようとした私はりず君に正論で諭されて、口を結んでしまう。
そう、そうだ、彼が正しい、正しいんだ。私は勝つ為に、進む為に怪我をしてはいけない。
りず君は私の方に顔を向けて、笑ってくれた。
優しさと甘さを勘違いしていた私を正してくれるパートナー。ありがとう。
「ごめん、ありがとう、りず君」
「は! 謝んなよ氷雨!! じゃ、いっくぞー!」
大きな声を出して私を鼓舞してくれるりず君。その声に頷いて、私の背中を時沼さんは軽く摩ってくれた。
彼を見上げて笑えるのに、どうして泣きたくなるのだろう。
りず君は「ほっ!!」と勢いをつけた声を出して、扉を押してくれた。
ひぃちゃんは私の首に尾を巻いてくれる。それが私に安心をくれた。
りず君は扉を押し開けて、私はその奥を見つめてしまう。
それと同時に、切羽詰まった声が私の耳に飛び込んできた。
「ッ開いた!! あそこが開いたぞ祈!!」
「飛び込もうルタ!! ってあぁぁぁぁ!?」
「祈!! ルタ!!」
扉の向こうは円形の開けた部屋。四方八方にりず君が開けたのと似通った扉があり、斜め右奥にある一つは私達の目の前と同じように開け放たれていた。
その部屋の中には赤黒い手に連れ去られた祈君とルタさんがいて、りず君が二人の名前を呼んでいる。
祈君と目が合って、彼の顔は泣きそうに歪められていた。
「氷雨さん逃げてッ! 扉、閉めて!!」
祈君の叫び声が部屋に響き渡り、彼の後ろ、開いていた扉からはボロボロに朽ちた住人さん達が押し寄せる波のように出てきた。
私はその光景に目を見開く。
錆や綻びが見える鎧を身に纏い、茶色く変色した剣を持って、肌はいつかのモーラさん達みたいに腐っている様子。
目があるであろう場所は落ち窪み、関節は曲がってはいけないと思われる方に向いている。
軽い腐敗臭のようなものが鼻をついて、その地面から浮いた足は遅くない速度でこちらへと移動してきていた。
その数はもう、数えきれない。
数える気なんて起きない程の軍勢。
きっと彼らがムオーデルさん。
彼らは扉から我先にと溢れ出て、祈君とルタさんを追っているようだ。
逃げられないほど早い訳では無い。
だが、今すぐ逃げなければいけないと本能が言っていた。
「逃げろマジおいあぁぁぁぁぁ!!!」
りず君の悲鳴が広間に反響し、祈君とルタさんがこちらに向かって全速力で駆けてくる。
でも、ちょ、ま、こっちはッ!
「駄目だ闇雲!! こっちは行き止まりなんだ!!」
「はい!?」
祈君は足に急ブレーキをかけて立ち止まる。ルタさんは百八十度体を後ろへ向け、羽根の刃を住人さん達に向かって打ち込んだ。腐り落ちそうなムオーデルさん達は黒い雨によって移動速度が落ちている。
私はりず君にハルバードになってもらい、ひぃちゃんが翼を羽ばたかせてくれたと同時に床を前に蹴る。
足は地面を滑るように移動し、住人さん達の前にハルバードを渾身の力で叩きつけた。
勢いよくめり込ませた刃は床に亀裂を入れ、住人さん達の動きは完全に止まっていく。
それを確認して私は祈君の元に駆けた。時沼さんは別の扉を開けて、祈君は時沼さんと私を交互に見ている。
赤い毛先が揺れた。
その瞳は不安の色で染められて、私は彼に近づいた時、直ぐに手首を掴んで走ったのだ。
「祈君! ルタさん!」
呼べば、祈君は顔を上げて一緒に走り出してくれた。
ルタさんも住人さん達に刃の雨を降り注いでから、扉の中に滑り込むように翼で風を捉えている。
「ッ凩、闇雲!」
「はい!!」
時沼さんが呼んでくれた扉の中に滑り込み、白い服を纏った彼は扉を勢いよく閉めてくれた。私達は息を切らせながらそれを確認し、しゃがみこんでしまう。
祈君は頭を抱えて、私はその背中を摩ることで自分自身も安心を得ようとしていた。
「ぉい、あれってもしかして……」
「……そうそうだよ、きっとアイツらが……ムオーデルなんだ」
祈君は地面に着いている私の手の裾を握りながら、消え入りそうな声で教えてくれた。
……早く動ける腐った兵士だなんて、聞いてない。
腐敗した兵達は、何かを求めて歩いてる。さて、狙われた二人の共通点は……なんだったか。
明日は投稿お休み日。
明後日投稿、致します。




