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僕らは痛みと共にある  作者: 藍ねず
自戒する硝子人編
81/194

再起

2020/02/23 改稿

 

 

 輝きが見えて、りず君の器の中で液状化していた緋色が形を生していく。


 小さなドラゴンの体に滑らかに列を成した鱗。背中の翼は勢いよく開き、そして畳まれた。開けられた両目は、深く澄んだ赤紫。


 凛々しいお姉さん――ひぃちゃんは目を覚まし、力強く飛び上がってくれた。


 透き通る空の中で主張する美しい緋色。その翼からは、まだ少しだけ液状の彼女が零れたように見えたのだ。


 口を結んでお姉さんを見つめる。ひぃちゃんは旋回すると、伸ばした私の両手に飛び込んできてくれた。


「ひぃちゃんッ……」


「氷雨さん!」


 久しぶりに聞いたような、ひぃちゃんの声。大人の女性のようでいて、私を導いてくれる声。


 愛しいお姉さんを抱き締めて、私は膝から地面に崩れ落ちてしまった。


 冷たくもしっかりとそこにいるひぃちゃんは、翼で、手足で、私を抱き締め返してくれる。


 あぁ、視界よ、どうか滲むな。私はもう泣きたくない。


 私の口からは、謝罪の言葉が溢れ出た。


「ごめん、ごめん、ひぃちゃんごめん」


「何を謝られるのですか、氷雨さん。貴方は悪くありません。弱くもないんです。だからどうか謝らないでください。もう、泣かないでください。貴方は優しい。再び貴方の翼と戻れたことが、どれだけ嬉しいか……貴方はご存知ないのでしょうね」


 私は目を見開いてひぃちゃんを見る。お姉さんは優しく、それでも泣き出しそうな顔で笑い、私と同じ言葉をくれたのだ。


 それに笑った私はひぃちゃんと額を合わせる。ゆっくりと、そこにいることを確かめるように。


「ごめんね、知らなかった」


「いいえ、いいえ、謝らないでください。私が胸に仕舞っていただけなんです。私こそ、すみません」


 ひぃちゃんは何も謝ることがないのに、私に謝罪の言葉をくれる。


 これは謝り合戦が始まりそうだな。だからこの先の言葉を変えようと思って、それよりも早く私の肩に手が乗った。


 見上げれば翠ちゃんがいて、彼女はひぃちゃんと私を見つめている。その口角がふと緩んだかと思うと、翠ちゃんは穏やかな言葉をくれた。


「良かったわね、氷雨」


 翠ちゃんの優しさに私は破顔してしまう。何度も頷きながら立ち上がると友人は私の頭を撫でてくれた。ひぃちゃんの顎にも指先で触れてくれながら。


「おかえり、ひぃ」


「帰りました、翠さん」


 穏やかさを纏った声と、嬉しさを塗り込めた声が響き合う。


 私はひぃちゃんを両腕に抱いて、お姉さんはりず君の方を向いていた。


「りず」


「よぉ、ひぃ」


「大きくなりましたね」


「あぁ、だからお前が溶け出したんだろ」


「器も砕けてしまいましたから」


 二人は静かな声で会話をする。ひぃちゃんは私の腕から離れてりず君の背に留まると、らず君が入っている器を覗き込んだ。その横顔は不安げだ。


 お姉さんの翼の先から緋色の雫が落ちる。


 私はそれを見て手を伸ばし、掌に緋色を受け取めた。冷たいそれは霧状に蒸発し、指先が強ばった。


「ひぃちゃん……?」


 私の翼はこちらに視線を向けて、儚げに笑ってくれる。


 あぁ、君は一体――


「まだ完璧な再生ってわけじゃなさそうだね」


 後ろから肩に腕が回ってきて、赤く光るピアスを視界に入れる。帳君は私の頭に顎を置きながら「だろ?」とひぃちゃんに聞いていた。


 お姉さんは不本意そうながらも頷いて、その横にはルタさんが留まっている。


「……私を受け止めるらずが再起しない限り、私の体も安定しないでしょう」


 私の目の前に、夕焼けを反射する硝子が浮かぶ。


 ヒビ割れた硝子のハート。


 中の緋色の液体だった、ひぃちゃん。


 硝子に入っていたヒビから生まれた、りず君。


 その二つを宿した硝子の本体、らず君。


 あぁ、そうか、そうだ。器が無ければ液体は零れてしまうし、ヒビが大きいままでは治せないよな。


 思うから、私はひぃちゃんとりず君の額を撫でるのだ。


「氷雨、らずが……」


「……うん」


 私は器を覗き込み、そこにある硝子片を見る。輝くそれらを組み合わせればらず君になるのだろうか。


 だが私の手で組み立てたそれは「らず君の模型」であって「らず君」には戻らないんだろうな。


 器の中に指先を入れる。硝子の海の中は冷たくて、それでも微かな震えを感じていた。


 らず君。


「……もう少しだけ、待っていてね」


 伝えれば硝子の震えが止まる。


 私は一呼吸置いてから指を離し、りず君を挟んだ反対側にいる祈君に聞かれた。


「どうしてらずが戻らないと、ひぃも完全には治らないんですか?」


 私は祈君を見る。


 彼と目を合わせてから奥の風景で視線を止めれば、勝手に笑えてしまうのだ。


「……らず君は器なんです。ひぃちゃんの」


「器……?」


 祈君は復唱し、私は微笑み続ける。ここから先は話せないと分かっていながら。


 頭の中を散らかして言葉を探す私より早く、りず君は口を開いてくれた。


「こっから先は内緒だ、祈」


「内緒……」


 呟いた祈君。


 ごめん、ごめんなさい。それでもこれ以上言葉を続ければ、私は自分の脆い心を(さら)け出してしまうようで怖いんです。


 まだその勇気はない。


 私は笑って「ごめんなさい」と、謝罪した。


 祈君は首を横に振ってくれる。赤と黒の髪を持つ彼は穏やかに笑ってくれた。


「謝らないでください。誰しも、内緒にしたいことくらいあると思うんで」


 その言葉は私に安堵をくれる。だから肩の力を抜いて「ありがとうございます」と言えば、祈君は慌てたように両手を振っていた。


 君との会話が最近スムーズで、とても楽しいと思うんです。なんて言わないで。


「らずは、どうすれ、ば、元に、戻る、だろう」


「……粉々だな」


 祈君の横に並んだ細流さんと時沼さん。


 細流さんはゆったりと首を傾けて、時沼さんはらず君の破片を見下ろしていた。私の心獣が三体いると伝えた時、時沼さんは驚いていたっけ。


 細流さんはりず君の針を一つ撫でて、私は頭を傾けそうになった。帳君の顔が乗っているから中止したけれども。顎置きではないってば。


「ここに来てひぃが戻った要因は何なのかしら?」


 翠ちゃんはひぃちゃんに向かって確認する。お姉さんは尾で自分の顎を摩り「そうですね……」と続けていた。


 ひぃちゃんが戻った理由。


 私の心が戻った理由。


「皆さんがいた、ということは大きいでしょうね」


 呟いたひぃちゃんは目を伏せる。その翼は一度ゆっくり広げられてから、雫を零して再び畳まれる。


 帳君の腕は肩に回ったまま曲げられて、私の短い横髪が指に絡められていた。


「一人ではないと分かったこと。そして、氷雨さんに厚意を向けてくれていたグウレイグ達が「凩氷雨」と言う戦士を覚えていてくれたこと……それが要因でしょうね」


「俺達がいたってことや覚えてもらえてたことって、そんなに重要?」


 帳君の声が降ってきて、優しく髪をかれてしまう。それに苦笑した私は「そうなんです」と答えるのだ。


 誰かと共にいること。


 誰かに覚えていてもらえること。


 それがどれだけ嬉しいか。誰かにとっては何でもないことが、私は嬉しくて、泣きたくなるんだ。


「一人で歩くのは、やっぱりどうして寂しくて。戦士ではなく、私自身を覚えてもらえていたことが嬉しくて、安心出来るんです。ここに来て良かったって、迷惑ではなかったって、そう思えるんです」


 思いを何とか文章にしてみる。帳君は「ふーん」と相槌を打ち、私の髪から彼の指が解けていった。


 それを理解すれば、帳君に両肩を持たれて体が後ろに向く。


 強制的に百八十度回った私の視界からはりず君達が消えて、帳君も退き、湖に足をつけているグウレイグさん達が目に入った。


 彼女達は私を見て、優しく笑ってくれている。


 それに胸が締め付けられて、近づいてきたグウレイグさんを見上げることしか出来ないのだ。


「覚えていましたよ」


「私達を生贄にしない、珍しい戦士を」


「贄にならないでと願ってくれた、優しい貴方を」


「忘れるわけが、ないでしょう?」


 そう言って頬を撫でてくれたグウレイグさんの手が、優しいから。


 私は彼女達に、生きていて欲しいと願うのだ。


 私は笑ってしまう。


「ありがとうございます」


 誰もが口にする、最大のお礼の言葉を口にして。


 グウレイグさん達は私を抱き締めて、背中を柔く撫でてくれた。


「どうか貴方に、幸せがありますように」


「どうかこれ以上、傷つきませんように」


 そのお願いが私の背中を押してくれる。


 私は二人を抱き締め返して、グウレイグの湖を離れることにした。


 小舟に乗ったグウレイグさんは私達に手を振ってくれていた。


 体を侵食していた悪い霧が晴れるような、浄化されるような感覚。


 私は前を向いて、フォーンの森へと足を進めた。


 * * *


「大丈夫?」


 フォーンの森を歩いている時、帳君に確認された。


 私は彼を見上げて笑って見せる。「大丈夫です」と答えれば、帳君は暫し黙ってから私の頬をつねるのだ。アイタタタ。


「はーい大丈夫じゃない判定〜」


 言われて私の頬が自由になる。手で頬を押さえれば少し熱くて、時沼さんとりず君の「何やってんだよ」という声が重なっていた。


 まだ体調が万全でないひぃちゃんはりず君の背に乗っている。少しの飛行が限界みたいだ。本人はそれが悔しそうだったが、休むようにと頭を撫でたら落ち着いてくれた。


 大丈夫だよ。ゆっくり治そう。急いで治しても、ぎでは意味が無い。


 私はひぃちゃんを一瞥して、降ってくる帳君の言葉を聞いていた。


「氷雨ちゃんが大丈夫じゃないのに大丈夫って言うからだよ。無理せず大丈夫じゃないって言えばいいのに」


「そんなまた……」


「無理した結果があれでしょ」


 苦笑すれば、帳君はらず君を軽く指している。


 ぅ、グウの音も出ません。


 私は口を結んで、祈君と翠ちゃん、時沼さんの言葉が聞こえてきた。


「この冷血漢れいけつかん


「やっぱりエゴを助けたのは間違いよ、氷雨」


「オブラートって、大事だろ」


「やったね氷雨ちゃん、親衛隊が三人もいるみたいだよ」


「親衛隊って……」


 帳君は茶化しながら三人の言葉を聞き流す。


 チグハグ性が身を潜め始めたと思ったら、今度は風のように飄々(ひょうひょう)とした自由性が出てくるだなんて聞いてない。


 帳君の顔は無表情で、声には抑揚がついていた。


「俺が冷血漢のエゴイストなら、お前らは無責任信者だよ。無理して進んでこの子がまた崩れるくらいなら、正面から止めてやるべきだね」


「確かにそれは正論だけど、貴方の問題はその表し方よ。言葉を考えなさい。態度もね」


「えー俺分かんなーい」


 満面の笑顔で平坦に答えた帳君。


 翠ちゃんの眉間には皺が寄り、祈君は低い声を吐いていた。


「その舌引っこ抜かれたらいいのに」


 怖いよ、祈君。


 りず君の背中に留まっているルタさんは呆れたように翼を広げていた。


 帳君はルタさんの翼と祈君の前髪を風で揺らし、口角を上げ続けている。


「そん時はお前を身代わりにしてやるよ雛鳥」


「ふざけんな、一人で痛がってろよくず


「今ここで地面に圧縮してもいいんだけど?」


「やられる前にお前の体ズタズタにしてやる」


「僕は嫌だよ、祈」


「ルタ!!」


 祈君と帳君の灼熱しゃくねつ雑言ぞうごんバトルに冷や汗が流れてしまう。


 喧嘩するほど仲がいい、というやつで良いのかな、これ。


 考えていると、視界に灰色の広場が映る。


 それに鳥肌が立って、私の足は止まってしまった。


 後ろを歩いていた時沼さんが「ぉ、」と、私の肩に手を添えながら止まってくれる。


「ぁ、ごめんなさい」


 私は慌てて振り返り、時沼さんは首を横に振ってくれた。それが申し訳ないから、私はどんな表情をすればいいか分からなくなるのだ。


「……あそこ、は」


 細流さんの声を聞いて、私はぎこちなく視線を戻す。


 そこにある灰色の広場を、現実を受け入れられていない自分がいると、私は知っていた。


 ――フォーン・シュス・フィーア


 泣きそうな顔。焼けた空気。沸騰した血。掠れた叫び。黄色い花。


 一気に思い出した記憶が私に冷や汗をかかせる。指先は震えて、掴んでもらえなかった手を握り締めた。強く強く、爪が掌に突き刺さる程に。


 メネちゃんの姿が浮かんで、ヴァン君の声がする。


 ――ありがとう、ヒサメちゃん


 そんなお礼は欲しくなかった。


 私は静かに奥歯を噛んで、気づけば暗くなった視界に息が震えた。


「見なくていいよ」


 声がする。


「受け入れなくていい」


 静かな声が。


「これ以上、傷つかなくていいんだ」


 帳君は私の目に手を押し当てて、私の肩からは時沼さんの手が下りていった。


 傷つかなくていい。


 受け入れなくていい。


 見なくて、いい。


 その台詞を吸収して、反芻はんすうし、私は笑ってしまう。帳君の手を下ろせば、私はどうしようもなく申し訳なくなった。


「……ありがとうございます」


 私を思ってくれた言葉を、私はきっと実行出来ないけれど。それでもその言葉は、私の心に染み込むから。


「あ、実行しない気だな」


 言われて、肩をすくめる。


 上を見れば、呆れた顔の帳君がいた。


「んー……すみません」


「まぁいいよ。氷雨ちゃんが見なくていいもの見て、受け入れなくていいこと受け入れて、傷つかなくていいのに傷つくのは予想出来るから」


「ひぇ……」


 お見通しと言うやつでしょうか。


 帳君は私の髪を軽く指に絡めてから歩き出して、その後に続くりず君は「行こうぜ、氷雨」と声をかけてくれた。


 翠ちゃんは背中を軽く叩いてくれて、祈君は袖を引いてくれる。


 細流さんは後頭部を撫でてくれて、時沼さんは肩を柔く支えてくれた。


「いい仲間だな、凩」


 時沼さんはそう微笑んでくれる。


 それが誇らしくて、私は頷いてみせた。


 灰色のシュスを超えて。崩れた思い出を確かに背負って。


「それで? 次のシュスは何てとこ?」


 小走りに皆さんに追いついて、帳君は軽く振り向きながら聞いてくれる。私は答えようとして、足が浮くから驚くんだ。


 え、何。


 思う間に私の体は宙を飛んで、細流さん達を超え、帳君の隣へ下ろされる。また先頭。風の音。


 帳君を見上げれば、彼は満面の笑みで言っていた。


「案内人が先頭じゃないとね」


 ……あぁ、そうですよね。出来れば浮かせる前に一言欲しいところですが、帳君はそういうのくれないよなぁ。


 理解し直して頷いておく。「で? どこ」と再度聞かれて、私は笑ってしまうんだ。


「ブルベガー・シュス・アインスという、シュスへ」


「どんなシュスなんだ?」


 時沼さんに聞かれて、私は軽く振り返る。


 どんなシュスかと言えば……。


「七日間の王様がいるシュスなんです。七日経つ度に戦いが開かれて、その勝者がまた七日間の王になり、また日が経てば一日を費やして次の王を決める……そんなシュスです」


「また物騒ね」


 翠ちゃんは肩を竦めて、私は苦笑してしまう。祈君は私を見て確認していた。


「俺達が行って、何も問題とかないですか?」


「ないと思いますよ。戦士は歓迎してくださる方々なので」


 そう答えて、私は金属音を思い出す。


 あの日のアミーさんの言い方が今なら分かるかもしれない、なんてね。


「少しだけ、手合わせと言うのはあるんですけどね」


 笑って伝えて、首を傾げている祈君達を見る。「手合わせ?」なんて聞き返されて、私も「手合わせ」と復唱した。


 そう、手合わせ。


 手合わせ、なんですよ。


あの日の青い兎と、同じことを言う氷雨ちゃん。


おかえり、ひぃちゃん。


舞い戻ってきました、彼女の原点に。


明日は投稿お休み日。

明後日投稿、致します。

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