心安
氷雨ちゃんの心を、治しに行こう。
ーーーーーーーー
2020/02/21 改稿
夜、私は自室で一日を思い出す。
学校が休みになったから家事をして、兄さんにメッセージを送った。
しかし午前中に送ったメッセージに返事が貰えず、夕方には電話をかけたのだ。意を決して。
兄さんの大学の授業時間をネットで調べて、最後の授業が終わった時間にかけたのに出てもらえなかったな。
留守電入れても折り返しはなかった。それに少し苛立ったのは秘密だ。
兄さんはそういう人だから仕方がない。もう諦めた。
今日はお母さんもお父さんも帰りが早くて驚いた記憶もある。
何事かと思って玄関に出ると、二人は両手に買い物袋を持って「ただいま」と笑ったのだ。私も「おかえり」と笑ったが正直夢かと思ったよ。まだ昼寝から目覚めてないのかも、って。
お母さんは一緒に晩御飯を作ってくれて、お父さんは言葉が無いままに私の頭を撫でてくれた。
一体なんだったのか。朝ほど壊れてないよ、なんて言えないけれど、二人が気を使ってくれたのは目に見えた。心底申し訳ない。
――早く帰れたんだよ、今日は
お母さんはそう言って笑っていたけれど、本当は無理を言って帰ってきたのではないかと勘ぐるのが私の性格だ。お父さんもシステム系の仕事で、定時だってまだ来てない筈。
二人が帰って来てくれたことが嬉しいから、心配を口にしないのだけれども。
晩御飯の新じゃがコロッケはとても美味しかった。流石お母さん。
最近兄さんと連絡をとったか当たり障りなく確認すると、二人ともここ二ヶ月はしていないとのこと。
基本的に連絡を取りたがらない兄さんだからな。お父さんとお母さんにも塩対応は変わらない。
私が兄さんを話題に出すのは、両親にとっては天地が引っ繰り返る程の驚きだったのだろう。二人ともお箸が転がっていた。ごめんて。
兄さん絡みで何かあったのかと心配されて、その外れてもいない予想に顔が引き攣りかけた。兄さんと私の仲があまり宜しくないことを両親も重々ご承知らしい。
思い出しながら、私は今日も黒い服を身に纏う。
大きくなったりず君に寄り添って、零時を待って。
「……なぁ氷雨」
「なに?」
「……らずとひぃ、どうやって戻そうな。アミーの奴は治せねぇって言ってたし」
りず君の言葉を聞いて、私は目を伏せてしまう。
部屋で会ったアミーさんは、二人は「治る」と言ってけれど「治せる」とは言ってくれなかった。
アミーさんが作った心獣でもそれを治すのは戦士の意思だと。
――いい? 氷雨ちゃん。君が落ち着く場所に行ってご覧。今まで歩んできた中で、最初に戻って考え直すんだ
アミーさんの言葉を思い出して、私は瞼を上げる。
最初に言った場所。私が落ち着く場所。
考えて時計を見る。二十三時五十八分。
「……少なくとも、家ではないか」
呟いた言葉は私自身を驚かせる。唇に指先で触れれば、頭の中で自分の言葉が回っていた。
家ではどうしてもお母さんとお父さんに気を使ってしまう。ずっとそうだ、小さい時からずっと。
二人に笑っていて欲しくて、迷惑をかけたくなくて、嫌いになって欲しくなくて。
もう二度と、伸ばした手を振り払われたくない。
だから私は決して自分から手を伸ばさない。
払われて痛むなら、最初から伸ばさなければいいのだもの。
自分に言い聞かせて立ち上がる。
不審者逃走中と夕方のニュースでもされていたけど、まず捕まるわけがないよな。この世界にいないのだもの。
自嘲気味に笑ってしまう。服の中に入れた鍵を握って。
五十九分になったところで目薬をさし、私は部屋の電気を消した。
電子文字が全てゼロになる。
さぁ、行け、氷雨。
お前に逃げる道などない。
「ディアス軍、凩氷雨、アルフヘイムへ」
黒い穴に飲み込まれる。慣れてしまった感覚を無視して、私はどうやって空から無事に着地しようかと思案した。
りず君を頼るか。でも彼にこれ以上負担はかけたくない。らず君とひぃちゃんの器になってくれている彼に、これ以上なんて求められない。
考えていると光の穴が見えてきて、着地方法が決まっていないことに冷や汗が出た。
しまった、もう着いて……ッ
落下の勢いに備えようと覚悟した瞬間、私は地面からアルフヘイムへ吐き出された。
その予想外の方法に私は目を瞬かせ、りず君と一緒に足を着く。
見渡せば昨日兄さん達に会った広場で、私はやっぱり泣きたくなった。
結局兄さんは留守電に返事をくれなかった。私のメッセージを読んでくれたのかどうかすら怪しいレベル。
私からの声には答えないのに自分の声は押し付けようとするなんて、尽く暴君だな、あの人は。本人を前にしては言えないが。
時沼さんに至っては連絡先を知らないので何もアクションを起こせなかった。一緒にいた女の人と男の人についての情報もなし。
……帳君なら情報収集出来るのかなぁ。いや、無闇矢鱈と頼るのは駄目だ。自分で歩け。
地面を意味無く踏み慣らし、光りの粒を見る。そうしていれば隣から翠ちゃんと細流さんが飛び出してきた。
落ち着いた動作で着地した二人は私を見る。だから挨拶をするのだ。
「こんばんは、こんにちは、翠ちゃん、細流さん」
「こんばんは、こんにちは、氷雨、翠」
「……こんばんは、こんにちは」
細流さんと翠ちゃんは返事をしてくれて、私は笑ってしまう。
すると翠ちゃんは私の両頬に指を添えて、かと思うと容赦なく抓られてしまったってイテテテテテ。
「すぃ、ちゃ、」
「また貴方はそうやって笑う」
いつかしたような会話。ため息をついた翠ちゃんは私の頬を離してくれる。
彼女は私の額に人差し指を押し当てて、何度も突かれてしまった。
ぅ、翠ちゃん。
「昨日の貴方を愚行だなんて言わないわ」
優しい言葉が貰える。
気にしていたことを、気にするなと許される言葉。
私は目を見開いて翠ちゃんを凝視した。
「やっと貴方の感情が出たのだもの。あれこそが人間らしさよ」
翠ちゃんに両肩を叩かれる。そうすれば緊張が抜けて、私は静かに息を吐くのだ。
翠ちゃんは、私の頬を優しく挟んでくれる。
「氷雨、自分を悪いだなんて思わないで。貴方が傷つく必要なんてどこにも無い」
翠ちゃんの穏やかな声に視界が滲んでしまった。
あぁ、駄目だよ翠ちゃん。今の私は弱いから、弱ってしまっているから。だからどうか優しくしないで。
言えなくて、言わないで、自分の髪が風に揺らされるのを視界に入れる。
翠ちゃんは頬を離してくれて、私は隣に足を着いた帳君に視線を移動させた。
彼は無表情に私を見下ろす。その向こうには祈君が着地して、私の髪が帳君の方を向くように揺らされた。
あぁ――良かった。
「……力、戻ったんですね」
「まぁね」
彼の復帰に笑ってしまう。そうすると帳君は眉間に皺を寄せ、私の髪に指を差し込んできた。
そう言えば昨日、私の髪が好きだって言ってもらえたっけ。
「氷雨ちゃん」
呼ばれる。まだ慣れない呼ばれ方で。
帳君は無表情で、チグハグ性はナリを潜めてしまったようだ。
「痛い?」
目の下を指で撫でられて、苦笑してしまう。
痛いかどうかで言えば、きっとまだ痛いのだけれども、それを口にする勇気はない。
目を伏せると両親の困った顔も浮かんできて、私の喉は苦しくなった。
何も言えないまま首を傾ければ、帳君は私の頭を撫でてくれた。
くそぅ……優しくしないでほしいのに。
帳君は首を傾けて私を凝視する。
その無表情何なんでしょう。今日もピアスが多いですね。
「答えられないこと聞いたね、ごめん」
私は目を丸くしてしまう。「とば、」と彼を呼びかければ、頭を強めに下に押されて言葉が詰まった。帳君は私の頭を撫でまわして手を下ろす。
なんだよ、目を瞬かせてしまうだろ。
改めて見上げると、帳君は無表情で「何?」と聞いてきた。
……なんだかなぁ。
「ごめんって、初めて言われたと……すみません、驚いてしまって」
苦笑しながら謝罪すれば、帳君にはどうでも良さそうな相槌を打たれてしまった。
そうだよな、私の感想だもの。不快にはさせてないようでよかった。
帳君は私をりず君の方へ向かせて、背中を柔く叩いてくれた。
私の肩にはルタさんが留まって、彼は聞いてくれるのだ。
「ひぃとらずは、どうですか?」
「昨日と、変わらずですね」
私はルタさんの首を撫でる。彼の翼も荒れているような手触りで、その目に元気は無かった。
それが心配になって彼を呼ぼうとし、それより早く、背中に寄せられた重さに驚くのだ。
私の真後ろ。
いるのは、祈君。
彼は私の首後ろに額を押し付けて、体重が少しかかってきていた。けれども重い訳では無い。私より数cm背が高い祈君にとって、この体勢が厳しくないかが心配なところだ。
振り向けない私は優しい彼を呼んでいた。
「祈君」
祈君は少しだけ揺れて、間を持った後に震えそうな声をくれる。彼らしい、ぎこちない言葉で。
「……しんどいなら、そう言ってくださいよ」
彼がくれる言葉はいつも優しいと思うんだ。
だから私は笑ってしまい、手を後ろに回してみる。
掌を開けばそこに祈君の指が乗せられて、私は嬉しくなるんですよ。
「自分でも気づかなかったんです」
昨日の私と割れたらず君を見て、祈君は言ってくれたのだろう。
勝手に想像して、祈君と結んだ手を軽く前後に揺らしてみた。
ルタさんはりず君の頭に留まり、私のパートナーは線が切れたように泣いていた。
「まだ痛いんだね、りず」
「そうだなぁ……そうなんだよぉ、ルタ」
「分かるよ、よしよし」
「ルタも痛てぇくせにッ!」
「君ほどじゃないさ」
ルタさんの翼がりず君の頬を撫でてくれる。その光景が嬉しいのに、二人の言葉はとても悲しくて、私は形容出来ない感情を抱いてしまった。
「はい、切るよー」
私の左手が手刀で叩かれる。驚いて祈君と手を離すと、帳君が笑ってそこにいた。
ぅあ、チグハグスマイル復活……。
冷や汗が出て、祈君の「あぁ!?」と言う低めの文句が聞こえてくる。
帳君は祈君を見下ろして笑っていた。
「鬱陶しいんだけど、雛鳥」
「うるっせぇな無頼漢」
「メソメソすんならそこら辺の木陰に引っ込んでろ」
「お前こそ勝手に苛立って迷惑かけてくんじゃねぇよ」
「あ?」
「んだよ」
「止めなさい、どっちも鬱陶しいわ」
翠ちゃんが鋭く口論を止めて、私の背中を押してくれる。細流さんはゆったりと首を傾け、抑揚のない声で呼んでくれた。
「氷雨」
「はい、細流さん」
彼は私に手を伸ばして、その掌を握り締めている。
細流さんは私達全員に言ってくれているようだった。
「……みんな、傷つけて、しまった……すまない」
あぁ、どうして貴方が謝るのか。
私は苦笑してしまい、翠ちゃんはため息を吐いていた。
祈君は「いやいや」と手を振り、帳君は私の肩に後ろから腕を回してくる。
「細流さんが謝ることなんて、何もないんですよ」
「こっちにも一人で背負い込む奴がいたわね」
「細流さんは凄く強いから……いつも頼りにしてます」
「お前が崩れたら一番面倒そうだな。止めてね」
四者四様の言葉を細流さんに送り、りず君とルタさんは苦笑する。
細流さんは珍しく目を瞬かせていた。
「梵は、俺達全員を守らなきゃいけねぇとか思ってんのかよ?」
「あぁ」
りず君が確認し、細流さんは間髪入れずに頷いている。
それには流石に驚いてしまい、帳君は「マジかよ」と私の頭に顎を乗せた。
りず君は首を横に振り、ルタさんは「細流さん……」と首を竦めている。
「俺は、守る、為に、拳を、振るうんだ」
そう言った細流さんの目には何が映っているのか。
分からない私は彼を見つめてしまい、ふと後ろに気配を感じる。
帳君よりも向こう。祈君よりも後ろ。
全員揃ってそちらへ向けば、見えたのは金色に染められた髪。
白い服を纏った彼は突如としてそこに現れ、私は目を見開いてしまった。
口から彼の名前は零れていく。
「……時沼さん」
私を見ている時沼さん。
彼は優しく微笑んで、返事をするように私を呼んでくれた。
「凩」
私の足は彼の方へ行こうとする。それを肩に回っていた腕に阻まれ、私は目を瞬かせてしまうのだ。
私を止めた帳君は口角を上げ、時沼さんを見つめていた。
「何お前、昨日のルアス軍じゃん。何の用?」
「凩に祭壇の様子を伝えに来たんだが?」
時沼さんはポケットから携帯を出してくれる。その画面には何やら緑色のものが写っていた。私は足を踏み出しかけて、やっぱり帳君に止められる。
「……帳君?」
「はーい勝手に近づかない」
私の髪が風で揺らされる。翠ちゃんのため息が聞こえた気がして、時沼さんが近づいて来てくれた。すみません。
「ん、今の凩達の祭壇」
「祭壇は、壊れた筈です」
私の言葉に時沼さんは首を横に振ると、画面を見せてくれた。
あったのはやはり緑。
蔦が巻きついて欠片ほど残った祭壇を維持しようとしている光景。
「この中に生贄入れてきた」
時沼さんの言葉に息を呑んで、私は彼を凝視してしまう。
「いいんですか、時沼さん。そんなこと、ぁの」
「何も問題なかったぞ? あぁ、植物避けて入口作って、また塞ぐのは大変だったけどな」
時沼さんはあっけらかんと答えて、いつも通りに笑ってくれた。
「昨日の奴らは意識が戻らない生贄をどうするか悩んでたみたいだから、全員別の場所に飛ばしといた」
「飛ばした……」
「飛ばした」
時沼さんは笑って私の顔を覗き込んでくるから、驚くんですよ。
笑い返せば彼は頷いて、私に言ってくれた。
「やっぱ凩は、笑ってる方がいいな。泣いてたのは、ちょっと焦る」
「……すみません、焦らせてしまって」
昨日の光景を思い出す。何も考えられなかった中で時沼さんに会って、受け止めきれないまま泣いていた時間。
申し訳なくて謝罪すれば、時沼さんは慌てている空気を出していた。
「あ、謝ることじゃ、ないからな。誰でも泣くことはある。俺も時々泣く」
「時沼さんが、ですか?」
「おう」
何度も頷いてくれる時沼さん。
帳君と同じくらいの身長の彼はそれでもどこか幼くて、可愛いって思うんです。
落ち着いていた心がより穏やかになって、りず君も嬉しそうな雰囲気。
けれもど帳君はどこかご機嫌斜めなんですけど。何で。
「俺達の生贄守ってくれたんだー、どーもー」
語尾が伸びる帳君。
「あぁ、気にしないでくれ……凩、それ苦しくないか?」
首を傾げている時沼さん。
なんで私は今、笑って冷や汗かいてるんだろうなぁ。
らず君とひぃちゃんを治してあげたくて、その一歩を踏み出す前から止まってしまいました。
治す前に出会った貴方。
祭壇が補強されていた理由。
色々書いていきたいです。
明日は投稿お休み日。
明後日投稿、致します。




