獲得
求めていた物が手に入る。
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2020/02/10 改稿
冷や汗が止まらない昼の経験を経て、やって来ましたアルフヘイム。
私は……翠ちゃん、の彼氏さんではなかろうかと推測した方と二回目の遭遇を果たし、時沼さんに助けられるという慌ただしい夕暮れを乗り越えてきた。
翠ちゃんの補講を切り上げる様子が変だったのが気になり私も途中退出した結果、学校から離れていく二人を発見した。
そして、自分が心配無く家に帰りたい為に後を追い、公園で口論していた翠ちゃんと相手を見つけたのだ。
その後は頭より体が先に動いたからよく覚えていないけれど、男の人が走り去った姿を見た翠ちゃんから緊張が無くなったのは分かった。
彼女の話を聞かないと答えた時も安心したような顔をしてくれた。自転車を取りに戻るのにも同行してくれたし。
少しテンションが高揚しているのは、翠ちゃんと友達であると胸を張って言えるようになったからであろう。
友達の定義は未だに分かっていないが、相手が私を親しい相手だと思い、私も同程度の感情を持っていれば「友達」であると勝手に納得した。
「こんばんは、こんにちは、氷雨」
「こんばんは、こんにちは、翠ちゃん」
そう挨拶し合った私達を見て、結目さんには「え、頭打ったの」と笑われた。
頭は打っていません。言うなれば殴られかけましたがそれも未遂です。
私は苦笑して、細流さんは穏やかに挨拶してくれた。
「こんばんは、こんにちは、氷雨……紫、翠?」
「細流も翠で良いわよ。氷雨がつけてくれた渾名なの」
「そう、か」
無表情の細流さんは頷き、翠ちゃんは彼にも挨拶する。「翠」と呟いた細流さんは何処と無く満足そうで、私は上機嫌なりず君とらず君の頭を撫でた。
「……凩さん」
「闇雲君」
おずおずと言った雰囲気で声をかけてくれた闇雲君。私は挨拶をして、彼は深々と頭を下げていた。
何かを言い淀む闇雲君はフードの裾を引き、下には新しい帽子を被っている。前と同じ黒色のキャップ帽は、彼の顔や髪色を綺麗に隠していた。
君が隠したいならば野暮なことは言わないよ。
私は自然と微笑み、闇雲君の言葉を待っていた。
彼は何度か口を開閉させて、私の左袖を指で掴んでくれる。
「……怪我、されてますよね」
指摘され、それには口を結ぶ。
私の袖をか弱く握った闇雲君の肩には、目を青く輝かせるルタさんがいた。
「軽度の捻挫です。骨に異常は見受けられませんが、固定が少し緩いように思えますよ」
「ぇ、ぁ、そうなんですね。すみません、ありがとうございます」
闇雲君は私の袖を離し、私は自分の左手首を摩る。
重たい物を持つと肩まで痺れるような痛みがあるが、湿布をしてテーピングもしていたので大丈夫だろうと考えていた。
体育の教科書を見ながらの不慣れなテーピングでは甘かったか。教えてくれたルタさんと闇雲君に感謝だな。
何も言われなければ、明日も明後日も不満足なテーピングを続けて治りを遅くしていただろうから。
らず君には昼間眠って休んで欲しいし、捻挫となれば治すのにも時間がかかって疲れさせる。利き腕ではないから治癒力の補助を遠慮したのはその為だ。
私は袖を巻くって左手を開閉し、テーピングの巻き方を研究しようと心に決めた。
「捻挫してたんだ」
「あー……大したことないんですけど、少しだけ」
結目さんに笑顔で手首を掴まれ、私は苦笑する。そうすれば、彼は目をより一層細めていた。
なんだろう、嫌な予感がして胃が痛む。
私が若干彼の手に危機を感じた時、結目さんは手首を握る力を強めてきた。
一瞬で鈍い痛みが突き抜けて、口から声にならない悲鳴が上がる。
反射的に後退した足は震え、それでも結目さんが手を離してくれることは無かった。
何、なにしてんのこの人痛いなッ!
「むすびめッ、さ!?」
右手で彼の手を叩けば、やっと手首が離される。
私は左手首を摩り、りず君とひぃちゃんが勢いよく抗議してくれた。
「何すんだよ!! いてぇだろ!?」
「怪我をしていると分かってその仕打ちですか」
「だって言わなかったから」
結目さんが指を振り、拙いテーピングが風によって解けた。
彼はその端を持つと、手慣れた動作でテーピングを巻き直してくれる。伸縮する素材のテープは、私がした時とは比べ物にならないほど手首を固めた。
「ほら、これくらいしてなきゃ意味ないよ。さっさと治してよね」
「あ、ありがとうございます」
「止めてよお礼なんて、気味悪い。鉄仮面、巻き方一応確認しといて」
私は動かなくなった手首を摩り、結目さんに頭を下げる。伝えたお礼は叩き落とされてしまったけれど。
「大丈夫、だ」
細流さんはテーピングを見て頷いてくれる。彼は一瞬力を使いかけてくれたようだったが、それは止めてくれた。
「ゆっくり、ちゃんと、治すのが、いい、な」
「ありがとうございます」
私は笑って頷き、細流さんが頭を撫でてくれる。その手は叩くように撫でた後に離れていき、私の目は結目さんを見た。
チグハグな笑顔が見えて、私は首を傾ける。彼は笑顔のまま言っていた。
「いざって時に役に立たないとか止めてね」
「はい、気をつけます」
「ちょ、そんな言い方……ッ」
闇雲君が抗議しかけて、結目さんは聞くことなく飛び立ってしまう。
闇雲君は指の関節を噛み、ルタさんが私の方を向いてくれた。
「いいのですか、凩さん」
それは、何に対しての確認なのか。
結目さんの私に対する態度か。それは今に始まったことではない。彼は出会った時からそうだった。だから何も問題ない。
だから私は微笑むのだ。
「いいんですよ、ルタさん」
答えると同時に、闇雲君が強く関節を噛む音がする。彼はルタさんと同化した。
その足に細流さんが捕まって私は翠ちゃんを横抱きにする。ひぃちゃんは背中で翼を広げて、私達を空へと運んでくれた。
「いいのね? 氷雨」
翠ちゃんにまで確認される。
私は彼女を見て、結目さんの空での言葉を思い出して笑うのだ。
「はい」
答えれば、翠ちゃんは何も言わずにため息をついていた。
* * *
「はいハズレー」
結目さんがそう言って、林の草を食んでいるイッペラポスさん達から離れる。
私は風に揺らされる髪を掴んで苦笑した。
イッペラポスさん達は馬と鹿が混ざって出来たような見た目をされており、顔周りのたてがみと大きな角が印象的だ。全身は白っぽい毛に覆われて厳かな空気も醸し出されている気がする。
そんな彼らは林の奥にあるイッペラポス・シュス・アインスに住んでおられて、戦士を見ても無反応だ。
グローツラングさんと正反対の関心の無さに安堵しつつ、私はメモ帳を結目さんに渡した。
「いーとこないなー、悪人いないの極悪人」
「そんなホイホイ居るの嫌だぞ」
結目さんの言葉にりず君はため息をつき、私は首を傾げてしまう。
悪い人と言うのはとても難しく、怖い人とも違うのだから探しにくい。
私は自分のメモ内容を思い出しつつ、翠ちゃんが自分の掌を見ているのに気がついた。そこでは何か光っており、ひぃちゃんが肩で「おや」と零している。
「紫翠さん、もしかして」
「えぇ、出来たみたいよ」
翠ちゃんは掌を見せてくれる。そこでは〈ハンヴェル〉と言う文字が赤く光っており、私の頭にはドヴェルグさんが浮かんだ。
翠ちゃんが頼んでいた武器。彼女の掌の名前が光るのはそれが出来上がったという証。
私の口からは「おぉ」と言う感嘆詞が漏れて、細流さんが聞いていた。
「行く、のか? ドヴェルグの、鉱山、に」
「いいえ、デックアールヴが運んできてくれる筈だから放っておきましょ」
「それでいいのですか?」
ルタさんが驚いた仕草をして翠ちゃんは頷く。彼女は掌に指先で触れていた。
「大丈夫よ。これが発信機みたいなものらしいから」
そんな高性能な文字だったんだ、あれ。
少し驚くが、それ以上に楽しみにしている自分がいる。どんな武器が出来上がったのか、と。
私は一人勝手に気分を高揚させ、頭に腕を乗せてきた結目さんには気づかないフリをした。
背が縮むってば。言いませんけど。
「良いシュスが無いんですけどー」
「えー……その、ヴォジャノーイさんとかはどうですか? 戦士を湖に引きずり込んで食べちゃう方達……だったと思うのですが」
「戦士を食べる系飽きた」
行きたくないシュスを絞りカスみたいな勇気を使って提案するが、一刀両断された。
なんてこった。私は無駄な提案をしたことと、自分達を食べようとする所を勝手に目的地にしようとした自分に呆れた。
危ない所を簡単に提案して、皆さんに危害があったら堪らない。
最近緩んでいる自分に嫌気がさした時、私の耳は近づく車輪の音に気がついた。
顔を動かせば結目さんが自立してくれる。細流さんが穏やかな瞬きをしていた。
「来た、な」
「みたいね」
翠ちゃんも頷いて、ルタさんを抱いた闇雲君は顔を右往左往させていた。
挙動不審な彼はそれでも私の前に来てくれて、ルタさんはパートナーの頭で翼を広げている。
「危険を感じたら逃げます。祈、しっかりしてくれ」
「う、うん」
「逃げ腰でどうすんだよ梟と雛鳥。弱っちいな」
「うるっさいな!」
結目さんは笑いながら馬鹿にした声を出し、闇雲君が怒ってしまう。
りず君とひぃちゃんはため息を吐き、私の胃が若干痛んでいた。
ぁの、喧嘩をするのやめませんか……。
止めようかどうか悩んでいると、翠ちゃんに呼ばれて私は前を向いた。
「氷雨、来たわよ。貴方が楽しみにしてた私の武器が」
「ぁ、じゃあもしかして、あの音……」
「ラートライ、だな」
細流さんの答えに安心し、私は肩の力を抜く。ルタさんは翼を畳み、闇雲君は振り返ってくれた。
「ラートライ……?」
「はい、デックアールヴさんが依頼主さんに武器をお届けする時に使う、移動道具だそうです」
闇雲君はフードの裾を引き「そうなんだ」と体の緊張を解いていた。
私は微笑みながら頷いて、こちらに猛スピードで向かってくるラートライを確認した。
ドヴェルグの鉱山からここまで結構な距離がある筈だけど、凄いな。
地面から光りの粒が舞い上がる。
私は、ラートライに急ブレーキをかけたデックアールヴさんを見つめた。
「よ!! 戦士の嬢ちゃん待たせたな!!」
元気な声と一緒に降りてきたデックアールヴさん。彼の肩には小さな袋が背負われており、翠ちゃんが彼に近づいて行く。
服装や声を聞く感じ、ポレヴィークの野原で出会ったデックアールヴさんのような気がした。
「貴方、一緒に行動してくれたデックアールヴね?」
「おう! そういや自己紹介してねぇままだったな! 俺はマクハサ! 覚えてくれてて光栄だ!!」
「楠紫翠よ、あの時はありがとう」
握手をしている翠ちゃんとマクハサさん。彼は私達にも手を挙げてくれて、りず君は大きくした前足で握手した。
「これが光ってから随分早く到着してくれるのね」
翠ちゃんは掌を指している。マクハサさんは気づいたように手を打つと、自信満々に話してくれた。
「それが光るのはラートライが近づいた時だからな! ドヴェルグ達は武器が出来た時って伝えてるみてぇだが、実際には俺達が注文主に武器を渡す直前に光ってるんだぜ。じゃなきゃ武器が出来て俺達が持ってくるまでずーっと光りっぱなしだ。そんなの鬱陶しいだろ?」
「そうね」
身振り手振りを沢山つけて話してくれるマクハサさん。
翠ちゃんは頷いて、その目は武器が入っているであろう袋を見ていた。マクハサさんもそれに気づいたようで「悪い悪い」と言っている。
彼は袋に手を入れて笑った。
「さぁ嬢ちゃん、受け取りな。これがあんただけの武器さ」
丁寧に言ったマクハサさんは武器を取り出す。
黒い革で作られたようなベルトに、針形状の手裏剣が八本入った物。
ベルトには銀色のバックルがついており、受け取った翠ちゃんはそれを腰に巻く。
するとベルトはウエストに沿うように伸縮し、彼女は一つの手裏剣を取り出した。
二十cm程の長さのそれは棒手裏剣だと聞いており、柄の部分に緑色の宝石が埋め込まれている。鋭利な剣先は光りを反射した。
翠ちゃんは近くの木に勢いよく手裏剣を投げつける。
刃は空気を裂き、幹に刺さると思われた直前に鋒が五つに割れて幹に巻きついた。
その一瞬の変形に私は目を見開き、細流さんが「おぉ」と声を零しているのを拾った。
満足そうなマクハサさんは、翠ちゃんに銀に緑色の宝石が埋まった指輪を渡す。彼女は装飾具を見下ろした。
「嵌めればいいのね」
「あぁ、それは柄に埋まってる宝石と同じものでな! どこでもいいから指に嵌めて戻れって念じてみな!」
翠ちゃんは右手の中指に指輪を嵌め、投げた手裏剣に視線を送る。
すると木の幹に巻きついていた手裏剣が元に戻り、引き寄せられるように翠ちゃんの手に戻ってきた。彼女はそれを掴むと器用に指で回し、ベルトのホルスターに戻している。
既に手馴れた動きをする彼女を凝視してしまい、マクハサさんは嬉しそうだ。
「それでいい! 相手に当たれば拘束出来て、外れりゃ自分の手に戻る! 捕まえた状態で手に戻すことだって可能な優れもんさ!
お気に召したか? 嬢ちゃん」
「えぇ、とても。この手裏剣状のまま当てることも可能なの?」
「勿論、拘束仕様か攻撃仕様かは嬢ちゃんの判断で決められる!」
翠ちゃんはそれを聞いて再び手裏剣を投げ、今度はその鋒が分かれることはなかった。
刃は深く木の幹に突き刺さり、彼女は右手を握る。そうすれば手裏剣は彼女の手の中へと戻り、再度ホルスターに仕舞われるのだ。
「素敵ね、ありがとう。想像していた以上だわ」
「そりゃ良かった!! ハンヴェルに伝えとくぜ!」
マクハサさんは心底嬉しそうに頷いてラートライへと飛び乗った。荷台には他にも袋が沢山あり、彼の仕事がまだ途中であることが伺える。
「じゃあな戦士達! 生き残れよ!!」
「ぁ、ちょ、ちょっとッ」
颯爽と立ち去ろうとしたマクハサさんを闇雲君が呼び止める。デックアールヴさんはラートライを発進させるのを止めて、目を瞬かせた。
闇雲君は少し口をもごつかせてから、マクハサさんの「どうした?」と言う声に顔を上げる。
「もう……スクォンク達を、的にしてないよね?」
その問いに私の体にも緊張が走る。
私は自然と手を握り締めて、マクハサさんを見た。
ベレットさんはあれからどうしたのか。マクハサさんがまだラートライに乗っているということは、何も変わらなかったのではないか。
何かを変えようとした訳では無いけれど、嫌な不安が背中に乗ってくる。マクハサさんは目を瞬かせると、予想に反して優しく目元を下げてくれた。
「してねぇよ。また鉱石のホログラムを使うことにしようって、ベレットさんが言ってくれたんだ」
その言葉に安心する。
私は息を吐き、闇雲君の肩からも力が抜けた。マクハサさんは頭を掻きながら続けてくれる。
「あんた達が去った後のドヴェルグの鉱山じゃ、デックアールヴも望めば道具作りの手伝いが出来るように話が進んでいったんだ。まだ道半ばってとこだが、ドヴェルグとデックアールヴの不満は減ってきたと俺は思ってるぜ」
彼はそう言うと「それに」と楽しそうに教えてくれた。
「スクォンク達が意外と鉱石発掘が上手くてな、材料集めを手伝ってくれるようになったんだ。俺達もアイツらの仲間の墓参りをするようになったし……」
目を伏せたマクハサさんは少しだけ黙ると、笑ってくれた。
それはとても晴れやかな笑顔で、こちらも自然と笑ってしまう。
「あんた達のお陰で変わっていってるぜ、良い方向に。ポレヴィーク・シュス・ツェーンはどうしようもねぇけどな」
その言葉に苦笑してしまう。
断罪のシュスは変わらずのようで、けれどもそれはもう止められないことなのだとマクハサさんは言っていた。
スクォンクさん達が泣きながらも頑張って仕事をしていること。一緒にお墓を建てたこと。
ドヴェルグさん達から武器の作り方を少しずつ教えて貰えるようになったこと。まだルアス派であり宿命も使命も消えてはいないが、以前より最終確認者であることが苦しくなくなったこと。
「いつかドヴェルグ達が断罪を恐れずに武器が作れるようになるように、今はディアス派になりたいって運動も始まってるぜ。保守派がなかなか首を縦に振らねぇから時間はかかるだろうが……いつかちゃんと、治まるべきところに治まるだろうよ」
マクハサさんはそう話して「まだ何か話すか?」と闇雲君に確認した。
闇雲君はルタさんを抱き締めて、首を横に振る。
マクハサさんは頷き、次に結目さんが問いかけた。
「別件で一つ教えてよ。あんたさ、悪人がいるシュス知らない? 俺達行き先に困ってんだけど」
「悪人?」
マクハサさんは腕を組んで「そうだなぁ……」と暫し考えてくれる。
彼は本当に良い人だと、私は嬉しくも悲しくなっていた。
マクハサさんは何かを思いついたような仕草をすると、結目さんに視線を向ける。
「シュリーカーは、どうだ?」
「シュリーカー?」
結目さんが復唱して、彼は横目に私を見た。
シュリーカーという名前を私も頭の中で繰り返し、メモ帳を捲った。
その人達については恐らく、私は何も知らないと思いながら。
あったのはほぼ白紙のページ。
少しだけ綴られた文字の下にはクエスチョンマークを書いており、私は口角だけ上げた。
「シュリーカー。住処不特定、宗派不明、総数未確認。彼らが現れる所では、必ず悪いことが起こります。そこからついた呼び名は――厄災を呼ぶ妖精、です」
私はそれを読み上げて、正直に言っておいた。
「これしか、分かりません」
これにて「剥奪する努力家」編終了。紫翠ちゃんはまだまだ成長していきます。今回は彼女の中の一部が変化したに過ぎない、きっかけの編。彼女の今後に乞うご期待。
次回より「窒息した秀才」編を始めます。




