表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
僕らは痛みと共にある  作者: 藍ねず
ウトゥック・シュス・ノイン編
24/194

生贄

決定した。


――――――

2020/01/27 改稿

2020/01/29 ルビ追加

 

 

「ディアス軍、凩氷雨、アルフヘイムへ」


 唱えた私はアルフヘイムへ行く。体を包む生温かい感覚も、黒い空間も、空から吐き出される事柄も慣れたものだ。


 隣からは結目さんが弾き出される。彼は風に任せて滑らかに下降していた。私はそれを一瞥して、眼下に広がるウトゥック・シュス・ノインであった場所を確認する。


 崩れたお城の外壁、破れた旗、壊れた家屋に、散らばる赤。


 それらを視界に入れて、私は誰にともなく謝罪するしか出来なかった。


 ごめんなさい、こんなに荒らすつもりはなかったんです。シュスを滅ぼしたかった訳でもないんです。ごめんなさい、ごめんなさい、許されることではないと分かっています、ごめんなさい。


 結目さんは許してくれた。


 細流さんも賛同して、楠さんも背負わなくていいと言ってくれた。


 それでも私は、背負わずにはいられない。


 らず君が肩で震える。私は何とか深呼吸して、張り裂けそうな胸の痛みを無視し続けた。


 昨日私達が最後にいた場所には黒い穴ができ、細流さんと楠さんが吐き出される。二人は慣れた動作で着地し、結目さんと私を見上げていた。私も地面に足を着いて笑顔になる。


「ありがとう、ひぃちゃん」


「いいえ、氷雨さん」


 お姉さんと笑い合って、細流さんと楠さんを見る。私は二人に頭を下げた。


「こんばんは……で、こんにちは、細流さん、楠さん」


「こんばんは、こんにちは、氷雨、紫翠」


「こんばんは、こんにちは……変な挨拶ね」


 すみません。


 私は直ぐに自分が撒いた種を謝ろうとしてしまい、それよりも早く楠さんに「謝るんじゃないわよ」と指摘された。


 はい、すみません。


 口を結んで苦笑する。りず君は肩で「こりゃ敵わねぇな」と笑っていた。


「変な、挨拶か?」


「黙っていなさい脳筋優男」


 首を傾げた細流さんを一蹴いっしゅうする楠さん。細流さんは「お、」と母音だけ零して頷いていた。


 彼の心は大海だな、間違いない。私は絶対萎縮して頭を下げて謝って、結果ため息を吐かれる奴だ。細流さんの態度を模範とさせて頂きたい。是非。


 思っていると髪が風に引かれて、隣に着地した結目さんを自然と見てしまった。欠伸をする彼はとても気怠げだ。私は結目さんにも変だと言われた挨拶をし、同じ返事を貰っておいた。


 結目さんは細流さん達を一瞥してから「さて」と、お城の地下牢へと続く扉へ向かった。私達もそれに続き、静まり返っているシュスを少しだけ見渡す。


 昨日の喧騒が嘘のように、物音一つしないシュスは異様だった。


 皆さん何処かへ行ってしまったのか、どうなのか。


 分からないまま地下へと続く階段を降り始めると、りず君とひぃちゃんが異変に気がついた。


「なぁ、すげぇ血の匂いだぞここ、鼻が曲がる」


「……不快です」


 鼻を押さえて眉間に皺を寄せるりず君とひぃちゃん。らず君も顔を隠しており、私も手の甲を鼻に持っていった。


 余りにも強烈な鉄の匂い。地下に充満するそれには汗や埃も混じっており、吐き気を覚えるような空気になっていた。


 楠さんも鼻を押さえ、細流さんは目を少しだけ細めている。


「あー、気持ち悪い」


 苛立ったような声で腕を振ったのは、先頭の結目さんだった。動作と同時に強風が巻き起こり、空気が強制的に循環させられる。


 私は強い風に目を瞑り、吹き飛ばされそうになったりず君達を押さえておいた。


 風の通る音が地下に響き、嵐のように鼓膜を揺らす。反響する音は大きな怪物が吠えているかの如く轟き、私の足は微かに震えた。


「ん、こんなもんでマシかな」


 平坦な声を合図に止まった豪風。私は目を開けて、自然と鼻が空気を嗅いだ。そこは先程よりも綺麗な空気があり、血の香りも薄らいでいる。


 りず君達は「ありがとなー」と安堵した様子だ。


「ありがとうございます、結目さん」


「こんなことでお礼言っちゃう凩ちゃんの神経、大丈夫?」


 何故心配されたんだろう。あれか、結目さんはお礼を言われるのを不快に思うタイプの人か。そうか、そうだな、気をつけよう。


 一人合点がいって「すみません……」と苦笑する。


 次から彼に何かしていただいても、お礼は控えていよう。


 そう決めて肩を竦めると、楠さんのため息が聞こえた。


 どうやら彼女は、呆れたような目で私を見ていたらしい。


 ……すみません。


「……そういう人よね、本当に」


「……ぇーっと……」


「なんでもないわ」


 言い切って階段を降りていく楠さん。私も後に続き、最後尾を細流さんが歩いてくれた。地下に一番に到着したのは結目さんだったが、彼は牢を見ると深いため息を吐いている。


「はー、マジかー」


 今日は皆さんため息デーですね。幸せが逃げないといいのだが。


 なんて見当違いなことを考えるのは、誰が残っているか確認するのが怖いからだ。私達が殺す人が決定してしまうのが、恐ろしいからだ。


 両手でらず君とりず君を抱き締めて、結目さん、楠さんに追いつきながら口も結ぶ。


 一瞬だけ目を伏せて、もう戻ることは出来ないと自分に言った。


 それなのに、牢を見た私の決意は揺らいでしまいそうになる。


 ――愕然としたからだ。


 床に転がっているのは八つの折れた鍵。


 牢の中にあるのは八つの死体。


 一人震えるのは残された王様。


 死体は全て首が落とされるか潰されるかしており、体は滅多刺しにあった形跡がある。血という血は床へと流れ出て固まっており、私の視界が揺らいだ。


 気持ち悪さが体の奥から這い上がり、手足の先から冷えていく。肩は震えて、鼻をついた血の香りが嘔吐感を競り上げた。


 理解が出来ない。何だこの惨事。


 助けていいって言ったのに。自由にして構わないって言ったのに。


 ――自由


 思い浮かんだ単語に目を瞑り、らず君が輝いてくれた。


 それだけで嘔吐感は何とか留まり、霞んだ目の前も少しだけマシになる。


 楠さんは奥歯を噛んでいるようで、細流さんは私達の前に立ってくれた。背中の広い彼がそこにいるだけで視界から死体が外れる。


「見なくて、いい」


 機械的に呟いた細流さんが安堵をくれたと同時に、私は自分の情けなさを恥じた。


 誰かを選ぶと言うことはこういうことだ。誰かに選んでもらうと言うことはこういうことだ。


 しっかりしろ、凩氷雨。


「殺されたかー」


 間延びした結目さんの声が地下に反響する。彼は血腥ちなまぐさい光景を諸共せずに牢を開けた。


 結目さんが笑顔で見下ろすのは、たった一人の王様だ。


「やぁ、七の王様、生きている気分はどう?」


 残されていた七の王様。


 ウトゥックさんを奴隷にしていた王様。


 彼は荒い呼吸をしながら繋がれていた。


 何も見えない闇の中で、彼は何を聞いたのか。私には想像も出来やしない。


 楠さんの読みが当たったけれど「流石です」なんて言う余裕は無い。鎖を持った結目さんは、七の王様を牢から引きずり出している。


「おーい毒吐きちゃん、この人の意識も抜ける? 抵抗されたらダルいんだよねー」


「……えぇ、出来るわ」


 楠さんは組んでいた腕を解いて掌を見せる。結目さんは風を操り、震えている七の王様を楠さんへ差し出した。


 楠さんは王様の頭に触れる。


 すると王様の体全体から強張りや緊張が抜け落ちて、まるで人形のように力がなくなった。楠さんの手の中にはダイヤの形をした宝石があり、彼女はそれを上着のポケットに仕舞っている。


 他の亡くなってしまった王様の宝石は、それぞれの体の横で灰色に変色していた。抜いた宝石を戻せるのも壊せるのも楠さんだけの為、王様達の横に置いていたのだ。


 七の王様の声と視力の宝石を回収しに行った楠さんは、自分の奴隷になれと迫っていた九の王様を一瞥していた。


 彼女は立ち止まらない。亡骸を気に留めない。


 その伸びた背筋が綺麗で、震えていた自分が嫌になる。


 なんて弱い奴なんだろう。恥ずかしい。愚か者。こうなる結果だって予想は出来ただろうに。この事実を作り出したのは誰でもない、私自身の提案のせいだ。


 それを認めろ、凩氷雨。お前は罪を背負って生きていけ。


「鉄仮面運んでー」


「あぁ」


 王様を肩に担いだ細流さんが階段を上り始める。私はその背中を見て、爪先を地面へ打ち付けておいた。


 大丈夫、動く、動け、足。血の気にやられたひぃちゃん達を今頼ってはいけない。


 らず君とりず君を抱き締めた私は、笑った。


「らず君、ありがとう」


 淡く光ってくれていた硝子の彼に休んでもらう。半泣きだったらず君は頷いて、私の腕の中に顔を埋めてしまった。その小さな頭を撫でて深呼吸する。


「凩ちゃーん」


 平坦な声と一緒に私の体が前のめりになった。肩には昨日と同じように結目さんの腕が回る。髪を風で引かれた。


 見上げてみると、そこには笑顔の結目さんがいる。


 私は自然と微笑んで、遊ばれる自分の髪を握っておいた。


「七の王様が残されてたわけだけど、あいつで決定でいいよね」


 確認されるとは、正直思っていなかった。彼は私の意見なんか求める必要ないと思っていたのだから。


 結目さんは無感動な瞳に、私は笑って頷いた。


「はい。シュスの方が選んで残された方ですし、私も彼で、異論ないです」


「そっかそっか。ウトゥックを奴隷にしていた王様だもんねー。ここでも凩ちゃんの心配症発動されたらどうしようかと思ったけど、そうでもなくて良かった」


 満足そうに笑って、どこか投槍に言葉を吐いた結目さん。


 離れた彼はそれでも私の髪を風で引いた。こめかみが微かに傷んだが、三日目にしてこれも慣れた。風に引かれて足が動く。


 階段を上り、私の後ろから楠さんも地上に向かっているようだった。微かに振り向いて見た彼女は美しくも無表情で、私の背筋も伸びる。


 生贄を決めた。


 捕まえた。


 後は祭壇に祀るだけ。


 単純に、単純にを脳内で繰り返しながら地上へ出る。


 そこには――多種多様な住人さん達が立っていた。


 地下への扉を取り囲むように彼らはそこに居て、私達を凝視している。


 降りる前はなかった光景だが、王様を担いでいる細流さんは微動打にしない。結目さんの足も止まり、楠さんと私も目を細めてしまった。


 何を思って彼らはここに立っているのか。


 鎖に繋がれている人は見えない。壊れた首輪がぶら下がっている方はいる。小さな子どもに見える方や九の王様の元にいた女性に見える方々も、ただ一心に私達を観察しているようだ。


 空気が張り詰める。


 腕の中のりず君とらず君は微かに震え、私は小さな二つの頭に手を被せた。ひぃちゃんの喉が微かに唸る。


「なにしてんの?」


 結目さんが疑問の感情を口にした。彼は笑ったまま「邪魔なんだけど」と首を傾げている。


 彼の言葉は静寂の中に投下され、波紋を立てることなく消えてしまった。誰も問いには答えない。細流さんは周囲を見渡しながら王様を担ぎ直していた。


「殺させろ」


 どこからか、そんな低い声が聞こえてくる。男性だと判断してしまう声だった。


「殺したい」


 また違う声がする。


 地に響くような声からは、怒りなんて安い表現は出来ない――憎悪と言っていいような威圧感が滲み出ていた。


 腕に鳥肌が立つ。らず君はより一層震えている。


「殺したい」


「生贄なんて生温い」


「痛めつけたい」


「俺達と同じ痛みを」


「屈辱を与えさせろ」


「それを、置いていけ!」


 徐々に声の波は大きく広がり、酷い怒気が空気を轟かせる。


 青すぎる空に似つかわしくない訴えはシュスに響き渡り、私の肌が震えた。


 彼らの血走る瞳が王様を見つめている。今にも駆け出してきそうな雰囲気だ。


 楠さんは舌打ちして、結目さんも「面倒くさ……」と呟いている。細流さんは一瞬私達の方を振り向いてくれた。彼と目が合った私は首を横に振ってしまう。細流さんは視線だけ頷かせてくれた。


 殺したいという叫びが木霊こだまする。


 ウトゥックが憎たらしいと言う訴えが響く。


 私の視線は、武器や拳を振り上げる彼らに向かった。


 ウトゥックさんを数人だけ見つける。彼らも同じように叫び、その服装から兵士だった方だと判断する。首に枷がついている人もいる。だが、見つけられるウトゥックさんはそれだけだ。


 どうしようもない失敗だと悟ってしまう。


 鬱憤の溜まりに溜まっていた彼らに、選べる筈がなかったのだ。誰か一人にその憤りを押し付けることなんて出来なかったのだ。


 自由を得た彼らの苦しみと憎しみは全てのウトゥックさんに向き、許されたのは同じ境遇にいた兵士と奴隷の方だけ。後の人は許されなかった。誰も許すことが出来なかった。


 何年にも渡った憎悪は、たった一人を逃がすことすら許さない。


 目の前が発光して気持ちが悪い。この人達の感情をぶつけられるたび骨が軋む。私の間違った選定方法は、彼らの枯渇した心に毒でしかなかった。


「渡すわけないじゃん」


 不意に、馬鹿にするような声がした。


 結目帳さん。


 笑顔の彼は周囲の人々を見つめている。


「あんたらさぁ、全員ディアス派だよね? ルアス派信仰の奴が邪魔する訳ないし、反逆なんてしようもない」


「それがなんだと言うのだ!!」


 怒りを孕んだ声がする。ざわめきが広がり、結目さんは心底面倒くさそうに右手を振った。同時に突風が吹き荒れる。


 過ぎ去った風は虚空で音を立て、群衆の方々を黙らせた。


 結目さんは笑っている。


「幸せは自分の手で掴め、他者を蹴落とし光を奪え。それがディアス派の方針だったと思うんだよねー」


 風が吹く。私の足が浮いて、細流さんと楠さんも持ち上げられた。細流さんが担いでいた王様は風に巻かれ、結目さんの横へと浮遊していく。


 冷や汗が流れた。


 だって、嫌な予感しかしないから。


「お、」


「ちょっと……待ちなさいよ」


 細流さんと楠さんの声がして、ひぃちゃんは翼を広げてくれる。私の右手ではりず君はハルバードになってくれた。


 結目さんは溌剌と言い放つ。


「王様を殺したかったら、俺達から奪ってみろよ」


 なんて、彼が言うと同時。


 細流さんと楠さんと私は四方へ弾き飛ばされ、群衆の中へと放り込まれた。


 心臓が引き攣って目が回る。


 喉まで出かけた悲鳴は飲み込んだが、無茶苦茶な体勢から着地をかましたせいで「ぁいた」と言葉は零れた。


 周囲を見る。


 目をギラつかせた住民さん方。細流さんも楠さんも見えない。結目さんはお城の方へ王様と一緒に飛んでいく。


 餌にされた。


 理解した私の顔は引き攣って笑い、身体中から血の気が引いた。


 りず君の怒号が空に響く。


「ふっざけんなよ結目帳ぃぃぃぃッ!!」


 私の口からは「あぁぁぁぁ」と消化不良の気持ちが母音となって流れ出る。


 まるでそれを合図にするように、周囲の方々は一斉に飛びかかってきた。


 誰が飛びかかっていいなんて言ったよ馬鹿野郎。


 なんて言える間もなく、私はりず君を振り抜いた。


 狼のような人の鉤爪とりず君が激突し、背後から肌が緑色の女性達に飛びかかられる。彼女達の口から吐き出された液体を躱すと、それを浴びた地面が溶けていた。


 心臓が痛くなって、空中でひぃちゃんに一回転させてもらう。


 戦うのか、この人達と私達が。


 その鬱憤を私達にぶつけて、あの王様を取り戻して、貴方達の気持ちは晴れるのか。


 着地すれば血塗れの斧が振り下ろされ、りず君で思い切り弾き返した。鈍い金属音に私は奥歯を噛み締める。


 斧に剣にハンマーに、様々な武器とりず君をぶつけ合う。


 よろけながら矢を躱し、全くもって決着が見えないんですけどッ


 この状況をどうやって切り抜ける。彼らを倒したい訳でも殺したい訳でもない。らず君のお陰で戦闘は出来るが、それも永遠にという訳にはいかない。


 りず君で狼のような方の鉤爪を弾き上げる。彼の黄金色の瞳は輝き、私の口角が自然と上がった。


 怖くて怖くて仕方がない。だから笑え、凩氷雨。笑顔は盾になる。怖いを、嫌だを、苦しいを、隠し通す盾になる。


 大きなハンマーが横から迫るのを見て、私はりず君に変形してもらった。


 それは武器ではない。防具ッ


「スクトゥム!!」


「あぁ!!」


 私の身の丈程度の盾になってくれたりず君を両手で持ち、体の横に構える。


 体の向きを変える余裕はなかった。ひぃちゃんで飛ぶにしてもハンマーが大き過ぎる。


 私の体には重たい衝撃が走り、足は地面を滑った。


 無理矢理移動させられる感覚で体が軋み、靴の裏が擦れている気がする。進行方向を見ると瓦礫の壁があり、私は歯を食いしばった。


「ッぅ、ひぃ、ちゃん!!」


「はい!!」


 ひぃちゃんが真上へ羽ばたいてくれる。私はりず君をギリギリまでハンマーと密着させながら体を上へと移動させ、ハンマーを飛び越える姿勢になった。


 りず君には針鼠に戻ってもらい、ハンマーを一度蹴って地面へと転がる。


 肩をぶつけた。痛かった。気の所為だ。らず君は。大丈夫、胸の前にしがみついてる。


 硝子の彼を支えて肩に移動させる。


 直ぐに立ち上がってりず君にもう一度ハルバードになってもらった時、一瞬だけ楠さんが視界に入った。


 彼女の力は多勢に有利か。あれだけの人数に囲まれて逃げられるのか。困っているのではないか。危機なのではないか。あの子の足になる何かがいるのではないか。


 脳裏を駆け巡った不安が、私にお姉さんを呼ばせていた。


「ひぃちゃん、楠さんの翼になって!」


 これは私の杞憂かもしれない。杞憂であって欲しい。必要ないと言われれば戻ってきてくれて構わない。


 結目さんは空を飛べるし、細流さんは人波ならきっと増強した脚力で飛び越えることだって可能だろう。


 それでも楠さんには翼がない。一体一ならば強い彼女に、多勢が押し寄せた場合の結果が私には分からない。


「ッ、それが、貴方の望みなら」


 勢いよく私から離れてくれたひぃちゃんの瞳は、心配そうだ。


 だから私は笑っていよう。


「ありがとう、私は大丈夫だよ」


「――ッ、はい」


 ひぃちゃんは楠さんの元へ向かってくれた。私は無くなった背中の温かさを不安に思ったが、それをかき消す思いでりず君を振り抜いた。


 迫っていた剣とりず君の刃が甲高く打ち合う。


 血走る瞳に睨まれる。


 あぁ、鳥肌が立った。不安と恐怖が這い上がってくる。


 それを吐き出す為に声を上げた。


「最後の王様を殺した後、貴方達はどうするおつもりですか!! 燃えるような怒りが消えた後、そこに何か残るのですか!」


 私と剣を交えていたかたの目が見開かれる。


 人間のような容姿で、細身の体躯と尖った耳が印象的。


 そんな彼から離れて、私は後ろから飛びかかってきていた猫人間的な女性の蹴りも避けた。


 彼女の怒りを孕んだ目に射抜かれる。


「ッ、そんなものは、もうどうでもいいの!! 鎖で繋がれたことも無いタガトフルムの子が、邪魔をしないで!! あれを私達に寄越して、戦士!! その許可を得るためだけに、私達はあれを残したのだから!!」


 蹴りが来る。それをりず君の持ち手の部分で受けて弾き返す。


「それは、出来ませんッ、私達はかの王を生贄にすると決めました!」


 鉤爪や槍が向けられる。息が切れた。


「何故だ、このシュスでなくてもいいはずだ!!」


 鈍く光る剣とりず君がぶつかり、金属音が響く。


 そんなことを今更言わないでほしかった。私達が決めたことに、口を出さないで欲しかった。


 ハルバードを振り上げる。


「そう、決めたんだッ、ここから生贄を出すと決めたんだ!!」


 りず君を握り直して我武者羅に叩き落とす。地面には亀裂が入り、目の前にいた方の髪を数本切り落とした。先程の尖った耳の人。


 彼の目は見開かれ、私は不安を吐き叫んだ。


「悪を殺すと決めたんだッ!!」


 あぁそうさ、私は鎖で繋がれたことなんてない。自由を奪われたことなんてない。そんな経験がないから、貴方達の痛みも苦しみも分かりはしない。


 またりず君を振り上げる。肩が軋んだ。


「私の覚悟の、邪魔、するなッ!!」


 変化した金属音が響く。


 打ち合った相手の剣に亀裂が入る。


 剣が折れ、剣先が宙を舞う光景が私の目に焼き付いた。


 私に襲いかかっていた猛攻が――止んだ瞬間だった。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ