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僕らは痛みと共にある  作者: 藍ねず
ウトゥック・シュス・ノイン編
22/194

潜入

大混乱の渦の中へ、その身を投じろ戦士達。


――――――

2020/01/25 改稿

2020/01/29 傍点追加


 

 私達がシュスの塀に辿り着いた時、中は喧騒と怒号で満ちていた。


 同じウトゥックさん同士で怒りをぶつけ合う方。断ち切れた鎖によって自由を得た元奴隷さん達。泣いて天に許しを乞うルアス派であろう人。血走らせた目でウトゥックさん達に立ち向かうディアス派であろう人。


 物々しい憤怒と憎悪と哀愁が漂うシュス内は地獄絵図と化しており、見ているだけで息が詰まった。


 震えて泣き出したらず君を抱き締めて、首に巻きついてくれたひぃちゃんの尾を撫でる。りず君は私の頭を小さな前足で撫でて「大丈夫だ」と言ってくれた。


 ありがとう。君達がいるだけで、私の呼吸は楽になる。


 微笑んだ私は、りず君をらず君と一緒に腕に抱いた。


 体勢を低くしてシュスを観察していた私達。住人の方々は混乱のおさまらない空気により不安を掻き立てられているようだ。高い声も低い声も、怒号も悲鳴も入り交じる環境は余りにも異質で、正気でいる人などいないのだろう。


 今まで虐げられてきたディアス派の奴隷さん達の反乱と、奴隷を無くしたことによる不安がウトゥックさん達を心身共に追い詰めていく。


 それなのに何処にも指示を出す人がいない。九人もいる筈の王様は一体どうしたと言うんだ。何で国がこんな状況なのに姿を現さないんだ。


 眼下に広がる光景を観察し、私は生唾を飲み込んだ。


「はは、大混乱かよ」


 笑い飛ばしたのは結目さん。立ち上がった彼は塀を蹴り、宙へ体を投げ出した。何の迷いもなく、平然と。


 頷いた細流さんは塀を蹴って続き、足から地面へ落ちていく。


 ここ何mあると思ってるんですか、なんて野暮過ぎるから言いはしません。その精神力を見習います。頑張ります。


 激しい地響きがして、波紋が広がるようにシュス内の喧騒が消えていく。


 細流さんは地面に亀裂を入れながら着地していた。


 誰かが言う。


「戦士だ!!」


 それは拒否か、敵意か、歓喜か。


 理解する間も無く走り出した細流さんと、猛スピードで飛行していく結目さん。二人は中央のお城へと向かい、街に散らばっていた兵士のウトゥックさん達が「引っ捕らえろ!!」と叫んでいた。


 獰猛どうもうに蠢く影が一箇所へ集まっていき、細流さんと結目さんはそれを嘲笑うように姿を小さくしていく。


 その殺伐とした光景に冷や汗が流れた。


 喉が渇く。指先が震える。


 私に出来るのか。あのお城に侵入することが。


「行くぞ、氷雨」


 りず君の声がする。


「大丈夫です、氷雨さん」


 ひぃちゃんが背中を押してくれる。


 らず君が腕に擦りついてくれる。


 あぁ、大丈夫。


 この子達がいるから、大丈夫。


「ありがとう」


 大きくなる喧噪の中で掻き消される声を呟き、私は楠さんを見た。彼女は左手を差し出してくれる。


 大丈夫、私はこの手を握って大丈夫。


 言い聞かせて、彼女の手を握る。


 ここからはスピード勝負。先程のようにゆっくりとはいかない。ひぃちゃんの速さを殺してはいけない。だから、楠さん。


「荒い運びですが、お許しください」


「良いわよ」


 凛とした楠さんが了承してくれる。


 私は彼女の腕を引いて、華奢な体を再び横抱きにした。


 らず君とりず君はひぃちゃんの背中へ。淡い光が私の視界を鮮やかにする。


 私は塀を蹴り、宙へ体を投げ入れた。


 ひぃちゃんの翼が力強く空気を扇いで私達を運んでくれる。


 二度目の入り組んだ道に慣れたのか、ひぃちゃんは飛びやすそうだ。


 体の向きを変えて障害物を避け、兵士のウトゥックさん達を追う形になりながら楠さんに聞く。鼓膜を轟々と風に揺らされる為、自然と声を大きく発してしまいながら。


「お城の中の、玉座の間っていう所でいいんですよね、目指すのは!」


「えぇそうよ! 私が身投げしたテラスと部屋が繋がってる! そこに九人の王は揃ってた!! 中に入ったらただ上だけを目指しなさい!」


「ありがとうございます!!」


 楠さんが飛び降りた瞬間を思い出して肌寒くなる。


 彼女は教えてくれた。自分に与えられた力では鎖を断ち切ることは出来なかった。それでいて、誰かが助けに来てくれるとも思っていなかった。


 だから彼女は賭けに出たのだ。


 シュス中を騒がせている戦士の侵入。その騒動の中で空から落ちてくる無抵抗な戦士がいれば、誰しも捕まえたくなるだろうと。だから飛び降りて、自分が地面に激突する前に捕まえる誰かを信じていたのだと。


 余りにも無謀な賭けだとは思った。勝算が、私が思う限り低すぎる。


 それでも楠さんは信じて飛び降りた。結果的に賭けは彼女の勝ちとなり、今も楠さんは生きている。


 ――捕まるなんて、あれは確かに私の油断と弱さが招いたものよ


 そう彼女は言っていた。


 ――戦士に選ばれた時、死は既に覚悟したの。だから飛び降りることに臆しはしないわ


 力強く、真っ直ぐに。


 あぁ、綺麗だ。


 私は何も言えなくなり、生きることに縋る自分を恥じた。それでもやっぱり死ぬことを受け入れるなんてことは出来ないから。


 ――勘違いしないで


 楠さんは、確かに前だけを見据えていた。


 ――死を覚悟したということと、生きることを諦めたということは等号関係にないわ。私は生き残る為に腹を括っただけよ


 そんな彼女は輝いていたから、私は彼女の翼となれることを誇りに思う。


 シュスに辿り着く前に話していた事を思い出して、奥歯を噛む。


 私は弱い。弱虫の臆病者だ。全てが怖いし、不安だし、心配で堪らない。


 だからと言って逃げる訳にはいかない。逃げは、生きることを諦めるという敗北と同義だ。


 私は生きたい。生きていたい。


 だから飛ぶんだ。ひぃちゃんに頼って、翼になってもらって。


 早鐘を打つ心臓を無視し、不安を噛み潰して飲み込んで、成すことは最小限に。


 私がすべき事は、お城に入って、一人でいいからまずは王様を捕まえる。


 そんなの嫌だ。


 うるさい黙れよ優柔不断。


 自分を叱咤してお城を見る。徐々に近づいてくる城壁を見つめて、街の細く入り組んだ裏道らしき所をすり抜けていく感覚は私の拍動を早くした。


 楠さんが飛び降りた時に九人全員がそこに居たということは、今はいないかもしれないという可能性がある。だが、誰もいないとも限らない。


 もしかしたらと言う考えは今いらない。いるのは、一人はいると信じることだけだ。


「一人いれば十分! 拘束は私の力でするから!」


「ッ、はい!」


 考えていたこと、口から漏れていたんだろうか。


 一瞬思ってしまって、そうではないと瞬きをする。


 楠さんも考えていたんだ。最初に掴まえる一人にどう対処するか。今考えるべきな何なのか。


 彼女の力なら、一人を確実に行動不能にすることが出来る。


 教えてもらった楠さんの体感系の力はそれだけの作用がある。


「もうすぐよ!」


「ッ、行きます!!」


 見えてきたお城の裏口。上空には結目さんが、反対側の正門方向には細流さんがいるようでウトゥックさん達が密集している。


 大丈夫だよ、大丈夫。本当に彼らは大丈夫なのか。心配するな烏滸おこがましい。それでもやっぱり、今ここにいるのは私ではない方が良いのでは。今更変えられないだろ。不安だ。焦るな。怖い。黙れ。


 奥歯を噛み締めて逸れていた視線を前に向ける。


 さぁ、怖いから笑え。笑顔を張り付けろ、凩氷雨。今の私は、いつも笑顔の凩さんで、いいんだッ


 楠さんが落ちたテラスから侵入するのがより確実ではあるが、上空に結目さん達がいる中で私達まで上昇して見つかってしまっては本末転倒。だから裏口から、強行突破。見張りは手薄になっていると信じて。


 私が願った裏口には鎖で繋がれた奴隷さんが二人いて、彼らは全くと言っていいほど敵意を持っていなかった。


 願いは叶った。このまま進め。大丈夫、無視していい、彼らは無視していい、気にしなくていい、私は手を出さなくていい。


 筈なのに、あぁ、駄目だ。


 彼らの目を見て胸が破裂しそうになる。全てを諦めてしまったような、起こることは全部他人事であるような瞳が。私には、あぁ、あぁ!!


「無視、出来るかッ」


 自分で自分に叫び、りず君が察したように私の右手へと移動する。彼は見知った斧へと変身して、首に回る楠さんの腕に力がこもる。らず君の輝きが強くなるのが視界に入り、腕に力がみなぎってくる。


「ごめんなさい楠さんッ、一瞬だけ、時間をとります!」


 許可を得る前に、閉ざされていた木製の扉と奴隷さんの鎖を斬り壊す。


 木片が飛び散り、鎖が弾け飛び、奴隷さん達の目が見開かれているのが視界に入った。


 楠さんを必死に抱え、宙で体の軸がブレる。


 何とか体勢を整えてくれたひぃちゃんには流石としか言えない、本当に。


 私は奥歯が鳴る音を口の奥で聞いて、少し減速してしまった事を謝罪した。


「ひぃちゃんごめん!」


「いいえ! それでこそ貴女らしい!」


 ひぃちゃんが力強く羽ばたいて再び速度が上がっていく。


 私らしい。私らしいとは何だろう。


 今の行動が結目さんに知られるのを恐れているのが私らしいのか。はたまた彼を怒らせてしまうであろう行動を取ったことを若干後悔しているのが私らしいのか。少しの時間を無駄にしたかもしれないという事実を不安視するのが私らしいのか。


 あぁ、もう分からないから、黙っていろよ。


 城内は外の喧騒が嘘のように静まり返っていた。全ての兵士さんが出払ってしまったのだろう。


 見えるのは各柱に繋ぎ止められた奴隷の人達。どこか煩雑とした空気は酷く居心地が悪かった。


 何の象徴か分からないオブジェに、床に散らばった資料。物々しい雰囲気の中に王様達の気配が感じられない。


 考えていると階段を見つけて、そこへと飛び込む。


 けれども階段の上から飛び出してきたウトゥックさん達に行く手を阻まれた。


 あぁ、貴方達に興味はない。奴隷を連れていないならば外へ行け。


「戦士!!」


「戦士が何故城内に!!」


 その言葉を聞いて思い出したのは、私が侵入に選んでしまった裏口にいた奴隷さん達。


 彼らは何も悪くない。悪は私だ。


 右手のりず君を握り直し、私の左腕から楠さんが飛び下りた。彼女を見たウトゥックさん達の意識が少しだけ私から逸れる。王様が求めた戦士を捕まえるべきか一瞬悩んだことが見て取れた。


 その一秒でいい。瞬きをする時間でいい。


 この階段でハルバードは大きすぎるから、かつてローマで使われたこの刀ッ


「スパタ!!」


「察してらぁ!!」


 りず君が長身細身の剣に変形してくれる。


 その刃は意図的に丸みを帯びて殺傷能力はなくしてもらった。そう私が願ったからだ。


 ありがとう、これでいい、これがいい。


 ウトゥックさん達が私に反応して槍を振り上げ、私の視界が彼らの動きを捉える。


 確実に、一撃で。貴方達の動きは、カウリオさんほど怖くないッ


 右腕を振り抜いて、ウトゥックさん達のプロテクターを砕き壊す。彼らの噎せる音を聞き、その間にひぃちゃんは私の背中から離れて階段に下ろしてくれた。


 りず君には針鼠に戻ってもらい、先に上っていた楠さんに追いついてみせる。茶色い目と視線が交差し頷き合った。


 階段は螺旋階段のようになっており、私達はただ上だけを目指した。


 時折鬼の形相で現れるウトゥックさん達を何とか躱して、楠さんが鋭く蹴り飛ばし、それで駄目なら私がりず君で切り飛ばした。


 ひぃちゃんも先行して道を開き、らず君は輝き続けてくれる。


 あぁ、散々だ、畜生。


 疲れで体勢は崩れるし、ひぃちゃんやらず君も呼吸が苦しそう。りず君も少し疲れ始めてしまった。


 あぁ、ごめん、ごめんね、どうか保って、もう少しだけでいい。


 思いながら頂上階へ辿り着き、大広間へ続くであろう扉を見つけた。


「あれよ!」


「はい!」


 楠さんの指す先へ向かい扉を蹴破った瞬間、天井で何かが外れる音を聞いた。


 赤い絨毯が敷かれ、赤銅色の円卓が中央に置かれた広い部屋。そこには、楠さんを追いかけていたウトゥックさんだけがいた。


 私は反射的に音がした天井を見る。


 落ちてくるのは――鉄格子。


「ッ、楠さん!!」


 楠さんだけでもッ


 そう考えていたと気づいたのは、彼女を絨毯の床に突き飛ばした後だろう。


 私の周りを黒い檻が囲い、上側には鉄の板が出て閉じられる。


 しまった、完全にやられた。


 冷や汗が溢れて、顔の筋肉が強ばってしまう。ひぃちゃんは飛ぶのをやめて、私は床に片膝をつく。


「りず君」


「どっせい!!」


 りず君が(まさかり)になってくれて、私は彼の柄を握る。肩ではらず君が光ってくれるから視界は常に良好だ。


 腕が疼く、力が溢れる。


 私は、目の前の鉄格子にりず君を振り下ろす。金属同士がぶつかり合う甲高い音が部屋に反響し、耳が痛くなった。


 駄目だ、硬い、壊せない。


 私は自然と奥歯を噛み締め、檻の向こうで瞬時に立ち上がっていた楠さんと目が合った。


「なんで……」


 呟く声がした。彼女のそんな小さな声は初めて聞いた。


 あぁ、どうかそんな驚いた顔をしないでください。


 楠さんは唇を噛むと、テラス側にいたウトゥックさんへと顔を向けた。私も楠さんと同じ方に顔を向けて目を見張る。


 そこにいるウトゥックさんは、今まで見た誰よりも美しかった。


 真白い翼は大きく日の光を反射し、鷲のような顔には凛々しさが伺える。くちばしの形も毛艶も力強い目もどこか妖艶ようえんで、異種たる風貌も何故だか自然と受け入れることが出来た。


 纏う衣から覗く腕や足には筋肉が均等についているようで、体が全体的に今までの誰よりも大きい。その体を彩る装飾品もまた眩くて、唯一彼の手にある幾重もの鎖が鈍色に輝いていた。


 床に平伏している様々な種族の、恐らく女性達。今数えただけで十人。長い鎖の先で力無く虚ろな表情の彼女達は、楠さんと私を見ていた。


「あぁ、戦士……」


 優しげな声がする。歓喜に打ち震えるとも形容出来そうな声だ。


 王様は楠さんを、愛しいものを見つめるような目で捉えていた。彼の腕が動いて鎖の持ち手が落とされる。重たい金属の音がした。手放された鎖の先を見つめる奴隷の方々は、それでも誰も逃げようとはしない。


 異様だった。余りにも。


 私の腕に鳥肌がた立ち、鳩尾の辺りから不快感が競り上がってくる。


 逃げる気力が失せる程、あの王様は彼女達に何をしたのか。


 私が出来うる限りの想像をするだけで吐き気が込み上げ、らず君が輝いてくれた。


「戻ってきてくれたのだな」


 穏やかな声がする。王様は両腕を広げて楠さんへと近づき、私はもう一度檻に対してりず君を振り下ろした。


 激しい金属音と手から体へかかる強い振動。「うるさいぞ」と地に響くような声で言われて、私の背中を冷や汗が伝った。


 王様を見る。彼は楠さんのすぐ前で止まって私を睨んでいた。それに萎縮して胃が痛み、だから口角を釣り上げておく。


 王様は鋭かった目を丸くして、興味深そうな表情に変わった。鷲顔なので表情判断が付きにくいが、恐らくそうだ。


「ほぉ、笑うか、この状況で」


 おかしな奴だって言いたいのか。そうでしょうね。檻に閉じこめられた状態で笑うんだから。頭の螺子がどこか取れているのだと思って頂いて構いません。


 そう感想を浮かべながら、私は笑い続けた。


「笑顔は、盾ですから」


 答えれば王様は一度目を瞬かせて、声高らかに笑い始めた。


 楠さんは何も言わずに目の前で笑う王様を見つめている。私も見つめて、ひぃちゃんの尾が首に巻きついてくれた。


 らず君の光が微かに弱くなり心臓が徐々に拍動を早めてしまう。りず君も鉞から戻り肩へとよじ上ってきた。


 今日は力を使ってもらい過ぎた。休憩を挟んでいても疲労は溜まる。私の足も怠さが増している状況を感じるに限界が、近い。


 自分のことを他人事のように観察して、息を静かに細く吐く。


 王様は笑いながら「これは面白い!!」と私を指してきた。それから楠さんの肩に触れようとして、彼女はそれを避けている。


「あぁ戦士! 逃げるでない! お前は本当に俺の思う通りにならないな!」


「なるわけがないでしょ」


 吐き捨てるように冷たい声で楠さんは王様に言葉を連ねる。王様は「そうかそうか」と楽しそうに笑い、外では暴動の音が響いていた。


「楠さん」


 反射的に呼んでしまう。楠さんは私を見ると、視線を頷かせてくれた。彼女の鋭い視線が王様へ向かう。


 その目は本当に、氷のような冷たさを孕んでいた。


「他の八人の王は何処かしら?」


「あぁ、他の者なら……何処だろうな。シュスを見に行った者、地下に繋いでいる自分の奴隷を確認しに行った者、この騒動に(かこつ)けて奴隷を増やしに行った者もいるだろう」


 肩を揺らす王様は、まるで当たり前のように喋っている。


 きっと彼らにとってそれは当たり前なんだ。分かるけど、反吐が出る。


 楠さんは深いため息を吐いていた。


「本当に屑ね」


「そう言うな戦士、俺達ウトゥックはそう言うものだ」


「そう、それじゃぁ貴方はここで何をしていたのかしら?」


「俺か? 俺は待っていたのさ、お前が戻ってくるのを」


 ウトゥックさんの目が楠さんを見つめる。


 茶髪に華奢な体、真白い肌に均衡のとれた体躯、聡明な目に凛とした態度。


 彼女の美しさは、異種さえも魅了するか。


「こんなにも美しいタガトフルムの子を見たことは無い。さぁ俺のモノになれ戦士。大丈夫だ、鎖で繋がれることが嫌ならば、お前だけは首輪のみでも許してやる。不自由もさせない」


「ふざけるのも大概にしなさい鳥頭。奴隷になんてなるわけがないでしょう。それに万が一にも私を捕まえたとしても、ディアス軍が負けたらどうするつもりなのかしら? 私は死ぬしかないのだけれど」


 楠さんは無感動な瞳で王様を見上げる。何処か馬鹿にするような言い草だ。


 王様は目を細めると、溌剌と笑みを深めていた。


「中立者に掛け合おう。お前だけは生かすように。俺はウトゥックの王だ、その力くらいあるさ!」


 戯言だ。そんなの机上の空論にもなりはしない。


 ディアス軍の負けは楠さんの死と直結しているのに、彼女だけは助かるように出来るなんて。貴方にはそれだけの権限があると自負するか。


 もしかしたらあるのか、それならば楠さんは。


 いいや良いわけあるか、奴隷なんてクソ喰らえ。


 楠さんは王様を少し見つめ、それから、微笑んだ。


 彼女の両手が王様の顔へと伸びる。


 あまりにも綺麗な笑顔で。妖精ではないのかと見間違えそうなほどの美しい笑みで。


 王様は「あぁ戦士!」と感激する声を上げた。


 楠さんを抱擁しようと王様はまた腕を広げる。


 それよりも早く楠さんは王様の目を両手を塞ぎ、鼻で笑った。


 王様は一瞬固まると肩をいからせ、急いで後退する。


 広間には絶叫が響いた。


 断末魔の叫びと形容しても相違ない悲鳴は部屋に充満し、楠さんの手からは雫の形をした宝石が二つ落ちていく。


「醜いわね」


 呟く楠さんは、両目を塞いで叫ぶウトゥックさんの懐に容易く入っていく。


「なんだ、()()()()、来るな!!」


 王様は叫び散らし、その嘴に楠さんの手が触れた。


 瞬間、静かになる部屋の中。怯えた顔で震えていた奴隷の方々は肩を寄せあい、楠さんの掌からは再び宝石が零れ落ちた。


 今度は金平糖のような、星の形をした宝石だった。


「言った筈よ」


 楠さんが自分の髪を掻き上げる。


 彼女の目の前では口を開けたまま蹲る王様がいた。その堂々としていた肩は、今では恐怖に震えているようだ。


「私が欲しければ、こうべを垂れて懇願なさいと」




綺麗な薔薇には棘がある

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