呼吸
作戦会議。迷った末に2話を繋げたので少々長いです。よろしくお願いします。
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2020/01/25 改稿
2020/01/29 ルビ訂正
茶髪の女の子――楠さん救出作戦が無事成功した今、私達は安堵してお互いの無事を確認し、さぁ生贄は誰にしようかと話を進めている。
――と言う状況が恐らくは正しいんだろう。
なのに、何故私は結目さんに笑顔で怒られているんだろう。
鉱石の谷底で壁ドンならぬ谷ドンされてる意味が分からない。しかもドンと言うよりガンッて感じで、結目さんの左足が岩肌に激突してる。
結目さんは上機嫌に見える笑顔だが、残念ながら空気はブリザード級に冷たい。私は震えを何とか我慢して、弱っちい声を絞り出した。
「ぁの、私はまた何か、やらかしましたでしょうか……」
「うんうん、やらかした。凩ちゃんはやらかした。本当に救いようが無いお人好しだよね、頭の中大丈夫?」
彼の左足が岩肌を踏みにじる。その音を聞いて身体中から血の気が引いた。
「さて何をやらかしたでしょう? 三秒で答えて〜」
あ、三秒、え、お、ちょ、
思う間にカウントが終わった。結目さんは指を握りこみ、出来た拳が私の左頬を掠めて行く。
耳の横で、低く硬い物同士がぶつかり合った音がした。
肩が跳ねて驚き、結目さんの笑顔からは視線が外せない。
待って本当に何したの私。
ひぃちゃん達も意味が分からないまま硬直している。
「ごめんなさい……」
条件反射で謝罪する。結目さんは本当に、綺麗過ぎる笑顔で首を傾げていた。
背筋が凍っていく。りず君が威嚇しかけて、私は小さな口を塞いでいた。
「ぁの……探すのに、時間をかけ過ぎてしまったこと、でしょうか。それに関しては、ご迷惑をおかけして、本当にごめんなさい……すみません……」
「あーそれは良いよ別に。逆にあんな広いシュスの中でよく目的のただ一人を見つけられたね。賞賛するよ」
また土壁が殴られる。
反射的に目を閉じたら前髪を掴まれ、強制的に顔を上げさせられた。
結目さんの感情を乗せていない目と視線が合う。
あぁ、駄目だ逸らせない。
「凩ちゃん、君は何人の鎖を切った?」
問われた意味を理解するのに、時間がかかる。
前髪を掴む結目さんの手には力が入り、彼は満面の笑みを浮かべた。私の引き攣った頬も上がり続ける。
結目さんはとても饒舌に喋り始めた。
「君の目的はあの捕まってた子を助けることだけだ。でも途中で凩ちゃんは何人もの鎖を切っていたね。俺が通りかかったことに気づいてないんでしょ? 酷い顔してたよ。真っ青な顔で笑ってたのに、何で助けることが出来たの? あれらと君が知り合いだとは思えないんだけど。奴隷だから助けたのかな? 見ず知らずの誰かを? お人好しにも程があるね〜、ほんと理解出来ないや」
結目さんが私の前髪を離す。彼の言葉の節々から苛立ちが伝わって、その刃で至る所を切られた気分だ。
だがそれも仕方が無い。彼との約束を、命令を、私は破っていたのだから。
息が震えて目眩がした。それでも笑った。笑っていなくては崩れ落ちてしまいそうだから。
「ね、何で助けたの?」
答えを探す。
彼らが苦しそうだったから。息が出来ていなかったから。引き摺られていたから。血が出ていたから。私の反撃の盾にされそうだったから。
だから何だ。
私が、苦しかったから。
その苦しいを抱えるのは、しんどくて仕方がないから。
だから私は鎖を断ち切ったんだ。
「……助けなければ……私が、苦しいから、です」
笑いながら絞り出す。
笑わなければ、私は私を守れない。
「目の前に苦しんでるって分かる誰かがいて、私に出来ることがあるのに何もしないなんて、耐えられない……私は、私が安心したいから、だから、鎖を切ったんです……それだけ、なん、です」
「ふーん」
目を細めて笑う結目さんの拳を見る。
彼の拳は微かに皮が破れており、それなのにまた殴る音がした。
止めましょうと言いたいのに、私の口は動かない。
「ちょっと」
遮ってくれた声がある。
結目さんと私の間に入った大きな手がある。
声をかけたのは楠さん。
手を入れてくれたのは細流さん。
この場には結目さんと私達以外、二人しかいないのだから当たり前だけれど。
眼球だけを動かして確認する。楠さんは真っ直ぐ結目さんを見つめ、細流さんは無表情に佇んでいた。
呆れたような楠さんの声がする。
「さっきから聞いてたら、貴方、馬鹿なのかしら?」
「その視線的に俺の事っぽいね〜、何急に、喧嘩? オッケー買うよ」
足と拳を壁から離した結目さんが無気力そうに直立する。楠さんは自分のこめかみを指で叩いた。
「馬鹿って単語と喧嘩を直結させる点から見るに、本当に馬鹿なのね。その子に聞いてた内容と態度からして単細胞なのは明白だったけど」
楠さんの言葉が刃になるのが見えた気がする。それを諸に受けながらも結目さんは無傷のようだ。
強いと強いが対面した瞬間かもしれない。
私の掌には嫌な汗が浮かんだ。
「ははは、俺達こんな口悪い奴助けてたんだ〜、吐きそう」
「吐きたいならどうぞ、止めはしないわ。私は貴方に助けられたわけじゃないし」
「喋り方も鬱陶しいなぁ」
結目さんの風に髪を引かれる。私のせいで苛立っていた彼は、楠さんの言葉によって余計苛立っているようだ。笑顔だけど苛立ちは伝わってくる。
私の髪を引くのは止めて欲しい。なんて命知らずなことは言えません。
「貴方聞いていたわね、助ける理由を」
楠さんは私の揺れていた髪を払い落とし、結目さんを見つめている。
彼女の凛とした声が、私の鼓膜を揺らした。
「誰かを助けることに、理由なんていらないわ」
楠さんは私を見る。
その瞳はどこまでも美しくて、私の心が洗われる気がした。
「自信を持ちなさい、凩さん。無理して理由を後付けするより、助けたかったから助けたで十分よ」
楠さんは言ってくれる。
私は情けなくなって、答えが分からなくて、曖昧に微笑んでしまうんだ。
少し俯かせた頭に大きな手が乗る。節くれだった固い手だ。
それが頭を柔く撫でて離れていく。見上げた先にいる細流さんは、やはり無表情だった。
「ありがとう」
あぁ、息が出来なくなるではないか。
言わないで、また笑う。力なく、情けなく。
「私は、私が出来ることをしただけ、です」
抱えたりず君を見下ろせば、彼はとても不満そうな目で私を見上げていた。
ごめん、ごめんね。黙っててくれてありがとう。
謝罪を込めて、パートナーの額を撫でておく。りず君は気持ちよさそうに目を細めてくれた。
楠さんは「それで」と、今までの話を終わらせてくれる。
「この後はどうするのかしら?」
「あの、シュスから、生贄を、連れてくる、予定だ」
細流さんの目が私を見下ろす。だから頷けば、結目さんが続けた。迷惑そうな声で。笑顔のままで。
「俺と凩ちゃんはね。あんたらは何処へなりとも行っちゃえよ。そこの毒吐きちゃんを助けた以上、共闘関係は終了してるんだし」
「生贄を、探すのは」
「別に手伝ってくれなくていいよ。シュスに入って下見の口実が出来たことは感謝しようかな、ありがとう助かった」
初めて聞いた。ここまで感情の篭もっていない「ありがとう」を。
シュスの騒ぎを「下見」の単語で終わらせてしまう神経も私には理解出来ない。あれはそんな生易しいものでは無かったではないか。
いや、これは私の感性で彼には彼の感性がある。違うことこそ当たり前だ。それでもやっぱり。いや、黙れ。
細流さんは首を傾げて、楠さんは私に問いかけた。
「貴方達はチームを組んでるわけね」
「はい……僭越ながら」
チームと言うべきか、何というか。
濁した返事をする。楠さんは口を閉じ、結目さんは私の髪を再び風に遊ばせた。
少年は何を思って笑うのか。無知な私では検討もつかないわけだ。
「さて、じゃぁ凩ちゃん。俺が思うにあのシュスの悪人は九人の王だと思うわけだけど、どうかな?」
私の前髪が揺れる。結目さんの雰囲気は、細流さんと楠さんは眼中にありませんと言っていた。
それを指摘出来なくて、私は目を伏せる。
思い出すのは煩雑なシュスの中。中央から塀側に行くにつれて輝きが失せ、目を血走らせたウトゥックさんが多かった。それでいて兵士さん達の焦りようと、酷い執着。あの必死さは命令というだけではないと思う。どう考えても、彼らは奴隷が欲しかったのだ。
目を開けた私は、微笑んだ。
「同意、です。奴隷制度に全てのウトゥックさんが満足しているとは思えませんでしたし、そんな制度、私からすれば悪以外の何でもない。住人であるウトゥックさんから王様が悪であると言われた訳ではありませんが、そう思っている方もいると、勝手に解釈しています」
シュスの人達は皆目の前と自分のことに必死だった。それもそうか。突然の襲撃。相手はディアス軍。戦士というブランドに目が眩む一方で、外敵を排除しなければいけない考えもあったんだろう。兵士の方々は戦士に釘付けだったけれど。
シュスの誰もが悪と叫ぶ誰かと言うのは、思っていた以上に難しい。
フォーンさん達の時もそうだったが、私達が悪いと思った誰かも、その場所に住む方にとっては悪ではないのが普通のようだ。
それを踏まえると、ウトゥックさんの「私が悪」という判断こそ、きっと正しい。
結目さんは満足そうに笑って、それでも平坦に言葉をくれた。
「やっぱりねー、話が合うね凩ちゃん! シュスに住む誰もが悪だと叫ぶ奴を捕まえたかったとこだけど、そこは臨機応変に対応していかなきゃね。という訳で今回は、いや今回もか、俺達の独断と偏見で選別しよう。九人の王の中の、最も悪は誰だろうねー」
最も悪である王。
各シュスから生贄は一人までだと昨日決めた。だから選ぶのは一人だ。
だが残念ながら私は王様に会っていない。恐らくそうだろうと思った相手はいるが確信がない。
それでいて、九人の王様を今日の残り時間で私達が選別するのも不可能な気がした。
だが、日を跨いでしまっては警戒を強められる可能性がある。それは不利だ。
髪を引きながら考える。誰ならば生贄に相応しいか。
誰もが悪だと言えなくても、その一人が選ばれて良かったと思える誰か。
その人ならば、傷つく人が少ないその人。
それを選ぶのは、やはり私達では駄目な気がするわけで。
ふと浮かんだ案を口にするべきかどうか悩んだ。
こんな案は駄作でしかない気がする。決定の責任転嫁をするようなものだ。考えていた順序だって逆になる。
それでもこれなら心が楽になる気もする。
しかしシュスを壊しかねない。
もう半壊させてしまっている。壊したものは建て直せる。
胃を痛めながら結目さんに視線を向ける。彼も私を見て、笑顔で先を促された。
こういう察しがいい所があるから、話しやすいと言えば話しやすいんだろうか。
微かに口角を上げて私は話す。主張することはとても不得手な癖に。
それでも、これならばシュスの皆さんは誰を悪だと示すか分かるのではなかろうか。
自分本位。
それが人だろ。
自己中が。
今更だよ。
提案し終えて視線を上げると、結目さんは顔一杯に笑みを浮かべ、私の頭を撫で回した。
「その案乗った!!」
その言葉が、私の中に抵抗なく滑り込んでくる。
「流石凩ちゃんだわ〜、エグい案ありがとう!!」
「すみません……こんな案で正しいのか、分からないんですが」
「いやいや良いよそれ、大賛成!」
「ぁ、ありがとうございます……その、またシュスに入らないといけませんね、だいぶ警戒されている中で」
「そこが最初の課題だね」
私は視線を下げて微笑み、結目さんに頭を撫でられ続ける。
自分で提案した案だが、まさかここまで彼に賛成されるとは思わなかった。
私はまだ不安なんですけれど、本当に良いんでしょうか。もっと最良なものがあるのではないでしょうか。
混乱と不安と心配を抱えて笑うと、結目さんは私の頭から手を下ろした。
「凩ちゃん、囮になってくれる?」
さも当たり前というか、酷く軽い調子で言われる。
囮、囮とな。
流石に私は、笑顔を固めた。
「……囮とは、何をしたら良いんでしょう?」
「あれだよ、城を目指して態と見つかるのさ。そのまま追いかけっこしてて。俺は凩ちゃんが逃げてる間に城に入って王様達捕まえるから」
結目さんは簡単そうに言ってのけるが、結構大役ではないかそれ。
意を決して頷こうとした時、私より早く声が降ってきた。
「俺が、するぞ、囮」
見上げると、首を傾げた細流さんと目が合った。
「ぇっと……」
「俺は、脚力も、体力も、倍に、出来る。だから、走れる」
湿原で追いかけられていた細流さんを思い出す。
確かに彼は追われはしていたが、追いつかれてはいなかった。昨日捕まりかけた時はシュスについて問いたくて、自分から近づいて行ったのだとか。
細流さんは強い。彼の戦いを見た訳では無いが、あれだけの大騒ぎがありながらもほぼ無傷だ。再会した時にあったと思った傷は治癒力の倍増化で完治させているようだし。
そんな彼に囮を、またさせるのか。
結目さんは私と二人でと考えているようだし。これは断っていい。大丈夫。断ることが正しいんだ。
「細流さん、ありがとうございます。ですがお気持ちだけで、」
不意に後ろから口を塞がれる。白く綺麗な手に。柔らかい香りもする。これは彼女を抱き締めた時に嗅いだ優しい芳香。
楠さんが、私の口を塞いでいた。
「囮は男子二人でしなさい。私とこの子は城に入るわ。私は中を歩いてもいるしね」
楠さんが私と、行動。
聞き間違いではなかろうかと確認したいが、残念ながら私の口は喋る機能を奪われている。
細流さんは彼女に視線を向けた。
「大丈夫、なのか?」
「当たり前でしょ。この作戦も良心的でない所が素敵だと思うわ。私の力も生かせるし」
「そう、なのか」
楠さんは凛と肯定し、細流さんは首を傾げている。
まさか楠さんにも賛同頂けるとは、夢にも思っていなかった。
私が若干の感動を覚えている中、彼女は自分の力を教えてくれた。正直な感想は、えげつない。
細流さんは「それは、心強い」と無表情に頷いた。私も口を塞がれたまま頷き、眉根を動かしたのは結目さんだ。機嫌が悪そう。
「は? 何出てきてんだよ鉄仮面と毒吐きちゃん。鬱陶しい」
「二人、より、倍の、四人の、方が、良くないか」
「黙ってなさい脳筋優男。この非道徳君にそんな提案分からないわ」
楠さんの手は私の口から離れない。
細流さんは口を結んで首を傾げてるし。
足元を風が舞い、結目さんの髪が揺れた。
「何が言いたいの?」
口だけ笑って、結目さんは楠さんを見つめている。その目は無機質な色をして、私の背中に鳥肌が立った。
「囮は自分でやれって言ってんのよ」
楠さんは呆れたようにため息をつく。
「貴方の力、風か何かなんでしょ? ならば貴方が飛んで囮をしなさい。そこの脳筋は飛べないし、この子はもう十分飛んだわ」
「口出しすんなよ毒吐きちゃん」
「身を粉にしなさいエゴイスト」
結目さんと楠さんが睨み合う。結目さんは口を弧にして、楠さんの声は冷え冷えとしていた。
え、待って、どういう状況だよ。
「喧嘩は、駄目だ、ぞ」
睨み合っていた二人の間に立ってくれた、細流さん。
無表情の彼は結目さんを見て「帳」と呼んでいる。
表情には出ていないが、とても優しい声色だ。
それなのに、そんな声で呼ばれたのに、結目さんの眉は動いて笑顔が失せる。
「気安く名前呼ぶなよ鉄仮面」
その目は暗い。余りにも。
結目さんは感情の削げた顔で、雰囲気で、そこにいた。
風が強くなる。細流さんのピアスが揺れる。寒気がした。
「それは、すまない」
細流さんは律儀に謝って宙を見る。それから首を傾げて「結目、帳」とゆっくり呼び直した。
結目さんは心底嫌悪したような色を顔に浮かべ、感情と表情が初めて合致している瞬間を見る。そんなに長い時間を共にした訳ではないけれど、チグハグの無い彼は貴重な気がした。
吐き捨てるような結目さんの声がする。
「で、何」
「共闘は、終わった。だから、今度は、チームに、ならないか」
細流さんの提案を結目さんは訝しみ、私も目を見開いた。
何て心強い提案なんだろうと嬉しくなってしまう。不安で震えていたらず君の体が止まった。
細流さんは結目さんを見つめて、ゆったりと口を開く。
「俺は、走れるし、殴れるし、投げ飛ばせる。それでも、飛べはしない。だから、俺を、利用して、欲しい。とば……結目の風で、氷雨の、ドラゴンで」
細流さんは、私のことを名前で呼んでくれた。それが私の嬉しいを継続させる。彼の言葉はとても丁寧だ。
利用なんてしたくはない、対等でありたい、いいや、貴方と肩を並べるなんて私の方が烏滸がましい。
一種の感動を覚える私とは対照的に、結目さんの顔からは感情が消える。
完全な無。生気すら無くなった人形のような顔。
それに私は鳥肌を立て、同時に結目さんは笑った。あれは恐らく笑顔と言われる表情だけれど、酷く歪に見える。
「利用していいんだ?」
結目さんが確認する。背中を冷や汗が伝う。
駄目だ、その人は本当に利用する。細流さん、訂正しましょう、お願いだ。私と同じ轍を踏んではないけない。
楠さんの手に触れる。彼女の手は直ぐに私から離れ、りず君が「梵!」と呼んでいた。
「あぁ、良いよ」
細流さんの返事が、私の言葉より早く結目さんに届いてしまう。りず君の言葉は届いていた筈なのに。
私の心臓が痛いほど拍動し、りず君達を抱き締める強さを増した。
結目さんは本当に「利用する」人なのに。
結目さんは顔一杯に笑顔を浮かべる。楠さんの「馬鹿」という呟きを耳が拾った。
「やったね、駒が増えた。それじゃお前も凩ちゃん同様に、俺の手の上で踊ってな」
結目さんは細流さんの髪を風で遊ぶ。心底嬉しそうに、それでも感情移入を欠片もしていない声色で。
駒だと言われた屈強な彼は少し黙り、申し訳なさを声に乗せていた。
「すまない、俺は踊りは、したことが、無い」
そこじゃない。
私の顔が引き攣って笑い、結目さんは目を瞬かせた。それから吹き出して、お腹を抱えて笑い始める。
「阿呆ね」
楠さんの呟きとため息が耳に入る。私は額に手の甲を当てて苦笑し、谷には結目さんの笑い声が響いていた。
「はーマジかぁー! あんたどんだけ抜けてんだよ!」
結目さんはご機嫌な雰囲気で、それでも面倒くさそうに笑っている。
チグハグだ。やっぱり彼は、とても。
自分の足元が不安定になっていく。それでも目が離せなくて、肩に乗せられた手に驚いてしまうのだ。
振り向いた先に立つ楠さんは、利発そうな目を私に向けていた。
「貴方は私を抱えて飛べるで、間違いないかしら?」
問われる。
きっと、潜入の話。
楠さんを抱えて、また飛べるかどうか。
私はひぃちゃんと目を合わせる。頼れるお姉さんは微笑んでくれた。
だから私も笑い返すことが出来るんだ。
「はい」
「そ、じゃぁ、あの二人をさっさと先に行かせるわよ」
彼女は手を叩いて結目さんと細流さんの視線を自分に集めた。凛々しい横顔に見とれてしまう。
「早く囮になりに行ってくれないかしら? 私達がここに居られるのは夕暮れまでよ」
「捕まってた癖に上からものを言うなよ」
「それとこれとは話が別よ」
「その子が、捕まった、のは、俺のせいだ」
細流さんは再度噛み付き始めた二人を止めて、気づいた顔をする。いや、表情は変わらないから、何かに気づいた雰囲気になったと言えばいいんだろうか。
彼は楠さんを見下ろした。
「名前を、知らない」
あぁ、そう言えば。
私が彼女を「楠さん」だと知っていたのは同じクラスだからであって、彼らは彼女とは全くの初対面だった。今更そんなことに気づき、初対面同士で睨み合っていた結目さんと楠さんをある意味感心してしまう。
楠さんは背筋を伸ばして、自己紹介していた。
「楠紫翠、高校二年よ」
紫翠。
瑞々しい青さ持つ山を思い描きながら、楠さんを見つめる。彼女は名前を体現したように美しくて、それでも輝き過ぎている訳でもない。その美しさは同性から見てもとても魅力的だ。
楠さんは「強く気高く美しい」と言う表現を備えたような人だと、私は勝手に思っている。
結目さんは「最悪」と吐き捨てるように笑っていた。
「同い年かよ」
「その台詞を返してあげるわサディスト。脳筋の方は自己紹介してくれないかしら?」
今までの会話で結目さんの自己紹介を省くあたり、流石楠さんと言わざるを得ない。脳筋だと言われる細流さんは「……あぁ、俺か」と手を打っていた。
「この中に脳筋が他にいるのかしら?」
「いや……いないな」
細流さんは頷いてるけれど、別に彼とて脳筋ではない、と、思う……。うん、思う。
一瞬、正面から殴り込みに行く宣言をした彼が浮かんだが、直ぐに振り払っておいた。ひぃちゃん達も何も言わず、それでも雰囲気は「否定出来ない」と言っていた。
「俺は、細流梵、大学二回生だ、よろしく」
「よろしく」
握手をする為右手を出す細流さんと、それを少し見つめて手を出す楠さん。二人は直ぐに握手を解くと、私を見てきた。
何故。
私は微笑みながら首を傾げてみる。結目さんも私を見るし、なんで。
「氷雨と……紫翠は、知り合いなのか」
細流さんに問われる。私は楠さんと目を合わせて、小さく頷いた。私が答えても良いのかと不安になりながら。
「はい。同じ学校で、クラスも一緒なんです」
「そうなの、か」
楠さんは何も言わない。
私は何か間違えただろうか。もう間違えたくはないのだけれど。最低限の関係を答えたつもりなんですが、答えない方が良かったですか。分からない。
結目さんはため息を吐いて笑った。心底楽しそうな笑顔だ。
駄目だ、彼も分からない。分からないだらけだ。胃が痛い。
「何かこの勢いだと、そこの毒吐きちゃんも一緒に行動するって感じだよね」
「そう言った筈よ。囮は貴方達二人、私と凩さんは城に入るわ」
楠さんは結目さんを横目に見た後、私に視線を向ける。まるで私を観察するように、「凩氷雨」を知るように見てくる目。
私はそれに臆しそうで、だから笑い続けた。
「悪を捕まえればいいのね」
疑問ではなく、確認の意を込めて聞かれる。私は頷いて、楠さんの視線は外れていった。
ひぃちゃんが私の首に尾を巻き付けてくれる。りず君とらず君は掌に擦りついてくれた。それが私の心配を消してくれるから。
ありがとう。
頑張るよ。
微笑んでみんなを見れば、穏やかに笑い返してくれた。
「あーぁ、仕方ないなぁ……」
髪を風に引かれる。引いていた顎が上がり、結目さんと目が合った。
笑っているのに面倒臭そうな声ですね。ごめんなさい。
私の頭皮が痛む。チグハグさんはそれに気づいているだろうに、まるで何も無いように笑うんだ。
「これ、俺が折れなきゃ話進まないやつじゃん」
「やっと気づいたのね」
「すまない、結目」
楠さんは息をつき、細流さんは首を傾ける。
結目さんの足は地面から離れていった。私の背中でもひぃちゃんが翼を広げてくれる。
すると頬に手が当てられて、細流さんが私を見下ろした。それと同時に、頬と足にあった痺れるような痛みが引いていく。確認すると、傷が塞がっていた。
細流さんは私の頭を撫でてくれるから、目を見開いてしまうのだ。
「あ、ありがとうございます、すみません」
「いや、気に、するな」
細流さんが浮いていく。結目さんの風だ。
それを見て落下する細流さんが浮かんだけれど、もうそんなことは無いと自分自身に言い聞かせる。
大丈夫、大丈夫、結目さんも、細流さんも、大丈夫。
楠さんは二人を見てからしゃがみ、地面に鍵を挿していた。鍵が回され、六芒星の光が彼女を中心に広がっていく。
「ひぃちゃん」
「はい」
ひぃちゃんは私の声に応えてくれる。体が持ち上げられ、私の足元まで来ていた光の線が立体を描いた。
灰色の冷たい象徴。誰もが忌み嫌うであろう破壊の対象。
祭壇が谷の底に出来上がり、楠さんが私を見上げた。
澄んだ瞳と視線が交わる。
私は左手を柔く振って、ひぃちゃんは降下してくれた。祭壇の冷たい床に足を着き、楠さんを見上げる。私は自然と笑っていた。
「横抱きで、大丈夫でしょうか?」
「えぇ」
許可を得て楠さんに近づく。肩でらず君が光ってくれたお陰で、腕が疼くような感覚があった。
楠さんの華奢な背中と膝裏に腕を通し、持ち上げる。私の力が上がっているせいと楠さんが元より軽いせいで、本当に何の抵抗もなかった。だがこれは意外とバランスが取りづらい。
言うか、言った方が良いよな、空の上で万が一にもバランスを崩したら本当に申し訳が立たない。
私は声が裏返らないように気をつけた。
「すみません、楠さん、ぁの、出来ればで結構ですので、首に腕を回して頂くか、あ、服掴んでくれてもいいんで、ぁの、落ちないように……勿論私も落とさないよう細心の注意を払いますので」
「そう」
楠さんは涼しい顔で頷き、私の首に腕を回してくれる。
私はまた謝って、お礼を言った。楠さんは私を見るだけで何も答えてはくれない。
うぅ、胃が痛い。
ひぃちゃんが「行きます」と気を利かせて浮いてくれて、私は内心で安堵した。
「ぉ、」
「あぁ、終わったんだ」
私は微笑んで頷き、結目さんの方へ顔を向ける。
確認したのは彼の手の甲。岩肌を殴って破れていた皮膚は治っている。多分細流さんが治してくれたんだ。
それに一人勝手に安堵して、私は彼の声を聞く。
「それじゃ行こっか、ウトゥック・シュス・ノインに。どーせまだ混乱は収まってないだろうし」
明るく言い放って進む結目さんと、連れられる細流さん。私はその背中を見つめた。
「ひぃちゃん、お願い」
「行きます」
返事をくれる。
それだけで、大丈夫だと思うから。
不安に押し潰されそうな頭の中を、誰か空っぽにする方法を教えて欲しい。
「ひぃ」
「はい、紫翠さん」
「ありがとう。頼むわ」
「お任せ下さい」
ひぃちゃんが笑う声がする。楠さんは私の肩にいるらず君と、頭に乗っているりず君を撫でてくれた。それはとても、優しい手つきだった。
長かったですね、ごめんなさい。生贄を捕まえに行きましょう。




