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僕らは痛みと共にある  作者: 藍ねず
最終章 乱れた常磐の歯車編
186/194

合間

今回は、有耶無耶な時間の話。

----------

2020/04/29 改稿

 


 神様の塔を上った日から三週間が経った。


 私達は――アルフヘイムに行けなくなっていた。


 * * *


「美味そう」


「つまみ食いしないで」


 八月某日。照り付ける太陽光が部屋の中にも入り込み、体感気温が上がる今日この頃。


 冷房を効かせている室内は過ごしやすいが、これから家を出る身としてはもう少し柔らかな日差しになってくれないかと思ってしまう。横から伸ばされた兄さんの手を叩きながら。


 檸檬の蜂蜜漬けを狙うのはやめてください。これはなずなちゃんへの差し入れなのです。


「前頼んだ菓子は?」


「冷蔵庫。言われた通り凄い量作ったけど、本当に皆さんそんなに食べるの?」


「アイツら全員大食漢(たいしょくかん)だぞ」


 冷蔵庫からタッパーに入れていたアイシングクッキーやパウンドケーキを出していく兄さん。フルーツを乗せたタルトレットは、自分で言うのもあれだが力作である。


 聞けば、時沼さんが期末に赤点を取った生徒対象の補講に呼ばれ、夏休みの宿題にも追われているらしい。その為、屍さん、闇雲さん、兄さんと言う家庭教師三人衆で勉強を教えるのだとか。我が家で。


 闇雲さんと屍さんがこちらの県に来てくれるらしく、時沼さんの家は本人が「緊張感が足りない」と言うことで我が家になったらしい。


 勉強の糖分補給と言うお題で私はお菓子を沢山作らせていただきました。


「そろそろ来るってよ」


 兄さんは携帯を見ながら教えてくれる。私は檸檬の蜂蜜漬けを入れたタッパーを保冷材を詰めた鞄に入れた。出るにはまだ時間に余裕があるな。


 考えていればインターホンが鳴り、小走りに玄関へ向かう。そこには溌剌と笑みを浮かべてくれている屍さんと、会釈してくれる闇雲さん、二人に肩を叩かれている時沼さんの三人が揃っていた。


「こんにちは、いらっしゃいませ」


 私は笑い、時沼さんが頭を下げる。


 深い。お辞儀が深いです時沼さん。慌ててしまうではありませんか。


「今日はしごかれに来ました」


「と、時沼さん……」


「相良っちウケるー! 勉強しに来ただけじゃん!」


「大丈夫だよ相良君、分かれば勉強も楽しいよ!」


 顔色が悪い時沼さんの肩を屍さんは何度も強く叩き、闇雲さんは優しく摩っている。飴と鞭ではないが、火炎放射器とランプの(ともしび)くらいの違いがある二人だ。


 時沼さんは沢山の教材が入っているであろう鞄を背負って、遠くの方を見つめている。多分そっちの方向には靴箱くらいしかないんですが、大丈夫でしょうか。


 苦笑しながら三人をリビングに案内しようとすれば、闇雲さんに紙袋を渡されてしまうのだ。


「こんにちは。これ、良かったら差し入れみたいなもの。果物の缶詰とかあるからまたご家族で食べてね」


「え、よ、よろしいんですか」


 驚いて手を彷徨さまよわせてしまう。


 どうしよう、うちは特にそういう系統の物準備してない。しかし逆に受け取らない方が失礼。折角持ってきてくださったものを突き返す意味が無いし、これから後の時間が気まずくなるぞ。確認は一回に留めろ氷雨。深呼吸。


 数秒で考え抜き、両手で紙袋を受け取る。腰を最敬礼の角度まで曲げて「ありがとうございます」を伝えると、闇雲さんの笑ってくれた声がした。


「氷雨ちゃんは良い子過ぎるなぁ、本当」


「いや、そんなことは……」


 言いかけて、押し問答が始まりそうなので口ごもってしまう。


 闇雲さんは本当に綺麗な笑顔をくれて、それは何処となく祈君と似ていると思ったのだ。


 そんな感覚に包まれて、結局笑って会話を終わらせてしまう。悪い癖だ。そうすれば横から出てきた手に顔を挟まれ、眼鏡のレンズを近くで見るのだ。


「改めて! 久しぶりだね氷雨ちゃん! 今日も可愛い! 天使かな!?」


「お久しぶりです屍さん。ぇと、私は、人間だったり」


「律義な返答愛くるしいな! 私の妹になってもいいのよ!」


「屍うるせぇぞ」


 屍さんに両頬を挟まれ、揉まれ、伸ばされてと遊ばれてしまう。何とか言葉が変にならないように努めればやはり笑われてしまった。困った。リビングから顔を出した兄さんに助けられる。


「やん、お兄ちゃん怖い」


「気持ちわりぃ」


「あ、時雨さんこんにちは」


「こんにちは闇雲、時沼、いらっしゃい」


「お邪魔します。しごかれる覚悟はしてきました」


「どんな覚悟だよ」


 呆れたように笑った兄さんに続き、部屋に入る時沼さん達。屍さんは私の背中を押してくれて、勉強場所の机にはお菓子が綺麗に並べられていた。兄よ、仕事が早いな。


 半笑いになりつつ準備していた肩掛け鞄を提げる。兄さんは保冷バッグを渡してくれて、頭を叩くように撫でてくれた。


「ありがとな、気を付けて」


「ん。あ、これ闇雲さんから頂いた」


「マジか。ありがとな闇雲」


「いいえ。それより、凄い美味しそうなお菓子ですね」


「やっぱ勉強前は糖分補給だよね! あ、水道貸して手を洗いたい!」


「分かったから声量押さえろ」


 机に並んだお菓子に目を輝かせてくれているお三方。直接感想を聞く勇気がない私は「いってきまーす」と兄さんに伝え、手を振ってもらえたのだ。


「いってらっしゃい」


 その言葉だけで足取りが軽くなる気がするだなんて、現金な奴だ。


 自分を笑ってリビングを後にする。今から出れば予定のバスに良い感じに乗れるだろう。


 玄関を閉める時に屍さんの驚きの声が聞こえた気がしたけど、気のせいだと思おうか。


 燦燦(さんさん)と降り注ぐ太陽光に負けないように歩き出す。何処までも透き通る青空はアルフヘイムを思い出させるのに、あの世界ほど輝いていないと思い直すのだ。


 タガトフルムで地面を踏んでも光りの粒なんて舞い上がらない。空から滝は流れないし、喋る大樹も下半身が動物みたいな方もいない。人を鉱石に変えて食べようとする蛇みたいな方も、血を吸おうとする少女のような方も、戦士に戦いを挑む勇ましい方もいない。


 それが私達の生きる世界、タガトフルム。


 道路の反対側にあるバス停を見る。赤信号で止まればアスファルトの熱に浮かされそうで、少しだけ目を閉じたのだ。


 あぁ、帽子を被ってきたら良かったかな。保冷剤足りてるかな。


 今日はなずなちゃんのバドミントンの試合。応援に行くって約束をしていた。だから行く。


 瞼を上げて、目の前を行きかう車の波を見る。その向こうに変なものなんていない。


 ――……競争を止めて、本当にアルフヘイムは救われるのか


 息を少しだけ止めてしまう。


 三週間前。流星群が(ひし)めく空の下で泣いていた中立者さんを思い出しながら。


 彼は涙に濡れた顔で言葉をくれた。


 ――この世界に、明日は来るのか


 明日が来ると言う意味が私には分からなかった。アルフヘイムの鉱石を増やすことが競争の目的だと思っていたから。元々一あるものを十にしたいから競争を続けようとしているのだと、思っていたから。


 けれどそれは違ったのだと繋いだパソコンの先で知った。


 競争の目的は減っている鉱石を増やすこと。一も存在しなくなりつつある、基盤が崩れつつある世界の未来を繋いでいたかったから競争は始められたのだと。


 だから中立者さんはハッキリと終わりを告げなかった。


 終わりが告げられたかもしれないのに、それより早く来たのは夜明けの時間だった。


 空から伸びてきた黒い手に全員が掴まれ、強制送還されたあの日。


 私は信号が青に変わるのを見る。横断歩道を何となく小走りに渡れば、バス停の日陰に救われた。


 自然と息を吐いてバスの時間を確認する。ちょうど五分前、良い感じ。


 満足しながら空を見上げて、もう痛まない腕を無意味に摩ってしまうのだ。


 酷い怪我でリビングを汚したあの日。お母さんとお父さんを泣かせてしまった。お父さんは兄さんと私を抱き締めてくれた。お母さんは痛い位に手を握り締めてくれた。


 病院に行かないといけないとか、らず君がもういないとか。色々な心配が波のように押し寄せたが、それを払拭してくれたのはグレモリーさんだった。


 彼女は直ぐに兄さんと私の元に来て治療してくださって、血は止まり、傷は塞がり、痛みが和らいだのだ。


 お礼を言ったのは私達だけではない。両親も泣きながら「ありがとう」を言っていたのが凄く印象的。


 グレモリーさんは両親を見て驚いた様子ではあったけど、微笑みながら兄さんと私の前髪を撫でて消えられたのだ。


 まさか彼女が協力してくれるだなんて考えていなかった。塔から出る方法はフォカロルさんと考えたくせに、怪我の治し方を私は考えていなかったから。


 いつもそう。何か一つが足りなくて、あと半歩が足りてない不十分な心配性。その溝を埋めてくれていたのは帳君だった。彼には深く感謝してる。


 しかし、私達の元に残ったままの鍵やチョーカー、兄さんの中にそのままある静電気の力を見て、競争は終わっていないのだと言う不安が残された。


 らず君の破片を包んでくれていたりず君とひぃちゃんを抱いた感覚が、いまだに鮮明に思い出されてしまう。


 だからその夜も私達はアルフヘイムに行こうとした。


 ――ディアス軍、凩氷雨、アルフヘイムへ


 けれども、アルフヘイムに続く穴が現れることは無かった。


 数回同じ言葉を唱えても、針が零時一分を指しても何も起こらなかったのだ。


 そのせいで翠ちゃん達とのメッセージ画面は混乱した。


 行けないことが正しいのか、これを喜んでいいのか、競争は終わったのかどうなのか。


 鍵を叩いてもメタトロンさんもオリアスさん達も出て来てくれないし、完全に音信不通。煮え切らないあやふやな状態に全員困惑はしたけれども、騒いでもどうしようもないと数分で開き直った。


 肝が据わったものだね、なんて。みんなで言いつつ、久しぶりにベッドに入って眠ったっけ。


 そして、それが今日まで続いている。


 毎夜言葉を唱えるがアルフヘイムへ行けることは無い。


 兄さんは上下白の服を着て零時に備えているようで、各言う私も上下黒の服で時計を見つめてしまっている。


 このまま有耶無耶に競争は終わってしまうのか。もう生贄のことは考えなくていいのか。


 そんな期待に応えてくれるのはあの世界の人達だけだから。


 目の前で止まったバスを見る。乗車口が開けば冷房が漏れ出てきて、暑さに焼けていた肌を救ってくれた気がした。


 * * *


 湿度が高い体育館内で繰り広げられるバドミントンの試合。今日の結果が全国大会に行けるかどうか関わるとのことで、会場内には活気と熱意と緊張感が混ざった空気が満ちていた。


「なずなー!! ファイッ!!」


 栄ちゃんが隣で手をメガホンのようにして叫ぶ。それはなずなちゃんの足を動かす力になったように見えただなんて、勝手な美化だろうか。


「ファイト!」


 翠ちゃんも柵を握って声を伝えている。凛とした声が届いたであろう時、なずなちゃんの背筋が伸びた気がした。あぁ、これも美化かな。


 なずなちゃんの機敏な動きとバドミントンのスピード感。点を抜いて抜かされの第四回戦。真剣な横顔で試合に挑む彼女の美しさに惚れ惚れすると同時に、私も柵を握り締めて、一点を先取した友達を見つめるのだ。


 高く弧を描いたサーブが上げられる。大きく深いクリア、ネット際に落ちるカットに、それに対抗するように返されるヘアピン。


 友達がどんな所で戦って歯を食いしばっているかを知りたくて、勝手に学んだバドミントンの技を見つめる。


 汗でなずなちゃんの足が滑って、相手に向かって柔らかい羽根が上がる。


 栄ちゃんが息を呑んだ音がして、なずなちゃんが体勢を整えるのは早かった。


 真っ直ぐ羽根の軌道を見つめるその姿を、私の声は少しでも支えられるだろうか。


 思った時にはもう、私は大きな声を出していた。


「なずなちゃんッ!」


 瞬間、相手のスマッシュが鋭い角度で入ってくる。


 それに反応したなずなちゃんのラケットはネット際に羽根を返し、相手の体勢を逆に崩していた。


 柔らかい返しが来る。奥に返そうとしても届き切らなかった羽根が揺れている。


 なずなちゃんは勢いよく床を蹴り、ラケットを振り抜いた。


 真っ直ぐ、急角度で相手のコートに刺さる軌道。


 それに相手の人も反応して、ラケットに羽根が掠り当たる。


 羽根がネットに向かって浮き、淵に触れた。


 なずなちゃんは前に足を踏み出していたけれど、羽根がネットを超えることはなかったのだ。


 相手の床に羽根が落ちて得点板が捲られる。


 なずなちゃんは肩で息をして、私は反射的に動いた体で栄ちゃんと翠ちゃんに抱き着いてしまった。それは二人も同じだったようで、応援席で歓喜してしまう。


 相手選手と握手してコートにお辞儀し、その場を離れたなずなちゃん。彼女は私達の方を見上げると思い切りラケットを掲げて笑ってくれた。


「聞こえたよ!!」


 そんな答えをくれるから。


 私達は顔を見合わせて、笑顔で手を振り返したのだ。


「お疲れなずな! そのまま進め!」


「とっても格好よかったわ」


「おめでとう、素敵だった!」


「うっわ嬉し!! ありがとー! 部員とこ寄ったら私もそっち行くかんね! 待っててー!」


 なずなちゃんは凄く良い笑顔で言葉をくれて、試合が行われているコートとコートの間の通路を慣れた動きで進んでいく。


 まだ私の心臓は大きく拍動しており、栄ちゃんと翠ちゃんは気が抜けたように腰を下ろしていた。


「最後どうなるかと思ったよ」


「集中が凄かったわね、流石だわ」


「ほんと、教室にいる時とは大違いだよね」


「……確かに」


 栄ちゃんと翠ちゃんは顔を見合わせて笑っている。教室でのなずなちゃんは天真爛漫という言葉が良く似合うけれど、試合の彼女は一点集中という雰囲気をかもし出していたな。


 私はそこで喉の渇きを覚えて鞄を肩にかけたのだ。


「飲み物買ってくるね。翠ちゃんと栄ちゃんの分も何か買ってくるよ」


「え、一緒に行くよ?」


 翠ちゃんと栄ちゃんが鞄を持とうとするから私はそれを静止しておく。人が(うごめ)く会場内を三人だと動きづらいし、なずなちゃんが来た時に誰かいなくては申し訳ない。


「大丈夫。三人で人波超えるのはちょっとしんどいかなって思うし、なずなちゃん待っててあげて?」


 笑いながら伝え、眉を下げていた栄ちゃんの額を撫でておく。彼女は気が抜けたように笑ってくれて、翠ちゃんには確認された。


「いいの?」


 なんて、彼女らしい言葉で。


「いいから言うんだよ」


 笑い返せば、翠ちゃんは仕方がなさそうに笑って言葉をくれたのだ。


「助かる、ありがとう」


 安心した私は二人からお金と飲み物の種類を聞いて席を離れる。売店や自販機は混んでいるだろうから急がなくていいと、栄ちゃんは念を押してくれた。


 流石、こう言う会場慣れしてる子は違うと感心してしまう。


 ぅ、人波が想像以上だ。


 私は会場を出るのにすら時間を少し使い、人が溢れた売店は避けて外の自販機を探す。見つけた所は少し人が集まっていて、五分くらい待った方が良さそうな雰囲気だ。


 時間を確認しようと携帯を見る。次のなずなちゃんの試合まで充分あるな。話す時間もありそうだ。


 一人満足して、何の気なしに連絡先を開いてしまった事に口を結ぶ。


「……なーにしてんだよ」


 ぼやいて息を吐く。勝手に指が開いた連絡相手は今何をしているのやら。


 自販機が空いてきたので進もうとしたら横から来た学生らしき団体さんが先に行ってしまった。困った、私はどうやら並ぶ場所が違ったらしい。


 少しだけ肩を落としてまた携帯を見る。


 いや、別にどうしようもないだろ、開いて何がしたかったんだ。


 嘲笑(ちょうしょう)した時、頭に響いたのは雲居君の声。終業式が終わった後の会話。その時浮かんだ人を再び振り払った。


 私は携帯の画面を消す。


 連絡したって何を話す。アルフヘイムでしか接点がない私達は、元々使う人と使われる自分だったのだから。


「やめとけバーカ」


 自分に言って携帯をポケットに仕舞う。そしたら携帯が振動したから慌てるのだ。


 焦って落としそうになった携帯を両手で握り、画面を見る。


 着信、名前、え、あ、お、うわ。


 一瞬頭が真っ白になったが、声が裏返らないように努めて通話ボタンは押したから許して欲しい。


「も、もしもし」


「もしもし氷雨ちゃん、久しぶり」


「お、お久しぶりです」


「どしたの敬語で……今電話しない方が良かった?」


「だ、大丈夫です、大丈夫。ごめん帳君」


「いや、こっちこそ急にごめん」


 (ども)る自分に呆れる。顔が見えない電話は苦手だが、喋れない訳ではないだろうに。落ち着け。


 自販機で結構な量の飲み物を買って爆笑している学生さん達から少し離れておく。その笑い声は帳君に聞こえたようで「いま外?」と確認された。


「うん、友達のバドミントンの試合応援に来てて、今は自販機の順番待ち」


「あぁ……そういうこと」


 帳君は納得してくれたようで、私は苦笑してしまう。彼の声に覇気がないように感じるのは気の所為なのかどうなのか。


 分からないことは聞かなければ伝わらない。そう学んできたから、私は心臓を落ち着かせつつ問いかけた。


「帳君、何か……あった?」


 確認すれば一瞬だけ間が出来る。


 聞かない方が良かったか。不躾だったか。もっと自分で予想してから聞けばよかったか。これは間違いだったか。


 一気に体が冷える感覚に襲われる。「ごめん」と続けそうになったけれど、それより先に喋ってくれたのは帳君だった。


「叔父さんの家に来てるんだ。そしたら何話せばいいか分かんなくて、お互い黙って、ちょっと散歩に出たってわけ」


 叔父さんの家。


 私は考えて目を伏せる。自販機前の団体さんは移動してくれたから、足を踏み出して。


 どんな返事をしたらいいだろう。どう伝えたらいいだろう。どうすれば、電話をかけてくれた彼に(むく)えるだろう。


「そっか……いつぶりに話すの?」


「んー……家出たの高校上がる時だし、一緒に暮らしてる時も会話少なかったし……いつぶりだろ」


「結構長そうだ」


「まぁね、お互い口数多いわけじゃないし。話題もないし」


「……どうしてまた、叔父さんの家に?」


「深い意味はなかったな。そういう気分だったから……」


 答えてくれた帳君は「なんで来たんだっけ」と独りごちしてる。それを携帯は拾って、私は笑ってしまうのだ。


「勇気、いるよね、何年ぶりかに会うのって」


「……結構ね」


「……頑張ったね、帳君」


 自販機に片手で小銭を入れて、伝えておく。少しでも二人に冷たい飲み物をって考えたら、最初に買うのは私のがいい。


 何年ぶりかにまともに対面する状況。


 私は兄さんと対面した時、怖くて、不安で、何を話せばいいかなんて分からなかった。その分からないを帳君に当て嵌めても良かったのかは疑問だが、それでも、その言葉を伝えたかったのだ。


「俺、頑張ったのか」


 そんな呟きが聞こえるから。


「そう、私は思ったけどな」


 伝えていよう。


「……何話そう」


「……学校のこととか、バイトのこと?」


「面白い話題になりそうにはないね」


「それでも、帳君のことを教える話題にはなるのかと」


「……それもそうか……うん、氷雨ちゃんに電話してよかった」


 小さく笑ったような声がする。


 私はそれに笑い返し、小銭を追加で入れていた。


「私でよければ、いつでも」


「ありがと」


「こちらこそ、グレモリーさんと海堂さん達の件、ありがとう」


「あぁ、グレモリーは兎も角、モデル君達まで塔に来なくても良かったのにね」


 帳君の声がいつもの調子に戻っていく。それに安心した私は肩で携帯を耳に押さえつけ、飲み物を掴んだ。


「久しぶりに話せてよかった、無事会話出来たらまた電話する」


「うん、いつでもどうぞ。電話くれてありがとう」


 そう挨拶して終わった電話。五分も話していないのに、こうも緩む口角は何なのか。


 応援席に人波を抜けて戻れば、なずなちゃんが私の差し入れを食べてくれている所だった。


「あ!! 氷雨ちゃん差し入れありがとう!! めっちゃ美味しいヤバい!!」


「よかった。次の試合も応援するね」


「ありがとう! 見ててね!」


 あぁ、太陽だ。


 思いながら栄ちゃんと翠ちゃんに飲み物とお釣りを渡し、短くも四人で話せた時間は大切だったのだ。


「よぉ、待たせたな」


 だから、まさかその日の夜に漆黒が現れるだなんて思ってもみなかった。


 頼むから、もっと事前に連絡をくださいよ。



長々と。平和で普通な時間は意外と簡単に変えられる。日常が非日常のように感じてしまうようになっていた、子ども達。


明日も投稿致します。

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