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僕らは痛みと共にある  作者: 藍ねず
最終章 乱れた常磐の歯車編
170/194

準備

2020/04/16 改稿

 


 氷雨はタガトフルムで手紙を書く。タガトフルムの文字をアルフヘイムの文字に変換してくれるペンを使って、夜でも無いのに目薬をさして。


 リビングで一人手紙をしたためる少女。彼女はソファで昼寝をしている三匹のパートナーを一瞥して、書きあがった手紙を読み返した。一枚に収まった内容には少女の頼みが綴られている。氷雨は白紙の便せんを一枚添えて、計二枚の紙を封筒に入れた。


 裏面には自分の名前を。表面には宛名を。


 机の上には二つの手紙が出来上がる。


 一つはディアス軍兵士、フォカロルへ。


 一つはサラマンダーのスティアへ。


 氷雨は椅子の背もたれに体重をかけ、ペンを机に置いた。


「んぁ、書き終わったのか」


「りず君」


 ソファの上で顔を上げたりず。寝ぼけ眼はまだ焦点が合っておらず、氷雨は笑いながらソファに向かうのだ。


「うん、出来たよ。今日の夜は届けに行こう」


「おう」


 りずは笑い、欠伸をしてからまた眠る。氷雨は微笑み、ソファに深く腰掛けて目を閉じた。


 その時、不意に首に下げている鍵が揺れてリビングに不釣り合いな黒が現れる。


 氷雨はため息をつきたくなるのを我慢して、静かに瞼を上げた。


「……メタトロンさん、また腕を折りに来たんですか」


「なんだ、挨拶も無しに」


 笑っているメタトロンに気付いて瞬時に起き上がる心獣達。ひぃは氷雨の肩に留まり、りずとらずは駆けて膝に飛び乗った。


 メタトロンは満面の笑みのまま氷雨の隣に腰を下ろし「おぉ、いいなこの椅子は」などと笑うのだ。


 氷雨はメタトロンの方に顔を向け挨拶してみることにした。


「こんにちは」


「こんにちは」


 メタトロンは犬歯を見せて笑う。挨拶を貰えたことに満足した様子で、まるで子どものようだとも氷雨は思った。


「それで何の御用ですか。間違って鍵を叩いてしまったでしょうか」


「いいや、ただの観察だよ」


 メタトロンはソファの背もたれに背中を預けて腕も置く。手持無沙汰に氷雨の髪を撫でる長は、今日も今日とて何を考えているか少女には分からなかった。


「アルフヘイムでは真夜中ですよね」


「まぁな。眠たいが、面白そうなことへの興味には負ける」


 ニヒルに笑い続けるメタトロン。氷雨は今度は我慢することなく息をつき、机に置いている手紙を一瞥するのだ。その視線の動きだけでメタトロンは「手紙か」と気づいてみせる。


「手紙の内容はなんだ? 家族への遺書も死ねば消えるぞ?」


「遺書ではありませんよ」


 メタトロンは机の方へ歩き、興味深そうに手紙を見ている。宛名を見た彼の口角はますます上がり、氷雨は黒い背中を見つめるのだ。


「フォカロルとサラマンダーか。ふむ、面白そうだ」


「開けないでくださいね。もう封をしたので」


「他人の手紙を覗くような悪趣味は持ってねぇな」


 手紙を机に戻したメタトロンは再び深々とソファに座る。氷雨は肩に入っていた力を抜き、りずとらずの額を撫でていた。


「あと数日で、お前達は我が王の元へ行くのだな」


「ですね、招待していただけたので」


「招待していない者も同伴するのだろう?」


「同伴不可とは言われてませんから」


 悪びれなく氷雨は答えてみせる。少女の頭を可笑しそうに叩き撫でたメタトロンは至極ご満悦のようだ。


「あぁ、そうだな。まさかルアス軍を同伴させるとは思ってもいなかったが、楽しくなりそうだ」


 氷雨は目を細めてしまう。同伴者がいるとは知られていても、誰が行くか明確に教えた記憶がなかったからだ。中立者を生贄にしようと動いていることがバレていた時点で誰が一緒に動くかも知られていたと少女は考えを改める。


 メタトロンはその様子に気付きながら肩を揺らして笑った。


「素直に望んでみたらどうだ?」


「……何のことでしょう」


「言わずとも分かるだろう」


 メタトロンは氷雨の頭から手を離し、視線を逸らした戦士を見る。少女は暫し黙ってから小さな声で答えていた。


「希望は口にしません。理想を現実に出来るかどうかなんて分かりません。だから、望みすぎてはいけないと思います」


「口にしなければ希望は叶わん。現実にしたいと思わなければ理想のままだ。望むことの何が悪いのか俺には分からないな」


 氷雨が横目にメタトロンを確認する。少女の理想に気付いている長は本当に楽しそうだ。


「……分かりません。メタトロンさん、貴方は何を望んでいるのですか。貴方は誰の味方なんですか」


 いつかしてはぐらかされた少女の問い。それをもう一度口にすれば、メタトロンは目を細めて笑うのだ。氷雨はその態度を見て答えを期待しない。


 期待していなかったのに長が口を開くから、戦士は驚いてしまうのだ。


「俺は我が王の自由と幸福を望んでいる。そして同時に、友に対する贖罪しょくざいを望んでいる」


 氷雨は目を丸くする。


 メタトロンは目を細めると、初めて泣いてしまいそうな顔で笑ったのだ。


 * * *


「やっほー、熱愛報道のモデルくーん」


 とあるカフェの隅の席。


 黒ぶち眼鏡をかけた海堂麟之助とニット帽に銀髪を仕舞い込んでいるグレモリーの元に、満面の笑みの結目帳が現れた。


 麟之助は目を丸くすると、ミルクティーが入ったコップをソーサーに戻して「結目君」と呟いてしまう。


 帳は笑顔のまま隣の空いていた机に財布と携帯を置き、椅子に腰かける。目を丸くしたままの麟之助はグレモリーを一瞥し、兵士は口を閉ざしたままだった。


 帳はメニューを広げて笑っており、視線は麟之助の方を向かないままだ。


「どういう風の吹き回し? あれだけ兵士を毛嫌いしてたのに今は兵士と一緒にいるなんて」


「麟之助が一緒にいてくれているわけではないわ。私が離れないようにしているだけ」


 帳の問いに答えたのは背筋を綺麗に伸ばしているグレモリー。どれだけ目立たず華美にならない服装をしても、その人間離れした容姿と雰囲気を完全に隠せてはいない。


 茶髪の少年はメニューを見ながらどうでも良さそうな返事をし、質問を続けていた。


「他の二人はどうしたの?」


「……大琥はフォカロルから気配を消すお守りを貰って、譲はアロケルの人形に護衛されながら生活してる。競争が終わるまで生きているのが気づかれないようにって」


「へぇ、それであんたは兵士に守られてるってことか」


「そうよ。私はフォカロルやアロケルみたいに遠隔で使える力は持っていないから」


 グレモリーの視線が手元のグラスに向かう。冷たい珈琲はまだ半分ほど残っており、帳はどうでも良さそうに笑った。


「献身的なこった。自分の世界からも軍からも離れて守ろうなんて」


「結目君」


 強い声が帳を黙らせる。麟之介は眼鏡の奥から鋭い視線を帳に向け、茶髪の彼はそれを諸共していなかった。


「……グレモリー達に頼ってるのは俺達の方だ。本当なら今、俺はここにいないんだから」


「その自覚はあるんだ」


「ないと思う?」


「気にしてないと思ってた」


 帳は悪びれなく答えて呼び鈴を押す。すぐにやってきた店員に彼はコーヒーフロートを頼み、麟之介は自分のカップを口に運んだ。


 店員は綺麗な所作で居なくなり、グレモリーは確認する。


「……アミーとエリゴスは元気?」


 その問いに帳の眉が動く。


 横目に見たグレモリーはグラスの縁を撫でており、アルフヘイムの情報が乏しいと感じさせた。


「死んだよ、二人共。中立者からの鉄槌で」


 素直に真実を口にする帳。


 グレモリーは目を見開くと数秒固まり、不意に美しい紫の双眼から涙を落とした。彼女は震える両手でゆっくりと顔を覆っていく。


 麟之介の目も丸くなっており、彼の手は机の上で握り締められていた。


「そんな……」


「満足そうな最期ではあったけどね」


 帳は答え、グレモリーの背中が丸まってしまう。咽び声を必死に堪える彼女を見た麟之介は、迷いなくグレモリーの頭に手を置いた。


 その温かさがグレモリーの涙腺をより壊していくとも知らないで。


「あぁ、アミー……ほんと、馬鹿な人……」


 彼女の震える声が責めるのは青い兎ではない。


「私の……私達のせいで……」


 弱く、守りきれなかった自分に対するもので。


「……ッ、エリゴス」


 縋るように呼んだ名前に応えてくれる相手はいない。


「なんで……なんでエリゴス……ごめんなさい、ごめん、ごめんなさぃ……」


 止めることが出来なくなった涙、彼女の顎を伝って机に落ちる。


 帳が注文したものを運んだ店員は驚いた様子だが、何も言わずに頭を下げて離れていった。


 帳も帳で何も言いはしない。


 グレモリーの頭の中では、二度と見ることが出来ない笑顔が浮かんでいた。


 ――エリゴス、貴方また怪我したの?


 ――まぁな。あ、治療はいらねぇぞ、内臓取られたかねぇし


 ――別に切った貼った(あば)いたじゃないなら取らないわよ。違う生き物の皮膚で縫合するだけ


 ――いやいらねぇわ!


 豪快に笑う声がする。その姿がもう見られないのだとグレモリーは言い聞かせ、堪えきれない涙に窒息させられそうだった。


 麟之介の手がゆっくりグレモリーの頭を撫でて、下ろされる。それしか彼には出来ないから。戦士を守る為に全てを捨てたと言ってもいい兵士が、今にも倒れてしまいそうだから。


 帳はその様子を横目に見つつ、ささっているストローを回して黒の上に浮かぶ白いアイスを溶かしていく。白が沈んで混ざり、色を淡く変える飲み物。少年はその様子を見つめてストローから手を離していた。


 数分して、グレモリーの押し殺された嗚咽おえつがやんでいく。目を赤くした彼女は鼻をすすり、顔をハンカチで押さえていた。


「……落ち着いた?」


「……えぇ、ごめんなさい」


 麟之介の問いに無機質に答えるグレモリー。それは感情を押し止めた結果であると青年は理解しつつも、どんな言葉を送ればいいかは分からなかった。


 帳は三分の二程アイスを溶かし、色が柔らかくなった飲み物を見つめている。


「ねぇ、落ち着いたなら相談させてよ」


「相談……?」


 麟之介が首を傾け、帳は口角を引き上げる。笑っているのに平坦に、楽しそうなのにつまらなさそうに。彼のチグハグ性が溢れ出る。


「そう、相談」


 帳は笑っていた。


 中立者を生贄にするのだと伝えれば、再び目を見開く麟之介とグレモリー。


 茶髪の戦士は口にする。


 明日を勝ち取る為の相談を。


 * * *


「まさか貴方が手芸サークル部員だなんてね」


「意外、か?」


「まぁね」


 梵が所属するサークルの部室にいるのは〈見学者〉の名札を下げた紫翠と祈。梵は黒い伸縮性の高い生地を丁寧に裁断しており、横には制作の為の資料が置かれていた。


「翠、遠い所、わざわざ、ありがと、な」


「別に。どうせ夏休みだもの」


「祈も、ありがとう」


「いや、俺も家に篭ってるの嫌ですし」


 鋏を止めて微笑む梵。紫翠は凛と、祈は慌てながら答え、梵の空気は酷く柔らかい。


 突然五人の連絡グループに梵が送ったメッセージ。内容は〈全員スリーサイズを教えてくれ〉と言うもの。


 そんなものを五人の会話画面で答える者はなく、まずスリーサイズを測るという所からスタートする者もいた。紫翠と祈は意味が分からなかった為、直接梵の元に赴いたと言うことだ。


 紫翠は氷雨のスリーサイズをメモしたものも一緒に持って。祈は自分で測れなかった為、測ってもらう目的で。意外にも帳が律儀に個人メッセージで答えたことには梵も驚いたのだが。


 梵は穏やかな笑みを携えて布の裁断を進めている。


「……あともう、何日もないんだよね」


「そうね」


 祈は呟き、紫翠は腕を組んでいる。赤い毛先の少年の目は揺れて、梵は静かな声で伝えるのだ。


「大丈夫。続いて、いくさ。氷雨と、帳は、その為に、動いて、くれ、た。俺達は、俺達が、出来る、ことを、しよう」


 そんな梵の言葉を聞いて祈は黙る。それから紫翠を見た少年は確認するのだ。


「……楠さん」


「なに?」


「教えて欲しいんだけど、楠さんの力はさ――」


 祈は言葉を選びながら聞いてみる。


 紫翠は始終黙って彼の言葉を受け取り、目を伏せるのだ。


「可能よ」


 その肯定が祈に決めさせる。


「お願い、出来る?」


「いいわよ」


 紫翠は仕方が無さそうに笑う。祈の顔には熱が集中し、一生懸命顔を扇ぐ姿は幼さを感じさせた。


「なら、俺も、頼む」


「いや、貴方は……」


「頼む、翠」


 一つの布を裁断し終わった梵は紫翠を見る。見られた少女も青年を見つめ返し、ため息混じりに肩を落としたのだ。


「分かったわ」


「ありがとう」


 その会話は三人だけが知っている。


 三人だけで決めたこと。


 紫翠は窓越しに青空を見上げて、ゆっくりと目を閉じたのだ。


「……ほんと、馬鹿の集まりよね」


 その馬鹿に自分を含んだ紫翠。少女は自嘲気味に笑い、数日に迫った約束の日を覚悟したのだ。


無くしてから気づくんだ。


着々と、尺尺と準備しよう。二度と無くしてしまわないように。


これから三人称で書く回が増えていきます。


明日は投稿、お休み日。

明後日投稿、致します。

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