解答
相手を観察する目があった。
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2020/04/11 改稿
祈君は――知っていたと言った。
海堂さん達が生きていたことを。
アミーさんが、殺していなかったことを。
私の鼓膜に音が戻ってくる。蝉の鳴き声とエアコンが稼働している音。頬を流れたのは冷や汗なのか分からないが、私の心音は早鐘を刻んでいた。
「……それ、どういうこと?」
翠ちゃんの低い声を聞く。見れば彼女は眉間に皺を寄せ、祈君を凝視していると感じられた。
見られている自覚があるのか、祈君とルタさんの顔が強ばっている。
あ、この空気は苦しい。
「翠ちゃん」
反射的に彼女を呼ぶ。すると翠ちゃんは目を瞬かせて両手で顔を覆っていた。深呼吸する音が聞こえてくる。祈君は喉が張り付いてしまったような、苦しげな声を吐いていた。
「ご、ごめんなさい、俺、確信なくて、言えなくて……アミーが言ってたから、何かを思っても、何かに気づいても言っちゃ駄目だって、だから、ぁ、ッ……」
震える声が頭に入り込んで、私は呼吸を整える。ルタさんを抱き締めている彼は「ごめんなさい……」ともう一度呟くから、私は口を開くのだ。
彼は知っていた。知っていたのに黙っていた。沈黙を続けてみせた。知っていたのに、言う事が出来た筈なのに。
それがどれだけ苦しかったかなんて。
どれだけ歯痒かったかなんて、私には想像も出来ないのだ。
「祈君」
呼んでみる。
そうすれば祈君の肩は跳ねて、酷く自信がなさそうな目を向けてきた。
君は会った時もそうだった。疲れきって怯えたような目で周りを見て、怒られることを願っていた。
今もそれを望まれている気がする。
けれども、やっぱり無理だな。私は君を怒れないし、怒る理由が見当たらない。
私の顔は自然と笑い、言葉を選んで贈るのだ。
「教えてくれて、今まで言わずにいてくれて、ありがとう」
伝わるかな、伝えられたかな。
今日一番の驚きは海堂さん達が生きていたニュースに攫われた。アミーさんが何かしらの手助けをしてくれたのだと考えたわけだが、それも空想止まりだった。
私達の知らない事実を知っていた祈君。言いたくても言えなくて、一人で気持ちの整理をつけないといけなかったのはどんな心地だったのか。なんて、他人事になるなよ氷雨。
祈君の目が見開かれて、両目から大粒の涙が溢れていく。私はそれにも驚いてしまい、ルタさんが祈君の頭に移動する様を見つめていた。
祈君は机に顔を突っ伏す。
「なんで、なんで氷雨さんはいつも、怒ってくれないんだぁ……」
「えぇ……」
「楠さんみたいに、嫌そうな顔をしてくれたらいいのに。俺は勇気がなくて、言えなかった奴なのに……」
ルタさんがため息を吐いているように見える。翠ちゃんは「失敬ね」と顔から手を下ろし、その目はどことなく恨めしそうだ。
「別にあんたに怒ってはないわよ。気づかなかった自分に苛立ったの」
「あぁぁぁぁもう、だからぁ、ッ」
祈君が頭を掻き毟ってルタさんが床に移動する。梟さんは翼でパートナーの背中を撫でており、私は笑い続けてしまうんだ。可愛いなぁ。
不意に帳君がため息を吐く音が聞こえる。確認すれば、彼は呆れたような顔をしていた。
「で、なんで雛鳥は気づいてたわけ? てかどこに気づく要素があったんだよ」
「お前……俺とルタの観察眼、忘れてるだろぉ……」
じとり、という効果音がつきそうな目をする祈君。彼の頭上に戻ったルタさんは青く輝く目をしていた。
そこで私は彼らの観察眼を思い出すのだ。
――人であれば身長、体重、健康状態等々。物であればその成分が分かるし、だから対処法も考えついてくれる。
彼の観察眼を端的に要約すれば「相手の状態把握」
だから梵さんと私を見た時にも呪いをかけられていると言う状態を把握してくれた。
鼻を啜った祈君は悔しげな声を零す。
「いたんだよ、あの時。アミーの火柱が無くなった時。まだあそこにいたんだ、海堂達は」
「ちょっと意味分かんないから詳しく」
「うぅぅぅ……」
帳君の言葉に祈君は頭を抱えてしまっている。私も首を傾げてしまい、あの日の状況を思い出した。
メタトロンさんに吹き飛ばされ、梵さんに庇われ、泣語さんに治療してもらった。無力だと叩きつけられた日だ。
浮かんだ青い炎。青く、熱く、全てを焼いていくあの業火。
それでも、今ではもう恐ろしいとは思わない。冷や汗なんて流れない。
私は一度目を伏せてからゆっくり開けた。私はあの日見ることが出来ていない光景を聞く事から始めないといけない。
「どう、いう、状況、だったん、だ?」
不思議そうな梵さんの声がする。彼は私が口を開くより先に聞いてくれて、翠ちゃんが答えてくれた。彼女の声は平坦で感情は読み取れない。
「アミーが火柱の中に海堂達を巻き込んで、晴れたらそこには芝の燃え跡だけが残ってたわ」
「だから、そこにいたんだよ……見えなかっただけで」
祈君が絞り出すように答えて、私は梵さん達と顔を見合わせてしまう。
見えないけどいた。
見えないけど、そこにいた……?
私の脳裏に浮かんだ一つの言葉がある。
「――結界?」
確認するように聞いてしまう。
祈君は何度も首を縦に振り、銀の鍵を三回叩いていた。
現れたのはストラスさん。黒い長髪を細く一つに結って、頭には以前と違う王冠を斜めに被る兵士さん。片腕には白いギプスのような物が嵌められており、あの日の怪我はまだ癒えていないご様子だ。
彼は祈君の横に現れてパソコンと自分の戦士を見比べている。赤い毛先の彼はイヤホンを兵士さんに渡した。ストラスさんは物珍しそうに装着する。
「これで話が出来るのか、不思議だね」
「いいからストラス、あの結界の話してよ。あと、海堂さん達が無事な件。お前もなんか知ってんなら一緒に教えて」
ストラスさんは祈君の言葉で話の流れを汲んでくれたらしい。彼は考える素振りをしながら王冠を直し、ゆっくり口を開いていた。
「そうだな……悪いが私も詳細は知らない。エリゴスとアミーがグレモリー達を逃がす手助けをしたことしか耳にはしてないんでね。それでも祈の話からして、アミーが使ったのは私が教えた結界術であることは間違いないだろう」
「私が教えた?」
ストラスさんの言葉を繰り返してしまう。彼は頷くと、懐かしむような目で教えてくれるんだ。
「私は結界や修復の術が得意でね。アミーが教えて欲しいと言ってきたのは繋ぎ止める術だった。だがそれを習得するにはまず結界術を知る必要があったからね。アイツには結界の張り方も教えたものだ」
繋ぎ止める術。
上手く動かない時があった腕を思い出す。青い彼の腕。
思い出して、苦しくて、抱き締めてくれた温かさが恋しくて。
奥歯を噛んで、思い出に縋りたくなる自分を叱咤する。
「飲み込みが悪かったけどね」
微笑んだストラスさんの目元は赤く擦れていた。それを見つけて、私は肩のらず君を無意識に撫でてしまう。
「結界が上手く発動すれば中にいる者を隠し守る作用がある。アミーは三回に一回くらいの確率で結界しか張れない奴だったが、その時は成功して隠せたんだろうね」
「ならばあの時、海堂達は結界の中にいて、周りから見えなくされてただけってこと? 燃え跡をわざわざ作って?」
翠ちゃんが訝しんだ顔で質問する。ストラスさんは頷いていた。
「虫の息の戦士を隠すだなんて一か八かの賭けをして、アミーは勝ったわけだ。だが祈とルタの観察眼はそれすら見通す。そこに生きている者がいるなら脈拍も心拍も分かった筈だ」
ストラスさんが祈君の髪を撫でる。戦士の彼は歯痒そうで、何度か首を縦に振っていた。
「あったよ、あの時、あの場所に……弱かったけど、三人の心拍はちゃんと見えた……でも、アミーが消えたら一緒になって消えたんだ。死んだわけじゃないってのは分かった。あんなに急に心臓は止まらないと思うから。でも、その先からは知らない」
「強制転移をしたんだろう。結界術と一緒に教えたからな。無詠唱で行うなど失敗する確率が高いのに……本当に仕方がない」
ストラスさんはため息混じりに、「成功したからいいものを」とも続けていた。
「エリゴスも、何か、加担、して、いたのか」
梵さんが聞いている。その声は微かに震えており、彼はどこか哀愁を纏っていた。
ストラスさんは整然と梵さんの問いに答えてくれる。
「そうだよ。エリゴスは我らの長がサラマンダーのシュスを離れた瞬間に転移して、グレモリー達を回収した。連れて行ったのは君達にも紹介した、私達の友の墓だ」
お墓。
戦士のお墓。
夥しい数の十字架がある野原を思い出す。
もう作りたくないと言ったグレモリーさんは、作らずに済んでいたのだと安堵した。同時に、アミーさんのお墓を私は作れていないと思い出すのだ。
指先が震える。それを握り締めることで抑えて、ストラスさんの声を聞いていた。
「あそこは、あそこだけは私の結界で見えなくしているから。誰にも汚されてしまわないよう、壊されてしまわないよう。私の結界の内側に次に結界術が得意なフォカロルも術を重ねてくれたあの場所は、中にあるものの存在も気配も消してくれる。だからエリゴスはグレモリー達を連れ込んで、アミーが傷を焼いた子ども達も転移させた」
胸の中心に片手を当てて目を伏せたストラスさん。彼の声は凪いだ海のように穏やかで、それでも芯の通った声色だった。
「だからモデル君達の傷から出血が少なかったのか」
呟くような声がして、帳君を見る。彼は口元を隠して思案する表情をしており、ストラスさんは頷いた。
「全てアミーの賭けだったそうだよ。子ども達の腹部を貫く瞬間に出血を最小限に抑えて、最短の時間でグレモリーの元へ連れて行くというね。治療の力を持つグレモリーならば腹部を貫かれた患者でも、頭と胴体が離れた患者でも、中立者の裁き以外の傷であれば治すことが出来る」
ストラスさんはそこで一度言葉を止めて、ズレた王冠を直している。それからため息混じりに「全て力任せの作戦だ」とボヤいていた。
「傷が癒えた子ども達から体感系の力を抜き取り、フォカロルの結界で隠して。アロケルが中立者の元で何故だと怒り狂って気を引く間に三人をタガトフルムに強制送還する。無茶苦茶で、ハチャメチャで、それでも成功した偉業だよ」
ストラスさんが目を伏せたまま笑う。
私の体の中心からは温かい感情が広がって、目頭が熱くなった。何度も瞬きすることでそれを紛らわし、顔からは力が抜けるのを感じる。
「流石アミーさん、エリゴスさん」
顔を伏せながら笑い続ける。耳元では「だね」とストラスさんの相槌が聞こえて、梵さんも笑っていた。
「豪快、だな、本当に」
「そうだよ、おかげで私もヴァラクもオリアスも常に振り回されて、それなのに、最後まで消えたグレモリーの居場所は教えて貰えなかった」
それを聞いて気付かされる。
グレモリーさんがタガトフルムにいると言うのは、アミーさんとエリゴスさん、フォカロルさん、アロケルさんしか知らなかったのだと。
中立者さんが海堂さん達に気づいていないかは知らないが、それでもアミーさんもエリゴスさんも黙ることを続けたのだと。
「グレモリーなら、無事、だ、今、タガトフルムに、いる」
梵さんがストラスさんに伝えている。教えられた兵士さんは目を丸くして、それでも安心したように目元を緩めていたんだ。
「そうか……無事か。なら良いんだ」
嬉しいと伝わってくる声でストラスさんは笑っている。祈君は口を結んで兵士さんの頭を撫で返し、私は机の下で手を握り締め続けた。
彼らが悪だと思った人を捕まえたい。
もう、お墓を作って欲しくはない。
だから捕まえに行こう。悪だと思う神様を。
思って瞬きをした時、画面の中に黒が増える。
漆黒、紅蓮。
なんで、呼んでない、呼んでない、呼んでないのに。
画面の中の梵さんが素早く振り返り、腕を振り抜く。
しかしそれよりも早く黒が動くから。
「お前達――面白い話をしてなかったか?」
梵さんの腕を躱して、メタトロンさんの手が仲間の顔を鷲掴む。
梵さんが床に叩きつけられた音がイヤホン越しに響き渡って腕に鳥肌が立った。目を見開いた帳君と祈君が視界に入り、翠ちゃんの悲鳴に近い声が鼓膜を震わせた。
「梵ッ!!」
「よぉ、戦士達」
梵さんの予備のイヤホンをつけたメタトロンさんの口角が上がる。彼は本当に、至極可笑しいと言うように紅蓮の瞳を細めているんだ。
私は届かなくともハルバードになったりず君を構えて、梵さんが起き上がるのを確認した。
メタトロンさんの声がする。
耳元で、低い、低い、絶対強者の声が。
「グレモリーはどこにいる?」
背筋を冷や汗が伝っていく。
教えてはいけない。まだ気づかれてない。何か知ったと感じてこの人は来やがった。だから教えない、教えない、教えるな。
深呼吸した私は――梵さんの画面から消えたメタトロンさんに驚くのだ。
背筋が凍りつく。
反射的に後ろを振り返れば、笑っている紅蓮があるから。
「氷雨ちゃん!!」
帳君の声がする。
駄目、反応、遅れ、
思った時にはもう、大きな手が目の前に迫っていた。
聞きつけやがった奴がいる。
彼は招待状を、お持ちのようだ。
明日は投稿、お休み日。
明後日投稿、致します。




