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僕らは痛みと共にある  作者: 藍ねず
最終章 乱れた常磐の歯車編
163/194

繁忙

寝耳に水とはこのことだ。

――――――――――

2020/04/10 改稿


「翠ちゃん」


「氷雨」


 朝からよく分からない心地で学校に辿り着けば既に翠ちゃんがいて、私達は無意識にお互いの手を握り合っていた。


 無駄に振ってもみるし、椅子に座ったけど落ち着かないから立ち上がる。そうやって意味の無い行動をしなければ、このどうしようもない気持ちが暴れてしまいそうなのだ。


 それはどうやら翠ちゃんも同じらしく、彼女は私に付き合って同じ動作をしてくれる。早朝のまだ他の人がいない教室で。それを良いことに私は「今朝、今朝」と馬鹿みたいに繰り返した。


「見た、見たわ、ニュース」


 頷いてくれた翠ちゃんの言葉も片言で、不意に彼女の目から涙が零れる。私は「お、おぉぉぉ」と変な声を出しながら翠ちゃんの頭と背中を撫でていた。


「おはよー凩さん、楠さん……って……」


「なんでもないんです委員長おはようございます!!」


 登校してこられた委員長が翠ちゃんを見て焦ったのが分かる。私は翠ちゃんを隠すように立って挨拶し、不意に手首を掴んだ彼女に引きずられるように教室を出たのだ。


 涙が止まらない翠ちゃんと隠れる為にやって来た体育館裏。中からはバスケ部かバレー部かの朝練の声がして、私達はコンクリートの部分に並んで腰を下ろしていた。


 翠ちゃんが泣き続けている。彼女は何度もハンカチで涙を拭いて目を押さえているが、その雫は暫く止まりそうにない。


 私は彼女の背中を出来うる限り優しく撫でて、(もた)れかかってくる翠ちゃんを抱き締めるのだ。


「……氷雨」


「うん」


「嘘じゃ無いわよね」


「……うん」


 顔を覆って泣いている翠ちゃん。私はスカートのポケットから携帯を取り出して、ネットニュースを開いてみた。


 少しスクロールすれば直ぐに見つけた例のニュース。


 私は何度も瞬きをして、電子の文字を何度も何度も読み返した。そのまま声が震えないように言葉を吐くのだ。


()()()()()、一般女性と交際か」


 かいどう、りんのすけ。


 その音を幾度となく頭の中で繰り返す。


 これは理想を抱いていた人の名前。


 夢を叶える為に先頭に立っていたあの人。


 仲間の為に全てを背負おうと出来る人。


 青い業火に――巻かれた筈の彼。


 その人の名前が今日、タガトフルムで流れた。写真まで撮られて、皆誰しもが彼を覚えている。


 それはつまり、海堂さんは――生きているってことなんだ。


 戦士はアルフヘイムでもタガトフルムでも、競争中に死ねば誰からも忘れられる。家族が悲しまないように。友達が泣かないように。


 だから、だから海堂さんがいるのはおかしくて、彼が生きているだなんて。でももう競争には参加してない。帳君が既にディアス軍の人達にはラキス・ギオンを配り終わっているから。生きていたなら報告をくれると思うから。


 考えていれば携帯に着信が入る。見ると今しがた考えていた仲間の名前があって、私は直ぐに通話ボタンを押したんだ。


「と、とば、帳君、あの、」


 最初の言葉が分からなくて(ども)ってしまう。そうすれば電話の向こうの帳君に気を遣わせてしまった。


「今電話しない方がよかった?」


 いえ、いえ、大丈夫、大丈夫なんです。


「ううん、ごめん大丈夫」


 答えれば帳君が安心したように息を吐いた音が聞こえた気がした。幻聴だろうか。


「氷雨ちゃん、朝のニュース見た?」


 話題は現在進行形で混乱させてきているニュースについて。気づけば私は片手で帳君と電話、片手で翠ちゃんの背中を撫で、頭では海堂さんのことを考えるという忙しない状況になっていた。


「見ました、あの、あれって」


 言葉を纏められないまま聞いてみる。帳君の声は落ち着いており、私も自分を落ち着かせることに努めたのだ。


「海堂麟之介だよ。正真正銘ね」


 帳君の声は迷いなく、私の頭が真っ白になる。


 私は海堂さん達が死ぬ瞬間を見たわけではなかったが、それでも翠ちゃんも帳君も、祈君だって見た筈で。


「生きていて……くださったんですね」


 言葉が零れていく。震えた指先も滲んだ視界も、体の奥底から溢れる感情が引き起こすものだ。帳君は「信じられないけどね」と返事をくれた。


「モデル君と堅物君……海堂麟之介と紫門大琥は確かに腹を貫かれてた」


 私の背筋が一気に冷えていく。帳君は誰が貫いたかと言うところは伏せてくれた。けれども、勝手に思い出した青い火柱が私の感情をごちゃ混ぜにしていくんだ。


 駄目だ、駄目だ駄目だ、駄目なんだ落ち着け、氷雨。


 自分に言い聞かせるのに見ていない光景を頭は想像する。やめろって言った。


 帳君は少しだけ黙ってから静かな声をくれた。


「ごめん氷雨ちゃん、思い出したくなかったね」


 私の指先が今度は別の感情で震える。腕の中で翠ちゃんが顔を上げて、私は彼女の前髪を無意識のうちに撫でていたようだった。


 違うよ、帳君。


「帳君は悪くないよ、大丈夫……ごめんは私の方」


 私は自分のハンカチで翠ちゃんの目元を押さえてみた。翠ちゃんの両手が私の手とハンカチを握ってくれる。それに安心させてもらえるから、私は帳君に続けていた。話を戻そう、大丈夫だから。


「海堂さんが生きていると言うことは、紫門さんと綿済さんも……」


「……だろうね。モデル君だけが生き残るなんてあの状況からは考えられないし、アイツが一人生きて悠長に生活する筈ないだろうから。信者の二人が死んでたらアイツも首吊るだろうよ」


「く、首……」


 歯に衣着せぬ物言いの帳君に苦笑してしまう。電話越しの彼は続けていた。


「俺達も大分やられてたね。あの状況で生きてるなんて思わないから、モデル君達が忘れられたって確認をしなかった」


「だね」


 検索画面に打ち込んだ名前を消した日を思い出す。それは帳君も祈君も、梵さんも同じだったようで、みんな確認しなかった。海堂さん達が忘れられたということを、誰も、誰にも。


「まぁ、生きてるなら生きてるで良いよ。疑問は満載だけど」


「なんで生きてるか。どうして戦士をやめられたのか」


「だね。生きてるのはアイツらの兵士が何かやらかしたとして、戦士をやめてる理由が分かんない。俺達を除いた残数が十人なら、俺は既にその十人に会ったわけだし……」


 後半は独り言のように帳君が呟いている。私は落ち着いてきた翠ちゃんの涙をゆっくり押さえると言う、微力でしかない手伝いをしていた。


「帳君、それはきっと間違ってないよ。残ってるディアス軍は全員で十五人だけ。海堂さん達はもう戦士じゃない……それに今アルフヘイムにはフォカロルさんもアロケルさんもいたけど、一人だけ……グレモリーさんだけは行方が分からないんだ」


 呟いてみる。翠ちゃんは体勢を戻して携帯を操作すると、ネットニュースの写真を見せてくれた。私は海堂さんと一緒に撮られた女性を見る。


 銀の揺蕩たゆたう髪を一つに纏め上げ、銀の瞳を持った女の人。


 ……いや、一般人て。


「で、今そのグレモリーはタガトフルムにいる訳か」


 ため息混じりの帳君の声を聞き、私は呻いてしまう。目は連れ立って歩く姿を撮られている海堂さんと、グレモリーさんを見つめたんだ。


 * * *


「そうかそうか〜、翠ちゃん海堂君の大ファンだったんだね〜、つらいよね〜朝からあのニュースはさぁ」


「……そーなのよねー」


 居た堪れない。


 大変、居た堪れない。


 流石にさっきの今で目の赤みが引かなかった翠ちゃん。ホームルーム前に教室に戻れば血相を変えた小野宮さんと湯水さんに心配され、翠ちゃんは明後日の方向に視線を向けたのだ。


 ――海堂麟之介……すっごいファンだったのよ


 それだけで察してくれた小野宮さんと湯水さん。全力で翠ちゃんの慰めに入ってくれた二人とその場しのぎの言葉に後悔しているような翠ちゃんを、私は笑顔を固めて見つめていた。


 翠ちゃんの涙は悲しい涙ではない。彼女の涙は、喜びが溢れ返った涙だ。


 守れなかったのだと彼女は言っていたから。救えなかったのだと彼女は嘆いていたから。


 生きていた。


 その事実だけで救われる。


 確認する一歩が踏み出せないまま今日まで引きずった私達は、突然舞い込んできた現実に心が追いつかない。追いつかないけど、それは何よりも喜ばしい事だから。


 私は腕を組んでくれた翠ちゃんと一緒に体育館へ行き、終業式を聞き流す。


 ごめんなさい先生。ちょっと頭の中が追いついてないんです。


 海堂さん達が生きていてくれた。それだけで素晴らしいことで、喜ばしくて、しかし同時に不安が付き纏う。


 なんでグレモリーさんがタガトフルムにいるのか。戦士ではなくなっているらしい海堂さんの元に彼女がいる理由は何だ。


 いや、そもそもどうやって海堂さん達は戦士から外されたんだ。彼らは命を狙われていた筈だ。梵さんや私の元にメタトロンさんが来たのとはまた訳が違うと思うのに。


 殺されたと思ってた人が生きている。覚えられている。どうして、何があった。


 それをもし――メタトロンさんが知ったら。


 中立者さんが知ったら。


 私の背筋が冷えて寒気を感じる。


 一瞬目を固く閉じて直ぐに開ける。壇上では生徒課の先生によって夏休みの注意事項が語られており、もう直ぐ終業式は終わりそうだ。


 それを確認した私は息を吐く。ここに来て考えることが増えた訳だが、何処かに残っていた黒い感情が解消されたのも事実。


「……アミーさん」


 小さく小さく、呟いておく。


 彼は殺していなかった。


 海堂さん達を――殺していなかった。


 それだけではない。あの場面で彼らを助ける何らかの手助けを、アミーさんはしてくれた。


 海堂さんと紫門さんを貫いたと聞いた。けれども確実に殺した訳でもない。


 アミーさん、貴方はいったい何をしてくれたんですか。


 考えていたら終業式が終わった。あ、マジか。


 ほぼ何も聞いていない状態なのだが、教室で何かしらプリントが配布されるだろうとか呑気に思って体育館を出た。人波が酷い。


 混雑している出入り口を確認して少し壁際に寄っておく。暑いなぁ。


 海堂さんとグレモリーさんのことはメタトロンさんに聞いてはいけない。今日は家に帰って泣語さんと電話して、何を知ったか聞いて、祈君が話したいことがあるということで夕方はパソコンを繋いで、えーっと……。


「凩さん」


「ぇ、ぁ、雲居君」


 不意に呼ばれて驚いてしまう。見ると今日も爽やかに笑っている雲居君がいて、私は首を傾げてしまうのだ。


「出入口待ち?」


「はい、今は通れそうになくて」


「だよね」


 肩を竦めて答えれば雲居君も同じように笑ってくれる。出入口を見ると先程よりはスペースが出来ていたので、流れで雲居君と私は一緒に教室に戻ることになった。


 教室隣だしな。翠ちゃんとはぐれた。雲居君との話題は何がいいんだろう。夏休みの予定とかが無難か。


「そう言えば楠さんって、モデルの海堂って人の大ファンで、元カノだったんだよね? 交際報道がショックで号泣したって聞いた時は驚いたよ。未練があったってことも聞いたし……大丈夫そう?」


 わぁ、翠ちゃん、嘘に尾ひれがついて酷いことになってるよ。噂って怖い。


 私の顔は笑みを浮かべて固まってしまい、冷や汗が背中を伝った気がした。どこから訂正しよう。


「ぇっと……ファンではあったそうですが、元カノとか未練とかは嘘ですよ。噂が誇張されてます、はい、あと、もう元気ですよ」


 手を横に振りながら嘘を剥がしておく。なんならファンと言うところも剥がしておきたいが、それでは何故泣いたのかということになるし、翠ちゃんが苦渋の決断でついたであろうものを私が否定する権利はない。


 取り敢えず元カノ疑惑はやめてあげてください。県も年齢も違うし接点どこだと思ってるんだよ。


 雲居君は「え、そうなんだ」と驚いた顔をした後、優しく笑ってくれたんだ。


「元気そうなら良かった。あ、凩さんもファン?」


「いや、私は、全然、全く」


 モデルの海堂さんの情報はほぼ持ってない。知っているのは苛烈なアルフヘイムでの姿の方が大きくて、ファンかと言われればそれは違う。


 それでもあの背中は凄いと思って、少しだけ憧れた。


 雲居君は「そっかぁ」と笑い続ける。これは私も「ファンですか?」って聞き返した方がいいのかしら。


 考えていると、雲居君の方が先に質問を続けてくれたんだ。


「じゃあ、凩さんは……どんな人が好き?」


 内容的には正直困るものだったが。


 どんな人が好き。


 どんな人、って……。


 ふと、浮かんだ姿がある。


 それに驚いて「ぇ、」と反射的に零せば、雲居君は何を感じたのか、慌てたように手を横に振っていた。


「いや! 深い意味はないんだけど! 凩さんの趣味と言うかなんというか、結構知らないなって思って!」


「あ、はい、ぇっと、いや、大丈夫ですよそんな」


 慌てた彼に釣られて慌てそうになり、笑っておく。雲居君は忙しなく(うなじ)を撫でたり頭を掻いたりと落ち着かないご様子だ。


 ならばなぜ聞いたのか。私が話題振らないからか。ごめんなさい。


 色々と考えながら頭に浮かんだ人を振り払っておく。


 多分、これは深く考えたら駄目なやつ。やめとけ氷雨。


 その後は雲居君が蔦岡君に捕まったので先に教室に帰らせてもらった。良い夏休みをお過ごし下さい。


 教室では、尾ひれどころか足や腕まで着いたような噂が聞こえてきた。それを信じた生徒に群がられて辟易している翠ちゃんも見つけた。私は彼女をどう助けるか思案したが、中断させてくれたのは先生という結果です。


 私は空笑いしながら夏休みの注意事項をメモし、海堂さんとグレモリーさんを思い、また浮かんだ彼に頭を軽く振った。


 ――どんな人が好き?


 雲居君の言葉が反響する。また浮かんだあの人って、いや待てって馬鹿。今そういう時では無い。生きるか死ぬかで、捕まえるか殺されるかだ。色恋沙汰出来るほど時間も器用さも気持ちもない。


 私は息を吐き、ホームルームが終わった賑やかな教室を見た。


「ひっさめちゃーん! しっすいちゃーん!! 夏休みだよー、夏休み!! ね、ね、今度試合あるから応援来て欲しいなー!!」


「試合私も来て欲しい! てかさ、四人でどっか遊びに行こうよ! プールとか、また映画行ってもいいし!」


 はしゃいで抱き締めてくれる小野宮さんと湯水さん。


 翠ちゃんを見ればゆったりと笑っていて、それを見て私も安心するんだ。


 どこへ遊びに行こう。何をしよう、何を見よう。


 そんな未来に翠ちゃんと私がいる為に。


 私は笑って、抱き締めてくれた小野宮さんの腕に手を添えるのだ。


「遊びに行きましょう。応援も行きます、大声で応援しちゃいます」


「ぃやっだもう、なずなちゃん頑張っちゃう!!」


「遊びに行きたい場所、沢山あるわ」


「また決めよう、いっぱい遊ぼう、ね」


 そうやって笑った。そうやって話した。


 あぁ、こんな日が愛おしいから。


 守っていたんだ。


 また帰ってきたいんだ。


 だから考えろ、考え続けろ。何から知ればいいのか、何をすればいいのか。一つずつ解決していこう。焦ってはいけない、焦ってはいけないから。


 私は笑って、部活に行く小野宮さんと湯水さんと別れる。翠ちゃんは私と軽く腕を組んでくれて、手を振ってくれる二人は今日も今日とて可愛かった。


「また連絡するね氷雨ちゃん、紫翠ちゃん!」


「また試合の日程とか送るねー!」


「えぇ、よろしく、頑張って」


「部活、応援してます」


 手を振って、笑顔できびすを返した小野宮さんと湯水さんを見つめる。


 今日から夏休み。ニュースで頭がいっぱいだったけど、明日からはこうやって簡単に顔なんて合わせられなくなってしまうんだよな。


「またね……大事な太陽」


 呟いて、翠ちゃんは何も言わないでくれる。私達も踵を返して、開放感に溢れる学校から出ていった。



太陽に背を向けて、夜の闇に飛び込む準備をしよう。


徐々に役者が、揃っていく。


明日は投稿、お休み日。

明後日投稿、致します。

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