決断
最後の編、「乱れた常磐の歯車」編を始めます。
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2020/04/03 改稿
――お前達に選ぶ権利をやる。俺の戦士になって競争を続けるか、祝福を受けて競争を下りるか。
私達の前で笑ったのは、黒い服を身に纏い、紅蓮の短髪と双眼を持った彼だった。
――どうする?
みんなで泣いた昼を超えて、愛しい人達の死を悼んで、次の目的を決めた夜。
誰にも汚させてはいけない森の外に現れた彼は、梵さんと私に向かって聞いてきたのだ。
――考える時間を半日やる。決めておけ
そう言って消えた黒い彼。
私は梵さんと視線を合わせて、兄さんの声を聞いていた。
* * *
「氷雨ちゃん復帰!? 復帰!?」
「はい、復帰です。長く休んでごめんなさい」
「元気になったみたいだから許す!!」
数日ぶりに登校し、小野宮さんに抱き締められたのは朝のこと。彼女は満面の笑顔で私がいなかった学校の話をしてくれて、ロッカーの中には夏休みのプリント等が入れられていた。
「氷雨ちゃん来てる!! 良かったぁぁ!!」
「わぁ、ありがとうございます」
小野宮さんの次にハグをしたのは湯水さん。彼女は私の頭を何回も撫でて、頬も何度も摩られた。本日の予定は大掃除であり、美化委員らしいことをしなければいけないと言えば「無理は禁物」だと念を押されてしまいました。
顔いっぱいに笑っている自覚がありながら学校を綺麗にした一日。私は備品を預かったりワックスがけをしたりとそこそこに忙しく動き、不意に呼び止めてきたのは湯水さんだった。
「氷雨ちゃん」
「湯水さん、どうかなさいましたか?」
教室点検の用紙を提出しに行こうとした時のこと。階段の上から私を見ている湯水さんは手を握り締めていた。どこか困ったように笑いながら。蝉の鳴き声と学校に充満している人の声をBGMに。
湯水さんは手を何度か体の横で開閉させると、自信がなさそうな声で聞いてきた。
「氷雨ちゃん……いなくなったり、しないよね?」
周りの音が遠くなる。
湯水さんの顔を見る。
いつも活発な笑みを浮かべる彼女の顔は、酷く心配そうな色をしていた。
バインダーを握り直した私は口を結んで笑う。優しい彼女は、優しいだけではない人だと知っているから。
「なにか、不安にさせてしまいましたか?」
答えをはぐらかす言い方。自分でも狡いと分かる。分かるけど、この会話を一言で終わらせてはいけないと思ったんだ。
湯水さんは眉を微かに寄せて階段を降りると、私と同じ踊り場に立ってくれた。
彼女は背が高い。スポーツマンだと伝わる空気と、一歩引いて周りを見ることが出来るような人だって思ってる。
「氷雨ちゃんと紫翠ちゃんが、さ……」
湯水さんの口が結ばれる。
廊下を歩く誰かの笑い声を聞く。
私は笑ったまま、腕を摩っている湯水さんを見上げていた。
「ごめん……なんかこう、急に不安になっちゃって! もうすぐ夏休みだし、会える機会減るし……」
まるでこの静かな空気を壊したいとでも言うように湯水さんは笑った。不安を隠した笑い方だと察してしまう。
「湯水さん」
私は自然と口を開き、湯水さんは笑みを固めた。
聡く言葉を選んでくれる彼女に何かを気づかせてしまった。不安にさせてしまった。
私はバインダーを握り直して湯水さんと目を合わせた。困ったように笑っている彼女に伝える為に。
「何処にも行かないよ。大丈夫」
湯水さんが目を丸くして、肩の力を抜いてくれる。
その顔に私は安堵と罪悪感を抱くんだ。
「初めて……敬語、取ってくれたね」
嬉しそうな声色。
安心したような表情。
私は頬を緩めながら、蝉の鳴き声を再び耳に入れていた。
* * *
帰宅して自室に入った瞬間、私は酷く言葉を探した。
「よぉ、返事を貰いに来たぜ」
私の部屋の、私のベッドに堂々と腰掛けている黒い彼――メタトロンさん。
背景と主要人物がこんなにも合わない光景はそうそうないだろう。彼から敵意は感じないが威圧感は健在で、私の喉は酷い閉塞感に襲われていた。
それに彼は気づいてくれたのか、「楽にしろ」と言ってくれる。
いや、それを私の部屋で貴方が言うか。なんならお父さんとお母さんの家に勝手に侵入してる貴方が言うか。……黙ろう。
私はスクール鞄を肩から下ろし、ひぃちゃん達が入った鞄も足元に並べる。メタトロンさんは悠々と笑い、窓から射し込む陽光が嫌に彼の赤を目立たせるのだ。
腕に季節外れの鳥肌が立つ。それを気にせず、私の声は嫌味の色を乗せるのだ。
「……いち兵士が亡くなっただけで、なぜ長である貴方の駒に私がなるのですか。代理の兵士の方が出てくるか、呪いが改めて付与されると思っていたのに」
私は手を握り締めて、メタトロンさんを見下ろす。
空気に緊張感を纏わせる彼は部屋全体を張り詰めさせた。私の背中を流れる汗は、自転車を漕いだからだけのものでは無いだろう。
メタトロンさんは笑っており、私は目を細めていた。
この人が何を考えているのか全く読めない。
どうしてアミーさんとエリゴスさんが亡くなった次の日に現れた。その時も敵意は感じなかったが、何か企む空気は隠しもしていなかった。
彼は負け続けている軍の長。勝利の為に何か暗躍でもしようと言うのか、手出しをしようと言うのか。いや、彼の空気は競走以外の何かを考えているという節だってある。
頭の中を考えが巡る。巡って巡って、堂々巡り。
その時、不意にメタトロンさんは私の目の前に歩み寄り、首筋を流れた汗を拭われた。
あぁ、息の仕方を考えなければ止めてしまう。
「そう身構えるな。痣を与えるつもりは無い」
静かな声だった。覇気ある声なのに圧迫感がない、呼吸を許されるような喋り方。
メタトロンさんは私の耳元に口を寄せると、よく通る声を与えてきた。
「我が主を――生贄にするつもりなのだろう?」
あ、
飛び出したりず君がジャマダハルとなってくれる。
彼を掴んだ私は、メタトロンさんの首筋で刃を止めた。
長は口角を上げて私を見下ろし、部屋に沈黙が落ちる。
だから言葉を考える。考えたい。考えたいのに、浮かんでくるのは兄さんが私の両肩を掴んだ光景なんだ。
――下りろ氷雨。このチャンスを捨てるな
そう、私の目を覗き込んで兄さんは望んだ。
競争を下りろと彼は私に言ったのだ。祝福を与えられてそのまま生きろと。もうアルフヘイムには来るなと。
その機会を待っていたと言うような、酷く救われたと言う兄さんの表情が網膜に焼き付いている。
その表情を見ていられなかった。だから私は彼の目から視線を逸らし、お互いを見やっていた帳君達に近づいた。
――氷雨
兄さんに呼ばれたのを覚えている。
早蕨さんと時沼さんは何も言わずに私達を見つめていた。生きる道を与えられた、梵さんと私を。
帳君、祈君、翠ちゃん、梵さん、私は、お互いに視線を向けて口を開けない。その沈黙はきっと必要なもので、無駄な言葉は誰も必要ないと知っていた。
最初に背中を向けたのは、帳君。
――バイバイ、氷雨ちゃん
そう言った彼は振り返らずに飛び立った。
次に背を向けたのは、翠ちゃん。
――良い明日を
彼女は真っすぐ森へ入って姿を消した。
最後に背を向けたのは、祈君。
――……もう、一人で飛べるようになったから
何とか形を持ち直したルタさんと同化した彼は、帳君とは反対方向へと飛び立った。
私は手を握り締める。
梵さんは静かに目を伏せて、その場を満たした静寂と気遣うような雰囲気が肌を撫でた記憶がある。
それに耐えられないと言う顔をした早蕨さん。
眉を下げながら何も言わなかった時沼さん。
兄さんも口を閉じており、私は笑いながら言ったっけ。
――約束は保留ですね、早蕨さん。色良い返事は次の機会にでも
そう残して私も飛び立った。
きっと梵さんも走り去った。
私は目の前を流れた記憶に辟易し、メタトロンさんを見上げ続ける。
刃を近づけられても彼は笑顔で、らず君が鞄の中で震えているのが分かった。
ひぃちゃんの酸性液が溢れ出る。
「安心しろ。我が王はタガトフルムの声までは聞こえない。あの方はいつも歯車ばかり見られているからな、多少の隠し事ならば可能だろう」
メタトロンさんは私を見下ろしている。
その言い方は私の返事を分かっていて、狙いも知っていて、見ないふりをしてやるとでも言っているようだ。
彼はりず君の刃を指先でつつき、口角を上げていた。
「だからこれは下ろしてくれないか?」
私は口を結んだままりず君を下ろし、針鼠に戻ってくれた彼を肩に乗せる。メタトロンさんは満足そうに頷いて踵を返し、再び私のベッドに腰かけた。
「……殺さないんですか?」
「お前をか? いいや止めておこう。これ以上アミーの心を踏み躙るのは、流石に俺でも気が引ける」
メタトロンさんは胡坐をかいた膝に頬杖をつく。私の眉間には自然と皺が寄り、目の前を青がちらついた。
それでも、もう泣きはしない。
泣いている暇があれば進むのだ。弔いの心を持って歩くのだ。
例えその道が、優しい兎さんが望んでいなかったものになろうとも。私はこの情動を抑えられない。抑えるには、この感情は熱く煮え過ぎた。
「さぁ、どうする凩氷雨。祝福を貰って生き続けるか、生贄を集める戦士に戻るか。お前に選ばせてやる」
楽し気に口角を上げるメタトロンさん。私の前にある道は二つ。
祝福を抱えて明日を掴むか。
異世界で死を考えながら誰かを殺すか。
あぁ、いや、悩むことでもな。ここで私が気にかけるべきは別のところにある。
「質問は許されますか」
「許す。申せ」
我が王という言葉を口にする癖に、まるで貴方も王のようだ。
私は感じながら、今まで知ろうとしなかったことを確認した。
「今のディアス軍戦士の総人数は何人ですか」
「今は十五人だ」
あぁ、耳鳴りがしそう。
競争開始時の戦士の人数は三十三人。その半分以下になってしまっていただなんて。知らなかったし、知ろうとしなかった。アルフヘイムの危険は知っていたから見ないふりをした。
「……祭壇数は」
「十二だ。減らされたもんだな」
また減った。また負けに近づいた。
「ルアス軍戦士の総人数は?」
「十九人だ。ふむ、よく考えると戦士数も祭壇数も負けているな」
ルアス軍の方が多い。いや、きっとそれに私は気づいていた。察していた。救えば勝てるルアス軍の戦士と殺せば勝てるディアス軍の戦士ならば、アルフヘイムの住人さんが優しくしたくなるのは白の戦士軍だろうから。
それでも涙は流れない。名も知らない誰かの死に心を擦り減らすほど私は優しくない。その人の為に流せる涙は持ち合わせていない。
「さぁ、他に何を聞く?」
メタトロンさんの紅蓮の瞳が輝いている。笑い続ける彼はいったい何を考えているのか。
私は静かに問いかけた。
「どうしてその状況で梵さんと私に戦士を抜ける選択肢を与えるのですか。元々貴方の目的は私達を殺すことだった筈。その駒をまだ使うと?」
これでは前後の辻褄が合わない。
勝ちたい筈のディアス軍がみすみす戦士を手放すのか。元より殺す予定だった奴を生かすのか。
一体何を考えている、この長は、神様は。
私は目を細めて、鞄から出てきたひぃちゃんと、お姉さんの背中に乗ったらず君を腕に抱いた。
「お前は、命を張って籠の鳥を守った友をどう思う?」
メタトロンさんが問うてくる。私は口を閉じて、顔から笑みを消した長を見つめてみた。
メタトロンさんは項を撫でて続けている。
「その鳥は必死に翼を羽ばたかせて籠の中だけを飛んでいた。だが外に出たいと鳴きだした。だがな、その鳥は病気を持っている。外に出ればその病を振り撒いて、こちらに害を齎すだろう。だから殺せと言われた」
メタトロンさんは私を射抜くように見つめてくる。その瞳から視線を逸らすことだけは「止めろ」と、私の中で大きな声が上がっていた。
彼は続ける。
「その鳥を殺す為に俺は出向いたわけだ。だが殺すなと叫ぶ友がいた。だから引き剥がそうとしてみれば、どうだ。俺に殺せと言った奴が俺の友を殺してしまったじゃねぇか」
自分の前髪をかき上げて、一瞬メタトロンさんの口が閉ざされる。私はその姿を見つめて、彼の低い声を聞き続けたのだ。
「俺は怒ったんだよ。すげぇ怒った。なんで殺したと、なんで手を出したと。だが相手はだんまりでな。だから好きにさせてもらうことにしたんだ」
メタトロンさんの口角が上がる。彼は私を見つめていた。
「俺は鳥に選ばせる。窓辺に鳥籠を移動させて、自由で明るい外へ飛び出すか、部屋の中に病を振りまいて滅茶苦茶にするか」
あぁ、この人の一番は――勝利ではない。
私は思って、差し出されたメタトロンさんの掌を見下ろすのだ。人の手と違う点が見つけられない掌は大きく分厚く、梵さんと私に呪いを与えた憎む手である。
「お前はどちらの景色を見ることを望む? 凩氷雨」
部屋の中に再び沈黙が落ちる。けれどもそれを長く続ける気はなく、私は空いている左手を動かした。
「私は、自分で自由を掴みます」
左手を前に差し出す。
「だから今は、全てを壊す悪でいい」
重ねたメタトロンさんの掌は温かく、しっかりと手が握られる。私も彼の手を握り返し、青い空から目を逸らすのだ。
メタトロンさんが笑う。
私は笑うことはせず、アミーさんに謝罪した。
貴方はきっと外に飛び出せばいいと嘆くだろう。けれども私は、貴方の死を飛び越えては進めない。貴方の死を抱いて歩くことを望むんだ。
さぁ進め、凩氷雨。
悪を欲して、選んで、進むんだ。
楽な道を選んだことなんて、今までの人生で一度だってなかったよ。
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お待たせ致しました。これより最後の話を始めます。最終話まで、氷雨ちゃん達を見守っていただけたら嬉しいです。
登場人物の名前を間違えていた部分があり訂正しています。読んでくださる方にも失礼であり、氷雨ちゃん達にも失礼だったと反省しています。投稿も大事に致しますが、何より物語を尊重していきたいと当たり前のことを思い直しましたので、遅れたりする場合は活動報告、Twitterなどで報告致します。今後とも「僕らは痛みと共にある」を、よろしくお願い致します。
長々と失礼しました。
明日は投稿、お休み日。
明後日投稿、致します。




