我慢
ほら、時間は過ぎていく。
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2020/03/24 改稿
アルフヘイムの統治権争いの競走。
それが始まって四ヶ月が過ぎ、祭壇が作れなくなった。
早蕨さんの担当兵さん――アドナキエルさんによれば一気に祭壇数が減っているらしい。
これは、想像以上にまずい。
もしルアス軍の人に祭壇が作れなくなっていることが広まれば即終わる。今の最大生贄人数は変わらず四人なのだと翠ちゃんから連絡が来たが、マジかよ、最大数変わらずかよ。
残っているディアス軍戦士は、知る限りでは二十九人。
その内私達五人は今生贄を集めてないから、二十五人。
その二十五人が祭壇が作れないことに混乱しているならば、ルアス軍にとってはまたとない攻め時だ。
生贄現在最大数四人。私達のグループがそれを保てているのは翠ちゃんがいるから。
他の方々がどれだけ集めても、ルアス軍の方が戦士数も守備範囲も上回っていては負けないようにするだけで精一杯。
四人目の生贄、オヴィンニクの女王様を捕まえた時を思い出す。
やっとあと二人まで迫ってきたと言う事実と、まだあと二人集めなければいけないと言う倦怠感。相反する二つの感情は手足を鉛のように重くした。
次に浮かんだのは海堂さん達。もういない彼らは、戦うべきはルアス軍ではなくディアス軍だと言っていた。
その派閥を広めていたのならば。その意見に賛同してしまった人がいたならば。
いや、まずいないなんて限らない。
きっとその人達も何かしらの罰を受けた。もしかしたら今のディアス軍の総数は私が考えているより少ないのでは?
だってそうだ、何回この世界で死にかけた? この世界は美しくて残酷だ。罰だけが死ではない。
今、私にそれを確認する手段はない。生贄の人数ではなく、ディアス軍戦士の総人数を聞く手段が。
だって、私の兵士さんは呼び声に応えてくれないのだもの。
まだ見ぬ同軍が心配になる。祭壇を壊しては駄目、刃向かっては駄目、ボイコットしては駄目。
この競走は私達に優しくない。
頭を抱えそうになる。
だが、もしここで生贄集めにシフトチェンジして猶予までに生贄を集め終わったとして、この呪いが解ける確証などない。
勝ったのに死ぬ。それほど後味の悪いものはない。
呪い発動から三日目の夜を終え、タガトフルムに戻される。
重力に従って落ちる私を抱き締めてくれたのはお父さんだ。
「おかえり……」
「今日も無事で、本当によかった……」
お父さんの震える挨拶と、お母さんの心底安堵した声を聞く。
二人は七夕の日からこうだ。私を待っていてくれる。一晩中起きて、仕事もあるだろうし眠たいだろうに。暗い私の部屋で帰りを待ってくれている。
お母さんは私の頭を撫でて、手袋をした手は頬に下がってきた。
痣に触れられる。それに針で刺されるような痛みを与えられ、肩が跳ねてしまった。
お母さんが弾かれるように腕を引き、顔を青くしている。固く握られた両手は震えており、私も慌ててしまった。
「だ、大丈夫だよ。ちょっと今日ゴタゴタあって、右の頬が痛いだけなの」
「そ、そうなの……?」
「うん、お母さんのせいじゃないよ」
必死に伝える。
だから、触れてくれることを止めないでと。
お母さんは震える息を吐くと、恐る恐る私の頭を撫でてくれた。それが嬉しくて、私は目を閉じる。
どうか抱き締めていて。どうか触れていて。
もし万が一、私が消えてしまった時。何かの奇跡が起きて、こうして触れ合っていたことが少しでも二人に残っていたらいいのにと思うんだ。
苦しめてしまうだけなのに。
「手当しようか」
「……ううん、大丈夫、大したことないから」
ほら、また……嘘ついた。
* * *
期末テストが終わった学校の空気は、いつもと違って緩んでいるものだ。
授業は期末の特別時間割に変更。午前中だけ。そこに都合上入っていない授業のテストは他の先生が代理で返してくれたりするんだな。
今日返ってきたのは現代文と情報処理。どちらもいい感じ。嬉しいな。とても精神衛生はよろしくなかった中でこの点が取れれば、ちょっとくらい誇ってもいいのではないかなぁ。
「うわぁ! 紫翠ちゃん情報満点!?」
小野宮さんの叫びを聞き、翠ちゃんの目を見る。教室内のざわつきは拍車がかかり、渦中の翠ちゃんは小野宮さんの笑顔を一瞥した。
「別に」
たった二言。音にして三音。
翠ちゃんはそう言ったっきり黙ってしまい、テストを無造作にファイルに詰めていた。
彼女の雰囲気が鋭さをもって周囲に向けられる。
「あ……ご、ごめんね」
「別に、いいわ」
小野宮さんに対して翠ちゃんは静かな声しか返さなかった。
空気が重くなる。
席が離れている湯水さんは心配そうな顔でこちらを伺い、小野宮さんは肩を落として席に着いていた。
翠ちゃんの背中を見る。テストが返しやすいようにと、期末授業の席は出席番号順に戻されるのだ。
情報の先生による解説が始められる。隣に視線を向ければ、雰囲気が暗い小野宮さんがいて心中がざわついてしまった。
けれどもこれは、きっと二人の問題だから。軽く頭を振った私は赤いボールペンを持って間違いを訂正し、解説が全て終わったところでチャイムが鳴った。
これで今日の授業は終わりになる。あとはホームルームと、文化祭の係打ち合わせだとか頭髪と服装の検査だとか。明日は学年集会と委員会だっけ。その次は何かの講演会。
ふと小野宮さんが立ち上がる姿が見えて、翠ちゃんが振り返るのもほぼ同時だった。
「紫翠ちゃん」
「氷雨」
二人の声が揃う。お互いに違う名前を呼ぶ声が。
私は黙って翠ちゃんを見つめて、彼女は小野宮さんに視線を向けた。
「あ、ご、ごめん」
小野宮さんにいつもの明るさはまだ見られない。
私は少し間を持ってから、翠ちゃんを呼んでみた。
「翠ちゃん」
茶色い目と視線が合う。翠ちゃんは小さく息を吐くと、小野宮さんの方へ体を向けてくれた。
「どうしたの?」
「ぁ、ぇっと……その、さっきはごめんね。私、後先考えずに勝手に点数の事とか言って……嫌だったよね?」
小野宮さんの両目が揺れている。指先も自信がなさそうに制服の裾を掴んだり離したりして、声も小さかった。
謝ると言うのは勇気がいる。とてもとても不安である。
謝って許されるか。相手に嫌われてしまったか。傷つけていないか。怒られないか。色々な不安がついて回って、謝れない人はきっと多い。
けれども小野宮さんは謝った。翠ちゃんを見て、自分が悪かったのだと。
その姿はとても立派で、綺麗だ。
私は自然と口角が上がり、翠ちゃんも穏やかに笑っていた。
「大丈夫よ。私こそきつい言い方になってしまったわ。確かに目立つのも好きではないし、点数も自分だけが満足出来ればそれでいい。でも、あんなに褒めてくれる人もいるんだって驚いたの」
「そ、そっか」
「えぇ。朝から頭も痛くて、機嫌が悪かったの……ごめんね」
翠ちゃんが柔らかく笑う。
小野宮さんは顔いっぱいに安心したと言う笑みを浮かべていた。
担任の先生が教室に入ってくる。小野宮さんは「よかった! お大事にね!」と席について、もう肩は落ちていなかった。
そう言えば翠ちゃんも私を呼んでいたけど、なんだったのだろうか。
ホームルームの後に確認しようと決めたと同時に、美化委員の集まりが今日に変更になった連絡を聞いた。
え、マジかよ。行かねば。
副担任の先生と担任の先生に制服と髪型を確認されて問題なく終了し、文化祭の打ち合わせは特にないので気にしない。
各クラスに文化祭委員が設立されたが、うちは委員長ペアがそのまま文化祭委員もしてくれることになっているのだ。
スクール鞄とりず君達が眠っている鞄を持って、短時間で終わるらしい委員会へ向かう。
教室は三階の多目的室か。渡り廊下を通らねば。
「翠ちゃん、さっき何か用事だった?」
「……待ってる」
委員会の前に確認すれば、翠ちゃんは視線を下に向けて教室を出てしまった。
……つまり用事があると言うことでよろしいのでしょうか。待ってるって、私の委員会が終わるのを? 申し訳ねぇ。
胃の中が落ち着かない感覚を持ったまま委員会へ向かう。内容は長期休み前の大掃除の話。各クラスの物品管理だとかワックスがけについてだった。
相槌を適度に打ってメモを取り、資料も貰って、委員会は十五分程度で終わった。
よし、翠ちゃんどこにいるかしら。
慌ただしい感覚を持ちながら立ち上がる。すると美化委員の先生に呼び止められた。
見た目は五十代くらいの家庭科の先生。女性の先生で、穏やかな空気や笑い皺が可愛らしい方だ。この学校にはとても長く勤められており、二十年位いるのだとか。
「凩さん、少し良いかしら?」
和やかな雰囲気に少し考えてしまう。
いいかな、いいのかな……少しだけならいいのかな?
「えっと、少しなら」
「ありがとう。凩さん、もしかしてお母さんは氷華さんって名前じゃないかしら?」
突然のことに驚く。
そうか、二十何年いるならお母さんとも一年くらいは被っているわけだ。
私の反応を見て「やっぱり」と笑った先生は、静かな声で言っていた。
他の委員の人は早々に退席して、教室外の騒がしさとここは隔絶されている気がする。
てか、なんで急にお母さん。
「先生ね、お母さんが三年生の時に彼女の家庭科を担当したことがあったの。初めてここに赴任した年だったわ。白い手袋をつけた可愛らしい子……今でもつけているのかしら?」
「……はい」
頷いておく。
お母さんが三年生。その時は既に競争は終わってる。
白い手袋は祝福に対する予防策。先生はその頃のお母さんを見ていた。
「お母さんね、いつも難しい顔をして一人本を読んでいたわ。卒業式も淡々と受けている感じで……だから就職して直ぐに結婚して、子どもを産んだって聞いた時は驚いたの」
子ども。そう、兄さんが生まれたのはお母さんが十九歳、お父さんが二十歳の時。私からしてみれば少し若いかなっていうくらいの二人だが、兄さんにとってはとても若い親だろう。
「お兄さん……時雨君もこの高校だったでしょ? 家庭科をやっぱり担当させてもらったんだけど、直ぐに分かったわ。私はお父さんを知らないんだけど、凩って名字は噂で聞いてね。あ、この子だって気づいたの」
可笑しそうに笑ってる先生。私は黙ってその話を聞いて、自然と鞄の紐を握り締めていた。
「一匹狼みたいなお兄さんだったわ。頭もよくて先生達の間でも評判の生徒。それでも誰とも一緒にいないし、一人本を読んでいるような男の子」
「……そうですか」
兄の話は聞いたことがなかった。聞くのが怖かった。良く出来た兄と比べて欲しくなくて、比べられるのが怖くて。
それでも同じ高校に入ってしまったのは、お母さんもお父さんも、兄さんさえも良い学校だと感想をくれたから。
「彼が卒業して次に入ってきたのが妹の凩さん。お母さんにそっくりで驚いたわ。ほんと、縁ってどこにあるか分からないものね」
肩を竦めて笑う先生。私も微笑み返して、「でもね」と言う先生の声に目を開けた。
「何かを抱えるような癖は、似なくてもよかったんじゃないのかって思ってしまうわ」
先生の目と視線が合う。
私はとっさに視線をそらし、穏やかな先生の声を聞いていた。
「お母さんもそうだった。何か大きなことを抱えていて、潰れてしまいそうなんじゃないかっていうのが何となく感じられたわ。でも、何もしてあげられなかった……悔しかったわ、教師として情けない話。だからもう、悔しい思いはしないようにしようって決めたの」
先生が私の手の甲をゆっくり叩く。諭すように、焦らせないように。
私の肩は揺れて、先生に聞かれてしまった。
「凩さん、何か心配事はないかしら?」
言いなさいと言う空気ではない。本当に、純粋に心配しているという声色。
目の前の先生はお母さんと私を重ねて、不安を取り除こうとしている。私が抱えているものと一緒に、自分の中に残っているシコリを消す為に。
私は口角を上げておいた。
「大丈夫です。ありがとうございます。先生」
なんて、嘘をついて。
本当は毎日が終わるのが怖いんです。日が沈むのが嫌なんです。今日、アルフヘイムに行くのが恐ろしくてならないのです。
そんなこと言わない。
先生は私の目を覗き込んで、朗らかに笑ってくれた。
「そう、ならいいの……楠さんにもよろしくね。あの子も貴方と似た雰囲気で、心配しているから」
「……ありがとうございます。伝えておきます」
それだけしか言えなかった。
この人は本当に素敵な先生で、そんな先生を跳ねのけてしまった自分が憎らしい。
いや、言っても先生の心労を増やすだけ。まず信じてもらえるかだって分からない。
だから、これが正解なんだ。
正解が正しいかは知らないが。
そんなこと言い始めたらどうしようもないではないか。
先生に頭を下げて教室を出ていく。外には翠ちゃんが立っており、私が歩き出れば彼女も一緒に歩き出してくれた。
「……ごめん、お待たせしました」
「いいえ、勝手に待ったのは私だもの」
部活の服を着た人やダンボールを抱えて歩く集団。色々な人が溢れる廊下を縫うように歩き、視線を斜め下前に向けている翠ちゃんを私は見上げたのだ。
階段を降りる。名前も知らない誰かとすれ違う。
「氷雨」
急に立ち止まった翠ちゃんにつられて足を止める。振り返ればチョーカーとピアスを握り締め、鍵を制服の襟から出している友達がいた。
「翠ちゃん」
「行きましょう。アルフヘイムに」
「……翠ちゃん」
「夜だけだと時間が足りない。足りなさ過ぎなの」
「……翠ちゃん、聞いて」
「駄目、このままじゃ駄目、駄目なの、駄目、嫌、絶対嫌」
「翠ちゃん」
握り締められた翠ちゃんの手に触れる。彼女の目には涙の膜が張っていた。
「あなたが、いかないなら」
その声は小刻みに揺れている。
「私、一人で行く。一人で行って、探すわ、呪いを解く方法」
「翠ちゃん、私達が行っていいのは夜だけだよ」
「そんな悠長なこと言ってられない」
「翠ちゃん」
「だって貴方も梵も! 今日行けば、目と耳が駄目になるじゃない!」
翠ちゃんの空いている手に肩を掴まれる。
隣を歩いていた男の子二人は驚いた反応をして、急ぎ足で階段を降りていった。名札の色が違ったな。一年生か。
なんとなく理解していれば、翠ちゃんの両目から涙が溢れてくる。
それは温かく私の頬に落ちてきて、首の方へと流れていった。
「翠ちゃん」
もう一度、彼女を呼ぶ。
優しくて、強くあろうとして、責任感が強い友達を。
「ッ、テストで百点がとれたって、ここでちゃんと正解を出せなきゃ! 意味ないじゃないッ!!」
「まだ時間はある。あるから、翠ちゃん」
「駄目よ、貴方の目が、耳が、梵が、ぁ、ッ」
翠ちゃんの涙が止まらない。
暖かな雫はとめどなく溢れてきて、翠ちゃんの目を赤く染めていた。
「早くしなきゃ、そう、しなきゃ、」
「翠ちゃん、梵さんは……早くしろなんて言った?」
聞いてみる。
肩を痛いほど掴んできている彼女の手に掌を重ねて。
翠ちゃんの肩は揺れて、唇も噛み締められていた。
「梵さんならきっと、無理するなって言ってくれるよ」
「……分かってる」
「私も早くしろなんて言わないし、思わない。一緒に呪いを解く方法を探してくれるだけで心強いから」
「分かってる」
「焦ってない訳じゃないよ。祭壇も作れなくなって、でも呪いも解かなきゃいけなくて……だからこそ、焦らないようにしてる」
「分かってる、分かってるのよ。でも、私はそこまで自分を落ち着かせられない! 大事な、大事な貴方達のことだもの!!」
「なら、私が翠ちゃんを抱き締める。抱き締めて、背中を撫でて、大丈夫だって言うよ。貴方が落ち着くまで、ずっと」
翠ちゃんを抱き締める。
伝われ、伝われと願いながら。
どうか抱え込まないで。貴方が梵さんと私を大切に思ってくれるように、私も貴方が大事なのだ。
翠ちゃんが膝から崩れ落ちる。力が抜けた彼女は縋るように腕を回してくれて、私も一緒に膝を着いた。
人が通り過ぎるのも気にせずに。掛け替えの無い友達の苦しいを、心配を、不安を、分け合う為に。
四日目に視力と聴覚の急激な低下。六日目には声が出なくなる。八日目には熱湯を飲み干し続けているような痛みに襲われ、九日目に痛みが引いた時、命の糸が事切れる。
今日の夜で四日目。
梵さんを死なせはしない。
私自身を死なせはしない。
死んでなんかやるもんか。
だから耐えろ。耐えろ。
目の前がどれだけ霞んで、光りが弱まっても。聞こえてくる音が小さく小さくなろうとも。
恐れるな。
「今日ね、お母さんを知ってる先生と話したよ。家庭科の先生」
「……あ、苗野先生?」
「うん。お母さんのこと心配してたけど、大丈夫って言っといた」
「……ありがとう」
お母さんに頭を撫でてもらう。電子時計が零に近づいていく。
その手が震えていると知ってるよ。知ってるけど言わないよ。
「いってきます」
「いってらっしゃい」
「気をつけて」
両親に見送られて、今日も穴を通っていく。
その暗い中で、私の頬は酷く痛み、目の前が霞んだのだ。
みんな優しくて、優しすぎるから、痛くなる。
明日は投稿、お休み日。
明後日投稿、致します。




