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僕らは痛みと共にある  作者: 藍ねず
第四章 不退転の決意編
134/194

肯定

2020/03/20 改稿

 


 何かの本で読んだ記憶がある。


 鴉には陰と陽の意味があると。神様からの御使いとしての伝言役。もしくは死の前触れとして現れる死神の代役。黒い見た目と賢い頭から様々な噂話が囁かれ、御伽噺おとぎばなしでは魔法使いの使い魔とかでも時々出てくるんだっけ。


 その鴉によく似た模様が浮かび上がった自分の右頬。


 一体全体どうなっているのか分からないし、触ると引きるように痛い。どうして何か起こってしまう日はこうも行事が盛り沢山かな。


 私は、泣語さんが渡してくれた植物の鏡に映る自分を凝視する。


 健康そうには見えない白い肌に、丸く見開かれた目。右頬には何度瞬きをしても消えない鴉の刺青のような痣。


 手の甲で拭おうとすれば刺されたような痛みが顔に広がったが、それを我慢して擦ってみる。けれども鴉が消えることはなく、私には響く痛みが追加されただけだった。


「……氷雨ちゃん」


 なんだよこれ、本当。


 今日は帰ってお母さんとお父さんに戦士について話して、説得して、安心してもらうって言う重要任務があるのに。と言うか今だって悠長にこの場にいるが、梵さんが目覚めたら容態を見て離れるか何かしなければ。ここに居れば明日アルフヘイムに来た瞬間から白と黒の戦争だぞ。


 あぁ、早蕨さんはどうしているだろう。鷹矢さんは、イーグさんは。恋草さんと淡雪さんはまだ森の中なのだろうか。


「氷雨ちゃん」


 そうだ私の目的は何だっけ。端的に考えろ氷雨。お前がするべきなのは三つ。


 一つは、明後日には作れなくなる祭壇を出来るだけ量産しておくこと。


 二つは生贄をあと二人集めてルアス軍に勝つこと。


 三つ目は決着が着く前に兄さんをこの手で殺すこと。


 優先順位は祭壇作成と兄さんだろう。兄さんを殺す前に他の戦士の人が決着を着けてくだされば、兄さんは光りとなって消える。


 いや、でも今生贄数が一番多いのはきっと私達だから、落ち着いて、祭壇建てて、兄さん殺して、生贄集めて。


 あ、今、兄さんはこの上にいる。しかし休戦状態でもあって、早蕨さんも一緒に。なら、いっそのこと――


「氷雨ちゃん」


 呼ばれる。


 大きな声ではないけど、しっかりと私に届かせようと張られた声で。


 気づいた私は鏡から目を逸らし、帳君が手を握ってくれていたとそこで気がつくのだ。


 目が合う。真っ直ぐ私を射抜く茶色い瞳と。


 私は自分の呼吸が早いことにも気づき、泣き出しそうな祈君にも気がつくのだ。


 あぁ、そうだ、私を観察眼で見てくれた祈君。


 そこから私の頬には痣が浮かんでいる。


「……ぇ、と」


 言葉を考える。そのせいで詰まった声を祈君はどう受けとったのか。


 彼の両目からは大粒の涙が零れ、ルタさんを抱き締めていた。


 その顔を見て、私は慌てて立ち上がる。帳君の手は離れていき、私は足に力を込めた。


「い、祈君、大丈夫、大丈夫ですよ。私は何も問題ありませんし、ぁの、色々考えて、力を使ってくれてありがとうございます。ほんと元気なんです。梵さんとの共通点だって何も考えてませんでしたし、だから、ぁの、そう、気に病まれずというか、心配なさらずと言いますか」


 慌てながらも伝えておく。


 祈君がしてくれたことは、梵さんと私が倒れたことを解決しようとする為の一歩だ。


 メタトロンさんに掴まれ、投げられたと言う事実を忘れていた。だから私にとってはありがたい刺激だ。


 この痣だって祈君のお陰で浮かんだのだろうし、見えないものは怖いが、見えてしまえば怖くない。今はちょっと驚いてフリーズしていただけだ。


 私の片手が自然と伸びて、祈君の頬を伝っていく涙を拭く。


 もう片方の手は彼の髪の黒い辺りを撫でてみて。


 申し訳なさで潰れてしまいそうな少年を、どうにか楽にしてあげたいと願うのだ。


「い、祈君、心配しなくていいよ……ありがとう」


 精一杯、伝えよう。貴方の涙が止まるように。


 抱かれているルタさんの頭にはパートナーさんの涙が落ちていき、心獣さんは目を細めていた。


「氷雨さん……貴方はいつも、祈を許してくださいますね」


 ルタさんに言われた私は首を傾げてしまう。


 いつもとな。いつもとは、いつだろう。考えても分からないので、私は仕方なく笑っていた。


「祈君はいつも、いつでも、良い子ですから」


「うぅぅぅ……」


 祈君の呻きを聞く。


 彼は痛いくらいに私の手を握ってくれた。


「ごめんなさぃ」


 君が謝ることは何も無いと私は思うのに。


 泣きながら私の手を握り締めてくれる祈君は、風雨に晒された小動物のように心元なかったから。


 だから気が済むまで、謝ることも、泣くことも、止めはしないと決めたんだ。


「ごめん、ごめんなさい、俺、何も役に立てないし、心配しか出来なくて……不甲斐なくて。メタトロンと何か関係してるんじゃないかって考え出したら、怖くて。梵さんにも氷雨さんにも、痛い思いしてほしくないのに……何も出来ない。悩みを増やしただけで、ほんと、なんで、俺、うぅぅぅぅ……」


「祈、そろそろ泣き虫なの直しなよ」


「ぅるさいルタぁ……」


「僕の頭がぐしょぐしょだ」


 呆れた声ながら、仕方がなさそうにルタさんは目元を和らげる。


 私は笑いながら祈君の頭を撫で続け、肩に留まってくれたひぃちゃんや、一緒に来てくれたりず君、らず君は何も言わないでいてくれた。


 三人から伝わってくる私への心配。分からない何かに対する不安に、どうすればいいのか困惑する感情。


 それを必死に飲み込んでくれている三人は、私の為をいつも考えてくれている。


 あぁ……優しいんだよな、本当に。


 涙が止まらない祈君は私に聞いてくれた。


「痛く、ない?」


「……触らなければ、痛くないよ」


「ッ、苦しくは?」


「ないよ」


「辛くは……?」


「ないよ」


 可笑しくて「大丈夫だよ」と笑ってしまう。


 祈君は鼻をすすりながら頷いてくれて、可愛くて仕方がないと思うんだ。癒しだなぁ。


「祈君はやっぱりどうして、優しいなぁ」


 頭を叩くように撫でて、目を丸くする祈君を見つめる。


 背中側から翠ちゃんと帳君が息をつく音がしたけれど、別に呆れという感じでは無かったのだ。勘違いかな。いや、きっと合ってるよ。


 思っていれば、翠ちゃんの横のベッドから衣擦れの音もする。


 脊髄反射で振り返れば、寝ぼけ眼の梵さんが濡れタオルを持った状態で起き上がっていた。


 起きてくれた。


「梵さん」


「梵」


 体の中心から末端へと安堵が広がり、梵さんと目が合う。まだ焦点があっていない、失礼ながらも幼さがあるような彼の雰囲気は落ち着くものだ。


 だから、その頭が勢いよく叩かれたことに大いに驚くんだよ。


「す、翠ちゃん……?」


 思い切り梵さんの頭を叩いたのは誰でもない、横にいた翠ちゃんだ。


「こっわぁ……」


 帳君は小さくボヤいており、聞こえているであろう彼女は梵さんの胸ぐらを掴んで揺らしていた。


「何なのよあんたは本当に。目が覚めたのに二度寝なんて、ふざけるのも大概にしなさいよ」


「お、ぉ、そ、れは、悪、か、った」


 揺さぶられる梵さんは、片言に拍車がかかった喋り方で翠ちゃんの頭を撫でている。


 翠ちゃんは「馬鹿」と眉間に皺を寄せながら怒っているようで、祈君の目からは再び滝のように涙が溢れ始めるのだ。


「そ、そょぎ、さ……」


「あぁ、祈、すまない、寝す、ぎた」


 覚束無(おぼつかな)い足取りで梵さんのベッドに顔を伏せた祈君。ルタさんは梵さんの頭に乗っていた。


 梵さんは翠ちゃんに胸倉を離してもらい、祈君の頭をこれでもかと優しい手付きで撫でている。


 それは祈君の嗚咽おえつを少しだけ大きくして、深呼吸する翠ちゃんは椅子に座り直していた。


 私は安堵から息を吐き、梵さんと不意に目が合う。彼は目元を下げると嬉しそうな雰囲気を滲ませてくれた。


「氷雨、無事で、良かった……刺青なんて、して、いた、か?」


 ……うーん。


「いえ……梵さん、ご無事で何よりです」


 苦笑しながら梵さんの方に向かって座り直し、泣語さんもベッドの同じ側に座ってくれる。


 灰色の彼の顔は今にも倒れそうなほど色が悪く、こちらが心配になってしまうのだ。


「メシアが刺青を入れるわけがないでしょう……うぅ、メシアの美しい顔が……なんだ、誰だ、こんな、あぁぁ殺す、絶対殺す」


「な、泣語さん……」


「? ならば、何故」


 梵さんが首を傾げて、泣語さんとは逆隣りに座った帳君が私の腰に腕を回してくる。抱き寄せられるようなその動作に意味があるのかは知らないが、微かに震える彼の腕を振り解けるほど私は人間が出来ていなかった。


 私はいつか言われた「距離感がおかしい」と言う話題を思い出しながら、帳君の言葉を黙って聞く。


「まだ全部仮定だからね。雛鳥、鉄仮面のことも観察眼で見てよ」


「ぅえ……」


「泣き過ぎでウケる」


 顔を上げた祈君の顔は文字通り、涙でぐしゃぐしゃになっていた。帳君は無表情で感想を言ってるし。ウケるって。


「僕が見るよ、祈」


 翼を広げたルタさんが梵さんの膝に下りる。


 ふくろうさんの双眼が輝いた瞬間、梵さんは「お、」と左の頬を触っていた。


 彼の手が離れる。そこには私に浮かんでいる痣と同じものが浮かび、私は泣語さんから植物の鏡を拝借した。


 鏡を見る梵さん。彼は首を傾けながら自分の顔を凝視し、最初に呟いたのは、


「かっこいい、な」


 だった。


「いや梵、そうじゃな、」


 我慢出来なくなったりず君が梵さんに言葉を投げた時、天井と言うか、エントさんの幹を突き抜けてやってきた黒い手達。


 それに掴まれた私達はお互いの顔を見て、何も解決していない現状に息をついてしまうのだ。


 考えることが多すぎる。


 私は急速に引き上げられ、周囲の状況を確認出来ないまま空へと吸い込まれた。


 さて、考えろよ氷雨。次の問題を。


 帰ったらシャワーを浴びたり着替えたりする前に、お母さん達が起きるのを待って、話をするなら場を少しでも和ませる為に珈琲でも淹れて。


 話の切り口は何にしようか。まずはアミーさんとの出会いとか。兄さんのことは黙っているのがいいのか、話すのがいいのか。いや、きっと話せばお母さんとお父さんに解決出来ない不安を植え付ける。


 考えて、床から黒い手に投げ出される。


 私はいつもの着地点であるベッドを見て、その前で腕を広げてくれている人を見るのだ。


 あ、


 理解とか、そういうの全部を置いて。


 落ちた私を抱き締めてくれた大きな体。


 ベッドの横にうずくまったお父さんが、泣きながら私を受け止めてくれた。


 黒い手が揺れて帰っていく。


 私は重ねて抱き締められ、初めての感覚に目を見開くのだ。


 お父さんの腕の上から私の頭を抱えて、体を抱き締めてくれるお母さん。


 あぁ、今まで、こんなにもお母さんを近くに感じたことはあったっけ。


「氷雨、怪我してない? 氷雨、氷雨……あぁ、氷雨……」


「おかえり、おかえり、無事で、氷雨、ほんとに……」


 手袋をつけたお母さんの手に何度も左の頬を撫でられる。


 お父さんは確かめるように私の手を握り締めてくれて、床に転がり落ちたりず君達は目を白黒させていた。


 見る。


 お母さんの真っ赤に腫れた目元を。


 お父さんの目から流れ落ちる涙を。


 私はお母さんの手に掌を添えて、お父さんの手を握り返していた。


 これでもかと、これでもか、と。


 苦しくなる。とても、とても。苦しくて、苦しくて――私の両目からも、涙が溢れたんだ。


「……ただいま」


 伝えて、二人の腕の中に顔を埋める。


 擦れて痛んだ右頬を無視して、カーテンの間から射し込む朝日から目を背けて。


「なんで、なんで貴方が、氷雨が、ディアス軍なんて……」


 泣きじゃくるお母さんの声を聞く。


「何を考えてるんだ、向こうの神はッ」


 涙が止まらないお父さんの台詞を拾う。


 あぁ、嫌な予想が当たった。当たってしまった。


 外れて欲しくて堪らなかった仮定が、肯定されたのを悟る。


 不安そうに首を横に振るりず君と、静かに瞼と尾を垂らしたひぃちゃんは何も言わないでくれた。


 私はお母さんの手を握り締める。目が合えば、無理やり笑って見せたのだ。


「この手は……祝福?」


 お母さんの指先が震える。


 それから間を持って、息も呑み、お母さんの横顔が射し込む朝日に照らされた。


「――そうよ」


 小さな肯定の声。


「そっかぁ……」


 私は奥歯を噛み締めて、膝に乗ってくれたひぃちゃん達を見るのだ。


 私はお母さんとお父さんから離れて、パートナー達を抱き上げる。お母さんは私の服の裾を掴んで、その顔は焦燥しきった色をしているんだ。


「何処にも行かないよ」


 笑ってみる。鼻を啜って、目元を拭いながら。


「どうやって説明しようかって考えてたけど……大丈夫だね」


 お母さんとお父さんに向き直る。二人の目の下に出来ている薄い隈は、睡眠不足とストレスだろうか。


 考えろ。もしも私に子どもがいて、その子が気づかない間に戦士に選ばれていて、アルフヘイムへ行く瞬間を見てしまったら。


 あぁ……眠れないよな。


 心配で、心配で……堪らなくなる。


「この子達ね、私の心獣なんだ。ドラゴンのひぃちゃんに、茶色い方がりず君、硝子の方がらず君」


「……はじめまして」


「……ん」


 パートナー達を紹介して、ひぃちゃんとりず君が軽く会釈をしてくれる。


 お母さんとお父さんも「そっか」と受け入れた声で頷いてくれた。


 もう泣くなと、自分に内心で呟いておく。


「……朝ご飯、食べる?」


 聞いてみる。


 お母さんとお父さんは顔を見合わせてから、何かを考えて頷いてくれた。立ち上がる二人を見る。


 あぁ、太陽が昇るのが早くなったな。


「そうね、準備しようか。うん、シャワーして来ていいよ、氷雨」


「……珈琲、淹れておくよ」


「……ありがとう」


 笑って二人を見上げておく。


 頬や頭を、震える指先で何度も確かめるように撫でられる。


 今まで有り得なかったこの距離は、ずっと望んでいた幸せは、余りにも陰惨な現実と共に私に与えられた。


さぁ、歯車が噛み合い始めた。


まずは、一つ目。

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