行先
2020/03/18 改稿
「お前飽きないの? 一度ならず二度までも。話すこととかないから」
早蕨さんと空中で対面した今。
一番に口を開いたのは帳君で、風の音が大きくなった。
何か答えた早蕨さんの声は聞こえない。希望を見ている双眼が瞑られる。
それに安堵するなんて。
帳君が腕を振れば早蕨さんの体が強く引かれる。驚いた早蕨さんは明後日の方角へと投げ飛ばされた。盛大に、迷いなく、歪みなく、鮮烈に。
早蕨さんの悲鳴が周囲に木霊し、その姿は遠く遠くなっていく。
この高さから落ちても彼の能力なら大丈夫だろうな。なんて、心配しない自分は成長したのか、人間味が薄れたのか。
分かりたくない私は考えるのを止め、突如熱された空気に反応した。
紅蓮が目の前に迫ってくる。
空気が焼かれる。
焼かれた空気を吸う。
肺が痛む。
浮かんだ汗が流れていく。
目の前をチラついたのは、もういない二人の笑顔。弾け飛んだその赤が私の理性を壊していく。
あぁ、止めて、嫌だ、嫌なんだ。
炎は色々なものを奪っていく。失いたくないものを灰にしていく。
赤い炎も青い炎も、宙に描かれたあの文字のように優しいだけではないと学んできた。
だからもう、炎に何も奪わせはしない。
「りず君、お願い」
「任せろ」
返事をくれたりず君が勢いよく変身してくれる。
大きな盾。硬く、硬く、大きく、何ものも通さないその盾は長方形のスクトゥムをそのまま巨大化させたような創作防具。
りず君は私の考えを受信して、後ろに素早く祈君達が入ってくれた。
私の刃は何よりも鋭く、私の盾は何よりも硬い。
思えばりず君が震えた気がして、らず君が私の肩で眩く光ってくれた。
――話をしましょう
そんな綺麗事は聞き飽きた。
――間違ったルールは、誰かが書き換えなきゃいけない
達成されなかった理想を見てしまったから。
私は奥歯を噛み締めて、りず君を力の限り振り抜いてやる。
業火を薙ぎ払え。熱を私の前に広げさせるな。その先へ進め。大丈夫、大丈夫、大丈夫だから。
赤い火の粉が勢いよく空中で飛散する。その向こうにイーグさんの姿はなくて、怪鳥は早蕨さんが飛ばされた方へ一直線に向かっていた。
敵軍よりも仲間を優先するか。うん、良いと思う。とても。その間に、私達はこの場を離れればいいのだから。
私を掴んでくれている風は強くなり、体が移動する。帳君の声がした。
「ありがと氷雨ちゃん。さっさと退散しようか」
「ハンググライダーなるか?」
針鼠に戻ったりず君が確認してくれる。
そうだな、うん、なってもらおう、ごめんね。
首を縦に振ろうとすれば、先に聞こえたのは帳君の声だ。
「別に良くない?」
同時に風が強く私を引き寄せて、帳君に両腕で抱えられる。
体の浮遊感が無くなり、それでも地面に落下することは無かった。
え、なんで。
驚きで言葉を失っていれば、背中と膝裏に回された腕に力が入れられる。顔を上に向ければ、帳君が無表情のまま私を運んでいるではないか。
「……帳君」
「……あ、嫌だった?」
何の意味も込めずに呼んでみれば、間を置いて帳君に聞かれる。
嫌?
嫌……と言うか、別にと言うか……。何でこういう状態になったのか理由が分からないって言うか。
「嫌、ではないですか……何故……重いですよ、私」
あやふやな考えのまま呟いておく。帳君は首を傾げると、飛ぶスピードを上げていた。
「なら抱かれてて。風使って何かを運ぶって結構疲れるし、早蕨光と会って気分だだ下がりだから。それにこうしてた方がりずを変えやすいでしょ? あと全然重くないし口調戻さないで」
「は、はぁ……すみません、ありが、とう」
真顔で言われると何とも言えなくなるのですが。
そんなことも言わず、彼の配慮を知って苦笑してしまう。
確かに、りず君にハンググライダーから別の物へ変わってもらうのは少しだけれどもタイムロスがある。
風に頼るのも帳君に負担があるとは考えもせず、申し訳ないことをした。
「ごめんなさい、気づかなくて。風、ありがとうございました」
我慢出来なくて謝罪する。そうすれば帳君のため息が間近で聞こえてきた。
「言ってなかったし、俺が運べるって元は言ったんだよ。今は小休憩。謝らないで」
「は、はい、ぁ、ぃや、うん」
抱き直されながら言われて私は頷いておく。
これ以上無駄口叩くと堂々巡りになりそうだし、もう黙ろう。今の帳君は敬語を使われたくない気分らしいし。
翠ちゃんと梵さん、元気かな。早蕨さん達から少しでも距離を取りたいのですが。
帳君とのトーク画面に残った早蕨さんからのメッセージを思い出す。長く仰々しい文言の中でも、印象深い単語を掻い摘んで。
―― 俺は、君達を死なせたい訳ではないんだ。
―― 一緒に生きられる道を探したいだけなんだ。
―― 誰もが生きて歩める道。
あぁ、なんと輝かしい理想だろうか。
私は理想なんて抱けない。抱いたところで打ち砕かれる先を見てしまったから。
絶対的強者。私達の力は所詮借り物。タガトフルムからこちらに引き寄せられた、意志を求められない駒。
どれだけ崇高な目標を掲げて夢を描き、それを叶える為に進んだとて、結局は砕かれるのだ。
青い髪が瞼の裏で揺れる。それを思い出したくなくて、何も返事をくれない兵士さんは今どんな顔をしているのかと、苦しくなるんだ。
早蕨さん、早蕨光さん。
私は貴方と話したくない。
自分が悪だと知っているから。悪だと知っていながら進もうとしているから。貴方はそれを阻むでしょう。許さないでしょう。何故だと強く問いかけてくるでしょう。
みんなが正しいと喝采する道を私は歩めない。
歩んだところでどうにもならない。
結局誰かは死んでしまう。どちらかの軍の戦士は忘れられる。それを知っているから。嫌になるから。私は生きていたいと思って、自分を守りたいと思ってしまったから。
だから兄を殺すと決めた。彼の最期を目に焼きつけると決めた。
時沼さんも、屍さんも、祈君のお兄さんだって。私は私の為に殺してみせる。殺して罪を背負ってやる。背負って生きてやる。
生贄を集める。六人祀る。いや、最悪この祀ると言う行為は私達ではなくともディアス軍の誰かが成してくれれば良い。
いったいどれだけの人が祭壇作成が停止されると知っているかは分からないし、こんな広い世界で出会えたことだって今までないけど。
きっと何処か、私達がまだ知らない地の果てで努力してくれている同軍がいる。
その人達を裏切らない。裏切れない。人数は知っているだけでも四人減った。
二十九人のディアス軍の戦士。私達を除けば残り二十四人。それだけの人数で生贄を六人集めればいいんだろ。
分かるか。分かるか。祀る時の冷たい祭壇の空気を。鎖で縛り上げられた生贄の姿を。それを見る度に軋んでしまう自分の弱さを。
知らないだろ。救えば勝てるルアス軍よ。そんな貴方達でも、救いたいと願った戦士達はもういない。
私は奥歯を噛み締めて、隣に並んでくれた祈君と泣語さんを見るのだ。
「……氷雨さん、お兄さんと出会うよりも先に生贄を六人集められたら、どうする?」
祈君に確認される。その時どうするか。
私の頭の中で構築している順序と入れ替わってしまった時。
私は笑いながら、祈君を見ずに答えていた。
「……六人目を祀る前に、兄を探して殺しに行きたいかな。六人集めたと宣戦布告して。祭壇まで来て貰えたらそこで決闘、来なければ探し出して決闘……兄の最期を看取った後に六人目を祀る……でも、いいでしょうか」
「……うん、いいよ、俺は良いと思います」
祈君を見る。彼は眉を下げながら「凄いね」と笑ってくれた。
凄くなんてないよと、言いたい口は開いてくれない。声が震えそうだと思ったから。
あぁ、喋り方がぐちゃぐちゃだ。頭の中もぐちゃぐちゃになりそう。
「その理論なら他のディアス軍にも先を越されないのが一番だけど、そこは運だよね。今の所一番生贄数が多いのは変わらず四人だし。ルアス軍も意地見せてる」
帳君に言われ、私は首を縦に振る。
他のディアス軍の方に先を越されれば兄を殺すことが出来なくなるが、そこはルアス軍の底力で今の所起こっていない。
あぁ、滑稽だな氷雨。
勝ちたいと願いながら、兄を殺すまでは決着をつけようとせず。
他のディアス軍が生贄を集めきれていないことを、ルアス軍の努力の賜物だと賞賛する。
阿呆らしい。なんと自分勝手な思考だよ。
私は自分を嘲て、帳君の腕には力が入っていた。
泣語さんは何も言わない。最近そういうことが多い。私を見つめるその黒い瞳は揺るぎなくて、何かを覚悟していると見て取れる。
泣語さん、貴方も最後には私の敵になるんです。殺し合わなければいけないのです。
貴方が約束通り生きることを諦めず、私の前に立ち塞がった時、私も死ぬ気で刃を振るおう。
貴方の最期も私の腕の中にしてみせよう。
覚悟は揺るぎはしない。揺るがせなどしない。
思った時、私の補助されている鼓膜は――雷の轟を拾った。
み、ぎ、ッ
「帳君!!」
「どうし、ッ!!」
りず君に変形してもらって防ぐよりも先に、帳君の右肩を閃光が掠めていく。
地面から空に向かって高々と上がる雷電。
普通ではありえないことが目の前で起こり、帳君の体勢が崩れていた。
怪我、掠め、大丈夫、血、なしッ
「帳君……ッ、無事!?」
「無事だよ、無事、心臓はやっばいけどッ、逃げるって選択肢はないよね!!」
「メシア!!」
「……ッ、氷雨さん、結目! 行こう!」
帳君が空中で体勢を立て直してくれて、私は地面に視線を走らせる。
泣語さんはいち早く葉を操って滑空の姿勢に入り、祈君も翼を畳んで声を上げてくれた。
逃げるな氷雨。
覚悟を形に現す時だ。
下に広がる青々とした森の中に、早蕨さん達では無い白を見る。
白銀の狼。金色の髪。広がる黒い影。見慣れている整ったあの人の顔。
「――兄さん」
呟いて、私は帳君を見上げる。
お互いの視線が重なり、彼は私を離してくれた。
体が落下して風に乗る。それは私の体勢を整えさせてくれて、吹き荒れた突風に背後から体を押された。
関節が軋みそうになるギリギリの速さ。それに動きを預けてらず君が輝き、りず君は剣になってくれるから。
剣の種類は――グラディウス。
両刃である刀身と短い刃は、傷つける為に研ぎ澄ませた。
切っ先に迷いは乗せない。
私は口を引き結び、奥歯を噛み締めた。
木の葉を舞い散らせながら森に突撃し、そこにいる兄を見る。
彼は少しだけ、本当に少しだけ目を見開いて、私はりず君を握り締めた。
体の前で両腕を交差させ、兄さんの腕に纏われた雷より、白玉さんより、時沼さんの転移より、闇雲さんの手より、何よりも先に私は腕を振り抜いた。
兄さんが上体を傾けて鋒を交わす。
微かに指先には皮膚を傷つけた感覚が走り、私は滑りながら地面に着地した。輝く金の光りの粒を舞い上げながら。
顔を上げる。
振り返った兄さんの頬には一線の傷があり、私はりず君の持ち手を握り直すのだ。
赤が流れていく。綺麗な綺麗な兄の頬を。
彼はそれに指先で触れ、木々の上から降り注ぐ黒い雨を私は後ろに跳躍して躱すのだ。
「避けろッ!」
白玉さんの低い声が響き闇雲さんが影に入った瞬間、兄さん達も影へと沈む。
間一髪の所で避けられた祈君の刃は地面に突き刺さり、彼は木の枝に留まっていた。
影が移動する。
それを逃がさないように走り出した私の足は震えていた。
「あぁ、止めろよ、弱虫ッ」
自分を叱咤して、並走してくれる祈君と横目に視線を合わせる。上空を同じ方向へ移動する帳君と、数本木を挟んで横を飛ぶ泣語さんも確認出来た。
「氷雨さん、兄貴の首は――俺がとる」
祈君の言葉に鼓膜を揺らされる。
今度は顔ごと彼に向ければ、眉間に皺を寄せながらも笑う少年がいるから。
「考えたよ、俺、すっげぇ考えた。テストとかそっちのけで、物凄く考えた。考えて、吐きそうになるほど考えて……決めたんだ」
「……うん」
祈君に頷いて。
私はしっかり声を出してみせた。
「一緒に行こう」
「……お願いします」
二人で頷き合って、影を追う。
見失わないように、見失わないように、覚悟を迸らせて。
しかし突如として横から飛び出してきた別の白に驚いて、私達は足を止めざるを得ないのだ。
見えたのは背が高く体躯もいい男の人。
鉱石の谷底で梵さんと拳を交えていた人。
「おぅ、ちょっと待てお前ら!!」
よく通る低い声で制止される。祈君と私は顔を見合わせると、言葉はないままお互いの武器を構えたのだ。
「俺達、あんたに興味は微塵もないから」
「失礼ながらも、そこを通させて頂きたいです」
「あぁッ?」
目の前の彼――記憶が正しければ、淡雪博人さんと呼ばれていた人――のこめかみに青筋が浮かぶ。
そうだよな、まだ自己紹介もしあってない仲で興味無いとかそこ通せと言われたら、いい気分ではないよな。
でも、私達の言葉には偽りも社交辞令も無い。これが事実なのだ。
淡雪さんは前髪をかき上げながら、瞳孔の開かれた目で私達を見下ろしてきた。
「うちのリーダーがお前らと話してぇっつってんだ……興味がなかろうが何だろうが連れて行くからよぉ!! こちとら気絶させて引きずってやってもいいんだぜ!!」
あぁ、梵さんとは正反対のタイプの人だ。
思うけれども恐怖はない。恐れはない。
今まで幾度も恐怖と嫌悪にぶつかってきたから。
祈君と私は刃を構え、目の前で拳を握った淡雪さんから視線を外しはしなかった。
そこを退け。
殺したい人の元へ行くんだ。
邪魔はさせない。
「話すことなんて何も無いですね」
「情も正論も欲しくないんだよ。連れて行きたきゃ、あんたが言った通り気絶でも何でもして黙らせてみろよ」
「あーっとに、この……くそガキ共が!!」
私の足が地面を蹴り、祈君が飛び立つ。
淡雪さんも地面を蹴りつけ、らず君の輝きが増していた。
三者三様、一方通行。
方や、言葉で解決を望む尊き理想者。
方や、勝利と罪を背負う覚悟をしたリアリスト。
方や、慈悲と敵意を纏い動く暗躍人。
個々の痛みは、まだ交わらない。
明日は投稿、お休み日。
明後日投稿、致します。




