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僕らは痛みと共にある  作者: 藍ねず
第三章 盤上のしがらみ編
116/194

悶着

いや、ね、うんって話。

――――――――――

2020/03/11 改稿

 


 どんなスポーツや芸術活動においても、それを「行う人」と「見守る人」がいる。


 行う人は部員であり選手であり色々で、見守る人はコーチや応援者などこちらも様々だ。


 行う人は自分が望む結果を得たいからこそ努力して、必死になって。見守る人はどうすれば行う人の望みが叶うか考えることが意外と多いと思われる。


 そして今の私達も、きっとその関係なのだ。


 兵士さんが見守る人となり、私達戦士が行う人となる。


 その関係は利害の一致とはまた違い、どちらも理由はどうあれ「勝ちたい」がある筈なのだ。


 その勝ちたいの根元が違えば行いは違えるだろう。武道とかで言う所の流派が違うのもそんな感じだと、梵さんは言ってくれた。


「俺は、武道、細流(せせらぎ)一派(いっぱ)、に、名がある。あの、ルアス軍の、彼は恐らく、淡雪(あわゆき)(りゅう)の、次期当主、なの、だろう」


「うわ、マジであるんだ。そう言う一派とか」


「あぁ」


「思い出したのね、相手のこと」


「よく、試合で、当たっていた。と、この間、実家に、帰って、やっと、気づいたん、だ」


 梵さんは「申し訳ない、ことを、した」と呟き、腕には翠ちゃんが読み終わった資料を重ねられていっている。


 梵さん、実家の帰られたんだ、なんて思いながら。梯子に腰かけた私は梵さんの声と様子を確認し、手元の資料を捲るのだ。


 ――救うって言うのは誰を救いたいって話?


 アルフヘイムに来た時、帳君に問われた。私の肩に腕を回した彼は無表情で、けれどもきちんと聞く姿勢を持ってくれていた。


 祈君に翠ちゃん、梵さんもそうで、私達はスティアさんに了承をもらって再び書庫に入らせてもらった。泣語さんは「俺はちょっとシュスを回ってきますね」と今は別行動である。


 ――……兵士の方を、救いたいという話です


 書庫の扉を閉めて話し始めた。昨日から借りっぱなしの服の裾を訳もなく握ったり離したりしながら。同じように黒い衣装を纏っている帳君は話を整理しようとしてくれた。


 ――兵士を何から救いたいか。それがまずは大事だよね


 私の背中を叩いた帳君。私の手を握った彼は穏やかで、近くの棚から翠ちゃんが資料を出し始めた所から今の状態が続いている。


 翠ちゃんは黒いアルフヘイムの服を着たまま確認してきた。


「氷雨、貴方は勝利を二の次に置いているの?」


「いいえ、私が勝ちたいと考えているのは変わっていません」


 手元にある〈神の裁き〉と言う文字を目で追いながら首を横に振る。


 翠ちゃんは「そう」と頷いて、梵さんは棚に資料を戻していた。彼の肩にいるりず君は、針を伸ばして高い所の資料を戻す手伝いをしている。


「兄との、踏ん切りは、ついた、か?」


「……ついてないです」


 頭に浮かぶ兄さんの背中。


 私は空から降る剣に串刺しにされる最期を思い浮かべてしまい、そうなりたくないと胃が震えるのだ。


「それで、いい。そういう、ものだ」


 梵さんは肯定してくれる。


「祈も、だろう?」


 問う梵さんの目は優しくて、ひぃちゃんとルタさんに持ち上げられている祈君は頷いていた。腕に資料を乗せて滑空しながら。


 床に足を着いた彼は黒い魔法使いのようだ、なんてね。現実逃避かよ。


 赤い髪が揺れるのが見えて、それが染め直されているようには見えなかった。


「兄貴は昔からなんでも出来るし、なんでもするし、弟の俺より優秀って言われる人なんです。だから、兄貴がいなくなれば俺もちょっとは楽になるかな、なんて考えたことも一回や二回じゃないけど……家族で撮った写真とか、飾られた賞状とか、兄貴がいたっていうものが何も残らないのとか、俺は一人っ子だって親に言われるのとか……想像するだけで怖くて、正直俺は今、生贄集めが出来そうにない、です」


 祈君の言葉尻が萎んでいく。


 影に祈君を引きずり込んだお兄さんの顔を思い出し、私は言葉を探していた。


 どちらか勝てばどちらかは負けて。どちらかが生きれば、どちらかは死ぬ。


 単純明快な結果に私は胃が痛くなる。腹部を摩れば、「でもそれはさぁ」と宙で逆さまになって資料を読む帳君の声がした。


「どれだけ兄貴を嫌いだと思ってても、根底では好きって言う感情ありきの話だろ? もしその好きを嫌いに変えられないならお前は脱落だよ、雛鳥。氷雨ちゃんも」


 逆さまの帳君と目が合う。彼の茶色い瞳は私を射抜いて、その手は私が持っている資料に伸ばされた。


 祈君の憎らしげな声が鼓膜を揺らす。


「お前、またそんな言い方ッ」


「事実だよ。そうだな、踏み出せない二人は一個の祭壇の守護者でもしててよ。どうせ四ヶ月過ぎると作れなくなるみたいだし、保身で一つは確保しときたいよね。生贄は俺が集めるよ」


 帳君はそう言って笑う。私が腰かけている梯子の数段低い場所に手をかけて、足が床の方を向くように正して。


「はぁ?」


 祈君の嫌悪に満ちた声が響く。


 眉間に皺を寄せた彼は資料を机に置き、ルタさんとひぃちゃんを腕に抱いていた。翠ちゃんは彼の肩を叩きながら帳君を見上げる。


「もしそうなった場合、貴方は一人で生贄集めをするつもり?」


「まぁね。もとより、俺が同行して欲しかったのは氷雨ちゃんと鉄仮面だけだし。氷雨ちゃんが離脱すれば毒吐きちゃんは俺と同行なんてしないし、でも鉄仮面はその毒吐きちゃんがいないと俺には着いてこないでしょ? なら俺は一人でいいよ。その方が気が楽だ」


 飄々(ひょうひょう)と言いのけた彼が何だか遠くに感じてしまう。


「……帳君」


 私は自信が無いまま彼を呼び、こちらを向いてくれる茶色い瞳を見つめ返すのだ。


 ここに来て、戦士をして、人の目を見るのが嫌いではなくなった。まだ苦手ではあるが、目を見れば相手ときちんと向き合えると言う自己満足を感じられるから。


 帳君は微笑んで、その微笑みにチグハグは感じられなかった。


「氷雨ちゃんは勝ちたいし、兵士の奴らを救いたいんだよね? 何考えてるのか分かんないけど、俺達の為に何かしようとするアイツらを。それは何から救いたいの?」


 確認される。


 何から救いたいのか。


 私は彼らを、アミーさんを、一体なにから救いたいのか。


 ――君が、縁君に似てたから、硝子のハートだったから、ッ、心配で、心配で堪らないから、僕は君に、ッ!


 彼は隠した顔で泣いていた。


 ―― ぃきていてほしいって……おもうんだよ


 その原因は――


「この――競走から」


 統治争いだ。


 思って、考えて、帳君に伝える。


 彼は無表情になって私を見上げて、その耳では沢山のピアスが揺れていた。


「競走、ねぇ」


「……おかしいと思ったんです。この競走は。ディアス軍とルアス軍の統治権争いが核たる論題の筈なのに、私達はそれを行う為の駒である筈なのに、兵士さん達が私達の心配をするなんて。皆さんはチェスの駒に熱湯が降りかかったとして、それを素手で防ぎますか? 一つ駒が盤上から転がり落ちたからと言って、血眼に待って元に戻そうとしますか?」


 不安の煙が口から零れる。頭の中の言葉を声にする行為は苦手で仕方が無いのに、指先が震えるのに。


 肩にいるらず君が、輝いてくれるのが視界に入る。


 私は神の裁きを想像しながら口を動かしていた。


「兵士さん達の言葉が建前で、本当はこんな競走望んでいないのだとしたら。どうして違う世界の子どもに競走を託すのか。四ヶ月という期限は何なのか。違う世界の子どもに自分達の世界の命をどうこうさせるなんて、統治したいのに危険にさらして、矛盾しかないじゃないですか。そもそもどうして生贄を殺すか救うかなのか。競走をするにしたって、他にもっと競い方がある筈です。どうして負けた方の戦士が死ななければいけないのか。終わった先のタガトフルムで他言させない為? それならそう言った呪いの一つや二つあるのではないでしょうか」


 言葉が溢れ出て止まらない。このおかしな競走に対する不満が、危惧が、私の口をよく動かさせる。


 震える両手を握り合わせて、私はまたアミーさんを思い出した。


 ―― ぃきていてほしいって……おもうんだよ


 大丈夫、アミーさん。死なないから、死んでなんかやらないから。


「この競走のルールは、おかしい」


 口にしてしまう。ずっとずっと、考えないようにしていた文言を。私の喋りが止まれば部屋の中には静寂が落ち、私は呼吸が震えるのを感じていた。


「でも、俺達にはルールを書き換えるっていう権利もないよね」


 帳君に言われて私は頷く。


 そうだ、どれだけこの競走に嫌悪と疑問を抱こうと、私達にレールからはみ出す権利は与えられていない。


 そのレールを敷き直そうとするのが早蕨さん達で、逆方向に進もうとするのが海堂さん達で、隣のレールを壊そうとするのが兄さん達だ。


 私達は従順に進むことを今まで選んできた。選んでここまでやってきた。


 あぁ、何がしたいんだ氷雨。口からは自然と「すみません」の五音が零れて、握り締めていた両手を解いていった。


「俺達が勝つこと。それが兵士の救いだと思うんだけどな」


 意見をくれる帳君。


 そう、そうだ、私達が勝てば兵士さん達は救われる。


 けれども、それでもと、駄々を捏ねる自分が私は嫌いで仕方がない。


「それでは……次の競走の時、兵士の方はどうなるのでしょう」


「は?」


 梯子が思い切り蹴られる音がする。


「おいッ!!」


 祈君の切羽詰った声を聞く。


 私の上には影が出来た。


 浮いた帳君が私を無機質に見下ろしている。


 フラッシュバックしたのは、鉱石の谷底で壁を蹴っていた彼の姿。


 あぁ、馬鹿やった。黙ってろよ氷雨。


 私の奥歯が震えて鳴りそうになった。


「凩ちゃんさぁ」


 最近なかった名字読みにシフトチェンジされてしまう。


「どこまでお優しいの? 俺達の次の競走なんか気にかけたって利益ないね。俺達は自分のことだけで手一杯だ。それ、不毛って言うんだよ」


 いつかりず君が言った言葉が、帳君の口からも零れていく。


 私はらず君を抱き締めて、口角を上げてしまった。


 守る為に笑ったの、いつぶりだろう。


「……ぃや、すみません。その、兵士さんにとってこの競走は、牢獄のようで。これが続いていくのかと思うと、どうにも……やるせないと言いますか」


「だからって俺らには何も権利がない。生きる為に生贄集めて殺すのが絶対規則だ。凩ちゃん、君が心を砕くのは別にいいけどさ、抱えるのはその両腕で持てるだけにしときなよ」


 梯子が蹴られる。


 視界が揺れた。


「君は優しすぎる。ルール通り歩んではいるけど、いつそこから身投げするかって感じだよ。本当に……そういう所はアイツに似てるよね」


「……アイツ?」


 誰の事か分からなくて聞き返してしまう。


 帳君は目を細めて、私が言って欲しくない名前を口にするんだ。


「早蕨光」


 ――反射だった。


 気づけば頭が沸騰したように熱くなって、帳君の――結目さんの胸ぐらを掴んでいたから。


 彼は目を細めて私の手首を掴み、梯子を今までで一番強く蹴ってきた。


 それでも、この掴んだ手は離せない。


「早蕨さんと私が? ……それだけは撤回を求めます。結目さん」


「嫌だね。自覚しろよ、優しい優しい凩ちゃん」


 ――誰も悲しませないことが、誰かの為を思って生きることが正しさです


 早蕨さんの声が反響する。


 私は奥歯を噛み締めて、結目さんの目を見つめ返していた。


 翠ちゃんと祈君の声が聞こえた気がしたが、梵さんが止めてくれたように思う。今、そこまで気は回せないけど。


「私は私の友達のことしか考えません。それ以外なんてどうでもいい。私は神にも仏にも、主人公にもなれはしないし、なろうとだって思わない」


「いいや、君は自分の兵士の神様になりたいんだ。この競走をどうにか壊して、自分達で最後にして、未来から兵士を守ろうだなんて言う傲慢な神様にね」


「籠の鳥をしてる友達に、泣かないで欲しいと思うことは傲慢かよ」


「誰も救って欲しいなんて言ってないのに、救おうと努力すんのが傲慢だっつってんだよ」


 結目さんに握られた手首が痛いと言っている。


 また大きな音を立てて蹴られた梯子は傾きかけ、それでも私は結目さんから視線を外さなかった。


 梯子を伝って体に痺れが走る。結目さんはチグハグに口角を上げていた。


「馬鹿なの?」


 あぁ、そうだよ。私は、馬鹿で愚かな人の子だ。何も出来ないし何をするにも勇気が足りない臆病者だ。


 それでも友達を助けたい気持ちだけは否定されたくなくて、私達の勝利と言う一時の安堵だけを残して、生きたくないと思ったんだ。


 そう、そうだ、私は傲慢だ。後から後から溢れる不安の全てを解消しなければ安心して進めない、最悪の奴だ。


 正しいのは結目さんだ。それでも、相容れないと思っている早蕨さんと同じだと言われたことだけは許せなかった。


 私は仲間が、友達が大切で。大切だから守りたいと思って。あぁ違う、この考えが既に傲慢なんだ。


 お城の外で花火でも打ち上げられたような音がする。私の補助された聴覚は「失敗だ」とか「やっぱりこの分量が……」と言う声を拾い、勢いよく開いた扉からはスティアさんが大きな籠を持って飛び込んで来られた。


「やぁやぁやぁ戦士の諸君!! 昨日返しそびれた服をお返しするよん!! あ!! さっきの外の爆発は気にしないでね!! 全然全く問題ないから!! タガトフルムには失敗は成功のもとってことわざがあるんでしょ!? それだからさー!!」


 部屋の空気をぶち壊してくるスティアさんは「鉱石を作る実験が失敗しちゃった! まぁ失敗に失敗を重ねて成功に導くのが私達であってぇ、てか空気重いけどスルーしちゃうね!!」と、弾丸のような勢いで話してくれた。


 部屋の至る所からため息が聞こえた気がして、私は結目さんの襟から手を離す。


「ゆくゆくは我らサラマンダーのシュスを観光地として出会い及び発展の場に!! そしたらきっとあの人だって立ち寄ってくれるに違いないのだよ!!」


「本音はそこでしょ」


 息を吐いた結目さんは私の手首を離さない。そのまま全員の服が入った籠を風で受け取り、スティアさんは感動しているようだった。目が輝くとはあのことか。


「いいねいいね!! 体感系戦士の力は十人十色! 君は風!? それとも空気!? どっちでもいいんだけど是非とも一回限界までその能力を酷使する様を見させて頂きたいわけで!」


「絶対やだ気持ち悪い」


 結目さんが笑顔で拒絶する。氷以上の冷たさを孕んだ声に私は口を結び、手は自然と髪を引いた。


 風が器用に空中で服を畳み、それぞれの手元に落としていく。結目さんは籠をスティアさんに返して「どーも」と笑い続けた。


「へぇ! 便利だねぇ便利だね!! それって頭の中で色々考えたら動くのかそれとも手で操作すれば勝手に動かせるのか気になる気になる気になっちゃう!」


「そのうるさい口塞いでくれる?」


 結目さんのこめかみに青筋が若干浮かんでるのが見える。彼は服を抱えて「着替えてこよー」と、黒い魔法使いのような服の襟を引っ張っていた。


 私の手首から酷い熱が離れていく。


「最初に通された服の部屋でいいんだよね? 使うよ」


「おーおーどうぞどうぞ! あ!! 他の子も着替えるかな!? だったら是非是非ヒサメちゃん! 昨日の続きで身長と年齢の反比例という事柄について!!」


「んな調査許した覚えねぇってば」


 昨日よろしく再び手首から紐を伸ばしたスティアさんに「ぃやぁ……」と零す。りず君はすぐさま止めてくれて、私は資料を棚へ戻した。


 頭から熱が徐々に引いていく。腕にある着替えを見下ろせば、翠ちゃんに呼ばれた。


 見ると彼女は服を抱いて、祈君の背中を叩いていた。


「私達も着替えに行きましょ。貴方達も、終わったらまたここに集合ね」


「……分かった」


「……いったぁ……」


 梵さんと祈君はそれぞれ頷き、私は梯子を下りる。私の方に戻ってくれたひぃちゃんと、その尾に掴まったりず君が肩に乗ってくれた。ひぃちゃんの首を撫でる。


「……ごめんなさい」


 口からは自然と、その言葉が零れていた。


 歩き出そうとしていた翠ちゃん達は止まって、私の頭を撫でたり肩を摩ったりしてくれる。


 あぁ……くそ。


「……順序が違いました。まずは私達の勝利が必須です」


「そうね。それを見失ってないなら良いわよ」


「うん」


「……俺は、氷雨の、意見に、賛成だ」


 顔を上げる。梵さん達は私を一心に見つめていて「また、後で、話を、しよう」と、書庫を後にしたんだ。


 足が重いけど、それは自分のせいだ、歩け氷雨。


 何か言いたげに口をもごつかせたスティアさんに会釈し、私は翠ちゃんと一緒に更衣の部屋へと向かった。


 その間、翠ちゃんは何も言わないでくれた。それだけで呼吸が出来るなんて、私はつくづく弱虫だと実感する。


 スティアさんは翠ちゃんと私が着替えるのに着いてきて、終わるのを待っていた。「何が言いたいの?」と静かに翠ちゃんに聞かれた時に、サラマンダーさんはやっと口を開いていた。


「やったやっと聞いてくれたね!! 実は君達以外のディアス軍がついさっきやって来て歓迎してね!! それから外であのルアス軍の彼と大乱闘を繰り広げているんだよ!!」


 その一言一句を聞き漏らしはしない。


 それでも言葉の意味を汲み取るのには時間がかかった私は、とつぜん割れた窓硝子の煌めきに目を痛めそうになった。


 見る。


 あるのは灰色の服と黒い髪の彼の姿。


 宙に舞った血飛沫は私の腕に飛び込んできた彼のもので、緑色の盾が破れているのが目に付いた。


「泣語さんッ!!」


 反射的に叫び、血だらけの泣語さんを抱き締める。


 彼の両腕は切り裂かれた跡があり、その額からは血が流れていた。


「メシア……逃げ、て、くださぃ」


 呼吸が早い泣語さんが立ち上がろうする。


 その目の光りは失われていない。けれども手足は震えており、私は瞬時にハルバードになったりず君を掴んだ。


 翠ちゃんが手裏剣を握るのが目に入り、スティアさんは何故だか最高潮の喜びを見せている。それを気にしないままひぃちゃんは翼を広げて、らず君は泣語さんに治癒力補助を使ってくれた。


 窓硝子の破片を踏む人を見る。


 白銀の揺蕩たゆたう髪と、黒いタイトスカートのスーツ。白い珠の肌は美しく、両手に持たれたメスのような刃が日の光りを受けて煌めいていた。


 白い手袋をした手には赤い染みがつき、黒いピンヒールが破片を踏む音が鼓膜にこびり付く。


「グレモリー、殺した?」


「いいえ、まだよ」


 ――グレモリー


 それは、私達タガトフルムの住人ではまず聞かない名前。それでも女性はグレモリーと呼ばれ、その横に現れた男の人を私は知っているのだ。


 兵士と話が通じると信じていなかった人。


 ボイコットを進めようとしていた人。


 最近、タガトフルムでの活動を休止してるって耳にした人。


「――海堂さん」


「氷雨ちゃん――久しぶり」


 濃い紫色の瞳で微笑んだ、海堂かいどう麟之介りんのすけさん。


 彼と同じ目の色をしたグレモリーさんは、数を増やしたメスを投げ放つ。


 私は目を見開きながら刃をりず君で払い落とし、翠ちゃんが瞬時に手裏剣を投げてくれた。


 それを躱した海堂さんとグレモリーさん。


 その紫色の瞳を見ないように私は心掛け、突然の襲来に奥歯を噛むんだ。


「氷雨ちゃんと、隣の子は初めましてだね。海堂麟之介です」


 海堂さんの声が反響し、スティアさんの嬉々とした歓声が聞こえた気がする。


「この競走を――終わらせる戦力を得に来ました」


 ――こんな競走には付き合えないって進言すればいいと思うんだ。全員が反旗を翻せば、きっとアルフヘイムの兵達も分かってくれる!


 そんな言葉を並べて、輝くように笑っていた彼はそこにはいない。


 いるのは、憎悪と言っても良さそうな、どす黒い感情に呑まれた雰囲気を持った戦士だった。



別に負けたいだなんて言ってない。

勝つことを前提にしてその先を見ていたいのに、彼女と彼の意見は合致しない。


殴り合いにならなかったことが小さな救い。


さぁ、一悶着してるところに爆弾が投下されましたよ。


明日は投稿お休み日。

明後日投稿、致します。


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