子鬼は逃げ出した。
とりあえず、このままではいずれ大地の神の加護がある事がバレて殺されることが判った。
早いところ群れから逃げ出さなければならない。幸いにして俺は狩人か職人のグループのうちどちらに入るか選ぶことが出来たので(どうも、力は子鬼の中でも低い方らしいが、素早さや器用さはそれなりに高いらしい)、狩人グループに入れてもらう事にした。外に出かける事が多いなら逃げ出すチャンスも多いはずだ。
と、思ってた時期もありました。
俺一人を指導するために大人が5人ついてくる。子鬼は子供のうちはとても大切に育てられる。若木は折れやすいから守る必要があるらしい。大変けっこうな風習ではあるが、今の俺の現状では迷惑なだけだ。ただ、技術を熱心に教えてくれるので助かってる部分もある。
そうこうしているうちに鹿の群れに出会った。弓の打ち方を教わってる大人のゴブリン「カシの葉」が俺の弓の状態が問題ない事を確認してくれる。
「ブナの根、こちらに来てあの鹿を狙ってみろ。大丈夫だ、オマエが撃ったらオレタチが仕留めてやる」
狙いを付けて、鹿の心臓めがけて矢を放つ。狙い違わず一撃で小型のではあるが鹿を仕留める事が出来た。
「ブナの根、オマエは弓矢の才能があるな。オマエが居ればワレワレの群れも安泰だ」
子鬼は働き手としてグループ分けされる時に名前が付けられる。俺の名前は「ブナの根」に決まった。名付けの際、集落の司祭である「ナラの幹」が「この子は大地と闇の神を結びつける大物になる予感がする」と嬉しそうに笑ってくれた。その嬉しそうな顔を見て、集落を逃げ出そうとしていることに心が痛んだが、このまま集落に残っていると俺に待っている運命は「死」でしかない。生きるためには仕方がないんだ。
今日の狩りは大成功で終わった。俺の弓の腕は大人と比べても遜色ないどころか既に集落でもかなり上の方らしい。職人達に調理を頼んで、弓の訓練と明日の準備までは自由時間だ。大人達は今のうちに甘露を分けてもらいに行き、俺はまだ母乳を完全に卒業してないのでそちらに向かう。
気が付いたんだが、ニンゲンは一発で廃人になるこの甘露も、子鬼にとっては酒か何か程度の効果しか無い。しばらく酩酊するだけで、普通にまた行動できるようになる。ただ、母乳を飲もうとしても甘露を見ても頭に物凄い警告が鳴り響くので、やはり俺は甘露が混ざったまま母乳を飲むわけにはいかないらしい。
母乳に満足したら、現在離乳中の同世代の子供たちはは俺が狩った鹿の丸焼きと木の実のパンを食べる。子鬼は夜行性なので一日の終わりの朝ごはんだ。
「ブナの根凄いな、オマエのおかげで俺たちは美味しい肉が食べられるのか」
「私が取ってきた木の実も美味いパンに焼きあがったよ、肉だけじゃなくてパンも食べてよ」
「シイの実ありがとう、戦う練習の後は腹が減って減って。今度俺もニンゲンのメス捕まえてくるから皆で子供作ろうぜ」
そんな他愛もない(?)雑談をしながら食事を済ませ、お腹がいっぱいになったら職人グループの所に行って作業を見物する。狩人グループの子なんで作業を習ったりする必要はないが、好奇心で他のグループを見に行く子供はそれなりにいるらしく、普通に色々教えてくれる。
これから先逃げ出した後の事を考えたら、皮のなめし方や器の作り方、食べられる木の実の種類や調理法などは覚えておかないといけない。
他の子鬼を連れて逃げる事も考えたが、ヤク中である以上どうにもならない。俺は毒が体に入らないように加護(恐らく大地の神の)を掛ける事が出来るのだが、他の子鬼の解毒のやり方が判らないし、万が一大地の神の加護があるとバレたら殺される。そんなリスクを負う訳にはいかない。
そんな日常に変化があったのは、そろそろ大人になる儀式を行わないとという雑談をしながらウサギを数匹狩って帰る途中の事だった。いつものように門番に立ってる戦士に獲物を見せて自慢しながら帰ろうとすると、カシの葉に停められた。
全くもって俺が油断していたわけなのだが、集落がある洞窟の入口周辺から何かが暴れたり打ち合ったりするような音が聞こえてくる。森の木々に身を隠しながら覗いてみるとニンゲンが俺達の集落に襲撃をかけている。
「このゴブリンどもめ、早いところくたばりやがれ」
「ニンゲンめ、ワレワレの住処を荒らそうとはゆるせん」
「魔法で援護します、巻き添えに気を付けてください」
「闇の神の御力を信じろ、甘露の力ある限りワレワレに負けは無い」
とりあえず、判った事がある。ニンゲンと子鬼の言葉はほぼ共通で、多少の発音の差しか無い事。ニンゲンは魔法を使う事、そして闇の神の甘露を食べてると再生能力が付く事。
ニンゲンの方が技量は圧倒的に上なんだろう、腕とか足とかはバッサバッサと切られているし、火の魔法で大やけどしてたりするが、首を落とされない限り死なないみたいだ。腕とか足は切り落とされてもすぐ生えてくる。
流石の回復能力にニンゲンも苦労しているみたいだが、それでもなおニンゲンの方が強い。一人また一人と集落の子鬼は殺されていく。それを見ていたカシの葉が散開して周囲から矢を射かけるよう指示を出す。
さて、どうしよう。あそこで殺されている仲間は俺が大地の神の加護を持っていると知ると殺しに来るだろう。でも仲間だった。一緒に暮らし、大切に育てられ、技量を学んだ。そんな仲間がニンゲンに殺されていく。
しかし、群れの子鬼と俺は仲間であり続ける事はあり得ない。俺が大人になって母乳を飲むことを止めれば甘露を飲まざるを得なくなる。もし拒否したら殺されるだろう。今ここで集落が壊滅すれば俺が生き延びる絶好のチャンスなのだ。
俺は悩み続け、結局悩んだだけで全てが終わってしまった。大人の狩人が一斉に矢を射かけたのだが、不思議な風のせいで矢は全く関係のないところに落ちていった。そして、俺は確かに見た。
ニンゲンの集団の中の一人の上に不思議な風を纏う「何か」が居たのを。
その瞬間、俺の足元の地面の下に不思議な土を纏う「何か」の存在を感じた。先ほどの風を纏う「何か」は風の神の使いで、俺の足元に居る土を纏った「何か」は大地の神の使いなのだろう。今この瞬間に俺は大地の神の司祭として目覚めたのだ。
司祭として目覚めてみると、大地の神の奇跡の起こし方は理解できた。無敵になってこの場のニンゲンを蹴散らすほどの力は恐らくない。ただ、自分の身を守るくらいの事なら充分に出来そうだ。
俺は祈り、大地の中に溶けた。いくらニンゲンが光の神や魔法で探したとしても、大地の中で一体化している俺を見つける事は出来ないだろう。しかも、俺は大地の中でゆっくりではあるが移動できる。こちらから手を出すことは出来ないが向うも地面に目が浮いているだけの俺を見つける事はほぼ不可能だろう。
ただ、悲しい事にカシの葉達は全員ニンゲン達に切り刻まれて殺されてしまった。今の俺なら助けてあげてもその後逃げ切る自信があり、命の危険があったとはいえ集落の子鬼はやはり家族だった。ニンゲンの敵だし、俺を殺しに来る危険があるのもその通りだが家族を殺されるのはやはり許し難い。
集落の子鬼たちを少しでも救う事が出来ないかと思い洞窟の入り口に近づいていくと、既に手遅れだったらしく血まみれの人間たちが奴隷だったニンゲンを連れてきた。恐らく洞窟の中の掃討が終わったのだろう。奴隷は放心しているのが半分、あとの半分はブツブツ言ってたり甘露をくれと叫びながら暴れたり、骨と皮だけになってガダガタ震えていたりと禁断症状が出ているのが半分居た。
俺は大地と一体化して隠れながら、ニンゲンに近づいて彼らの話を聞いてみた。
「やはり闇の力で正気を失っているか」
「もはや光の神の神殿で浄化してもらい、神の御許にお送りするしかあるまい」
「仕方ない、レイサム彼らを縛ってくれないか?」
恐らくレイサムという名前なのだろう、革の胸当を付けた軽装備の男がロープを出して奴隷だったニンゲン達を手際よく縛っていった。
俺たちの都合で使いつぶしていたニンゲンが、結局殺されるしかないというのは不憫ではないか。ましてや俺の母親だったニンゲンがあの中には居る。子鬼は群れを家族として考えるので、親が誰かとは気にしないのが普通だが(どうせニンゲンだし)、俺は前世の記憶があるからか、やはり母親は特別だと考えてしまう。どうにかして救う事が出来ないだろうか。
そして俺は願い、大地の神はそれを叶えた。
洞窟を襲撃したニンゲン達は、まず意識を失った奴隷のニンゲンに驚き、命がある事に安堵し、そして俺を見て再度驚いた。
まあ、突然すぐ傍に子鬼が現れたらそれは驚くだろう、俺も驚いた、祈りによって得られる神の力はは別の祈りを叶えたら消えると知らなかったからだ。
向うが反応できるようになる一瞬前に俺は逃げ出すことが出来た。弓矢や魔法の準備ができる前に森に逃げる事が出来たのは幸運だったし、あの革鎧の男よりも俺の方が森の中では足が速かったのも幸運だった。
こうして俺は森の中へと逃げ出し。ただ、どうにかして一人で生きていけるようにならないと野垂れ死にだ。ほかの子鬼の集落に行っても大地の神の司祭になってしまった以上すぐバレそうだし、ニンゲンの集落に行っても子鬼は殺されるだけだろう。
やはりハードモードな鬼生に頭を痛めるも、そんな事で悩んでる暇は無かった。とりあえずねぐらをどうにかしないと。




