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浅葱の夢見し  作者: いろはうた
第一部
25/50

ルート2 



あなたのことがもっと知りたくて



あなたのそばにもっといたくて



あなたの特別な人になりたかった。



けど、なれなかった。



叶わない想いだと、あきらめようとした。



だから逃げたの。



忘れてしまいたかった。



あなたのことも。



あなたがあの人のことしかみていないことも。



幸せなあなたとの思い出も。



でも。



忘れられなかった。



気づけばあなたのことばかり考えている。



目を閉じれば浮かぶあなたの笑顔。



あなたの言葉を仕草をなにひとつ忘れられない。



でも、どうしようもなかった。



こんなにも想っているのに、あなたはあの人を選んだ。



私の想いに気づくことなく。



苦しい。



苦しい。



苦しい。



誰よりもただあなたに気づいてほしくて、



気づかれてはいけなかったこの想いをひたすらかくしてきた。



私は耐えられなかった。



だから逃げたの。



あなたの隣にいるのが私じゃないことを認めたくなくて。




ああ


――――私は悲しい







何よりもただあなたが大切だと


 

そう告げることを私は許されない








ねえ

 


 私を見て



 あの人じゃなくて


 

 

 私を



 ほかの誰でもなく



 ただ私を



 私だけを見て








あなたと出会ったのは



 偶然ではなく



 必然だと



 そう思えた。









あの日にすべてが変わった












私は耐えられなかった。




苦しくて



 言い訳をして



 どうでもいい理屈を作って



 逃げたの



 すべてから







 あなたから











そんな目で見ないで。



 そんな声で呼ばないで。



 心が揺れてしまう。




 勘違い、してしまう。







神よ



 

 どうか




 どうか




 罰するなら




 私だけにしてください




 すべて私が




 悪いのですから








いつからか



 あなたに呼ばれることが



 怖くなっていた



 私があの人の代わりなのだと



 絶望的なほど、



思い知らされてしまうから。








遠く離れて



 ようやく生きていける気がした。



 想うだけで、満ち足りている。



 そう思い込もうとしていた。



 でも、気づいてしまった。



 私は、愚かなほどに自分を偽っていたのだと。



 離れてもいいなんて



 ただの空言だ








あなたの腕の中で



狂ってしまいそうになる。






いっそ



狂ってしまって



あなた以外のすべてを忘れてしまえたら





どんなにいいだろう









うつけだ



絶対に『私』を見てくれない人を



恋しいと、思ってしまうなんて







愛しい人。



あなたは優しい。



だけど、今はその優しさは痛い。



その優しさも、言葉も、



あなたの全てが



あの人に



あの人のためだけに



無条件で捧げられる。





それがこんなにも苦しいから。










優しくしないで




あなたの大切な人は




私じゃなくて『あの人』だと




嫌というほどわかっているのに








――――――期待してしまうから







ずっと、あの人の代わりをしていよう。



――――――いつか、私の心が壊れるまで










本当は



 もっと前から理解できたはずだった。



 あなたは、絶対に私のものにはならないと。



 絶対に。



 だけど



 離れたくなくて。






 ―――――――――認めたくなくて。









あなたと過ごした日々は



 泣きたいほどに



 幸せで



 苦しかった。





 


 離れてもいいなんて



 代わりでもいいなんて



 空言にすぎない






―――ねえ、私を



ただ一人



―――――――――私だけを、見て。







ありえないって思っていた。




――――――あなたが来てくれるなんて。






何故、私をそんな目で見るの。





私が愛しくてたまらないというように。



私の愛を乞うように。





期待なんてしたくない。



あとで傷つくのは私だと







いやというほど、



わかっているから。







どうして。



こんなにも求めていた私への『愛』なのに



どうして、こんなにも――――――哀しいのだろう。



恋い焦がれることがこんなにも哀しいだなんて、知らなかった。



息が止まりそうになるほど、気が狂いそうになるほど苦しいだなんて。



苦しい。



苦しい。



苦しい。



優しいものが欲しい。



優しいものだけが、欲しい。

*「……うつけだわ」



なんといううつけ者。


こんな、どうしようもない『ハルナ』になりきれてすらいない娘のために、


あんなにも傷ついているのに、どうして。


…言霊を、使わなければならない。



―――本当に?


――――――言霊は影水月を守るための「道具」だ。


―――――――――すべてを失ってでも、使う覚悟はあるの?



誰かがそうささやいた気がした。


ヒタギを言霊で、それも、この言霊で救えば、カエデが『ハルナ』ではなく、


ただの分家の巫女だということがばれてしまう。


影水月を守れないかもしれない。


一族の幸せを、ハルナとホムラの笑顔を壊してしまうかもしれない。


ああ。


それでも。


――――――それでも。





――――――――――――やはりこの人だけは失えない。





カエデの霊力に反応して、左頬に青き証印が濃く鮮やかに浮かび上がる。


鎖の紋様。


影水月に縛られる分家の象徴。



『言霊は、影水月本家を守るときのみ使うのだ』



いつか言われた父の言葉。


たとえ自らが死に直面しようとも、影水月が危機にさらされるくらいならば潔く死ね。


決して己のために言霊は使ってはならぬ。


それが分家の掟。


見えぬ鎖。


自ら望んでまとった鎖。


大切な大切な、姉ハルナを、守るためにすすんで鎖に縛られた。


まさかそれを自ら引きちぎる羽目になるとは、とカエデはうっすら微笑み、


藍の瞳を鮮烈な青に輝かせた。





『静止』





「ぐっ…っ!」



頭上でシキが低くうめいた。


彼の体は目には見えぬ青き言ノ葉の力で縛られている。


式神たちが情けない声を上げて、次々に地に倒れていく。


印が浮かんでいる左頬が焼けるように熱い。


もとは濃い灰色であった己の髪は、銀の糸となって腕や足にまとわりつく。


ヒタギの目が見開かれる。


カエデは己の目と髪の色と、左頬の証印を強く意識した。


だけど、そんなものはすぐに気にならなくなった。


血まみれの長身が、ぐらりと傾いたのだ。



「ヒタギ!!」



すぐにシキの腕の中から抜け出すと、ヒタギの元へ全力で駆けた。


今にも地面に崩れ落ちそうになっていた体をなんとか抱きとめる。


彼の口からもれる荒い呼吸。


手のひらに伝わる濡れた嫌な感触。


己の手が紅のまだら模様になっているのが月明かりの中でもわかった。


カエデは血がにじむほど、唇を強くかみしめた。


どうしてもっと早くに決断しなかったのだろう。


どうしてもっと早くにこの人を選ばなかったのだろう。


カエデは、シキの方をまっすぐに見つめた。


彼の表情は、炎に照らされてよく見えた。



「シキ様」



これだけは伝えなければならない。



「あなたからの申し出は、私は本当に嬉しかった。


 ありがとうございます。


 私を好いてくれて。


 でも、ここにきて、初めてわかったんです。


 私の気持ちが、全部。


 それを、気づかせてくれて、ありがとう。


 ヒタギを選べば、私が苦しみぬくかもしれないのはわかっています。


 ですが、それでも私は……彼を、ヒタギを選びます」



ごめんなさいと、謝罪はしなかった。


カエデの言葉を最後まで聞いたシキは、


その顔にありとあらゆる感情をのせて、さいごにその唇に苦笑をのせた。




『軽化』




ふわりと支えているヒタギの体が軽くなる。


目の前が一瞬ぼやけて強く瞬きをした。


多数の式神と、陰陽師一人を言霊で縛り続けるには相当の霊力が必要となる。


足を一歩踏み出せば、体がぐらついた。


この二言で、思っていたよりも多くの霊力を使い切ってしまった。


ふらつきながらも、カエデは青き言ノ葉を再び『話し』た。




『加速』




地面を一蹴りすれば、一気に周囲の景色が後ろに流れた。


カエデは一度も後ろを振り向かえらなかった。












*「っはあ、はあっ」



強い言霊を幾度も『話し』たので、ほとんど走っていないというのに息が荒い。


ふらつきながらカエデは足を止めた。


足を包んでいた青い光の粒が霧散する。


ヒタギの体を覆っていた淡い青の光も闇に溶けるようにして消える。


とたんに重くなった彼の体をそっと地面に横たえた。


カエデが止まった場所は木や草むらに隠れてそう簡単には見つからないような場所だ。


シキもすぐには追いつけないはずだ。


カエデはすぐにヒタギのすぐ横に膝をつくと、その胸に両手をあてた。


彼の顔は死人のように色が失われている。


固く閉ざされたまぶた。


かろうじて温もりが残る血まみれの胸にカエデは『話し』た。




『回復』




印が左頬に浮かび上がり、再び左頬が熱くなった。


両手に鮮やかな青い光がともり、ゆっくりとヒタギの体に吸い込まれていく。


ぐらりと視界が揺れ、上体が倒れそうになったがなんとか踏ん張った。


まだだ。


まだだ足りない。


まだ、倒れるわけにはいかない。




『回復』




より強い光が両手に灯る。


冷や汗がとめどなく頬を伝って落ちる。


ヒタギの顔に少しだけ赤みが戻ってきた。


愛しい人。


私のために、こんなにも傷ついた人。


いや。


私のためではなく、本当は私の姉、ハルナのためだろう。


私はただの身代わり。


それでも、彼がこんなにも愛しい。


この人にささげよう。


この力を。


この、命を。


霊力はもうほとんどない。


あるのは自分自身の生命力だけだ。


ヒタギの命を救うには、これを直接彼に流し込むしかない。


カエデは、言霊を口にするために息を深く吸った。




『回ふ―――』



ぱしっと大きな手がカエデの手を掴んだ。


すっと青い光が両手から消える。


とっくに限界を超えていたカエデは、それ以上は姿勢を保てず、倒れた。


だが、覚悟していた衝撃はこない。


たくましい腕が抱きとめてくれていた。



「ひ……たぎ……?」


「もういい。


 傷はとっくに癒えた。


 それ以上やると、お前の身が危ない」



あたりまえだ。


たった今、死ぬ気でヒタギに霊力を注いだのだ。


どうせなら死んでしまった方が良かったのかもしれない。


そうすればヒタギがハルナを求める姿を見なくても済むだろうから。


しかし、唇からは心とは別の言葉が出た。



「私を…どうする気…?


 影水月に…帰すの…?」



分家の巫女だと先程の言霊で確実にばれただろう。


本当なら、四鬼ノ宮をたばかった罪として、殺されてもおかしくない。


だけどヒタギはそのようなことをしない人だと知っている。


知ってしまったのだ。


そっと彼の顔を見上げてみる。


霊力の使い過ぎでまだ視界はぼやけていたが、彼の表情は何とか見えた。


彼は、奇妙なものを見るような目で、その腕の中にいるカエデを見つめていた。



「…………何故…おまえを、影水月に帰さねばならない…?」



数秒の沈黙。


しばらく考えるようなそぶりをみせたあと、ヒタギは急に顔つきを険しくした。



「言っておくが、おれはおまえを影水月に帰す気などさらさらない。


 おまえが帰りたいといっても帰さない。


 おれの傍にずっといるんだ。


 おまえもそのつもりでいろ、カエデ」


「……うん」



帰す気がない、ということは、ハルナに恋い焦がれるヒタギを毎日一番近くで


見続けなければならない、ということだ。


カエデは細く息を吐いた。


でも、もうそれでもいい。


この人の近くに少しでもいられたら、それでいい。


そして、たまにカエデに声をかけてくれて、時々一緒にいてくれたら、満足だ。


うん。


……………………………うん?



「ねえ……ヒタギ」


「なんだ」


「今の言葉、もう一度言ってくれない?」


「なんだ」


「そうじゃなくて、もう少し前」


「おまえが帰りたいと言っても帰さない」


「…もう少し後」


「おまえもそのつもりでいろ、カエっ――――!!」



しまった、と言わんばかりの顔でヒタギは口を閉ざした。


だが、もう遅い。



「…どういうこと?」



問いかけても返事はない。


いつもはまっすぐに人の目を見る瞳が、今はあらぬ方向を向いている。



「……私の名前、知っていたの?


 もしかして、私が分家の巫女だっていうことも全部――――――」


「おまえは、分家の巫女だったのか!?」



…この心底驚いている顔からすると、カエデが分家の巫女だとは知らなかったようだ。


混乱して、うまく考えられない。


だけどこれだけは聞かなければならない。



「お願い。


 教えて。


 私の名前、どこで知ったの?」



横を向く顔が拗ねたようにぼそりとつぶやいた。



「…知るも何も、お前があの夜に教えてくれた」


「え?


 あの夜って?」


「おれがお前を湖から抱えだした夜だ。

 

 …まさか、忘れたのか?」


「い、いや、忘れて…ないけど…」



ますますわからなくなった。


これだと、ヒタギはカエデがカエデだと分かっていて


四鬼ノ宮に連れ帰ったことのなる。



「ヒタギは私がカエデだって知っていたのよね?」


「…そうだ」


「…知っていてなんで、私を連れて帰ったの?」


「お前をおれの婚約者にするためだ」


「……………は?」


「ゆくゆくはおれの妻になってもらうためだ」


「……」



なにか、いろいろと話がおかしい。


今、婚約者だとか妻だとかいう


奇妙な単語が聞こえた気がした。


たぶん気のせいだろう。



「……それで私の父上には、私を連れて帰るためになんて言ったの?」


「ここの巫女をよこせと言った」



 ……。


 ……。



「…う」


「う?」


「…うっつけぇぇぇぇぇっ!!」



カエデはまだうまく力の入らない手でぽかすかとヒタギの胸をなぐった。



「おい、なんだ。


 おれは何もしていないぞ。


 た、たたくな。


 痛い」



傷に手が当たったらしく、ヒタギが顔を歪めた。


だが、かまうものか。


この男のこの一言で、こんなにも泣かされた。


この一言で、さんざん勘違いして、


悩まされて、苦しまされたのだ。



「…ヒタギって本当にうつけね」



途端にヒタギが悲しそうな顔をした。


カエデはすさまじい精神力で前言撤回しそうになるのを我慢した。


顔がやたらといい男は、こういうところが厄介だ。



「…まあ、その言葉はあながち間違ってはいない。


 おまえに関してだけは、うつけと思われてもおかしくないことばかりしてしまう。


 おれにらしくないことばかりさせるのは、この広い世の中では、おまえぐらいだ」


「ヒタギ……」



……じゃ、じゃなくて!!!



「こ、根本的に、ヒタギの言い方が悪いの!!


 ヒタギは、その…私の父上に、わ、私との婚約を申込みに言ったんでしょう?」


「ああ、そうだな」


「それならもう少し言い方があるでしょう!


 それに、”巫女”っていうあいまいな言い方じゃなくて、”カエデ”って名前で言えばいいじゃない!!」



影水月で、巫女、と言われたら、真っ先にハルナの名前が誰でも

思い浮かぶだろう。


なにしろ、影水月本家の大巫女だ。


しかも、”よこせ”と言ったら、敵方の神社が大巫女を欲しているようにしか聞こえない。


(勘違い、するわけだわ…父上が…)


だが、予想と反してヒタギは首を横に振った。



「それはあまり意味がなかっただろう」


「…え?」


「あの夜、おまえが身に付けていたものは、上等のものばかりだった。


 それに、おまえからは霊力を持たぬおれでも膨大な量の霊力を感じた。


 それだけでも、おまえが影水月のかなり高位の巫女だと容易にわかる。


 そんな娘を、影水月がたやすく手放すとは思えなかった。


 それも、敵方の神社の、霊力を一切持たぬ忍びなんかと婚約させるとはとうていな」



確かに、カエデは分家の大巫女だ。


ハルナの次くらいには、霊力を多く有する。


言霊使いとしても、カエデの右に出る者はそういない。


影水月にとっても多少とはいえ、損失には違いない。


しかし、ヒタギの今までの言動からいうと、あまり影水月の身分制度については詳しくないらしい。


どうりで、カエデが言霊を使ってもすぐには分家の巫女だと分からなかったわけだ。



「まあ、だから半分さらうようにして、連れて帰った」


「……そういう…ものなの…?」


「まあ……それもあるが…」



珍しく、ヒタギが言葉を濁した。


少し意地悪な気持ちになってカエデはヒタギにたずねた。



「ねえ、どうして?」



ふっとヒタギの唇が笑みを形作った。


こちらが問い詰めているはずなのに、立場が逆転してしまったような感覚。



「これ以上、おまえから離れているなんて俺には耐え難かったからだ。


 この瞳も、この髪も、この吐息もおまえの全てを、一刻でも早くおれのもにし――――――」


「いやあああああああああっ!!


 わかったから!!


 十分すぎるくらいわかったからやめっ、やめて!!」



涙目で真っ赤になって叫ぶと、ヒタギは心底楽しそうにカエデの顔の至近距離で笑った。



「くくっ。


 やはりおまえはおもしろい。


 すぐ赤くなる」


「だっ、だっ誰のせいよ!?」



甘かった。


ヒタギをからかってみせようとするなんて、自分にはまだ早かったのだ。



「ああそうだ。


 いい機会だから、どうしておれがおまえを妻に欲しいと思ったか理由を語ろうか」


「いっ!?


 いいいいいい、いいです!!


 結構です!!


 遠慮します!!」


「まず、全ての始まりは…」


「人の話を聞いてよ、ねえ!?」


「あの夜だ」



急にヒタギの声が真剣みを帯びた。


青い青い瞳。


真しか伝えない深く鮮やかなその色。



「あの夜、おれは長期の任務から四鬼ノ宮に帰ろうとしていた。


 だがさすがに疲れていたから川で顔でも洗って休もうと思い、影水月の森をさまよっていた。


 すぐに水の気配を感じ取って、おれは湖にたどり着いた。


 そこで………おまえを見つけた」



ヒタギの腕が強くカエデを引き寄せた。


ぎゅうと頬が、ヒタギのむき出しの胸板に押し付けられる。


温もりがただ愛しい。


体勢がかなり恥ずかしかったが、ちっとも嫌だと思えそうにもなかった。


むしろずっとこうしていたいとさえ思える。


もう、そう思うことに罪悪感はない。



「最初は月の女神が湖に舞い降りたのかと思った。


 それほどまでに、月光に照らされたおまえは美しかった」



いつもだったら、恥ずかしくて話をさえぎってしまうところだが、カエデはただ黙っていた。


何故、姉のハルナではなく、カエデを選んでくれたのか知りたかった。


何が彼女とは違うのかを。



「おれは、しばらくしてからおまえが月の女神ではなく、人間の娘だと気付いた。


 何故かわかるか」



カエデは首を横に振った。


すると大きな手がそっと頬に添えられた。


長い指がカエデの目尻のあたりをそっと撫でる。



「おまえは、涙を流していた」


「泣いて…いたの…?」



あの時はただ夢中で髪結い紐を取ろうとしていた。


自分が泣いていたのかなど、まったく気にしていなかった。



「女神のごとく美しい娘が泣いているのは変な感じがした。


 それで、おまえが人間だと分かった」



奇妙な理由だが、女神女神と連呼されたため、頬の熱はなかなかひかない。


だが、ヒタギの話はこれで終わらなかった。



「そのあとだ。


 おれは、これ以上進むと危険だ、とおまえを止めた。


 おまえはおれを見上げてくれた。


 その時の涙にぬれたおまえの瞳をのぞきこんだ。


 それだけだ。


 それだけで、おれはおまえに心を奪われた。


 一瞬でおまえに囚われた。


 おまえという存在に縛られてがんじがらめにされた。


 おまえの髪の毛の一本から涙の一滴までおれのだけのものにしたくなった。


 泣くのならおれのためだけに泣いてほしいと強く願った。


 まあ、あれだ。


 自分で言うのもなんだが、いわゆる一目ぼれ、というものに近いと思う」


「………」



全身から湯気が出そうだったが、カエデは必死に耐えた。 



「私が見ただけで…?」


「それ以外にも理由はある。


 あの夜、お前は一度も笑ってくれなかった。


 おまえの心からの笑顔を見たいと思った。


 幸せにして、お前をいつも笑顔にしてやりたいと思った」



言われてみれば、あの夜、一度も笑みを浮かべなかった気がする。


真面目な顔で、幸せにしたい、などと言われると照れくさい。


なんだか余計に恥ずかしくなって、少しだけヒタギの腕の中でもがいてみたが、


彼の腕はびくともしない。


むしろさらにだきしめられる格好となった。



「決め手は…あれだな。


 おまえ、おれにおやすみ、と言ってくれただろう」


「う、うん。


 言った…と思う。


 それがどうかした?」


「いいな、と思った」


「…はい?」


「おまえが毎日おれの傍にいて、おはようとか、おやすみとか言ってくれたら、いいな、と思った。 


 そういうことで、おれはおまえを連れて帰り、おまえを将来の妻にとのぞんだわけだ」


「決め手、それだけっ!?」


「ああ、なによりもおまえに一瞬で心を奪われてしまった。


 さらったのも仕方あるまい」


「仕方なくないって!


 婚約には色々と手順が…」


「そんなに、待てない」



ヒタギの腕がさらに強く引き寄せてくる。


二人の間に合ったわずかなすき間さえもなくなる。


カエデの体はヒタギの体に押し付けられる格好となった。


ありえないほど、高速で脈打つ心臓の音が、たやすくヒタギに伝わってしまう。



「おれはおまえに惚れたんだ。


 わかるか。


 惚れたんだ」


「に、二回も言わなくてもわかるわよ!!」


「惚れたということは、おまえから片時も離れたくなくなり、常におまえを抱きしめていたくなり、


 少しでもながくおまえの傍にいたくなるということだ」


「そ、そうなの…?


 ……ううん…そうかも…」



たしかに、自分もヒタギの傍を離れたくない。


ずっと抱きしめてほしいとも願う。


この温もりを、とても愛しいと思う。


カエデはヒタギの顔を懸命に見つめた。 



「ねえ、ヒタギ。


 それならどうして、私の名前をずっと呼ばないで、私のこと巫女姫って呼んでいたの?」



これが、カエデが色々と勘違いしてしまった大きな原因のひとつである。


みるみるうちに不機嫌な表情になるヒタギにカエデはもう一度、どうして、ときいた。


あんなにも、真名を呼んでほしいと願った。


それは絶対にありえないことだといやというほど理解していながら、


それでも願わずにはいられなかった。


だからききたい。



「………おまえが、呼んでほしいとねだったら、呼ぼうと思っていた。


 おまえはあまり物欲がないから、物をほしがったりしない。


 おまえがねだる顔はきっとかわいいだろうし、


 おれはおまえにねだられてみたかった。


 ……だというのに、おれは先程カエデ、と呼んでしまい、


 かわいいねだり顔を見ることができなくなったわけだ」



そう言うと、ヒタギは拗ねたように横を向いた。


恥ずかしいやらあきれるやら怒りがわいてくるやらで、しばらく声も出なかった。


こんなどうしようもない、子供のわがままみたいな理由で勘違いしていた自分がうつけみたいだ。


カエデはためいきをついた。



「……ヒタギ」



呼べば、再び青い瞳はこちらを向いてくれる。


直接触れる肌からはしっかりと鼓動がきこえてくる。


恥ずかしいのに、なぜかとても穏やかな気持ちになる。


たくさんのことがあった。


ヒタギは、カエデをみつけてくれた。


カエデに出会ってくれた。


カエデが瞳の奥にかくすもの、姉への嫉妬と羨望、ホムラへの幼く淡い恋心、


誰かに愛されたいという強い願い、それらすべてを見抜いた。


一瞬で、カエデが必死に押し殺してきたものを、誰も気づかなかったものを、暴いてみせた。


それでもなお、カエデを求めてくれた。


崖から落ちて濁流にのまれたときも、ヒタギは助けに来てくれた。


自分の命をかえりみることなく、一切の躊躇もせずに、崖から飛び降りて、カエデをの手を掴んでくれた。


今回もそう。


シキからの攻撃を受け、瀕死の傷を負ってもなお、屈しなかった。


カエデをあきらめなかった。


ちょっとわがままで、不器用な優しい人。


なんでも完璧にこなせるくせに、


カエデのことに関してはうつけと思われてもおかしくないようなことばかりやる人。


ただ、ヒタギが愛しい。


ああ、私はこの人が好きなんだ、とカエデは想いをかみしめた。


ずっと言いたかったことを、カエデは口に出してみることにした。



「…ヒタギ」



こちらを見てくれる青い瞳に、ずっと言いたかった言葉を、唇にのせ、はなつ。



「わ、私…、ひ、たぎ…のことが…」



ヒタギは目を見開くと、あわてたように顔を近づけてきた。



「な、なんだ。


 おれのことがどうしたんだ」



先を促す言葉に、懸命に言葉を紡ごうとする。



「私、私…ヒタギのことが…」



限界だった。


真っ赤になった顔を隠すようにして、彼の胸に顔をうずめた。



「これ以上は無理です」


「おい!


 おれの理性をふっとばしかけて途中でやめるなど、なんの嫌がらせだ!?」


「だ、だって、こういうものは、男の人が先に言うものでしょう!?」



くぐもった声で反論すると返事が返ってこなかった。


不思議に思って顔を上げると目が合った。



「…おれに、愛の言葉を吐けというのか」


「なんで微妙な顔でこっちを見るのよ!?


 いつもどろどろに甘い言葉ばっかり吐いているくせに!」



ヒタギは一瞬黙ると、ふっと息を吐いた。



「…おまえが願うのなら、仕方あるまい」


「………本当に仕方なさそうに言うのね」



そう言いながら、カエデは静かにヒタギの顔を見上げた。


静かに愛しい人の言葉を待つ。



「………」



静かに待つ。



「…………」



…待つ。



「……………………」


「ちょ、ちょっと!」



あまりに心臓がどきどきしすぎ、爆発しそうになってがまんできなくなった。



「い、言うなら早く言ってよ!」


「すまない。


 真っ赤な顔で見上げてくるおまえが、かわいすぎて見とれていた」


「なななななな、なに馬鹿なこと言ってるのよ!?」


「馬鹿なことではない。


 おまえに見とれたのは事実だ」


「もっもういい!


 ヒタギなんかしらない!!」



そうどなるように言うと、カエデは再び勢いよく彼の胸に顔をうずめた。



「おい、すねるんじゃない。


 ちゃんとこっちを見てくれ。


 おれから目をそらすな」



せっかく赤くなった顔を隠したのに、大きな手が顔に触れ、カエデの顔を上げさせた。



「おまえはいつもおれを見ているといい。


 おれは、おまえの視線の先にあるものにすら妬きそうになる。


 それほどまでに、おまえという存在に夢中なんだ。


 ……こんなわかりきったこと、理解していなかったのか」


「ち、近い!


 顔、近すぎるよ!?」


「この程度で近いと言うとはな」



互いの息がまじりあうほどの距離でヒタギは艶っぽく笑った。



「さて。


 おれがいかほどにおまえのことを好いていて、愛しているのか、


 その身に教えねばならないらしい。


 …どうしてくれようか」


「お、教えてくれなくていいから!!


 言ってくれたらそれでいいから!!」


「そのようには見えないが…。


 素直ではないな…まったく」



…カエデのこの全身全霊で拒否している姿のどこを見てそうが言えるのだろうか。



「まあ、どうしても必要ないと言うのなら、おまえが先に言えばいい」



何を言えばいいのか、聞かなくてもわかる。


いつのまにか、また主導権がヒタギに移っていた。


お互い、似たもの同士ということだろうか。


おずおずとヒタギの目を見てみた。


彼の闇を閉じ込めたような黒髪が、はらりカエデの額に当たった。


しめやかな香の匂い。


抱きしめてくれる強い腕。


その、なにもかもが愛しくて、泣きそうになる。 


「氷滾」



言霊をこめて静かに愛しい者の名を口にする。



「私ね……」



荒くなりそうな呼吸を必死にならして、大切なことを唇にのせる。



「私、氷滾のことが、すっ、すすすすす…す」


「ヒタギさまああああああああっ」



突然聞こえてきた声にびっくりして、カエデは口を閉ざした。


首をねじって声のした方を見ると、


草むらのむこうからトクマとレイヤが駆けてくるのが見えた。



「二人とも…来てくれたんだ……って、ヒタギ?」



ヒタギは、無言でカエデを抱えたまま、立ち上がった。



「おおっ、二人とも無事みたいじゃん!!」



耳元でひゅっと鋭い音がした。


銀の光がわずかに軌跡を残す。



「って、おわっ、な、何するんだよヒタギ様!!」


「……」


「常日頃からおまえたちには胸糞悪い思いばかりさせられているが、今のは我慢できない。


 今のおれは人生史上最大級に腹が立っている。


 だから急所を狙って針を投げた」


「…死ぬ気で駆け付けたおれたちを殺す気で投げたんですね。


 ヒタギ様のお気持ちは全く理解できませんが、よくわかりました。


 お相手いたしましょう」



起こったことがあまりに一瞬で呆然としていたカエデはここでようやく意識を取り戻した。



「ちょ、レイヤなんで刀抜いているの!?」



しかも二本とも抜いた。


本気らしい。



「…ああ。


 その前に、そこの巫女はおれの後ろにやってください。


 ヒタギ様は、自分のことで精一杯で、そいつをかばうことすらできないでしょうから」


「え、ええ!?」


「何言ってるんだよレイヤ!!


 おれはやらないから、そいつはおれが預かっときゃいいだろ!!」


「え!?


 えっ!?」


「馬鹿を言うな。


 何故おれのカエデをおまえたちにやらねばならないのだ」


「ちょ、ちょっと、ねえ!」



だんだんと話がおかしな方向に流れていっている。


ここは話の方向性を修正しなければ。



「ねえ、私のことはどうでもいいから、やるなら早くやって!!」



言い終わるとカエデは誇らしげに胸を張った。


自分も随分と成長したものだ。


ところが、男三人は厳しい表情で一斉にカエデを見た。




「「「どうでもよくない!!!」」」




遠くでカラスがアーホーアーホーと鳴いたのが聞こえた。


次はエピローグです。

その後も何話か番外編があります!!

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