ルート1
*カエデはシキの絡みつく腕を全力で振り切った。
ただ、ヒタギのもとへと駆けた。
風を切って走る。
髪がふわりと後ろに流れる。
覚悟はできた。
自分の身など、どうでもいい。
それよりも、ヒタギの方が、ずっとずっと大事。
一刻も早くヒタギをシキから引き離さなければ。
シキから逃げなければ。
そのことだけが頭の中を埋め尽くす。
すぐさま追ってきたシキの手が背に迫るのを感じる。
カエデはそれにはかまわず、伸ばされた大切な人の腕をつかんだ。
この言霊は対象者と同じところにとばされたいなら、
対象者に触れなくてはならない。
カエデは誰にも聞こえないように、とても小さな声ですばやく言霊をつむいだ。
『転送』
じわりと左頬が熱くなる。
銀色に輝いた髪は炎に透けているせいに見えてほしいと彼女は祈った。
鮮烈な青に輝いているであろう瞳を誰にも、
特にヒタギに見られぬよう顔をうつむけた。
迫ってきたシキの指をすんでのところでかわす。
少しだけ、シキを見た。
彼はひどく傷ついたような、迷子のような顔をしていた。
カエデはシキの姿から目をそらした。
『四ツノ鬼により守られし宮へ』
口にするのは、四鬼ノ宮ノ古き名。
視界が一気に青に染まった。
気付いた時には、四鬼ノ宮の鳥居の前にいた。
ヒタギと二人で座り込んでいた。
だめだ。
立てない。
めまいがひどくて、手足にも力が入らない。
やはり、「転送」の言霊は、おそろしいほど体力と霊力を消耗する。
一人ならまだしも、二人も「転送」するとなおさらだ。
だけど、大切な彼の安否だけはなんとしてでも確認したくて、
カエデはなんとかヒタギの方を向いた。
「ひ、たぎ……だい…じょう………!?」
首に走る衝撃。
いつもならば気配で避けられるだろうけど、
今のカエデでは避けようも気配の察知のしようもなかった。
傾く視界に、ヒタギの手がゆっくりと自分の首から離れていくのが見えた。
ヒタギ、どうして―――――――――?
問は言葉にならず、意識は遠くなる。
最後に、一切の表情を浮かべないヒタギが冷たい月光に照らされて見えた。
*ひどく緩慢な動きでカエデは瞼を開けた。
靄がかかっているかのように意識がはっきりしない。
ぼんやりとした視界の中、部屋の造りから
かろうじて今自分が四鬼ノ宮の屋敷の一部屋にいることがわかった。
横たわっていた布団から起き上がろうとしたが、できない。
手足にまったく力が入らない。
…いや、まずそれ以前に。
「な、に……こ…れ……」
彼女の細い両手首と足首は、細い銀の鎖で、
暗く、広くはない部屋の壁につながれていた。
これでは、部屋の外に出られない。
ヒタギの安否を確認しなければならないのに。
だけど、いくらひっぱっても、見た目に反して鎖は全く切れない。
「…その鎖は、対忍び用の特注製だ。
そう簡単に切れはしない」
「ひ、たぎ………!!」
水のような声。
ヒタギが、いつの間にか傍に立っていた。
だけど、視界がぼやけてうまく彼の姿をとらえられない。
「それほどまでに必死に鎖を引きちぎりたいほど逃げたいのはどこだ」
「ひ、たぎ…。
か…らだ…は…?
だいじょう…ぶ…?」
「…そうやって、おれの心配をしているふりをして、油断を誘うつもりか」
「ひ…たぎ…?」
ようやくカエデはヒタギの様子がおかしいことに気付いた。
彼が発する空気があの夜とひどく似ていた。
ホムラが迎えに来てくれた、あの夜に。
触れればすべてを喰らいつくされる、
手負いの獣のようなまなざしにびくりと震えた。
ヒタギが ”男”であることを強く意識した。
彼がこちらに一歩踏み出してた。
思わず本能的に後ずさろうとする。
ちゃり、と小さな金属音がした。
鎖が動きを封じて、それ以上距離を取れない。
それでももがこうとするカエデを見て、
ヒタギはそれまで一切の表情を浮かべなかった顔をはっきり歪めた。
「…そんなに、いやか」
「……っ!」
一瞬で距離を詰められ、しゃがみこんだヒタギに強く両腕を掴まれた。
「やっ…だ、やめて…っ!」
「何故、それほどまでにおれを厭う……!?」
ヒタギが嫌なわけではない。
ただ、今のヒタギは、怖い。
あの夜と同じ。
カエデの知らないヒタギが露わになっていて、怖い。
そう言いたいのに、うまく言葉を紡げない。
「なんて娘だ……!
……おれのような、忍びの卑しい男は厭っておきながら、
かの皇子のような高貴で見目の良い若い男なら、
誰でもいいというのか…………!!」
ひどい、なんてこと言うの、って言いたいけど、言えない。
ひどい言葉をぶつけてくるヒタギの方が、もっと苦しそうな顔をしているから。
今にも、泣き出しそうな顔。
そんな顔してほしくない。
違う、って言いたいのに言えない。
シキについていった本当の理由を話せば、
私が『ハルナ』じゃないってばれてしまう。
――――――ヒタギが、もう私のことを見てくれなくなってしまう。
「…ああ、そういえば、おまえを迎えに来たとか言って、さらいに来た男がいたな。
あの男もずいぶん見目がよかったな」
押し殺した声でヒタギがつぶやくように言う。
ホムラのことを言っているのだろうか。
明瞭でない意識の中、カエデは必死に考える。
「あれは、おまえの、なんだ」
カエデは、びくりと震えた。
腕をつかんでくる力がさらに強くなる。
手加減も情けも容赦もない力。
彼はカエデにとって、今は、いや、今までもこれからも兄のような存在だ。
だけど、今、カエデは『ハルナ』としてここにいる。
彼女はにとって、ホムラは、婚約者だ。
…言わなくてはならない。
カエデは弱弱しくヒタギの瞳を見つめた。
「…彼は、私の、婚約者。
私の、一番大切な人」
違う。
婚約者なんかじゃない。
私の一番大切な人は、今私の目の前にいて、私の腕をつかんでくる人。
「…私は、か、れが…好き……です…」
「……っ…!」
違う。
私の好きな人は………。
ヒタギの瞳の奥が見えた。
そして、カエデは自分の言葉が、これ以上ないほど深く彼を傷つけたのを知った。
こらえきれずに涙がこぼれた。
こんなこと、言いたくない。
嘘でも言いたくなかった。
まっすぐに、ヒタギを好いていると伝えたかった。
それに、こんなヒタギは見たくなかった。
『ハルナ』に想い人がいると知って深く深く心を傷つけられたヒタギなど。
その傷ついた青い瞳を手のひらでふさいでしまいたい衝動にかられる。
だけど、今両手は、その愛しい人に縛られて、少しも動かない。
ただ、ぼろぼろと涙だけがこぼれ落ちた。
「ああ…そうか。
そう、だったのか」
カエデのうつむいていた顔を、すっと長い指が上げさせた。
交わったまなざしの色が、一切の温かみをなくしていた。
ヒタギの瞳の奥は壊れて、凍りついてしまっていた。
それが溶けることは、もう二度とない、と本能的に感じ取る。
「おまえは……最初から、おれのことを少しも見てくれていなかったのか。
そんなに、泣くほどあの男が恋しくて仕方がないのか」
「ちが…」
「なにが、ちがう。
……現にこうしておまえは泣いている」
きしむような声に、胸が切り裂かれるような痛みを覚える。
ヒタギから感じるのは、まぎれもなく、嫉妬。
異常なぐらいの感情。
それほど『ハルナ』が好きなのだ、という事実にうちのめされる。
『カエデ』には、絶対にこんなこと言わない。
言ってくれない。
(……苦しいよ…)
本当だったら、今すぐこんな鎖、言霊で無理やり破壊して、ヒタギの襟をつかんで問い詰めたい。
どうして、私じゃないの。
なんで、姉上なの。
どうして『ハルナ』なの。
なんで『カエデ』じゃないの。
私の何がだめなの。
何が足りないの。
何が姉上に劣っているの。
ヒタギを想う気持ちなら、誰にも決して負けはしないのに。
ねえ、どうして。
どうしてなの。
だけど、できない。
こんなこと、言えない。
(…私は、影水月の『カエデ』に生まれてしまったのだから)
「…なあ」
ひどく静かにヒタギは言った。
「おまえは……おれのものだろう…
なあ…そうだろう……?」
彼はうわごとのようにつぶやく。
「その綺麗な目は、おれのことを映すためだけにあるのだろう…?
……だというのに、おまえはおれ以外の男ばかりをその瞳に映す…。
…………許せぬな」
その抑揚のない平坦な声の調子にぞわりと肌があわだつ。
思わず彼から離れようとしたが、ちゃりちゃり、と鎖が鳴るだけで、ほとんど身動きが取れない。
「ほら……また、おれから逃れようとする。
だから、こうして屋敷の奥に縛っておかねば。
おまえがもうおれ以外の男を見ずに済むように。
おまえを誰かにとられずに済むように」
カエデを見ているようで見ていない虚ろな壊れた瞳に、
自分の怯えきった顔がうつっているのが見えた。
ヒタギがすっと顔を近づけてきた。
互いの息がまじりあう距離。
「おれは、おれを映して輝くおまえの瞳を好いているというのに……。
まこと、おまえはおれを見ようとはしない…。
なら……そんな目は……いらぬよな………?」
「……っ……!?」
ヒタギの指が目元に向かって伸びてきた。
目を、つぶされる。
あまりの恐怖に体が動かなくなる。
しゅっ
布がこすれる音。
覚悟はした。
だけど、痛みはない。
代わりにヒタギの帯で目を覆い隠されたのだと遅れて気づく。
「ヒタギ…やめて…」
「…おれを拒むことは許さない。
ああ、まこと。
仕方あるまいな。
おれのものだというのに、おれを拒むのならば………罰を与えねば」
視界が閉ざされているので、ヒタギが何をしようとしているのかが分からない。
「ひた…っ…!!」
カエデの白いのどにヒタギの唇が触れ、かみつくように口づけた。
小さく悲鳴を上げ、のけぞって逃れようとしたが、
鎖とヒタギに抑えられて逃げられない。
何度も執拗に首筋や鎖骨に口づけらる。
目隠しをされているので、闇の中からの刺激にカエデは長くは耐えられず、
やがてぐったりとその身を愛しい者の腕の中に預けた。
「まだ、だ。
まだ、足りない。
…もっと、あとをつけねば。
おまえが、おれのものだという証を…」
心を砕いてでも縛られることに、白銀の巫女はもう抵抗しなかった。
漆黒の忍びはますますその瞳を凍らせた。
いくら口づけても、白銀の巫女が手に入らないような気がした。
むしろ遠ざかっていく気がした。
指の間からするりとぬけていく感覚。
焦りと嫉妬が入り混じり、屋敷の奥で彼は歪になってしまった愛を持って
漆黒の忍びは、白銀の巫女を歪んだ愛の鎖で縛り続けた。
end
これですべてのbadendが終了いたしました。
次はついについにhappyend!!
ラストを飾ったのは、ルート1 『転送』の言霊を使う
これが何故、badendなのか。
それは、これが「逃げる」ために使う言霊だからです。
この「転送」の言霊は、現代語で言うと…時空間移動、ワープ、瞬間移動、みたいな感じです。
一瞬でその言霊使いの行きたい場所にいけます。
しかもこれ、術の作用がほんの一瞬なので、カエデさんの目や髪の色が変わっても、
それも一瞬なので、カエデさんが分家の巫女だということもばれません。
カエデさんは、ヒタギさんに真実、
つまり、自分がただ『ハルナ』の身代わりとしてヒタギのもとにいるのだ
ということを彼に知られたくなくて、あえて、「静止」の言霊でなく、
「転送」の言霊を使ったということです。
真実を知られて、彼が自分に見向きもしなくなるのが怖くて仕方がなかったんですね。
それに対して、静止の言霊は、威力が強い言霊ですので、
使えば闇の中で光を放つほど髪や目の色も変わりますし、頬に印も浮かびます。
術の作用もその言霊使いの霊力が尽きるか、その言霊使いが言霊を「話した」対象者から
一定の距離をあけるかしない限り、言霊の作用は続きます。
つまり、分家の巫女だとばれるんですね。
確実に。
皆様ももうお分かりかと思いますが、happyendのルートは、
ルート2の「静止」の言霊を使う、です。
・分家の巫女だとばれてでも、大切なヒタギを守る覚悟があるか。
・分家の巫女だとばれて、影水月(故郷と家族)を危機にさらしてでもヒタギを選ぶ覚悟があるか。
・全てから逃げず、立ち向かう、向かい合う覚悟があるか
この三つの覚悟が重要ポイントとなります。
カエデさんは「静止」の言霊を使うか使わないかで、
家族とヒタギの『ハルナ』への愛を選ぶか、ヒタギ本人を選ぶか、
天秤にかけて……ヒタギ本人を選ぶんですね。
皆様ならどうしますか。
もしもの話です。
今、目の前で、大切な愛しい恋人が殺されかかっています。
あなたには、その大切な恋人を助けるだけの、特別な力があります。
だけど、その力を使えば、家族が全員殺されてしまうかもしれません。
かといって、今すぐ助けなければその愛しい恋人は、「あなたのせいで」死んでしまいます。
皆様は、家族と恋人、どちらをとりますか??
十秒以内で決断できますか??
…少し残酷な質問かもしれません。
人の命の重さとは、はかれるものではありませんから。
でも、カエデさんはその選択を迫られました。
そして、もうすぐ書くhappyendでその重い選択をするのです。