番外編 さらわれてしまったようです
カエデさんがシキ様についていく少し前のころのお話です。
*カエデはゆっくりと目をさました。
目を開けたら、四鬼ノ宮の見慣れた天井が……見えなかった。
「え、あれ!?
……って、痛い…」
顔をしかめる。
手を背中の方で目の粗い縄で縛られているため、手首がひりひりする。
カエデはまばたきを繰り返した。
「ここ……どこ……?」
薄暗い納屋のようなところにカエデは手足を縛られた状態で座らされていた。
見たことがない納屋だ。
置かれている鍬や鎌は、さびていてぼろぼろだ。
貧しい農民の道具小屋……だろうか。
のどがひどく乾いている。
カエデはぱさぱさになった唇をかみしめた。
まちがいない。
……誘拐されてしまった。
カエデはゆっくりとさっきまでのことを思い出そうとした。
たしか、剣術の大会があって…。
参加したいと言ったら、過保護なヒタギが猛反対して…。
それでも参加させてほしい、とせがんだら、最終奥義、『女人禁制』を持ち出され、
それでへそを曲げて、勝手に四鬼ノ宮をとびだしたのだ。
女の子だって剣術をしたいもん!とぷりぷりしながら森の中を突き進んだんだっけ。
いつもだったら、影のようにレイヤがついてきてくれるが、今回は大好きな剣術大会の準備に忙しく、
カエデが出ていったのにも気付かなかった。
そして、森の中をしばらく歩いていたら……おもいっきり後頭部を殴られた。
思い出すだけで、今も頭が痛む。
あれは、他人を殴るのに慣れていない者の殴り方だ。
容赦というものがなかった。
必死、というべきか。
さすれば、絶対にたんこぶが後頭部にできているはずだ。
しかし、両手は完全に縛られていて身動きが取れなかった。
「……私、うつけだ……」
自分の声が思っていたよりもしわがれていて、顔をしかめる。
のどが痛い。
ああ。
あのとき、意地を張らずに観戦する側にまわっていたら。
森に行かなければ。
後悔しても遅い。
現に、カエデは何者かにさらわれてしまったのだから。
「ヒタギ……」
ぼんやりと、愛しい人のことを思い出した。
彼もきっと、剣術大会で忙しい。
カエデがいなくなったことに気づいてもいないだろう。
ああ。
会いたい。
どうしようもないくらいに。
「だめだ……こんなこと考えている場合じゃない」
逃げ出さなければ。
さらった相手は何者かはわからない。
どういう目的かも。
身代金が目的だろうか。
……それとも、この女としての体が目当てだろうか。
想像しただけでもぞっとする。
初めて、四鬼ノ宮にいた時が、どれほど安全だったのかを思い知った。
とっさに言霊をつむぎそうになる唇をかみしめる。
だめだ。
言霊には、頼らない。
これは、影水月を守るための道具。
自分を守るためのものじゃない。
それに、自分でまねいた災厄だ。
自分の力で逃げ出さなければ。
その時、鈍い音を立てて木製の扉が開いて、何者かが小屋の中に入ってきた。
「なんだと?」
ヒタギの周囲の空気の温度が一気に下がった。
それに他の忍びたちは震えあがった。
「もう一度言ってみろ、レイヤ」
剣術大会の開始直前に告げられた言葉。
その内容。
「……あいつが……巫女が、いません」
「………」
今度こそヒタギの周囲が氷点下以下になった。
その青い瞳は凍えんばかりに冷たく輝いている。
あまりの殺気に、百戦錬磨の忍びたちも思わずあとずさった。
「……屋敷にはいないのか。
巫女姫は、どこにいる」
「んなもん、わかってたら苦労しねーよ……」
屋敷中を探し回って疲れた表情のトクマがぼそりと答えた。
ヒタギにすかさずギロリ、と音がしそうなほどにらまれ彼は肩をすくめた。
「さらわれたのか」
「…おそらく」
「ならば、剣術大会は中止だ」
ヒタギは吐き捨てるようにして言った。
その宣言に男たちは焦ったようにどよめいた。
「…ヒタギ様。
それはいかがなものかと思いますが」
「…レイヤ。
おれが、中止、と言ったのが聞こえなかったか」
「いえ。
そういうことではありません。
……この大会はヒレン様がとても楽しみになさっていらっしゃったので、
中止はいかがなものかと」
つまり、勝手に中止にすれば、後々ヒレンが腹黒く仕返しをするということだ。
だが、ヒタギはそれにかまわずさっさと歩き出した。
「…ヒタギ様」
「そのようなことどうでもいい。
おれには、巫女姫以上に優先すべきことなどない。
今、こうしている間にも、巫女姫の身に何かあったらどうする」
ヒタギは少しだけ視線を後ろにやった。
「支度をしろ。
1小隊を出す。
一人一人、分散して手分けして探せ。
…死ぬ気で探せ」
「「「…はっ!」」」
それはカエデが目を覚ます1刻ほど前のことだった。
ヒタギが捜索を命じてから一刻後。
一方のカエデは、納屋のようなところに入れられ、現在は男たちにとりかこまれていた。
皆、薄汚れた顔に、ぼろぼろの着物を着ていた。
両手両足を縛られているカエデは逃げることもできない。
どうしよう。
この身なりからすると、彼らは盗賊なのかもしれない。
カエデは唇をかみしめた。
だが、盗賊だろうと神だろうと、屈するつもりは毛頭なかった。
「あなたたちは、何が目的で私を捕らえたのですか」
カエデはまっすぐに男たちを見返した。
負けない。
隙を見つけて、逃げてみせる。
「……巫女姫様」
男の一人がおそるおそるという風に口を開いた。
他の男たちも、どこかうやうやしく、祈るように、地面に膝をついた。
おずおずと、うかがうように彼らは口々に言った。
「どうか、この乾きし土地に、神の涙を、雨の恵みをくださいませぬか」
「もはや我らは飢えるしかない」
「草木が生えぬのです」
「食物も、これでは育てられぬ」
「ま、負けないんだから!
絶対に脱出して……え?はい?」
身代金要求を予想して身構えていたが、なんか予想と違う。
どういうことだろう。
彼らは盗賊ではないようだ。
「どうか雨乞いの舞をしてはくださらぬでしょうか」
「どういうこと?
あなたたちは……盗賊ではないの?」
すると男たちは悲しげにに首を横に振った。
「とんでもない。
巫女姫様をさらってまいったのは、盗賊どもと変わらぬ野蛮な悪行なのは重々承知しておりますが、
我らは、農民にございます」
「巫女姫様をさらう他に、方法がありませんでした」
「そうでもせねば、我ら飢え死にしてしまう」
必死な目だ。
生きる意志が輝く目。
頬はこけ、目はぎょろぎょろと大きく強調されるほど彼らは痩せ細っていた。
こんな状態になっても、彼らは生きることをあきらめていない。
先ほどから、のどがやたらとかわいて、唇がかさかさなのは、
ここの土地が恐ろしいほど乾いているからに違いない。
おそらく、雨がもう何月も降っていないのだろう。
きっと、この納屋を出れば、砂漠のような景色が広がっているのだろう。
痛いほどにきつく縛られた手足の縄に、農民たちの必死な思いが詰まっている気がした。
最後の希望が決して逃げないように縛ったのだろう。
そんなことしたくなかっただろうに。
彼らの想いを自分ごときが推しはかれるはずもなかった。
「ごめんなさい……」
カエデは声を振り絞っていった。
無知だ。
あまりにも自分は無知だ。
こうして、民が苦しんでいるのを少しも知らなかった。
民の願いを神に届けるのが巫女の役割なのに。
「謝って、済むことじゃないけど……でも、ごめんなさい……」
カエデは深く頭を下げた。
彼らの顔を直視できなかった。
ヒタギのところに行ってからも、衣食住に困ることは一切なかった。
むしろ、巫女には贅沢すぎるほどの暮らしを送っていた。
それを影で支えていたのは、彼ら農民だ。
彼らが苦しんで涙を流していた時に、自分は笑っていたのかもしれないのだ。
「み、巫女姫様!?
なにをなさいますか!?」
「顔をお上げください!!」
なんて、優しい人たちなのだろう。
涙が出そうになる。
自分が情けなくて。
そっと顔を上げると、男たちの一人がそっとカエデの手を握った。
「巫女姫様。
我ら、あなたさまの気持ちがとても嬉しゅうございます」
「私……何もやってなかった……」
自分が気づかなかったせいで、この干ばつに亡くなった人もいるのかもしれない。
目の前が暗くなる。
「巫女姫様。
どうぞ、ご自分を責めないでくださいませ」
「だめ、だめだよ。
私が、もっと早くに気づいていたら……」
カエデは首を強く横に振った。
「やる。
やらせてほしい。
雨乞いの儀式。
それで、少しでもみんなが楽になるなら……」
「――――――――――――そこの男。
手首から先を切り落とされたくなくば、おれの巫女姫から手を離せ」
しばらく聞かなかった声にカエデは目を見開いた。
ここで聞こえるはずのない声。
「ひ、ヒタギ……!?」
納屋の戸口に誰かたっている。
漆黒の髪。
鮮やかな青い瞳。
長身に、完璧な美貌と、無駄に垂れ流されている色気。
…間違いない。
ヒタギだ。
「な、なんで!?」
ヒタギはそれには答えず足早に近づくと、
カエデの手を握っていた男の手をむしりとり、
彼女の全身にざっと目を走らせたあと、ふっと息を吐いた。
「無事か、よかった」
ヒタギはふところに手をつっこむと愛用の針を手に取り、
手際よくカエデの手足の縄を切り始めた。
「この縄を見る限り、さらわれたのだな。
……おまえが、自らの意志で逃げたらどうしてやろうかと思っていた」
(え!?
もし、私が自分の意志で逃げていたら、何するつもりだったの!?
え!?え!?)
ヒタギはため息をついた。
「まことさらわれるのがお好きな巫女姫だ」
「好きでさらわれたわけじゃ…」
語尾が弱々しくなったのは、ヒタギの青い目が荒々しい気配をまとっていたからだ。
滑らかな頬を汗が伝っている。
走り回って、全力でカエデのことを探してくれていたのだ。
「ああ、まこと。
どうして巫女姫はおれをこうまでかき乱すのか。
さらわれるのならばどうしておれに一声かけてからさらわれない?」
「な、なんつー無茶を……」
「おれを心労まみれにしたいのか。
それともおれの胃に穴をあけたいのか。
何故じわじわ殺そうとする。
殺すなら正面から正々堂々と殺せ!!」
「殺しませんから!!」
「おまえになら殺されても構わない」
「ちょ!?
目が本気!?」
見渡す限り砂漠のような風景。
土地はやせ、草木はまばらにしか生えていない。
それを目をそらすことなくまっすぐに見つめて、カエデはゆっくりと舞い始めた。
天つ神よ
人たるものが
かしこみ、かしこみ
申し上げる
我が舞を
をかしきものと
おぼしめば
さらにゆかしと
おぼしめば
汝の涙をこいねがう
ゆったりとした足取りで、ふわりふわりと舞い踊る。
地味な舞ではない。
人目を一際惹くような、華やかな雨乞いの舞だ。
神も目をとめてくださるように、蝶のように舞う。
カエデの髪が宙に広がり、日光を浴びて銀色に透けた。
目の端に、農民たちの姿が映る。
絶対に成功させる。
もう、失敗はしない。
汝の涙は我らが命
緑芽吹きて花さかん
命めぐりてまたかえる
すべては汝の手中に在り
天つ神よ
人たる者が
かしこみ、かしこみ
申し上げる
ただ汝の慈悲をこいねがう
ねがわくば
汝の涙が降らんことを
舞の動きはゆっくりになっていき、やがて静止した。
「……どうしよう、ヒタギ」
今、カエデたちは、小屋の中で雨宿りをしていた。
外では滝のような雨が降っているからだ。
「やりすぎだ」
「そ、そうなの……?」
「神を号泣させる舞を見せてどうする」
「涙ぐんでくれるくらいで十分だったんだけど……」
一方、農民たちは歓喜の表情で空を見上げていた。
乾ききった大地がすさまじい勢いで潤っていくのだから。
しばらくは干ばつに苦しむことはないだろう。
「でも、今度は雨が降りすぎて、水害が起こったらどうしよう……」
「その時は太陽神たるアマテラスノオオミカミ様が見たくなるような
華麗な舞を披露すればいいだろう」
「簡単に言うんだから……」
カエデは軽く口をとがらせたが、その目は笑っている。
間に合った。
人の命を、救えた。
役に立てた。
そのことが嬉しい。
「そういえば、剣術大会はどうしたの?」
「中止した」
「えええ!?
剣術大事なのに!?」
「剣術などより、おまえの方が比べ物にならないくらい大事だ」
そう言うと、ヒタギはぎゅうっとカエデを抱きしめた。
なんだかカエデもうれしくなって、ヒタギの手にそっと自分の手を重ねた。
「まったく。
おまえはいつもおれをかき乱してくれるな」
「そんなつもりじゃ……」
「のろしは上げてある。
じきにレイヤやトクマもここに来る。
雨が上がったら、屋敷に帰るぞ」
「うん……!」
帰る場所があるというのは、こんなにも胸を温かくしてくれるものらしい。
「ヒタギ。
遅くなっちゃったけど、助けに来てくれて、ありがとう」
「礼などいらない」
ヒタギは後からカエデを抱きしめた状態で、彼女の耳元にそっとささやいた。
「屋敷に戻ったら、たっぷり褒美をいただくからな……?
おれの、巫女姫」
end