12章 決断
シュッシュッシュッシュッ
鋭い風切り音。
カエデは身をこわばらせた。
ぱたっ、ぱたっと軽いものが地面に倒れる音がした。
顔をあげたカエデの目の前で、風に運ばれてきた小さないくつもの紙切れが
火にあぶられ、散る。
切り裂かれた式神の残がいだ。
闇の中、銀のきらめきが、カエデの目を射た。
「…ぁ」
あの鋭い銀の針。
闇に溶けるような、風になびく黒髪。
「…あ、あ」
夜の黒の中でも、深く鮮やかな青の瞳。
呼吸が止まる。
世界が止まる。
たき火が爆ぜ、火の粉が指にかかる。
その熱が、これが夢ではないと伝えてくれる。
一瞬でシキの式神たちを消し去った者が、ゆっくりとこちらに歩み寄ってくる。
その姿は月光と炎に照らされて、鮮やかにカエデの瞳に映し出された。
その、あまりに恋しい人の姿。
ありとあらゆる感情が一気に押し寄せ、声が出なくなった。
目から透明な雫がこぼれて、頬を伝う。
たった一日会わなかっただけだというのに、こんなにも懐かしい。
ああ、夢ならば。
これがいっそ夢ならいいのに。
それなら絶対に目覚めてやらないのに。
「な、なんで来たのよ、ヒタギのうつけ!!
う、うつけ!!うつけ!う、うつ、けえ…!!!」
最後の方は嗚咽をこらえきれなかった。
「おまえを迎えに来た」
だけどこれは夢ではなくて。
ヒタギの姿は消えなくて。
幻ではなくて。
その瞳はどこまでも穏やかで、声も優しくて。
カエデはふらふら立ち上がった。
―――ああ。
――――――会いたかった。
がっ
ヒタギのもとへと行こうとしたカエデの手首を大きな手が掴んだ。
強く抗えぬ力で後ろに引かれ、体勢を崩した彼女の腰をしなやかな腕がまわって引き寄せた。
「っきゃ」
「どこへ行く気?
おれにことわりもいれておらぬというのに」
けだるげな声が耳元でささやく。
「巫女姫っ!!」
一気にヒタギとの間に距離があく。
「ヒタギ!!
んうっ……!!」
シキの冷えた手が、カエデの唇を優しく、だがしっかりと覆う。
「おれの前でほかの男の名を呼ぶとは、そなたも大した娘。
それほどまでにおれが嫉妬に狂うのが見たいか?」
どこまでも優しくささやかれ、指にシキの指が深く絡んできた。
ヒタギの視線が一気に険しくなる。
その視線は、すぐにシキからあたりに走った。
茂みの奥からシキと同じ紫の瞳の獣たちがゆっくりと姿を現し、
ヒタギのもとへと向かっていく。
シキの式神たちだ。
それも数え切れぬほどの。
「貴様もつくづくしこい男よ。
あまり足跡を残さぬよう、わざわざ馬ではなく虎で走ったというのに」
シキの言葉にカエデは目を見開いた。
やはり、虎で移動したのにはそれなりの理由があったのだ。
「おれは忍びでございます。
追跡など慣れております」
「で、あろうな。
だから、こうしてわざわざ火を焚いてやった」
ヒタギが音を追ってきていることに気付いて彼をおびき寄せるために、
わざと火を焚き、煙でこちらの場所を知らせたということか。
胸に冷たいものが落ちる。
――――――まさか。
「なあ、巫女姫。
誓いとは守るもの。
約束とは…破るものであろう……?」
シキはカエデだけを見て、カエデだけを愛すると誓ってくれた。
だが、四鬼ノ宮、ヒタギに手をださないと言っていない。
『約束』をしたのだ。
ただ、それだけだ。
(いやだ!ヒタギが…!!)
「っや、やめ……っ!!!」
口を覆う手を無理やりずらしてカエデが叫ぶよりも早く、
獣たちは主の意志により、一斉にヒタギに襲いかかった。
式神の獣は普通の獣よりもはるかに体が大きい。
あの鋭く、大きな牙や爪で引き裂かれたら…。
「ヒタギ!!!」
「…いま決めた」
今にも駈け出そうとしたカエデの腰を再び強く引き戻し、
シキはより強く、より深く指を絡ませた。
「……そなたが、おれ以外の名前をおれの前で二度以上呼べば、殺す」
「な、何を…!?」
「ああ、なにもそなたを殺めるのではない。
相手の男だ。
……四鬼ノ宮の次男が一人目か…。
…………さて、どうしてくれよう」
「っやめて!!
やめてくださ――――――」
ぱんぱんぱんぱんっ
連続して乾いた音があたりに鳴り響いた。
桜吹雪のように、数え切れぬほどの式神の欠片が闇夜に散る。
そして、その中央には何もなかったかのように立つ、黒髪の忍の姿があった。
強い意志を持つ青い瞳が、まっすぐシキを射ぬく。
「…余興は、これくらいでよろしいでしょうか、シキ様」
そう言うと、ヒタギは腕についた紙片を軽く払って落とした。
手に握る鋭く長い針で、全ての式神を一瞬で消し去ったのだ。
安堵のあまり崩れ落ちそうになったカエデを抱えなおすと、
シキは、自然体で立っているように見えて、
まったく隙を見せない青年に向かって笑った。
「ああ。
大義であった。
では……本番と参ろうぞ」
シキの顔を見上げたカエデの肌が泡立った。
何かが、起こってしまう。
そう、本能が告げる。
止めなければ。
ヒタギが、ヒタギが!!
シキの唇が弧をえがくのが見えた。
どくんっとやけに心臓が大きく脈打つ。
カエデは何もできなかった。
ただヒタギの端正な顔がはっきりと歪むのを見ているしかなかった。
彼はこらえきれないようにその場に膝をついた。
「っヒタギっ!!」
「ぐっ、げほげほっ」
ヒタギが激しく咳き込む。
とっさに口を押さえた手から、びしゃびしゃと液体がこぼれ落ちた。
照らす火よりもなお紅く、彼の手をこれ以上ないほど深紅に染めぬいている。
血だ。
ヒタギの血だ。
そう認識した瞬間、頭が真っ白になって、すぐに真っ黒になった。
全身から力が抜け、崩れ落ちそうになったカエデを、
シキは何事もないかのように抱えなおした。
「…っごほっ、ごふっ……
……何を…した…」
「いいざまだな、ヒタギ。
どこまでもしつこい貴様のために、少々、おれの式神に術を施しただけのこと」
「…っなん…だと……」
妙な気配を感じ、カエデは周囲を見渡し、目を見開いた。
草むらからまたいくつもの式神が現れ、ヒタギに向かっているのが見えたのだ。
「今の我が式神は、傷つければ、ほとんどは紙にかえるが、一部は気化する。
その気体は、傷つけたものにだけ吸わせるように式を組んである。
その気体を吸えば、貴様が我が式神を傷つけた分だけ、
貴様の体の内部にかえるようにした」
その言葉が終わらないうちに、再び獣たちがヒタギに一斉に襲いかかった。
彼はなんとか針をかまえて、応戦しようとした。
「ああ。
もちろん、その式神たちにも傷つければ傷つけるほど、貴様も傷つく。
…どこまでもつか…見ものだな…?」
ピッピッと深緑の芝生に、鮮やかな紅がとびちったのがはっきり見えた。
ヒタギが、式神を避けようとして避けきれず、腕を牙と爪で傷つけられたのだ。
浅くはない傷だと夜目にもみてとれた。
深紅の血が滴り続けてる。
自分のなかで何かがふつり、と切れた。
せきをきったように涙があふれ出した。
頭がぐらぐらする。
もう無理だ。
これ以上は無理。
もう見たくない。
見てなんかいられない。
己を抱きしめ、支える腕に飛びついた。
「シキ様!!
もう、やめて!!
やめてください!!
私がシキさまと共に宮へ行きますから、どうかヒタギは!!
どうか、どうか!!!」
「…無理を言うな。
あの男がいる限り、そなたはおれを見ない」
低く押し殺した声でシキはつぶやくように言った。
心の一部を壊してしまったかのような紫の瞳が暗い炎をまとっている。
「あの男…あの男さえいなければ、そなたはおれだけのただ一人の娘となる。
あの男がいる限り、おれがそなたを抱きしめても、そなたの心にはあの男がいる。
この先、そなたと共に過ごしても、そなたの瞳には、おれは決して映りはせぬだろう。
……おれはそれを、許しはしない」
殺気すらこめて甘くささやかれた言葉に、カエデは震えた。
声に滲む、ありえないくらいの彼の本気を感じ取ってしまった。
「やっと、愛する者を見つけたのだ。
そなたは、おれが奪う。
……ほかの誰にも渡さぬ。決して」
シキの瞳が深くなる。
ああ、どうして。
どうして自分を、自分だけを見てくれないのか。
こんなにも想っているのに。
誰よりも想っているのに。
離したくない。
誰にも渡したくない。
傍にいてほしい。
自分だけを見てほしい。
シキの想いが瞳の奥で揺れている。
それは、あまりにも自分のものと似ていた。
紫の暗い炎をまとった瞳が、愛しさと憎しみにまみれている。
鏡を見ているかのような錯覚。
カエデは、紅に染まりつつある青年を見た。
あれだけ傷ついていているというのにその青い瞳はまったく屈していない。
強い視線は折れることがない。
「ヒタギ、逃げて…」
カエデは緩慢なしぐさで首を横に振った。
「もう、もういいから…。
私のことは、もういいから…」
来てくれただけで、十分だから。
こうして迎えに来てくれて、私のために傷ついてでもどこにも行かないでくれるだけで。
だから――――――
「は、やく、逃げ――――」
「…巫女姫」
よく通る水のような声が、カエデの言葉をさえぎった。
「おれは逃げたりなど、しない。決して」
絶対的な響き。
涙を抑えられなかった。
シキの深い想いを知って、その腕から逃れられない女のためにこんなにも傷ついて。
――――――そんなに、『ハルナ』のことが大切なの…?
カエデは体を震わせた。
シキが。
シキの気配が、ひどく冷たいものに変わった。
再び、式神の獣たちがヒタギのもとに向かっていく。
「や、だ…。
っやだあっ!!
やめて!!
もうやめてっ!!
や、めてよぉ…っ!!!」
ぼろぼろと大粒の涙がこぼれ落ちていく。
狂ったように泣き叫んでも、なにも変わらなかった。
…私は逃げてきたはずなのに。
大切な人たち、ハルナを、ホムラを………ヒタギを守るために逃げてきたはずなのに。
言い訳をたくさんして、自分の気持ちを偽って、押し殺してまで逃げてきたのに。
――――――もう、つらくて苦しい思いをしなくて済むように、
なによりも、自分の心を守るために逃げてきたのに。
なんで。
これで、全部うまくいくはずっだたのに、なんでこうなっているんだろう。
なんで、誰よりも守りたい人が、こんなにも傷ついているの。
一番私が見たくない光景が、視界を焼き尽くす。
なんで、私は、ずっと逃げてきたんだろう。
――――――こんな私に、何ができるの…?
~お知らせ~
ぱっぱかぱーーーんっ
ここで読んでくださっている皆様に、質問です。
このままでは大切なヒタギが殺されてしまうと
パニック&混乱&極限状態のカエデさん。
このままではいけない。
私がなんとかしなければ!!とばかりに
彼女はここである行動に移ります。
その行動を、皆様に選んでほしいのです。
1、『転送』の言霊を使う
2、『静止』の言霊を使う
3、ヒタギをかばう
4、シキを止める
これのどれかです。
よろしくおねがいします!!