1章 芽生え
語句説明
*影水月・・・主人公カエデの長い歴史をもつ巫女一族。
長きにわたって影水月神社を経営している。
宗家の血筋の者は、とても強い霊力をもち、
分家の血筋の者は、言霊を使える特殊な能力をもつ。
ただ、霊的な祈りや舞に長けているため、
あまり戦などには慣れていない。
*御言葉使い・・・言霊を扱う者一般をさす。
*燈沙門・・・ホムラの長くにわたって影水月神社の宮司をつとめてきた一族。
得意の式術、結界術を使って影水月の巫女を代々守ってきた。
*影水月 分家・・・影水月本家の血筋以外の者達の中でも、
身分が高く、大きな霊力をその身に宿す
巫女のみが入る。
影水月の分家の巫女は、本家の巫女を
守るために、皆御言葉使いとしての力をもっている。
本家の巫女を守るためなら、己の命すら
かけなければならないという古くからのしきたりがある。
登場人物紹介
*カエデ(楓)・・・この物語の主人公。
影水月分家の巫女。
分家の巫女の中でも最も強い言霊の力を操る。
少しあまのじゃくな性格だが根は素直。
思い込みが激しく、すべてにおいて完璧な姉に対して、
敬愛の念と劣等感を抱いている。
ものすごく剣のうでがたつ。
本人は気づいていないが、ハルナに負けず劣らずの美貌を持ち、
ハルナとともに”影水月に金銀の姫巫女あり”とうたわれるほど。
言霊の力を使うと瞳が青く輝き、左頬に、青い印が浮かび上がり、
その中でも特に強い言霊を使うと髪の色が銀色に変わる。
*ハルナ(遥凪)・・・カエデの姉で影水月宗家の姫巫女。
歴代の巫女たちの中でも特につよい霊力を持つ。
槍が得意。
幼馴染であるホムラのいいなずけである。
常に偉そうで少し古風な話し方をする。
*ホムラ(焔)・・・カエデの年上の幼馴染で、ハルナのいいなずけ。
明るくほがらかで誰にでも優しいひとなつっこい性格。
誰よりもハルナのことを大切におもっている。
式神を使う式術や結界術、体術に長けている。
*何よりもただあなたが大切だと
そう告げることを私は許されない
*ハルナとホムラの婚約が決まってからは、周りの者たちも、その本人たちも、
少しずつ何かが変わっていった。
2人が想いあっているのは誰の目にも明らかだったので、
誰もがこの婚約を喜び、影水月の神社の繁栄と若き二人の幸せを願うのだった。
―――ただ一人の者を除いて
カエデは一人でため息をついた。
影水月の社を包む森の少し奥。
あの午後の日々を過ごした思い出深い森の中。
ただぼんやりと目の前にある湖を見つめる。
分家の巫女となって1年以上たった。
カエデの言霊の力はいまや、一族の誰よりも強いものとなっていた。
でも、とカエデは思う。
姉のように、ハルナのようにはなれない。
ハルナを超えることができない。
一度だけ見たハルナの神への奉納の舞。
見た者は、誰もが圧倒される美しさ、華やかさ。
そして、空気が震えるほどの霊力。
そのどれもが、自分にはないものばかりで、絶対にこえることのできないものでもあった。
そして、自分の命、存在はすべてこの人のためにあるものだと、
はっきりとわかってしまった。
膝を抱えて顔をそれにうずめる。
あまりにも遠かった。
幸せな午後の日々が。
ハルナの背中が。
ゴツッ
頭に軽い衝撃が走った。
背後に感じる人の気配。
分家とはいえ、巫女であるカエデを殴るのは失礼である。
カエデはしかめた顔だけそちらに向けると、文句を言おうとした。
「なんですか?
私に用があるならちゃんと――ひいいっ!?」
「ひっでえなあ。
久しぶりに会ったっていうのに、
化け物に会ったような声だして」
そこにはカエデが会いたくて、会ってはいけなくて、会いたくないホムラが立っていた。
「なっ、ななななんでホムラ兄様がこんなところに!?」
「おれがいちゃ悪いかよ。
まあ、修行の休みにそこらへん歩いてたら、
お前が今にも死にそうな顔で湖をにらんでいたからな。
とびこみ自殺をされる前に声をかけといたってわけ」
その言葉にカエデは頬を膨らませた。
「私は、まだ死ぬつもりはないもの!
どうせ死ぬならぽっくり死にたいの!」
「なんだよそりゃ」
からからと笑うホムラを見て、不意に思い出した。
――己の立場をわきまえよ
今のホムラと自分は身分が全然違う。
もう、昔のようには話してはならないのだ。
カエデは、急いで膝をつくと、両手を地面に置き、深く頭を下げた。
「お、おい、カエデ?」
カエデの突然の行動にホムラは焦ったように言ったが、
それにかまわず、つとめて平静な声を出すようにした。
「御君がおられましたことに気づかず、申し訳ございません。
数々のご無礼をお許しください」
ハルナとは全てが違う。
彼女と同じように、ホムラと話してはいけない。
「はあ!?おんきみぃ!?
顔見るの、久しぶりすぎて、おれの名前忘れたのかよ!
おれは、ホムラだって!!」
「存じております」
カエデはきつく目をつむった。
さすがに冗談ではないようだと感じたらしいホムラの声も硬くなった。
「なあ・・・何があったんだよ」
「・・・なにもございません」
「嘘つくなって」
「嘘ではございません」
嘘などついていない。
本当のことだ。
何もなかった。
ただ、自分の立場を教えられただけだ。
「・・・顔、上げろよ」
無理だ。
今、歯を食いしばって耐えているのだ。
そんな顔、彼には見せられない。
見せてはいけない。
「・・・カエデ」
肩を優しく、だがあらがえないほどの力でぐいっと押し上げられた。
至近距離で目が合う。
だが、ホムラは視線をそらさなかった。
痛いくらいに真剣な顔でカエデの視線を受け止めた。
「何があったんだ?」
「ですから、何も――」
「親父さんに何か言われたのか?」
「・・・・・・」
何も言わなかったが、答えが顔に出てしまったらしい。
「なるほどな」
納得がいったように、ホムラは息を小さく吐いた。
「どうりでずいぶん長い間、お前を見かけなかったわけだ」
唇をかみしめる。
ホムラがとても勘と頭のいい男だということを、忘れていた。
何一つ、忘れたくなかったのに。
「……お手を、お放し下さい」
放さないで。
「御君は、私ごときがそばにいていいようなお方ではありません」
そばにいて。
矛盾した願いが頭の中をぐるぐる回る。
ホムラが眉をひそめたのをみて、カエデは目を伏せた。
「いやだ」
やけにきっぱりとした返事。
「は?」
思わずカエデは視線をホムラに戻してしまった。
今のは聞き間違いだったのだろうか。
見ればホムラは口をきれいなへの字に曲げていた。
「ぜってえ、やだ。
お前がその口調やめるまで放さねえ」
口がぽかんと開いた。
なにを変なことで意地になっているのだこの人は。
一瞬呆然としたカエデだがすぐに顔を引き締めた。
「そういうわけには――」
「そういうわけにはいくっての。
……お前だってこんなのいやだろ?」
「いにしえより伝わる慣習です。
私の意志など関係ありません」
「関係あるんだよ!!」
初めてホムラがどなり、カエデはびくりと震えた。
それに気づいてホムラも声の調子を少し穏やかにした。
「なあ。一番大事なのはお前の心だろ」
違う。
違う違う違う。
大事なのは、ほかの何よりも大事なのは自分の心なんかじゃなくて――
「慣習だとかそんなもの……関係ねえ」
肩をつかむ手の力が強くなった。
「それでもやめねえっていうなら、お前の親父さんと、
そのいにしえより伝わる慣習とやらについて話し合ってやるよ。
そんなのはおかしいってな」
「そんなのだめ!!」
カエデは首を強く横に振った。
ホムラはこんなことで今の立場を悪くしてはいけない。
日の当たる明るいところで笑ってくれていたらそれでいいのだ。
たとえその隣にいるのがカエデではないとしても、影なんて見なくていい。
「お願い。
お願いだからホムラ兄様……」
彼はしばらくカエデの顔を見るとふっと表情をゆるめた。
「わかったよ。
……でもな」
ホムラの目が柔らかく細められた。
「ここでは敬語なんてなしな?
ここにはおれとお前ぐらいしか来れねえ。
誰もいねえし、いいだろ?」
唇が震える。
かすかな息が出ただけで声は出なかった。
どうしてこの人は自分が超えられそうにない壁を、あっさりと破壊してしまうのだろうか。
考えるとだんだん腹が立ってきた。
「……うつけ」
ぽかりとホムラの胸をこぶしで殴る。
「ホムラ兄様はおおうつけだわ」
頭のすぐ上でホムラが笑う気配がする。
「人間、うつけ者のほうがいい時もあるんだぜ?」
ホムラの大きな手が頭をなでる感触が心地いい。
「泣くなよカエデ」
「なっ、泣いてなんかいないもの!」
「ったく、相変わらず意地っ張りだよなあ……」
温かな手が、よしよしというように背中をなでる。
「ここにいる時は、おれはホムラ。
お前はカエデ。
それ以上でもそれ以下でもなんでもねえ」
この優しい手はカエデのものじゃない。
ハルナのものだ。
今は借りているだけ。
「約束、な?」
それでもこの人の優しさに甘えてしまう。
この手にもっと触れてほしいと思ってしまう。
この人のそばにずっと、ずっといたくなってしまう。
止めようにも心は傾きすぎていた。
「……神は」
ぽつりと言葉がこぼれた。
「神は私を許さない。
……きっと」
はるかな時の流れにさからった自分を。
「許すもなにもねえだろ。
おれらは幼なじみなんだ。
普通に話して何が悪い?」
「そうかな……」
あなたがそう言うのなら、きっとそうだわ。
ホムラ兄様。
*ねえ
私を見て
あの人じゃなくて
私を
ほかの誰でもなく
ただ私を
私だけを見て
*それから一月ほど経った。
いつものように森の中へと向かう。
今日もホムラとともに短いが温かい時間を過ごすのだ。
いつもより修行が長引き、ややいつもの時間に遅れぎみなので、小走りで草むらを駆け抜ける。
やがていつもの湖が見えてきたので、カエデの瞳はホムラの姿を探し始めた。
せわしく交互に動かしていた足をゆるめて、あたりを歩き回っていると、
すぐに大木にもたれて座る見慣れた背中が見えて、カエデの唇に自然と笑みが浮かんだ。
「ホムラ兄様!
遅れてごめんなさい!」
かなり大きな声で呼びかけたのにホムラは背を向けたまま、返事をしない。
「ホムラ兄様?」
ホムラの正面に回り込むと彼の顔を覗き込む。
ホムラはかたく瞼を閉ざし、かすかな寝息をたてて眠っていた。
どうやらカエデが来るのを待っている間に寝てしまったようだ。
無防備な寝顔に小さく笑うとカエデはその隣に腰をおろした。
ホムラを起こして、一緒におしゃべりもしたいが、もう少しこのままでいたい気もする。
どうしようかと迷っていたその時、ホムラが低くうめいた。
ゆっくりとまぶたが上がりホムラの瞳がぼんやりとカエデをとらえる。
彼の薄い唇が動いた。
「・・・ハルナ?」
ピシッと音をたてて世界が止まった。
ホムラはカエデの様子には気づかず数度まばたきを繰り返した。
「ん、ああ・・・カエデか」
彼は息を吐くと大きく腕を伸ばした。
「お前がなかなか来ねえから寝ちまったな。
あーーよく寝た!」
「・・・なんで」
自分でも驚くほど低くおし殺した声が出た。
「なんで・・・私を姉上と間違えたの」
遅れたことへの謝罪の言葉ではなく、
ただそのことだけが頭の中をうめつくす。
ホムラは一瞬きょとんとした後に、困ったように笑った。
「ははっ、悪ィ悪ィ。
お前とハルナって似てるから寝ぼけて間違えちまっ
た」
そしてひどく優しい表情でカエデの瞳を覗き込んできた。
「こうして見るとやっぱりお前ってハルナににてるよなあ」
見ていない。
ホムラはカエデを見ていない。
カエデを通してハルナを見ている。
空が曇り、一瞬ホムラの顔が見えなくなった。
「ハルナさあ、最近修行で忙しいみたいで、
なかなか会えねえんだよな・・・」
だからなのだろうか。
ハルナと会えない寂しさをまぎらわすために、
彼女と姿の似ているカエデと共に過ごしたのだろうか。
どうして自分と会ってくれるようになったのかとたずねれば、
優しい言葉しか返ってこないのはわかっている。
わかっているからこそ怖くてきけなかった。
「あー、カエデ。
ちょっとお前に言っておかなきゃなんねえことがあるんだよ」
申し訳なさそうな顔。
ツキンと鈍く胸が痛む。
「実はな、明日から燈沙門がおれに新しい式術を教えてくれるらしい。
それで、明日からはここにあまり来れなくなっちまうと思う」
「そう・・・なの・・・」
なんでもないことのように装わなければ。
ホムラの笑顔を曇らせてはならないのだ。
カエデはこわばった顔に無理やり笑顔を浮かべた。
「私は、ここによくいるから、もし暇があったら
…また、来てね・・・ホムラ兄様」
自分の作った笑顔の仮面の奥に気づかせてはいけない。
でも、気づいてほしい。
矛盾した願い。
震えそうになる唇。
ホムラはカエデが大好きな、太陽のような明るい笑顔を浮かべた。
「おう!
また来るから待ってろよ!!」
…ホムラは気づかなかった。
気づいてはくれなかった。
仮面の奥に。
静かに目を閉じる。
このささやかな約束が果たされないことを、カエデはなんとなく感じていた。
でも、それでもいい。
自分はずっとここで待っているだろうから。
カエデは目を開けると、笑顔を浮かべた。
自分を偽り、ホムラを困らせないための仮面をまとう。
そう、このまま騙されていればいい。
それでいい。
大きくて温かい手が頭をわしわしとなでた。
その撫で方にすらギリリと胸がうずく。
そんな心にふたをする。
この瞬間を忘れないようにするために。
自分の想いに気づかないようにするために。




