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浅葱の夢見し  作者: いろはうた
第一部
17/50

11章 揺らぎ

*どうして。



こんなにも求めていた私への『愛』なのに



どうして、こんなにも――――――哀しいのだろう。



恋い焦がれることがこんなにも哀しいだなんて、知らなかった。



息が止まりそうになるほど、気が狂いそうになるほど苦しいだなんて。



苦しい。



苦しい。



苦しい。



優しいものが欲しい。



優しいものだけが、欲しい。









 ―――カエデ




不意に誰かに呼ばれた気がして、カエデはそっと目を開けた。


自分は眠っていたようだ。




―――不思議な、夢を、見ていた。


幻のごとく、はかなくて、美しくて、鮮やかで、哀しくて、切ない浅葱色の夢。




頬を涙が伝っているのを感じて、カエデはゆっくりとまばたきを繰り返した。


ぐらぐらと揺れ動く視界に、ぼんやりと虎の毛皮が見えた。


どうやらそれの上にまたがっているらしい。


ふとももの下からしなやかな筋肉が絶えず動いているのを感じ、完全に目が覚めた。



……と、虎だ。


このもふもふは虎だ。


周囲の景色がすさまじい速度で流れていく。


ものすごく信じたくないが、どうやら、現在、虎にまたがって疾走中らしい。


振り落とされたら、と考えるだけで寒気がする。


思わず虎の毛皮を掴む手に力がこもる。


そこで、初めてカエデは自分の手を包み込んでくれると大きな手の存在に気付いた。


どきりと鼓動が跳ね上がった。


だが一瞬見開かれた藍の瞳は、すぐに落胆の色に変わった。


違う。


彼の手ではない。


あの手はもっと骨ばっていて、少し硬いけど、とても温かかった。


この手は―――



「…目覚めたのか?」



後ろから吐息と共に端々に色気のにじむ言葉を耳に吹きかけられ、カエデはとび上がった。



「ひうあっ」



「暴れるでない。


 おちるぞ。


 ……にしても、悲鳴まで色気のない娘。


 おれも、なにゆえこのようなのに惚れてしまったのか…」



「なっななな!


 じゃ、じゃあ、さっき私を振り落としていったらよかったじゃないですか!!


 どうせ”こんなの”でしょう!?」



「…ほう」



シキの声の調子が変わった。


あまりの嫌な予感に、カエデの体がこわばる。



「…そなたは、なにゆえこの俺がわざわざ四鬼ノ宮まで参ったか


 理解しておらぬようだな。


 やはり…そなたは体に直接直接教えてやったほうが良いのか…?」



「よよよよよくないですっ!!!!


 全然っよくないですっ!!!!」



(あああああっ!!!???


 なんでそこで色っぽく指を絡ませてくるの!!???)



恐怖で急降下していた血が、羞恥で一気に急上昇してきた。


「って、今なんで私たち、今、虎なんかに乗っているんですか!?」



「これはおれの式神。


 案ずるな。


 かみついてくることも、振り落とすこともない」



「…………それだったら、馬とかでもよかったんじゃ…」



「ありえぬな」



「…」



いつになくきっぱりとした返事にカエデは一瞬おし黙った。


シキは優秀な陰陽師。


動物の式神などいくらでも出せるはず。


だから、馬などの穏やかな気性でよく走る動物の式神を出さなかったのは


なにか理由があるに違いない。


…そう、思いたい。



「あの………なんであえて虎にしたんですか…式神…」



「おれが虎が好きであるから」



「…………」



夜風が激しく髪を揺らす。


カエデは予想通りの言葉にため息をついた。



「…ごめんなさい。


 聞いた私が悪かったです」



「……落とされたいのか…?」



「う、うそですっ!


 じょ、冗談ですって」



そう言いながら、その手は万が一カエデが落ちてしまわぬよう、しっかりと彼女の手を握っていた。


がくん、という衝撃と共に周囲の景色が止まった。


腰に腕が回って、シキに抱き上げられる。


彼が軽やかに虎から降りると、すぐに虎が煙と共に一枚の紙切れになった。



「どうかなさったんですか?」



「一度休みをとる。


 今宵はここで世を明かす」



 式を解いた式神を拾いながらシキはそう言った。



「……」



カエデはわずかに目元を歪ませたが、


何も言わずシキにされるがままになっていた。







ゆらゆらと炎が揺れる。


薪に灯るそれをカエデは膝を抱えて見つめた。



「慣れて…いらっしゃるんですね…」



「そうか?」



わずか数秒で火をおこしてみせた皇子は不思議そうに言うと、カエデの隣に腰を下ろした。


なんとなく居心地が悪くて、カエデはもぞもぞと足の指を動かした。



「皇子、ゆえか」



「…え?」



「皇子ゆえに、あらゆることをこの身にたたきこまれた。


 火のおこし方から、礼儀作法まで。


 陰陽の術もそのうちの一つ。


 跡継ぎ争いで負けぬようにと。


 …カエデ」



不意にシキがこちらを向いた。


あたりは真っ暗だ。


火に照らされた紫の瞳が葡萄酒のようにきらめいて、幻のように闇の中で輝いている。



「そなたはわが身を、幸福だと思うか」



「……」



カエデはとっさに何も言えなかった。


何故かわからないけど、一瞬、シキが今にも泣きだしそうな顔をしているように見えた。


…そんなはずないのに。



「すべてを持っているようで…本当に欲しいものは何一つ手に入れられぬわが身を…


 幸せだと思うか」



「シキ…さま…」



「…おれはそうは思わぬ。


 だが、わがままを言えば他の者の迷惑になることなどわかりきっている。


 だから、大きなわがままは障害に一度きりと決めていた。


 それが―――」



大きな手がカエデの頬に添えられた。



「今、この時だ」



「…シキ様。


 私、私は…」



「言うな。


 そなたの心が今どこにあるのかくらい、目を見ればわかる。


 案ずるな。


 そなたの心、すぐにこのおれが奪ってみせよう」



奪う、なんていう言葉とは反対に頬に触れる手は、壊れものに触れるかのように優しい。


なぜか、泣きたくなった。



「そなたがこのおれの心を、一瞬で奪ったようにな。


 ―――カエデ。


 泣くなといったであろう」



骨っぽい指が、羽毛のように軽く、そっと目元の雫をぬぐう。


そこで、初めて自分が泣いていることに気付いた。


何もわからない。


何故、涙が止まらないのか。




どうして、こんなにも――――――哀しいのか。




「…やめて…ください」



「…ん?」



「…私には…こんな風に、優しくしもらう資格なんてありません」



優しくしないで。



「なのに…こんなの…ずるいです。


 …ずるい」



その優しさに甘えてしまう。


すがってしまう。


やっとの思いでそう言ったのに、シキは優しい手を離してくれなかった。


それどころか声をたてて笑った。



「そなたという娘は…まったく。


 好いている娘に優しくしないでどうしろというのだ。


 ああ、やはりそなたといると退屈しない」



愛おしそうに、シキはカエデの頬を袖でぬぐう。


きっと涙にまみれたひどい顔をしているとわかっているのに、


なぜか熱いものがあふれて止まらなかった。



「…み、ないでください。


 …ひどい顔、しているから…」



「別にかまわぬ。


 そなたは、泣こうがかわいらしい」



「ぶほっ」



こんな時だというのに、カエデはむせこんでしまった。



「…なにゆえ、ありえぬものを見るような目でおれを見る…?」



しかも、自分がいちいち甘い言葉を吐き出していることに気付いていないらしい。



「だが、このままにすると、明日の朝になれば目がはれているだろう。


 …まあ、おれの月の巫女がかわいい出目金になった姿も見てはみたいが…」



カエデの口があんぐりと開いた。


まずそもそも、この男のものとなった覚えはない。


しかも、出目金ってなんだ。


出目金って。


今の強烈な言葉の数々に、あれだけ止まらなかった涙が引っ込んでしまった。



「しかし、見ようものなら、


 おれの月の巫女が照れてみぞおちに一発くれるやもしれぬ。


 …出目金はあきらめようぞ」



…何故、若干残念そうな顔で目元を撫ででくるのだ。


だが、やがてその指の優しい動きが止まった。


ひどく真剣な表情で、こちらを見つめてくる。



「カエデ」



両手で頬を包み込まれ、瞳を覗き込まれた。


まこと、人とは思えぬ美貌にカエデは状況も忘れて、一瞬みとれた。



「そなたが、愛おしい」



火のきらめきを帯びた毛先をうっすら紅に染めた金髪。


高い鼻梁。


形の良い眉。


薄く、みずみずしく潤っている唇。


けぶるように長い睫の下には、


ただひたすらカエデのみを映す宝石のような紫の瞳。


その紫水晶のような瞳の奥に、切実に請い願う炎のようなゆらめきがある。


カエデは、ただ頬を赤く染めて、至近距離からシキを見つめた。



「おれは、そなたの心を手に入れられるならば、なんでもしよう。


 まこと、なんでも、だ。


 あのような男、おれが忘れさせてやる。


 だから―――」



カエデは、ただ、見とれていた。


彼の切なくなるほどの美しさに。


その、切実な想いに。



「おれを、見ろ」



ああ。


なんて。



「おれだけを、見ていろ」



ああ、なんて美しい。



「…頼む。


 何だってしよう。


 頼むから…おれを好きになれ……!」



背に強い腕が回り、強く、強く、抱きしめられた。


彼の手は、少しだけ震えていた。



「おれを、愛せ。


 おれだけを、愛せ……ッ!」






なんて、美しくて――――――哀しいんだろう。






カエデは何も言えなかった。


何も言葉を返せなかった。


やがて少しだけシキの体が離れた。


その代わりに、強い腕が腰を抱き、カエデの体をシキの膝の上にのせると、


もう片方の腕が彼女の後頭部に添えられた。



「カエデ。


 …おれは……まこと、そなたが欲しい」



その言葉に、カエデは身をこわばらせた。



「だが、そなたの体だけが欲しいのではない。


 …そなたの全てが欲しい。


 カエデという娘の身も心も、全て、欲しい。


 すべておれだけのものにしたい。


 …だから、どうか」



心の一部を壊してしまったかのようなまなざしに、宿る切実な光。



「どうか、おれを、シキという一人の男を、


 受け入れてはくれまいか」



もろくあやうい懇願に、唇が震えるだけで、声は出なかった。


ゆっくりと、シキの整った顔が近づいてくる。


カエデはさらに身をかたくさせ、ぎゅっとまぶたをとじた。




ふわり、と温かく柔らかいものが、ひどく優しく唇の端に触れた。




頬と唇の境界線。


羽毛が触れるような、花弁に触れるような、軽くて、柔らかくて、優しい感触。


思わずまぶたを開けると、信じられない程近くにあるシキの顔が、


静かに離れていくところだった。


遅れて、口づけられたのだと悟り、


頬が火がついたように赤くなった後、一気に血の気が引いた。



「ししししシキ様っっ!!!!????」



「……くく。


 何をかほどなまでに騒ぐ。


 こんなもの、口づけの内には入るまいて。


 今日はここまでにしてやるから」



カエデは意味もなく口を開閉した。


たしかに、唇の端に口づけられたので、頬に口づけられたような、


すごく微妙な位置だから、正式な口づけとはいえない……かもしれない。






「…だが、次はのがさぬ」






シキの唇につやっぽい笑みがのった。



「そなたが泣こうが抵抗しようが、無理にでもそなたの全てを奪う。


 そなたが、おれを愛するには、


 時間がとてつもなくかかるだろうと、今、理解したゆえ」



胸を、罪悪感のようなものが埋め尽くし、カエデは瞳を曇らせた。


おそらく、好きになれ、愛せ、と言われて、


すぐに返事を返せなかったことを言っているのだろう。



「おれは、あまり気が長くはない。


 好きになってもらうのなど、そうは待てぬ。


 …ならば、惚れさせるまでのこと。


おれのことで頭がいっぱいになって、おれの愛でそなたをがんじがらめにして、


 おれがいなくては、生きていけぬような身にしてやろう」



カエデは真っ赤な顔で、ただ呆然とシキの言葉を聞いていた。



「幾夜でも、そなたを抱きしめて、愛をささやきながら眠りにつき、


 朝、目覚めるときは口づけで起こしてやろう。


 そなたが望むのならば、何度でも請い願おう。


 おれを、愛せ、とな」


シキはそれだけ言うと、それ以上は何もせず、すっと立ち上がった。



「…しばし待て。


 近くに水の気配がするから、そこで水を汲んでくる。


 ああ。


 案ずるな。


 おれの式神にあたりを見張らせてある。


 何も恐れることなどない」



そう言い残すと、夜の闇に消えてとけるように、シキは歩き去った。


言わなくても分かる。


カエデのために水を汲んできてくれるのだ。


そして、この野宿も、カエデのためなのだと、彼女はよくわかっていた。


おそらく、シキ一人だけなら、


一晩中虎を走らせても宮にたどり着くことは可能だろう。


彼は追手が来るかもしれないというのに、カエデの身を最優先したのだ。


いや、そもそも追手の存在など恐れていないのかもしれない。


それとも、追手など来ない、と考えているのか。


どちらにしろ、こうして火を焚いて暖をとるのはかなり危険なはずだ。


煙でこちらの場所が知れてしまうのだ。


(ヒタギ……)


彼の顔を思い浮かべて、カエデは目をギュッと閉じた。


いや、彼は来てくれないだろう。


ホムラと密通していたと勘違いされたに違いない。


それとも、彼がハルナの婚約者であることを知っていたのかもしれない。


ヒタギは今までにないほど怒っていた。


いや。


怒りというよりも、もっと乾いたものを感じた。


あれだけ激昂していたのだ。


追ってきてくれることなんて、まずありえない。


そこまで考えて、カエデはため息をついた。


なによりも、この想いとヒタギから逃げるためにここまで来たのに、


それでもヒタギのことを考えている。


本当に、いつからこんな風になってしまったのだろうか。


髪を撫ででくれる感触を、心地いいとかんじたときからであろうか。


あの水のような声で自分の真名を呼んでほしいと


あおう願うようになった時からだろうか。


いや、初めて会ったときに、彼の強く、深く、鮮やかで美しい青の瞳に


既にとらわれてしまっていたのかもしれない。


なんて、厄介な気持ちだろう。


逃げたのに、会いたいと思う。


願う。


自分から離れたくせに、追ってきてほしい、強く抱きしめてほしい、


離さないでほしい、と思う。


カエデは抱えた膝に顔をうずめた。


せっかくシキが止めてくれたのに、また熱いものが目の端をジワリと濡らす。


あとどれほどだろう。


あとどれほど泣けば、彼と、この想いを忘れることができるだろうか。


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