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鞄の中の心臓

作者: 辻端耕太郎

 ―――あれは、俺たちが小学校6年生のときだったかな。

 クラスメイトに、クロカワっていう女の子がいただろ?

 え、覚えてない?

 ……まあ、無理もないか。何しろもう十年以上も前のことだからな。

 ……実家に置いてある卒業アルバムを引っ張り出してくれば、すぐにでも思い出すんだろうが……。

 まあいいや、話してるうちに思い出すかもしれないし。……お前が彼女のことを覚えてないからといって、この話題が成立しないわけじゃないから、とりあえず話を続けさせてくれ。……まったく覚えていないにせよ、これはお前自身に深く関わる話だしな。

 そのクロカワって子、結構かわいい顔してたんだけど、無口だったから、ちょっと暗い印象があったんだ。髪もかなり長くてさ。成績はよかったから、先生からは気に入られてたけど……。そういう子って、ホラ、同級生からはハブられたりするんだよね。でも隠れファンがいるような、そんな子。

 ……確か、父親の仕事の都合か何かで引っ越してきて、6年生にもなってクラスに転入してきたんだよ、その子。だから余計に印象に残ってるのかな。

 逆に、転入生だからあまり印象に残っていないって場合もあるみたいだけど。

 まあとにかく、ちょっとクラスで浮いてる感のある、不思議な雰囲気の子だったわけ。

 ……まだ思い出さない?……そうか。まあいいや。

 それで、これから話すのは、そのクロカワが引っ越してきた、俺達が小学生として過ごした最後の年の、夏休み中の出来事なんだけどさ……。

 ……俺は照りつける日差しのもと、近所の友達のところに遊びに行く途中で偶然、クロカワが道を歩いてるところにばったりと出くわしたんだ。

 俺は自転車に乗っていた筈だから、わざわざブレーキをかけて、止まったんだろうな。

 それで声をかけたんだ。「あれ、クロカワじゃん。どこ行くの?」って感じでさ。

 そしたらクロカワは、なんだかハッとしたような、妙に驚いたような表情で顔をあげた。不意にそんな顔をされたせいで俺は、なんだかバツの悪い気持ちになったっけな。

 それで、よく見ると彼女は、こうやって、何かを両手のひらに包むようにして、大事そうに持っているんだ。

 「……これを運んでいるの」

 クロカワはそう言って、やや躊躇するような仕草を見せつつも、おそるおそる両手を差し出した。 そして、手のひらをそっと広げたんだ。

 その手の中にあったもの……“あれ”が一体何だったのか、当時の俺には、全く分からなかった。

 いや、実のところ、“あれ”についての正確なことは、今でもよくわからないんだけどね。

 まあ、後で俺なりに調べて、考えてみた“あれ”の正体については、話の最後の方にぼちぼち語るからさ、とりあえず今は、当時の俺が見て感じた通りの“あれ”について描写するにとどめておくよ。

 クロカワの手の中にあった“あれ”を見て俺は、ギョッとしたね。思わずのけ反ってしまうほどにさ。大げさなものか。だって、気持ち悪かったんだからね。

 あれの第一印象は、そうだな……敢えて表現するなら、臓物……いや、胎児だな。

まあとにかく、イメージとしては、“そこにむき出しであってはいけないもの”……そういう、グロテスクで、なおかつ繊細な類のもの。……当時の俺にはそういうものに思えたんだ。

 いや、“あれ”は小動物とかではないよ。少なくとも自然界には、あんな生き物は存在しやしない。あるいは俺がもう少し大人だったのなら、ネズミか何かが、突然変異とかで奇形化して生まれたんじゃないか、とか、そういう風に考えることもできたかもしれないけど……。まあとにかく、不気味な“肉塊”だったんだよ、“あれ”は。

 ああ、その通りさ。クロカワの小さな手のひらの上で丸まっている、赤黒くてぶよぶよした物体は、一見して、到底生き物であるとは思えない代物だったが、しかし確かに“肉”でできているようだった。手と足とか、目とか口とか、そういう生き物らしいまともなパーツは、一切備えていなかったけどね。

 でも、クロカワはそんなものを、後生大事そうに抱えていたのさ。まるで小鳥の雛でも抱いてるみたいにね。

 俺は、おそるおそる聞いた。「それ、何?……どうしたの」って。

 そしたらクロカワは少しだけ黙った後、一言、「拾った」とだけ答えたんだ。

 ……どこで拾ったのかは、そのあといくら聞いても教えてくれなかった。

 俺は仕方なく質問を変えた。今度は「……それ、生きてるのか?」と尋ねたんだ。

 するとクロカワは「わかんない」と答えたっけな。

 まあ、“あれ”をみて『生きてるのか?』だなんて疑問をもつこと自体がおかしいのだと、今では思うんだけど、でも当時の俺にはそれが、やっぱりなんとなく生きているように見えたんだ。もちろん動いたりはしなかったから、憶測にすぎないんだけど。

 ――― “むき出しであってはいけない”もので、且つ“得体のしれない”、“グロテスク”で、“生きているようにも見える”、“肉の塊”―――。

 正体が何であるにせよ、“あれ”が、関わってはいけないシロモノだということは、子供心にもハッキリと判った。

 きっとあの場においての正解は、すぐに彼女に背を向けて、友達との待ち合わせ場所に向かうことだったに違いない。

 ……思えば、クロカワが躊躇いながらも“あれ”を俺に見せたのも、暗に『かかわるな』と警告してくれていたのかもしれない。

 それほどまでに禍々しい見た目だったんだ、あれは。

 だけどあの日、俺は、その場から逃げなかった。……愚かにもね。

 それどころか俺は、“あれ”の存在に対して自ら積極的に関わるという、大失敗を犯した。

 俺は、よせばいいのに、背負っていたリュックサックから、わざわざタオルを取り出して、「そいつをこれで、包んでやろうよ」なんてことを言ったんだ。

 ――不可解な物体を、タオルで包むという発想―――。あの場における俺の言動が、どの程度まで理性に基づいていたのか怪しいところだけど、結果としてはそこまで的外れな提案では無かったと思っている。だって、何度も言うけど、あれは“むき出しであってはいけない”ものなんだ。光に当てるのもよくないし、できれば直接手に持つのも、空気に触れることでさえも避けるべき、脆弱な存在。

そういうものをタオルで包むっていうのは、そこそこ理性的な発想だと思わないかい?

 もっとも、その禍々しい“肉塊”の顛末に自ら進んで関わろうとしている時点で俺は、とうに理性的ではなかったのかも知れんのだが。

 案の定、俺の提示したあまりに唐突なその案に対してクロカワは、はじめ一切の理解を示さなかった。

 「ちょっと待って……。あなた、一体どういうつもり?」

 彼女はそういって、警戒心を露わにした。

 まあ無理もない。クラスが同じってだけで、そこまで親しくもない俺が、“あれ”を見て逃げ出さないばかりか、いきなりおせっかいをやいたわけだからな。クロカワとしては、俺の反応が予想外だったんだろう。

 しかし、俺は俺で、その時どう答えていいのかわからずに狼狽してしまった。

 彼女の警戒心を解くには、こちらに一切他意はないということを示す必要がありそうだったからだ。しかし俺は、完全に他意がないと、自信をもって主張するには、少々後ろめたさを感じていた。

 なぜなら、俺は彼女に対して隠していることがあったからだ。

 その隠し事っていうのは、……ありていに言えば、当時の俺が、彼女のことを本気で好きだったってこと。

 好きだから、クロカワが困っているなら助けたい。

 あわよくば、この奇妙な状況をきっかけにでもお近づきになりたい。

 それ以上のことは全く考えていなかった。呆れるほどにお子様だったのさ、当時の俺は。

 だけど、当時の俺が、この局面で思っていることをストレートに表現できるはずもなく……。

 仕方なく俺は、なんとかして彼女に同行するために、うまい言い訳を考える必要があった。

 そして思案の末、俺は結局苦し紛れに、空気の読めないアホを演じることになった。

 「いや、その……きっと新種の生き物だよ、それ!かわいいなあ!ちょっと触らせてよ!……どこかへ運ぶのなら手伝うよ!」

 苦し紛れとは言え、大分変態じみた生き物好きを演じることになってしまった。

 ……今にして思えばわざわざ自分のポイント下げてるよな、コレ。あろうことか“あれ”を『かわいい』と形容するなんて。さすがにクロカワもちょっと引いてたかもしれない。

 まあ、結局結果オーライだったんだけど。

 クロカワはやや面食らった表情のあとに、少しだけ考える素振りをみせたが、やがて「もしあなたが、“これ”について何も聞かずに、私の手伝いをしてくれるのなら、これを運ばせてあげる」

といった。俺が黙ってうなずくと、割と平静な様子で「じゃあ、お願い」といって、“肉塊”を俺に そっと手渡して、歩き出した。

 俺は自分の三文芝居が上手くいった(?)ことに密かに胸を撫で下ろすと、タオルで包んだ“肉塊”を前かごにそっと置いて、自転車を押して彼女の後に続いて歩いた。

 道中クロカワはほとんど無言であったが、しばらくついて歩いていると、彼女が向かっている先は学区内にある雑木林だとわかった。……ほら、東公園のちょっと東側にあるやつだよ。……そうそう、林といっても、ちょっと広めの空き地にクヌギとかナラとかが生い茂ってるぐらいの、ささやかなものさ。

 夏にはカブトムシとかクワガタがとれるから、近所の子供達がこっそりと入ったりするような場所だった。大人には入っちゃダメだと言われていたから、一応誰かの私有地だったのかもな。

 ……出くわした地点から10分ほど歩いて、俺たちはその林の前にたどり着いた。

 ほぼ放置されているとはいえ、そこは私有地だ。周りは柵で囲われている。

 「ここが目的地か?」

 俺が尋ねると、しかしクロカワはそれには答えず、辺りをキョロキョロと見回していた。そうして周囲に俺たち以外誰もいないのを確認すると、彼女は手慣れた様子で、林を囲っている柵を、ひょいと乗り越えてしまった。

 俺がクロカワの意外なお転婆に少し驚いていると、彼女はこっちへ振り返って、涼しい顔で「あなたも早くこっちへきて」といった。

 俺は柵の外に自転車を停めると、タオルにくるんだままの“肉塊”を柵越しにクロカワに手渡してから、クロカワに習って柵をよじ上った。

 「なあ、こんなところまで来て、“それ”をどうするつもりなんだ?」

 俺が質問すると、クロカワは「埋めるのよ」と答えた。

 意外な答えに俺が唖然としていると、クロカワはさらにこう付け加えた。「……“これ”は本来、土中に在るべきモノなのよ。こうして地上でむき出しになっている方が間違いなの」

 妙に自身のあるような喋り方だった。そのせいで俺は、余計に面食らってしまったね。

そう、驚くべきことに彼女は、得体のしれない“肉塊”を前にして、それをどうするべきなのかを、あらかじめ知っていたようなんだ。

思うに彼女は、誰かに教わったか、あるいは本で読んだとかで、その“肉塊”の性質について、色々と知っていたんだと思うぜ。……もちろん憶測にすぎないんだけど。でも、そう考えると色々と合点がいったんだ。

 だって彼女は、どうも何か隠しごとをしていたみたいなんだよね。“肉塊”をどこで手にしたのかを、知られたくないみたいだった。いくら聞いても只々『拾った』と答えるばかりでさ。

 そのくせ、“肉塊”を『埋める』ということだけは、きっぱり決めていた。妙な話だろ?

 彼女は“あれ”を埋めてくるよう、誰かに頼まれたんじゃないだろうか。そんな風にも思った。

 

 まあそれで、とにかくクロカワは林の中に踏み込んでいき、俺はそのすぐ後に続いた。彼女は迷いのない足取りで奥へと進んでいき、一本の大きな木の前にたどり着くと、そこで足を止めた。

 その木の幹に樹液が出ているのを見て俺は、夜にはカブトムシが採れそうだな、などと呑気な事を考えていたんだけど、クロカワはすかさず、「その木の根本にこれを埋めるから、掘るのを手伝って」といった。

 俺はシャベルなんてもちろん持ってきてないから、その辺にあった棒切れを使って土をほぐしていって、最終的には素手で掘った。

 爪の間に土が詰まって気持ち悪かったな。林の中は陰になっているとは言え、蒸し暑い中での作業だから、額から汗が流れてきて目に入りそうになるんだ。でも泥だらけの手で拭うわけにもいかないから、仕方なくシャツの肩口の所で拭うんだよ。結局汗はまたすぐに滴ってくるから、キリがないんだけどね。

 そうやって苦労しながら、なんとか深さ30センチぐらいのところまで掘ることができた。

 今にして思えばずいぶん浅いようだけど、当時はそれで十分だと思えたので、俺たちはさっそく“肉塊”を埋めることにした。

 タオルで包んでいたそれをクロカワが穴の中にそっと置くと、俺は「本当に埋めていいの?」と聞いた。

 「埋めないとダメなのよ」と彼女は相変わらずキッパリと答えた。

 掘るのにかかった時間に比べると、埋めるのなんて一瞬だ。

 最初はそーっと、遠慮がちに土をかぶせていったんだけど、やがて“肉塊”の姿が完全に見えなくなると、その後はもう容赦なくどさどさと土を戻していったっけな。

 それから、埋めた地面を二人して踏み固めた。

 あとは何事もなかったかのように、雑木林を後にするだけだった。二人して、手にこびり付いた泥を払いながらね。俺はつい先刻まで“肉塊”を包んでいたタオルで手を拭き、クロカワにもそれを貸してやった。

 はじめ遠慮したクロカワも、手の汚れがよっぽど不快だったと見えて、最終的にはタオルを受け取った。その際、「……ありがとう。洗って返すから」といってたのが、妙に印象に残ってるな。結局タオルは返ってこなかったが。

 林を出てから、しばらく一緒に歩いてきたクロカワとは、東公園の辺りで別れた。そこまではお互いにほとんど無言だった。

 別れ際にクロカワは一言だけいった。


 「今日のことは、誰にもいわないでね。私の為にも、あなた自身の為にも」



―――――――――――


 とまあ、俺が“肉塊”と直接関わった日の話は、ここまでなんだけど、もちろんこれだけでこの話は終わりにならない。

 だってまだ、あの“肉塊”が何だったのかが全然わかってないからね。

 そうさ。俺は話の最初の方で、あとで“肉塊”の正体についての考察を語る約束をしただろ。


 もちろん当時の俺には、“あれ”の正体が何なのか、全くわからなかった。

 そして何もわからないまま、あの日のことも“肉塊”についても、すっかり忘れて過ごしていた。

 そして、気がついたら大人になっていたよ。


 ……でも、ふとしたきっかけで俺はまた、あの日の出来事を鮮明に思いだすことになった。

 そのきっかけは、数か月前に何気なく立ち寄った本屋で訪れた。

 俺は何となく立ち読みした民俗学系の雑誌で、『太歳』なるものの伝承について書かれた記事を目にしたんだ。

 その記事によると『太歳』っていうのは、主に中国の古い伝承にでてくる、妖怪みたいなモノで、そいつの見た目は、まんま“肉の塊”なのだそうだ。しかも、その『太歳』ってやつは、ふつうは地中に埋まっているものなのだという。昔の人が工事とか開墾なんかの際に、偶然掘り当てることがあったというんだ。

 ああ。読んだ瞬間、あの日の俺が見たのは、これだったんだって、そう思ったね。


 ……それで、今度は図書館で少し詳しく調べてみたんだけど、するとこんな話も見つかった。『太歳』とはもともと、古代中国の暦法における木星の鏡像を意味する言葉だったそうだ。さらに、木星の運行に合わせて地中を移動する“肉の塊”の存在が信じられており、その呼び名も『太歳』とされた。

 『太歳』は道教においても重要視されていたらしく、『太歳』の方角を犯すと災いがあるとされた。だから、『太歳』の方角を掘って“肉の塊”が出てきたときには、掘りだした者に災いが起きるという伝承もあるらしい。例えば北宋時代の類書『太平広記』には、『太歳』を掘り出したために滅亡した一族の話が記載されている。

 もし誤って『太歳』を掘り出してしまった場合は、すぐに地中に戻すべきだという話も残っている。……戻す前に何らかのまじないをする場合もあったらしいが……。


 ここまで調べた時、俺はやっと、あの日クロカワのやっていたことの意味が、少しわかったような気がしたね。


 そうさ。あの日、俺とクロカワがあれを埋めたのは、あながち間違っていなかったってことだ。本来土の中にあるべきモノを、戻したんだからね。

 もっとも、そもそも彼女がどうしてその手に『太歳』なんていうものを持っていたのか、埋め直すという方法をどこで知ったのかは、これだけじゃまだわからないのだが……。




 ……そろそろ思い出さないかい?

 おい、とぼけてるんじゃないよな。

 本当に忘れているのか?

 あの夏、俺たちのクラスメイトが一人“死んだ”。

 死んだ生徒……クロカワとは、俺もお前も同級生だったんだぜ?……新学期と共に転校してきてから夏休みまでの、たった三か月半の間ではあったけど。

 ……ひょっとしてお前は、自分の記憶に鍵をかけてしまっているのか?

 まあ、無理もないか。


 そうさ、この話の主要な登場人物は、クロカワと俺だけじゃない。話を聞いているお前も、含まれている一人なんだよ。最初に言っただろう?『お前自身に深く関わる話だ』ってな。

 この話は単なる昔話ではないんだよ。あの夏の“事件”に関する、謎解きの試みなんだ。

 俺が話しているのは全て、この古臭い街に埋もれているあの夏の真相を浮かび上がらせるための、謎解きなんだよ。


 ……とまあ、話の方向性をハッキリとさせたところで、次の手がかりについて話をしよう。ここでやっと、過去のお前にも登場してもらうことになる。……さて、この話にお前がどう関わってくるのかというとだ……。



 俺はあの日、クロカワと別れた後、“友達”と一緒に市民プールへ行ったんだ。

もともとそういう約束をしていたんだよ。

 クロカワと雑木林に寄っていたから、待ち合わせには少々遅刻したけどね。

 ホラ、俺が『太歳』を包むのに使った、タオル。

 ……あれはもともと、プールに持っていくためのものだった。だからこそ都合よくタオルなんか持っていたってわけさ。フェイスタオルよりは大きいけど、バスタオルよりは小さいやつをさ……。


 で、その日一緒にプールに行った友達っていうのは、お前なんだよ。

 

 思い出したか?

 あの日は楽しかったぜ?時間いっぱいまで遊んだ。平日だし混んでなかったから、のびのび泳げた。競争したり、飛び込んで監視員に怒られたり……。

 ちょっと遊びすぎて体が冷えて、唇が紫色になったりもしたな。……ちょうど今のお前みたいに。

 ……懐かしいな。

 ―――あの日。


 ……閉場ギリギリまで遊んだ帰りに、自転車をこぎながらお前は、無邪気に話してくれた。

 「なあ、今朝、あの林で、スゲーもの見つけたんだぜ」

 お前が“あの林”のことを口にしたのを聞いて、俺はドキリとした。今日“あれ”を埋めてきた林の話を、何故お前がするのかと思って、驚いたんだ。

 しかしすぐに俺はあの場面を振り返り、クロカワと俺が林に入るのを見ていた人物は誰もいなかったと思い直した。さらにお前が「今朝」といったことも合わせて考えると、俺とクロカワがあそこに行ったのは昼過ぎだったから、お前に見られてはいないはずだと、自分に言い聞かせて必死で平静を装った。『今日のことは、誰にもいわないでね』というクロカワとの約束を守るために。

 お前は話を続けた。

「今朝、すごく早起きして、あの林にこっそりとカブトムシを探しに行ったんだ……」

 ……お前はあの日、あの林に入ったことを自慢げに語りだした。

 それを聞いて俺は、密かに安堵した。なんだ、そんな話か。てっきりあの林でのことを知られたのかと思って、身構えてしまったじゃないか。

 すっかり肩透かしをくった気分になった、その矢先だった。

 「……それで、カブトムシを探そうと思って、樹液の出ている木の根元を掘ったらさ、なんか、スゲーもの見つけたんだ」

 俺は再び心臓が早鐘を打ち出したのを感じたよ。

 「気持ち悪い物体でさ、なんかこう、“肉の塊”みたいだった!」

 “肉の塊”。その単語に俺は耳を疑った。お前がそれを、なぜ?

 クロカワが埋めた“あれ”を、お前が掘り起こした?しかしそれでは時系列が合わない。

 では、“肉塊”がもう一つあったとでもいうのか?否、あんなものが土を掘るたびに、二つも三つもボコボコと出てくるとは考えられない。

 ―――では一体?

 俺は動揺を抑えて必死で考えた。そして次の結論に至った。

 クロカワが持っていた“肉塊”。あれを掘り出したのは、お前だったんだ。


 だとすると、お前が掘り出した“肉塊”……『太歳』が、クロカワの手元に渡った経緯は……?

 それは黙っていてもお前の方から話してくれたよ。

 「絶対何かの新種だぜ、あれ。図鑑でもテレビでも、見たことがなかった。動かなかったけど、でも確かに生き物みたいだった!」

 興奮気味の口調でそう語るお前に、俺はどんな顔をむけてたのかな。

 「……それで、クロカワ先生の所にあれを持って行ったんだ。ほら、うちのすぐ近くに引っ越してきた、クロカワのお父さんだよ。あの人有名な研究者らしいから、調べてくれるだろうと思って」

 ……子供らしい、実に的外れな発想だ。だってクロカワ博士は、生物学者じゃなくて、民俗学者なんだから。

 でも結果的にお前の行動は、正しかった。“あれ”は生物学者の扱う範疇のモノではなかったんだからね。あれを君がクロカワ博士のもとに持ち込んだのは、実によく仕込まれた、運命のいたずらだったんだ。

 そう、すべてが“運命のいたずら”さ。あの夏、お前が「太歳」を掘り当てたのも、一人の少女が死んだのも。……俺たちが今、こうして再開してこの話をしているのも……。

「クロカワ先生、“あれ”をみてすごく驚いてたんだぜ!『どこでこれをみつけたんだ?!』って言ってさ!」

そんな調子でお前は、クロカワ博士に『太歳』を預けることになり、博士が後でお前に“調査報告”するという約束をしてくれたという旨を、喜々として語ってくれたよ。




 ……そして、その日から二日後に、クロカワはあの林で、遺体として発見された。

 クロカワ博士は同日ごろから失踪し、数日後、同じく遺体で発見された。こちらは自殺だったらしい。それで、クロカワ夫人……クロカワのお母さんはすっかり自我忘失状態になり、どこかの精神病院に入院した訳なんだけど……。




 さて、ここまでは一応、俺が自分で見聞きしたことをもとに、証言として語ってきた。

 でもそれだけでは、どうしてもクロカワの死の真相にはたどり着きそうにない。

 そこで、この話の締めくくりとして、ここから先は俺の推論と、……それから、かなり突飛な論拠を交えて語ることを許してほしい。

 

 結論から言えば、クロカワが死んだのは、『太歳』の呪いのせいだったんだ。

 

 クロカワ博士は、民俗学者としてはあまり際立った功績を持つ人物ではなかった。

 しかし彼には、オカルト研究家としての、もう一つの顔があった。

 調べたところ博士は、そっち方面の雑誌によく記事やコメントが載るような人物だったらしい。

 そんな彼が、君から受け取った『太歳』をどう扱ったのか。

 博士はおそらく、“あれ”を媒体に、『太歳星君』と交信する為の儀式を試みたんだ。

 『太歳星君』はその名の通り『太歳』の神に当たる存在だ。神は神でも祟り神だから、古来から信仰というよりは畏怖の対象だったんだけどね。もっとも、信仰と畏怖はもともと表裏一体の筈だったんだけどさ。

 そしてその儀礼は、失敗したんだと思う。……おっと、すまんすまん。順を追って、論拠を話さないとね。

 まず、俺はここ数か月の調査の末に『太歳』の性質について、次のような考察をもつにいたった。 それは、『太歳』が、『太歳星君』の“臓器”だったってことだ。

 “あれ”は邪神がこちら側の世界を覗くために送り込んだ“目玉”であり、尚かつそいつがこちら側に具現化する際の依代……いわば“心臓”でもあったというわけさ。

 そんな物騒な代物を思いがけずお前から託されたクロカワ博士は、おそらく困惑したに違いない。

 だが結局博士は、危険を承知の上で邪神の精神と交信したんだ。博士は探究心の虜だったということか……。あるいは彼が邪教を密かに信奉していたということなのか……。博士の目的が何だったのか、今では確かめようもない。

 しかし博士は、少なくともその邪神をこちら側に呼び寄せるようなことはしなかったようだ。彼はおそらく、『太歳星君』との精神的コンタクトを図っただけだったのさ。


 

 ではなぜ博士が『太歳星君』との“交信”を試みたといえるのか。その根拠を話そう。

 ……それは、俺が近頃よく夢の中で“あれ”と交信するからなんだよ。

 あまり驚かないみたいだな。ひょっとしてお前も……?……そうか、お前も“あれ”を掘り出したことで、“あいつ”とのあいだに回線ができてしまっているんだな。


 あの夏以来俺は、度々ある種のパターンの悪夢にうなされるんだ。お前と同じようにね。特に疲れて寝ているときにそういう夢をみる。……その夢の中では、“あれ”がこちらに色々なことを語りかけてくるんだよ。自分でも気づいていなかったような、人間としての嫌な部分を、“あれ”は俺に、まざまざと突きつけてくる。恐らくやつは、隙あらば俺を乗っ取って、操ろうとしているんじゃないかと思うね。

 カウンセリングを受けたり、ちょっとした治療を試したりしたが、その悪夢を全く見なくなるということはなかった。

 そして先日、『太歳』のことを知ってからというもの、拍車をかけて毎晩のようにそういった類いの夢を見るようになってしまった。 多分、俺が“向こう側”のことを意識するようになったせいで、向こうも“こちら側”に繋がりやすくなったということだろう。これまではニュアンスでなんとなく受け取っていたやつの言葉が、よりはっきりとわかるようになってしまった。

 それで、ある時“あいつ”は、夢の中でこういったんだ。『あの男は自分の家族なんぞのために、私との交信を絶とうとした』ってね。

 『あの男』というのはおそらく、クロカワ博士のことだ。このことから察するに、彼は家族を危険にさらさない為に、一度繋がった邪神との交信を、断絶したんだ。寸でのところで彼は、人間的な家族愛の感情によって踏みとどまったんだよ。


 その後、博士は何らかの理由で自分の娘に、あれをこっそりと林に埋めてくるように指示したんだ。おそらくは『太歳星君』を鎮めるために、元の場所に埋め戻そうとしたのだろう。伝承に従ってね。

 そのお使いの最中にクロカワは、俺と出くわしてしまったってわけさ。 


 


 ……長く話しすぎたな。 そろそろ結論を話そう。あの夏の真相、出来事の全貌はこうだ。

①まず、お前が偶然『太歳』を掘り出し、それをクロカワ博士に渡した。

②博士はそれを用いて邪神との“交信”を試み、中断した。

③博士はクロカワに、『太歳』をもとの場所に埋めてくるように指示した。

④その途中彼女は俺に出くわし、俺と一緒に『太歳』を埋めた。

⑤その2日後、クロカワは死に、博士は失踪した。


 ……①から④までの流れは、俺の証言と推論とで説明してきたとおりさ。問題はその先……。俺はここ数か月、④と⑤の間に、何が起きたのかを考えてきた。――なぜ彼女は死ななければならなかったのか?

 それで、10年ぶりにこの町に帰ってきて、答えを求め色々と調べていたんだ。

 で、その理由が今日、やっとわかった。この町で偶然お前と再会した時に、ふと気がついたんだよ。

 彼女は、俺と一緒に林で埋めた『太歳』を、再び掘り返したんだ。そして呪いをうけて死んだ。

……いいかい?伝承では『太歳』を掘り出した人物は、死ぬんだ。先刻説明したよね。つまり彼女は、自ら呪いを引き受けたことになるのさ。

 では彼女が、何故そんなことをしたのか?……おそらくは、はじめに『太歳』を掘り返した人物の、身代りになったんだと思うぜ。

そう、つまりお前の身代りさ。

多分彼女は博士から、『太歳』を誰が掘り出したのか、聞いたんだろうね。

そして彼女は、一度埋めた『太歳』を再び掘り起こすことで、自分が呪いを引き受けられると考えたんだ。その目論見は、“上手くいった”。

だからこそ、あれをはじめに掘り出した君は、今こうして生きているのさ。

クロカワがお前を庇った理由を想像するのは簡単だ……。クラスで浮いていた彼女を色々と気遣っていた、おせっかいな男がいた、という事実だけで十分な説明になる。

 ……俺はそうとは知らず、彼女の“自殺”を手伝ったことになるのか……。あるいは、あの時点では、彼女は『太歳』を再び掘り起こす気はなかったのかもしれないが……。


 ……もうこんな時間か。いや、長々と話しちまって悪かったな。そろそろ帰る。支払いはいい。つきあわせたのは俺だ……。

 

 最後に一つだけ言いたいことがある。

 “邪神”は、今でもこちら側で実体化することを望んでいる。あの夏には失敗したが、再びチャンスが訪れるのを待っているんだ。誰かが再び『太歳』掘り起し、儀式を行うのを待ち望んでいるに違いない。彼女が再度掘り返した『太歳』がどうなったのかも気がかりだが、俺とお前が夢を通じて邪神の言葉を受け取っている以上、少なくともまだ奴はこちらに実体化する有力な手立てを持っていないということだ。

 

 ……お互い厄介なことに足をつっこんだもんだな。せいぜいこれ以上引きずり込まれないように、気をつけようぜ。

じゃあな。


――――――



 帰省先で、久方ぶりにあった友人から長い話を聞かされ終えたあなたは、彼がコーヒー代を二人分置いて、先に店を出て行った後、一人になってから密かに舌を巻いていた。

まさか彼が、ここまであの夏の真相に迫っているとは思わなかった。

『太歳』と『邪神』。この二つを結び付けて考えることのできる人間が、まさか自分の他にもいたなんて。これでは、この町で迂闊に動けないじゃないか。

 そんなことを考えながらもあなたは、自分の口元が自然と歪み、笑みを浮かべるのを感じた。

 まあいい。彼は一つ、重大な勘違いをしている。それはあなたにとって、決定的な強みだ。

 

 そう、彼は肝心なことを見落としている。それは、クロカワが彼にタオルを借りた時、「洗って返す」と言っていた点だ。もし彼女がはじめから死ぬ気だったのなら、そんな約束はしないはずだ。あの娘はそういう生真面目なところがあった。

 即ち……。 


 あなたは歪んだ口元を意識的に戻しながら、カバンをそっと開き、“それ”を自分が確かに所有していることを確かめた。

 包み紙で巻かれた、子供の手のひらにすっぽりと収まりそうなほどの大きさの物体。

 あなたは“それ”をそっと手にとって重さを確かめるようにしたが、給仕が席の近くを通りかかったのをみて、素早くそれを鞄の中に戻すと、残っていたコーヒーをすすった。そして勘定を済ませて、店を出たのだった。



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― 新着の感想 ―
[一言] 読みました。面白かったです。 クトゥルフっぽい雰囲気だなあ、と思っていたら、キーワードにクトゥルフって入ってたんですね。読み終わってから気づきました(汗) 語り部である俺がお前と呼んで話し…
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