5 ロイテンフェルトのこだわり
「…セイン殿下ぁ、どうしてあんな挑発するような発言するんですか。ロザリア様すっげぇ怒ってらっしゃいましたよ?」
案内された部屋に入って一息ついていたセインは、ニーチェ国から護衛として連れてきた側近のグロウに言われて顔を上げる。
カウチソファに腰かけたセインの傍らに立っているグロウは、緩く波打つ髪を薄茶色に脱色していて、ロイテンフェルトまでの道中の1月半で伸びた根元部分だけが地毛の濃い色合いを見せていた。
色素の薄い垂れ目で軟派な印象で、立ち姿も猫背。
一応騎士らしく胸当てと肘当てのみの簡易鎧を着けているにも関わらず、完全にだらけている。
「別にこれくらいの発言でどうにかなるような不安定な仲じゃない。それよりグロウ…婚約披露の時までに切って染め直しておけよ」
セインはシャツの胸元のボタンを一つ二つと順番にはずしながら、グロウが指先に絡めて遊んでいる髪を指す。
「えー。このルーズさ良くないですか?結構気に入ってるんですけどぉ」
「駄目だ」
間髪言わず否定すると、グロウは毛先を指先にくるりと巻きつけて口を尖らせた。
いい大人のくせに子供のようなしぐさがやたらと似合っている。
「ちぇ。結構緩いお国柄みたいだからいけると思ったんだけどなぁ。まぁ仕方ないから了解でっす。んで、なんでロザリア様にだけあんな態度なんです?」
「特に普段と変わらないが」
「でも幼馴染といえど他国の王女様ですよ?いつもなら爽やか笑顔取りつくって相手をほめたたえるところでしょう。それくらいの演技力持ってるじゃないですか。なのに怒るようにわざとつっついて。らしくないですよー」
「…お前は、顔も態度も性格も適当なくせにどうしてそんな細かいところをこだわるんだ」
「んんー。人生経験の差ってやつ?重要なところでびしりと決めますよって感じで」
「意味が分からん。年も言うほど変わらないだろう」
「え、俺今年40になりますよ?」
「よっ?!」
セインは思わず声を上げてまじまじと値踏みするようにグロウを眺めてしまう。
皺も染みも見当たらなければ、長旅の直後であるのに肌の張りと艶も失われていない。
どう見繕っても20代後半くらいだろうと勝手に思っていたからなおさら衝撃だった。
「あぁ…そういえば俺が物心ついたころには普通に父上の傍についていたな」
よくよく思い出してみれば軽く15年は前に国王の近くに仕えていたのだ。
ある程度の年齢であることは少し考えればわかるはずだった。
「何なんだ、その気味の悪いほどの若づくりは…」
「色々努力してるんですよぅ。…でっ!俺が鋭いってことはぁ、ロザリア様を特別扱いしてるってことで間違いないんですね!きゃー、青春!!」
「……違う」
「またまたぁ。あれでしょう?好きな子を前にすると恥ずかしくてつい意地を貼っちゃうってやつ!」
「…だから、違うと言っているだろう」
反論してみるものの、一人で盛り上がっているグロウの耳には届いていない。
「だめですよぅ、女の子には優しくしないと。俺みたいに!紳士に!ならないと!」
「…………」
セインは何やら色々決めつけて喜んでいるグロウをもう放って置くことに決めた。
(何を言ったって通じる気がしない)
ため息を吐いてカウチソファに深く背を預けた。
1か月半ずっと馬車に揺られていたため、疲労も濃く身体が重い。
服地を挟んで感じる柔らかなソファの感触は心地よく、目をつむると眠りに落ちてしまいそうだ。
しかし室内に響いたノックの音に、落ちかけていたセインの瞼は再び持ち上げられた。
「失礼いたします」
「…アーサーか」
入っていたのは銀縁のメガネが印象的な背の高い男。
長い髪を後ろでゆるく結わえており、少し釣り目気味で神経質そうな顔立ちだ。
「王子、湯殿の支度ができたと侍女が知らせにまいりましたが。直ぐにお入りになりますか?」
「そうだな。入って置こうか。夜に催されるロイテンフェルト国王との晩餐までに身支度を整えなければならないし」
セインはグロウにつられて緩んでしまっていた気持ちを首を振って振り払い、立ち上がる。
い。
今までセイン達が居た談話室的な用途の部屋の隣には、セイン用の主寝室があり、その寝室の左側に控えの間が設けられていた。
そして寝室の右側には風呂場へ直結する内廊下がある。
扉を抜けて10mほどの短い通路を進んでたどり着いたのは、風呂を出た後にのんびりとくつろぐための内庭の付いたスペースで、また更に進むと使用人の小姓が控える脱衣場だ。
「………」
脱衣場に控えていた少年2人が、無言のままでセインに丁寧に頭を下げる。
「頼む」
頷いて見せると、彼らはゆっくりとセインにその手を伸ばしてきた。
小さな少年の手が元々寛げていたシャツのボタンをさらに脱がしていくと、程よく引き締まった白い肌が露わになっていく。
もう一人の少年は、セインが忍ばせていた短剣や、衣服に付けられている装飾品を丁寧に外し、貴重品を保管するためのビロード張りの小箱へ収納していた。
少年たちは小姓と呼ばれ、騎士見習いの更に下に位置する立場にいる者。
小間使いのような雑事をしながら馬や武具の手入れや管理などを学び、将来騎士になるための心得を取得していく。
「ご苦労。あとは一人でいい。手伝いは結構だ」
「御意」
まだ10代前半の彼らに身に着けていたものを預けて、セインは一人で風呂の中へ足を踏み入れた。
まずは夜空と星にまつわる神話の神々が描かれたドーム型の天井が目に入る。
ところどころに埋め込まれているのは水晶で、反射して本物の星のように煌めいていた。
意匠を凝らした彫刻を入れた窓枠に、壁には小さなタイルでの緻密なモザイク画。
そして中央には円状に造られた乳白色の湯を張った湯船があった。
湯船の中央に造られた天井へと伸びる柱に開いた星型の穴からは、滝のように湯が流れ落ちている。
「相変わらず。風呂場ごときに並々ならない気合の入りよう…」
呆れとも感嘆ともつかない呟きを呟いて、セインは白い湯気の立ち上る湯船に足を入れた。
セインの母国であるニーチェでは風呂は身体を洗えれば良いと言う程度の認識で、国境を隣り合わせた隣国なのに、文化も風習もかなり違う。
だからたとえ王宮であってもここまでの凝った造りを取り入れていない。
しかしこのロイテンフェルトの人間は風呂を娯楽としても捕らえていて、風呂を見ればその家の財力が分かるとも言われているほどのあり得ないほど風呂に心血を注いでいる。
こんな大規模な風呂が王宮内には何百と…いや、ひょっとすると4桁に上るくらいの数はあるのかもしれない。
子どものころから何度となく滞在してきたが、毎回案内される風呂が違うから今一つ把握できなかった。
柔らかな湯の中に腰を落ち着けると、何かの花の香りが鼻をくすぐった。
砂糖菓子のような甘さに、柑橘系のさわやかな香りが入り混じっている
「リフェルトの花の香料か?」
大ぶりな薔薇にも似たリフェルトと呼ばれる白い花は、ロイテンフェルトの国花だ。
国旗にも国章にも刻まれているこの花は、どうやら風呂でも活躍しているしい。
「まぁ、悪くはない。暖かい湯に時間をかけて浸かるのは心地が良い…」
殊の外ロイテンフェルト風の風呂を気に入っているセインは、湯船の淵に背を預けてぼんやりと天井を仰いだ。
水音しか聞こえない、静かで緩やかな時の流れるこの空間は、他人に邪魔をされることなく考え事をするにも適した場所だった。
(アーサーはまだいいが、グロウがな…煩すぎる)
天井絵の星々を金色の瞳に移しながら、セインは室内に残っている2人の側近を思い浮かべる。
グロウとアーサーは2人ともこのロイテンフェルト行きが決まったと同時にセインに付けられた。
普段から同じニーチェの王宮に居るのだから顔くらいは知っていたが、あまり社交性のないセインにとっては本当に顔見知りという程度の認識だったのだ。
今回の彼ら付き添いは、彼らを側近として一生傍に付けるかどうかの審議のようなものだ。
彼らがセインを認めたならば、おそらくニーチェに婿入りするときにも国を出て供としてついてくるのだろう。
婚約披露パーティを終えてニーチェに帰るまでに、グロウとアーサーに主と認められるに足る人間だと証明しなければならない。
そして同時に、セインも彼らを一生側に付けても良いと思えるほど信頼に足る人間なのかどうか見極めなければならない。
もし出来なければまた別の人間が候補として挙がってくる。
(面倒くさい)
セイン的には、身一つでこちらに来てもいいと思っているのに。
どうしても面倒くさいものがいくつもいくつも付いてきてしまう。
何人もの侍女や召使い、騎士に兵士に家財や財産、セインの所有するニーチェの一部の土地など。
あとはニーチェの国の思惑や利益なども無視できず、色々なもので肩が重くて仕方がなかった。
(まぁロザリアの気安さが受けていてロイテンフェルトの国民からの支持は高いから…前へ出るのはあいつにやらせよう。俺は完全に裏方ということで)
本人が聞けば怒りそうなことを、セインは勝手に決めて一人で頷く。
…セインは金も地位も欲しいとは思わない。
己が王子である以上、どうやったって付いてくる様々な物が煩わしい。
王の子として生まれた者にしては珍しく、煌びやかなものも賑やかな場所も好きではなかった。
図書館の隅でひっそりと本を読めれば満足な性質で、根暗な引きこもりと揶揄されることも珍しくない。
「国とか策略とか、出来ればやりたくないんだが。…ロザリアがあれだからな」
国政や難しい人間関係、怪しげな思惑を持つ者達との駆け引きなど。
勉強もいまひとつなら頭の回転も良くなくて、性格も馬鹿正直で騙されやすいロザリアにはどうやったって出来ないのだから、結婚すれば頭脳面で優れたセインが政務のほとんどを担うことは目に見えている。
ロイテンフェルトの人間はロザリアのことを甘やかしすぎだと思う。
----それでもセインは他の兄弟たちを蹴落としてロザリアの伴侶と言う立場を手に入れた。
ロイテンフェルトでどうしてもしたい事があったから。
それを叶えるついでなら、国王としての役目くらい担ってやってもいいと思ったのだ。
「そういえば、しばらく外出禁止させられているとか言っていたな」
乳白色の湯に鼻先ぎりぎりまでどっぷり浸かりながら、ふと思い出す。
風呂に案内をした侍女が確かそんなことを言っていたのだ。
「…そろそろ、限界だろう」
水中で呟くと、ぶくぶくと水面に泡が浮かび直ぐに弾けた。
弾けた泡から一段と強い花の香りが放たれる。
甘い香りと柔らかな湯の温かさに、長い旅路で疲れていた体が芯から癒されていく。
そうして身体も心も解されてしまうと、呆けた脳裏に浮かぶのはいつだって騒がしい紫の瞳をした少女の顔。
(あいつは単純で、有り得ないほど分かりやすい馬鹿だから)
外出を禁じられ馬も剣も止められて、鬱憤をためた彼女が次にどんな行動に出るのか。
幼馴染として長年付き合ってきたセインには、簡単に予想が出来てしまうのだ。