4 赤髪の騎士
ぱたぱたとした軽やかな足音が遠くからこちらへと近づいてくるのが聞こえて、その足音の主に心当たりがある第一王女付き騎士団の副隊長ジン・カーベルは動きを止める。
「副隊長?」
ふいに停止してしまったジンに向かって剣を構えていた見習いの騎士が、首を傾げて大柄な体躯を見上げた。
「あー…姫様が来たわ」
苦笑してからジンは剣を腰の鞘へと戻す。
逆立てた赤毛の後頭部を掻きながら眉を下げて「悪い」と言いながら両手を合わせた。
「ちょい抜ける。あとでもう一回見てやるから自主練しててくれ」
「はっ!了解しました!ご指導有難うございました!」
規則正しく敬礼する騎士見習いに手を振って鍛錬場から出ようとしているジンの視線の先には、綺麗なドレス姿にも関わらず駆け足でこちらにかけてくる小柄な少女の姿。
近づくにつれて鮮明になるのは、興奮のあまり赤く染まっている頬と、つり上った眉。
どこからどうみても彼女の機嫌はよくないようだ。
その分かりやす過ぎる顔に、笑ったら悪いかと思いながらもうっかり噴き出してしまった。
「ジン!!」
体当たりと呼ぶにふさわしいほどに、ロザリアはジンの広い胸元に勢いをつけて飛び込んでくる。
難なくその小さな体を受け止めたジンは、苦笑しつつロザリアの頭に手を置いた。
「おいおい姫様。むさっくるしい鍛錬場なんかに一人で来ていいのかー?また侍女長殿にお叱り受けるぞ」
「叱られてもいいの!そんな場合じゃないの!」
「どうせまたセイン王子にこんな意地悪されたー。あんなこと言われたー。だろ?」
「そう!…?あら、セインが来てるって良く知っているのね」
「いやいや、一応は姫様専属騎士団の副隊長だからね?俺。警備の都合上、姫様関係の客人とかは全部把握してるに決まってるでしょ」
ロザリアは思いもつかなかったようで、驚いたように頷いている。
「それなら知っているの?セインが私の……だなんて」
認めたくないらしく、彼女は肝心の部分を音にはしなかった。
しかしジンは何を言いたいかなど簡単に読んでしまう。
少しだけ昔。雑用ばかりで暇を持て余した若い見習い騎士達は、おしゃまでいたずら好きな王女殿下の体のいい遊び相手にされていた。
ジンは面倒見の良い気質なこともあって殊のほか懐かれてしまい、ロザリアが物心ついた頃からの知り合いだ。
「そりゃあね」
「っ!ジンも黙ってたのね。皆でよってたかって隠すなんて酷いわ!」
「姫様には知られないようにセイン王子殿下を迎える準備を進めるようにって王命だもん。逆らうわけにはいかないだろー」
「お父様…用意周到すぎるわ」
肩を落としたロザリアを、ジンが慰めるように頭をぽんぽんと軽くたたくのだった。
「別にいいじゃん。幼馴染で気心知れてるし。姫様も嫌いじゃないんだろ?」
「き、嫌いではないけれど…でも婚約よ?近い将来夫婦になりますって誓うのよ?!」
正式に2人が結婚するのはまだ数年先で、今回のセインの訪問では婚約したことを世間に正式発表するだけなのだが。
まだまだ何年もの準備期間があるのにこの騒ぎよう。
どうやらロザリアにとっては結婚も婚約も大差はないようだ。
「……ぅあぁぁぁぁ」
ついには奇声を発して項垂れだした。
いつもいつも思うが年頃の少女にしては少し豪快すぎる反応だ。
「なーんでそこまで嫌がるんだ? 確かに2人とも顔を合わせるたびに言い合いをしてるけどさ。でも普通に仲良くおしゃべりをしている時も頻繁に見るし。いいじゃないか別に」
ジンから見たロザリアとセインはお互いにお互いを嫌ってはいない。
ロザリアからすればセインに見下されていると感じるのかもしれないが、結局はセインが天の邪鬼で素直になれない性格なだけだ。
むしろ変に気取らなくても良いきやすい関係で、夫婦になる間柄としては良好とも言えた。
見知らぬ余所の男と結婚させられるより余程良い縁談だ。
何年も王宮に仕えてロザリアとセインの関係を見てきた騎士や侍女たちの誰もが賛成している。セイン王子はロザリアの伴侶としてふさわしいと、誰の目から見ても明らかなのだ。
「…分からないわ」
「はい?」
「分からないけれど、セインだけは駄目な気がするの!他の人とは違いすぎるもの!むずむずするの!」
「んんん??」
両手を握り占めてまで力説するロザリアに、ジンは太い眉を寄せて首を捻る。
(これってセイン王子だから動揺してるって意味だよなー)
しかしロザリアはセインにだけ持っている特別違う感情が何かをまったく理解していない。
15歳の乙女にしては鈍すぎないだろうか。
「普通は5つか6つで初恋くらい経験してるはず……箱入りに育て過ぎたか?いやでもその辺の令嬢なんかよりよっぽど外に出てんのに…」
「何ぼそぼそ言っているの?ジン?」
「あー…のねぇ、姫様?」
さすがに世間様からずれ過ぎている感覚に心配になったジンは、せめてヒントくらいはやるべきだろうと口を開こうとした。
しかしその台詞は音になることなく、後ろから発せられた若い女性の声にかき消されてしまう。
「ロザリア様!」
「ミシャ」
「ん?おー、姫様のお付きの侍女さん……大丈夫か?」
ミシャの額には汗がにじんでいて、呼吸も荒い。
なんとか体裁を繕って立ってはいるものの、今にも倒れそうな有様だ。
「お、お見苦しくて…申し訳…ありません。ロザリア様を探して王宮中を駆け回っていたもので…」
「それはそれは…ご苦労様」
王女という立場のロザリアが普段いるような奥まった区画から、騎士たちが鍛錬するようなこの場までは幾つもの建物と庭園を隔ている。
まっすぐに歩いてきたとしても相当の距離があり、馬で移動してしまうことも珍しくない。
そもそもが王女様がこんな汗と埃にまみれた男の園まで来ることを想定した構造をしておらず、むしろ見苦しいものは王族や訪れる客人からなるべく見えないように、離れた場所に造るのが当たり前なのだ。
ロザリアの立ち寄りそうな場所をしらみつぶしに回りながらここまでたどり着くまでに、どれほどの労力を使ったのか。
その苦労を想像すれば、さすがのジンも息を荒げている侍女に対しての同情心も沸くものだ。
「おい姫様……」
「ご、ごめんなさい、ミシャ」
「いいえ…ロザリア様の行動力を甘く見ておりましたわ。最近大人しくしてくださっていたものだから油断しておりました……私、精進いたします!」
「え、えぇ。頑張ってちょうだ、い?」
よく分からないがミシャは何やら固い決心を決めたらしい。
「んで、そんな必死に姫様を探すなんて、何かあったのか?」
「……………あ」
ミシャに訪ねてみたジンだったが、答えたのはロザリアの声だった。
小さな声を漏らしたロザリアの顔を屈んで覗き込んでみると、青い顔をして視線をさまよわせている。
「わ、忘れてた」
「何?」
「思い出していただけたようで何よりですわ」
「だから何?」
「あのね、リンヘル伯爵夫人のダンスのレッスンの日だったの。2時から…」
「あー。あのやったら行儀やマナーに厳しい怖いおばちゃんね」
礼節に厳しく少しの不作法も見逃さないマダムは、イマドキの若い少女たちにとって恐怖の対象にもなっている。
しかも怖い教師との授業の時間が過ぎているのにロザリアはここにいる。
それでミシャが大慌てでロザリアを探しにきたと言うことか。
怒れるリンヘル伯爵夫人を必死でなだめている侍女達の姿が目に見えるようだ。
「…相当なご立腹ですわ」
「あぁぁぁ…ジ、ジン!」
「いや、俺に振られても。大人しく謝るのがいいんじゃね?」
「うぅ。ね、ジンも一緒に来て?」
「あー、うん…。でもほら、俺もさすがに仕事にもどらないと」
「私を護るのが仕事でしょう?!」
「いやいや、だって可愛い部下たちが首を長くして待ってるしなー。うんうん、ってことで頑張れ姫様!」
ぐっと親指を突き立てて励ましてから、ジンは大きな手でロザリアの髪を一度撫でる。
そうしてからお説教の嵐に巻き込まれない為、砂埃の舞う鍛錬上に足を向けて後ろ手を振りつつ足早にその場を退散するのだった。
背中に恨めしそうな文句が届いたけれど、もちろん聞こえない振りをして。




