3 隣国の王子様 その2
翌日、ニーチェ国から来た王子殿下一行は予定通り正午ちょうどにロイテンフェルト王宮へ到着した。
応接室へ通されたのは代表数名で、ロザリアは彼らと顔を合わせていた。
「ニーチェ国第4王子殿下セイン様並びにお付きの方々、ようこそおいで下さいました。ロイテンフェルト国を代表いたしまして私ロザリア・ロイテンフェルトが皆様を心より歓迎させて頂きますわ」
ロザリアは裾の広がった桃色の華やかなドレスの裾を摘まみ、腰を落として優雅に礼をする。
胸元でくるんと綺麗にカールが巻かれ、頭上でリボンと共に編み込まれた茶色の髪が15歳という年相応の可愛らしさを醸し出していた。
背伸びして大人っぽい恰好をするよりも好意的に映ると断言してこの衣装を勧めたのは侍女のミシャだ。
ロザリア的には背伸びしたい年頃なので不満だった。
だが微笑ましそうな視線を向けるニーチェ国側一団の代表として挨拶に顔を見せた者達の表情からするに、どうやらミシャの意見が正解だったらしい。
「長旅お疲れでございましょう?お部屋の用意は既に整っておりますから、まずはごゆるりとお寛ぎくださいませ」
「もったいないお言葉です。有難くお世話になります、王女殿下」
セインの後ろに控えるお付きの者達が次々に頭を足れると、ロザリアは彼らに自愛深い笑みを湛えて頷いた。
いくらお転婆だからと言っても生まれてから15年間王族としての教育を受けて育ったのだ。
客人を前にしたロザリアの所作は完璧で、王女として客人への対応としては文句ないもの。
大体の人間は礼儀の行き届いた令嬢だと思うはず。
…なのに。
たった一人だけ、ロザリアの対応に不満気に眉をよせるものがいた。
帽子を脱いで胸元に置き、淡い金髪を晒している男は目も淡い金色だ。
日光を受けると絶対赤く荒れてしまうだろう真っ白な肌に、細身な身体。
背は180センチくらいで高いものの、横幅はないからひょろりとした印象を受ける。
彼の表情はロザリアを馬鹿にしたように見下したものだった。
そのセインは呆れるようにため息を吐きつつ首を横へふる。
(きちんと挨拶は出来ているはずなのに。何なのよ、その反応)
これまでの対応で不備などあるはずもないから、ロザリアからすればそんな馬鹿にした顔を向けられる覚えは一切ない。
だから意味が分からなくて、怪訝に首を傾げてみせた。
「なにかご機嫌を損ねるようなことしてしまいましたかしら?セイン殿下」
「あぁ、ロザリアが気持ち悪くて」
友好国の王女を侮辱するセインの一言に、ロザリアは湛えていた笑顔のままに固まってしまう。
慌てたのはニーチェ国からセインに付き添ってきた側付きや護衛たちだ。
「何をおっしゃいます王子!」
「婚約者になられる女性にそのような台詞、失礼すぎますよぉ!」
「申し訳ありません!王子は機嫌…いや、気分がすぐれないようでして!!」
「ほら王子、誤ってください!これでうっかり逆鱗に触れて問題になったりしたら笑いものですよ?!」
「…やめろ。痛いだろうが」
ついには主であるはずのセインの頭を押さえつけ、強引に謝らせようとしている側付きまで出てきた。
そんな大慌ての周囲にも構わず、セインは色素の薄い淡い金色の目を細めて、ロザリアへさらに失礼な台詞を突きつける。
「別に私は素直に思ったことを言っただけだろう。ロザリアが淑やかにしているなんて気持ちが悪いんだ。見ろ、鳥肌まで立っているじゃないか」
「っ……」
わざわざ自らの袖をまくって腕を見せつけてくるセイン。
今回の彼はいつものようにニーチェ国国王のおまけとしてくっついて来たのではなく、『主賓』として来たのだから、迎える側のロザリアも相応な態度で迎えていたと言うのに。
こんな屈辱的な文句を受けるなんて、理不尽すぎる。
ロザリアの元々あまり頑丈でもない堪忍袋の緒は、失礼な幼馴染の台詞によって簡単に盛大な音を立てて切れた。
「わざわざ王女様っぽく整えてあげた苦労を、「気持ち悪い」ですって?」
「あぁ」
「ぅわぁ、王子!この馬鹿!」
側付きの制止など気にもせず力強く頷くセイン。
怒りのあまり小刻みに震えながら、ロザリアは思いっきり息を吸った。
そして頭を側近に押さえつけられながらも飄々とした態度を崩さないセインに大きな声で吐き捨てる。
「セインの馬鹿ぁーー!!」
顔を赤くして怒るロザリアに、セインはにやりと歯を見せて意地悪く笑う。
「やっとらしくなったな。ロザリアはそうやって騒いでいればいいんだ」
これは『無理して気取る必要はないんだよ。そのままの君で良いんだ』なんて優しい心遣いからの台詞では絶対にない。
セインは本気で大真面目に、気持ち悪くて見たくもないから止めろと言っているのだ。
「どうせ騒がしいわよ。お淑やかな女でなくてごめんなさい?もうっ、やっぱりあなたと結婚なんて絶対無理!意地悪ばっかり言うんだから!」
「私だって不本意だ」
「なら断れば良かったじゃない!」
「出来るならとっくに実行しているだろう」
それが出来ないのは、本人たちの意志など関係ない政略結婚だから。
ロザリアもセインも、両国の関係をよくするための生贄のようなもの。
文句を言っても無駄。絶対にこの婚約は変えられないと分かっているけれど、それでも言わずにはいられないのだ。
怒りと憤りにわなわなとふるえるロザリアに、セインは首を振って呆れるようにため息を吐く。
「ロザリア、君は確かもうすぐ16になるのだろう?いい年をして子供みたいに我儘言うなよ」
「わ、我儘じゃないわ!セインみたいに失礼な人のお嫁さんなんてどんな令嬢も嫌がるはずよ!」
「あのな、この婚姻はもう決定事項なんだ。好き嫌いで無かったことに出来るはずが無いだろう。大人しく受け入れろ。いくら地団駄踏んだって泣き喚いたって無駄だ、無駄」
「地団駄なんて踏んでないものー!!」
怒りのあまり感情が高ぶり、目尻に涙をため始めたロザリア。
さすがにセインについてきたニーチェ国側の側近達は本気で王子を止めにかかる。
腰に剣を穿いた胸当てと肘当てのみの簡易鎧を着た騎士らしき茶色の髪の男は後ろから羽交い絞めに。
黒髪にメガネを駆けた神経質そうな顔の男は前に回って口を塞いでいる。
「もごっ…お前たち、一国の王子にむかって…」
「王子への不敬より両国の和平の方が大事です!」
「まったくー…普段は無口で何にも無関心なくせに、ロザリア王女殿下にだけはどうしてこんなに饒舌になるのやら」
茶髪の騎士がセインを取り押さえている間に、黒髪で銀縁メガネの側近らしき男が後ろ手に口を押えながらもロザリアの前へ進み出た。
メガネの淵を指先で押し上げて、無駄のないきびきびとした動きで頭をさげる。
お堅い容姿と、定規が入っているかのような真っ直ぐな姿勢。
非常に生真面目な人間のように見える。
「王女殿下、大変申し訳ありません。セイン王子殿下は長旅の疲れから寝ぼけているようでして。早く部屋へ下がらせていただいて宜しいでしょうか」
「…構いませんわ。晩餐会での国王陛下との顔合わせまでにその厭味ったらしい口を縫い付けて置いて下さい。…お三方をお部屋までご案内してちょうだい」
控えさせていた侍女が、主の命を受けて進み出る。
引きずられていくセインを見送ったロザリアは、応接室を出ると頬を膨らませ眉を吊り上げて廊下をかけていく。
こんな場には一分だって留まっていたくなかった。