2 隣国の王子様 その1
「ロザリア、お前の婚約が決まったよ」
ロザリアの父でありこのロイテンフェルト国の国王でもあるエリックがそう言ったのは、彼の一人娘の王女ロザリアが呑気にシフォンケーキを頬張って幸せ気分に浸っているときだった。
「っ?!」
植えられた木々の葉の隙間からほどよく陽の指すガーデンテーブルの上。
並べられた色とりどりのスイーツにご機嫌だったロザリアは、父に嵌められたことに気付いて顔を上げる。
丁度口の中に食べ物をいれてしまったばかりのタイミングだったから、とっさに反応出来ない。
もごもごと口を動かしながら、開いた手を前に突き出して『ちょっと待って』と身振りをした。
急いでそれを租借し飲み込んだあと、眦をつりあげて目の前の父を睨む。
「お父様がこんなに明るい時間から一緒にお茶会をしようなんて変だと思ったわ。普段は遅くまで政務にいそしんでいるのに、今日に限って呼ぶのだもの」
今はもうたった2人きりになってしまった家族で過ごす時間を楽しみにやって来たらこれだ。
「ロザリアは美味しいお菓子で釣りでもしないと捕まらないからな」
「う…だってわざわざお父様から呼び出しを受けるときは、決まってお説教なんだもの。逃げたくもなるじゃない。でも珍しいお菓子がたくさんあるって言われると…ほら、ねぇ?」
おかしいと思っていたと言う癖にあっさり釣られてほいほい出てきた娘に、エリックは首をすくめる。
「説教をうけるようなことばかりしている方が悪い。さて昨日今日は何をしていた?壺を割ったのか、それとも誰かの仕事の足でも引っ張っていたのか…」
「してないわ。全然してない。えぇ、それはもう真面目にお勉強をして過ごしていたわ」
ロザリアは気まずげに視線をそらした。
誤魔化すように切り分けられたチーズケーキを一切れつまんでジャムを載せると口に放り投げる。
フォークもナイフも使わず素手から口に入れるなんて、一国の王女としてどころか女としてあるまじき不作法。
ここに侍女長などがいれば絶対にお説教が飛んできただろう。
父が人払いしてくれていることに安堵して、ロザリアは今度は果物の山からベリーを一つ摘まみ口に運んだ。
「でも最近みんなが特に口うるさいと思っていたけれど。全部その婚約話のせいだったのね」
アメジストを思わせる紫の瞳を軽く伏せて肩をすくめると、胸元あたりでくるんとひと巻きした茶色の髪が揺れた。
小柄で愛らしい見目とはきはきとした口調に、生来持つ明るく素直な性格も合わさり、幸いなことにロザリアが少々マナー違反な行為をしてもがさつという印象は受けない。
かろうじで成人の16歳に届いていないこともあり、大抵の大人は可愛いものだと苦笑して許してくれる。
(それでも場所くらい弁えて行動しているわ。怒られるほどひどい有様じゃないと思うのだけど)
行事ごとや客人の前などではきちんと王女様らしく振る舞っているし、時と場合を考えて淑やかにしなければならない場面では大人しくしているのだ。
なのに近頃の侍女や教師たちはロザリアに普段からの淑女としての嗜みをきつく求めてきていて、息苦しかった。
(馬もだめ、剣もだめ、お忍びで城下に降りるのもだめ。いつだって綺麗に着飾り、淑女らしく淑やかに…だものねぇ。今まで許してくれていたのにどうしてなのかと思っていたけれど、つまり花嫁修業の一環だったってことか)
やっと近頃ロザリアを悩ませていた謎が解けた。
きっとロザリアの知らないところで噂かなにかが広まっていたのだろう。
息をついてベリーの果汁のついた指を赤い舌で舐めて、エリックへと目を向ける。
「それで一体どこの何方が将来のうちの王様になるのかしら」
ロイテンフェルトの王家直系は現在父のエリックと娘のロザリアの2人だけ。
跡継ぎのロザリアと結婚するということは、相手は王家に婿養子に来るということだ。
「驚いたな。もう少し嫌がると思ったのだが」
「だって皆して「そろそろ王女も年頃ですねぇ」なんてこれ見よがしに言って来るのよ。婚約者の1人や2人、予想はしていたわ」
ふつうの王族なら何人もの妾を持ち、可能な限りたくさんの子供をと望まれるのが当たり前。
王家の血には、それだけの影響力と価値がある。
だから現在の直系の子供がロザリア一人だけだと言うのは異常な状況でもあって、未来を愁う大臣達の長年の悩みの種になっている。
16歳の成人も目の前に迫った今、結婚の話が出てくるのは不思議ではなかった。
「私にだって王族に生まれた者としての責任くらい承知しています。ロイテンフェルトの為ですもの、政略結婚だろうがなんだろうが、結婚くらい喜んでします。余程の相手ではない限り嫌がらないわ」
「そうかそうか。喜ばしいことだ」
「それで、何方?」
「ロザリアもよく知っている人物だ。誰だと思う?」
勿体ぶってみせる父に、ロザリアは片眉を上げて覚えている貴族たちの顔を思い浮かべる。
「王家と婚姻を結びたい家でしょう?その上独身で年齢が見合って、相互の家に利益を得ることが出来る人。だとするとグラリエール公爵か…それともロニ公国の第二公子あたりかしら」
「残念、違うな」
「あとはメロウ侯爵の次男とかリーリオ伯爵の三男とか?」
「それも違う」
「うーん…なら、スワロー男爵の子息は?爵位は低いけれどお金はあるもの。年は離れているけれどココ侯爵も可能性ありかしら」
「……ロザリア、一番可能性のある男をわざと外しているだろう」
「え?えぇっと……」
エリックの指摘通り、一番可能性のある人物をロザリアはわざと口にしていなかった。
言葉として出してしまえば事実になってしまいそうで、だから敢えてはずしたというのに。
そんなロザリアの逃げ道を防ぐかのごとく、エリックは彼の名前を口にしてしまう。
「我がロイテンフェルト王家、第一王女の婿として迎える人の名は、セイン・ルー・ニーチェ殿。隣国ニーチェ国の第四王子だ」
ニーチェ国はこのロイテンフェルト国と国境を隣接する隣国。
長年に渡り友好を気付いてきた関係であるから、血による絆を深めてその関係をより強度なものにすると言う話が出ないはずがなかった。
「………やだ」
「嫌がらないと先ほどいったばかりだろう」
「余程の相手でなければ、とも言ったわ。セインが旦那様なんて絶対いや。上手くいくはずがないじゃない。お父様は一体いままで娘の私の何を見てきたの?私が一度だってセインを褒めたことがあった?」
「まぁ確かにお前たちは顔を合わせるたびに問題を起こしているが…しかし見ず知らずの男より余程良いだろう?」
エリックの言葉に、ロザリアが眉を吊り上げる。
たしかに行事や会談がある度にお互いの王や重鎮を招待しあっていることもあり、ロザリアもセイン王子も幼いころから何度も顔を合わせてきた。
2人はいわば幼馴染と呼べる間柄だ。
でもセインのことを良く知っているからこそロザリアはこの婚約話に頷くことなんてできなかった。
「気が合わないのよ。口を開けば文句ばっかり!」
「遠慮なく言い合える相手に出会えるのはなかなか無い貴重なことだぞ。それにな、お前の相手には思慮深く冷静な男がいいとおもうのだ。放って置いたらどこまでも突っ走っていくから、止められるくらいの気概がないといけないだろう?」
「それって私に思慮深さと冷静さが足りないと言う意味?」
「まぁ、もう少し落ち着きを持ってほしいとは思わないでもないな」
父からの微妙に遠回しな小言に、ロザリアは不満そうに口を尖らせてそっぽを向く。
父のエリックと亡き母フローラは、周囲も羨む仲の良さだった。
亡くなって5年もたつのにエリックは後妻はおろか側室さえ取ろうとせず、王家というのに直系の子供はロザリア1人きりという少し奇異な状況。
そんな相思相愛な2人を見て育ったのだから、自分が築く家庭にも愛用溢れたものを夢見るのは当然だ。
あまり他人に嫌われる性質でないロザリアだから、政略結婚だろうと相手と上手くやれる自信もあった。
(なのに、よりにもよってセインだなんて)
大抵の人と仲良く出来るロザリアの、唯一の例外が相手だなんてがっかりだ。
2歳年上であるニーチェ国のセイン王子とはことごとく気が合わない。
冷静沈着なセインと、明るく素直なロザリアの性格は正反対で、昔からどうやっても仲良く出来ないのだ。
だからと言って簡単に拒否出来ないことも分かっているから、ロザリアはため息をはいて肩を落とす。
一介の貴族どころか平民であっても、基本的には親同士の話し合いか、もしくはお見合いかで決まる世の中だ。
世の女の子はロマンス小説のような熱く燃えるような恋愛の末の結婚をもちろん望んでいるけれど、実際に恋愛結婚する人なんてあまり聞いたことがない。
「……決定なのね?」
「あぁ。決定だ。既に婚約披露の場の準備を進めている。明日にはニーチェ国御一行も到着される予定だ」
「明日?!待ってよ。ニーチェ国の王城からここまで1か月半はかかるはずよ?」
急過ぎる予定に驚いて、思わず立ち上がったロザリア。
勢いをつけ過ぎてテーブルの上のカップが跳ねて、白いクロスに紅茶の茶色いしみがじわじわと広がっていく。
でも今はそんな事にかまってられない。
(両国の話し合いの上に婚姻が決定して、婚約披露の準備、その後政務や諸々の予定を立ててニーチェ国を発って今にいたるまでに、どれほどの月日があったと言うのよ…)
想像するだけでも少なくとも半年以上、いやおそらく年単前から計画されていたはずだ。
心の準備さえさせてくれないのかと目眩さえおぼえて、手を付いたクロスの上できゅっと手を握り込む。
「いくらなんでも勝手すぎるわ。まさか明日だなんて…こんなに直前になるまで秘密にしておくなんて、信じられない」
「セイン殿が相手だと言ったら嫌がってしばらく行方をくらます程度のことするだろうからな」
「あ、当たり前よ。せめて抵抗くらいさせて貰わないと気が収まらないもの」
最終的に断ることなんて不可能と分かってはいても、ロザリアが大人しく頷くなんてありえない。
せめて納得いくまで悪あがきをさせて貰わないと。
(あぁ、そうか。明日に迫るまで私に秘密にしていたのは、そんな行動をやらかす隙を与えないためなのね)
準備期間さえあればセインの来る時期に合わせて城下へと一時的な家出くらいしてしまうロザリアへの対抗策のうちの一つなのだろう。
ロザリアの性格がこうだから、ここまで強引に進めるに至った経緯と理由に理解はできる。
だがもちろん納得はできない。
テーブルの上の拳を震わせて睨みつけてくる娘を見あげながら、国王エリックは朗らかにほほ笑んだ。
「私の後を継ぐ大事なお客人だ。いつものようにけんか腰にならないようにな」
「……セインに言ってちょうだい。いつもいつもいっつも!悪いのはセインだもの!」