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17 裏切り

-----お腹、へった。



ぼんやりとそんなことを思いながら、ロザリアはゆっくりと瞼を上げる。

彼女の紫色の瞳に最初に映ったのは、窓から見える三日月。

最後にセインの部屋でみた月はまだ低い位置にあったけれど、今はもう頂上まで昇っていた。


「っ……?」


起き抜けで頭の中がかすんでいて、上手く思考が働かなかった。

頬にあたる床の砂の感触と、鼻につく埃臭さに、ずいぶん古びた建物の中にいることだけは理解したけれど。

ロザリアはゆっくりと目を動かして当たりを見回す。

ランプ一つなく、窓から差し込む月の淡い光くらいしか光源がないからずいぶん暗い。

それでもしばらくして目が慣れれば室内の全体像くらいはぼんやりと見えてくる。


家具ひとつない、ずいぶん狭い小部屋だった。


「そ…だ…」


見覚えのない場所に、ロザリアはやっと気を失う直前の出来事を思い出す。

重い頭を振りかぶって、床に手をつき身を起こした。

手のひらのざらざらとした感触。

長い間掃除さえしていないらしい部屋らしい。


「王宮じゃ、ない…?」


もし王宮だったなら、どれだけ使用していない部屋でもひと月に一度は掃除の手が入るはず。

こんなに埃っぽい状態で放置されているなんてありえない。


(えぇ…と…誰かに掴まって、浚われて、だから私はここに居る?)


額に指をそえて状況を把握しようと、考える。


(ここ…ここって何処?)


今の状況に現実味がなさ過ぎて、どうして良いかが分からない。

急いで逃げる手段を探すべきなのか。

それとも、犯人の要求を聞いて大人しくしているべきなのか。


「確かこういうときの対策の授業を何度か受けたような…気、が…?」


うんうん唸っていると、キィっと、古い木造(きづくり)の戸がゆっくりと開けられた。


ランプの灯りひとつない暗い小部屋に、廊下からの灯りが差し込んだ。

暗闇に慣れ開けていた目には眩しくて、思わず目を眇めてしまいながらも、ロザリアは小部屋に踏み入ってきた男達を見上げた。


そして地に座り込んだまま、驚きのあまりに息をのむ。


「ジ、ン?」

「よぅ、起きたみたいだな。おはよう、姫様」


煌々とした廊下からの灯りが逆光になっていて、表情が良く見えない。

けれど室内に入ってきた3人のうち一番先頭で堂々と立つ大柄なこの男は、間違いなくロザリアの良く知る騎士だ。

子供のころからずっと傍に居て守ってくれた、誰よりも信頼している人。

その彼の声を違えるはずが無かった。

彼は髪と同じ赤い瞳を鋭く細めて、床に腰を下ろしているロザリア見下ろしている。


「どうして、ここに居るの?」


押し寄せる不安の中で、ロザリアは訪ねた。

助けに来てくれたのか。と一瞬思ったけれど、にやにやと下卑た笑いを浮かべる怪しげな男たちと肩を並べた違和感に気づいて思いとどまった。


おそらくこの男たちがロザリアを誘拐した者達だ。

その彼らとジンが、どうして一緒にいるのか。

こうしてて土埃ばかりの床に膝をついているロザリアを前にしているのに、どうしてジンは手を差し出してくれないのか。

いつも朗らかに笑うジンは見当たらない。

背筋が凍るような、やけに冷えきった固い空気を纏っている。


(怖い…)


ジンが怖いと、初めて思った。

いつもロザリアを守ってくれた、頼もしい騎士のはずなのに。


「っ、答えなさい、ジン・カーベル。どうして貴方が彼らと仲良さそうにしているの」


もう一度問いただしたロザリアの声は凛と張っていて、王女の品格を兼ね備えたものだった。

己の騎士を従わせる、主の言葉。

いつものジンならば躊躇いなく膝を折り、ロザリアと視線の高さが合うようにしてくれて、「大丈夫か?」と言ってくれたはずだ。


「……この状況でこっち側に居るんだよ、いくら姫様でもわかるでしょ?」

「っ………」


ロザリアの表情が泣きそうに歪む。

心臓が一瞬止まり、胸に細い枝で突き刺されたような鈍痛が走る。


「…っ…貴方が、誘拐犯についたと。私の騎士だと思っていたのは間違いで、実は反王派の人間だってこと?」

「ご名答。賢いですね」


ジンの口端が楽しげにあげられる。

褒められているのに、全然嬉しくないどころか背筋がぞくりと強張った。


「理由は?お父様の行いに何か不満があったの?」

「あなたには関係ないでしょう。どうせここで終わるんですからね」

「っ」


終わるとは、この場合ロザリアの命がと言う意味だろう。

ここでジンはロザリアを殺すつもりなのだ。


「ジン……」


ロザリアの紫色の瞳が揺れる。

混乱と不安で、今何を言うべきなのかが分からない。

ただ彼はもうロザリアの傍に居てくれるつもりは無いのだということは分かった。


(ジンはもう、私の騎士ではない?)


信じた人に裏切られるのは、暗く深い穴に突き落とされるような気分なのだと初めて知った。

苦しくて、息が詰まる。

もう何も言えず、項垂れ肩を落としてしまったロザリアを、ジンは一体どんな顔で見ているのだろう。

想像すると怖くて、ロザリアはもう顔を上げられない。

うつむき黙り込んでしまったロザリアの上から、良く知っているのに知らないような、固い声がふる。


「…時間まで、待っていてくれ」

「じ、かん」

「…………」


ロザリアを殺すために時間が重要なのか。

それとも反王派の誰かが到着するのだろうか。

もしかすると、5年前と同じようなことをするつもりなのかもしれない。


だとすると薬漬けにされてもう判断も着かないような狂った男たちの中に、ロザリアを放り捨てるための準備の時間か。


「や…や、だっ…」


ロザリアは弱々しくかぶりを振った。


(怖い!)


5年前の記憶がはっきりと思い出されてしまって、全身から嫌な汗が噴き出した。

母の悲鳴。

殴られた時の鈍い音。

押しつけられた煙草で肉が焼かれる、あの匂い。

狂った男たちの笑い。

身体を擦りつけ下卑た台詞を耳元で囁き続ける、見知らぬ男の体温。


酷似しすぎたこの状況のせいで、まるで昨日のことのようにロザリアの感覚をあのころへと戻してしまう。

今度は見せつけられるだけでなく、実際にロザリアが拷問を受けるのだと諭しされてしまえば、血の気が引いて指先の感覚さえおぼつかない。


こういう時こそ王女らしく背筋を伸ばさなければならないのに。

だって自分はそういう立場の人間で、いつどうあっても俯いてはいけないのだ。

頭が悪くて難しい政務が出来なくて、だから笑って元気を分けることくらいしか出来ることがないから、それ(笑顔)だけは無くさないようにしようと決めいていた。

だけどどうしても震えが、とまらない。


「ジ、ン…ジン!ジン!やだ、助けてっ…!」


いつだってロザリアに差し出してくれた力強くて優しい手を、今これほどまでに欲している。

けれど滲んだ視界で見上げたロザリアの目に映る彼の表情は冷たく凍ったまま。

ロザリアを救ってくれようというそぶりなんて、僅かにも見せてはくれない。


「っ……」


アメジストのような瞳から、大粒の涙がほろりとこぼれおちる。

うっすらと土埃の張った古い木床に落ちた涙は、そこへ点々と跡をつけた。


それにさえもジンは一切の反応をしない。

もう視線さえもロザリアに向けてくれず、明後日の方を向いて、凄く面倒くさそうに赤い髪をかきあげ、深い息を吐く。


「変な抵抗なんかしないで、大人しくしといてくれよ。頼むから」


そう言い捨てて、縄で縛られて動けないロザリアを残し、ジンと他の男たちは部屋を出て行ってしまう。


「………うそ」


扉が閉じられると、部屋の中はまた暗くなってしまった。

唯一の灯りは、やはり窓からさし入る月光くらいで、しかし室内を照らすには弱すぎる。


暗い世界に一人きりになれて、ロザリアは膝を抱えこんで小さくなる。


「っ……セイン…」


彼が来てくれないことなんて分かっている。

だって今頃セインは、床に伏せている。

どうやったって立ちあがるのさえ難しい体調のはずで、呼んだって彼が来てくれる可能性なんて1ミリもありはしない。


それでも無意識に、ロザリアは幼馴染の王子様の名前を何度も呟く。



-------5年前。


壊れてしまう寸前まで追い詰められたロザリアを救いあげてくれたのは、彼だから。


誘拐事件のあとはジンも、ミシャも、父でさえもロザリアに気を使って息が詰まるような毎日。

悪戯をしても苦笑されて、授業をエスケープしても仕方ないと許されて。

ひそひそと交わされる声の中身は、尾ひれをつけてひろまってしまったロザリアと母の受けた仕打ちの話。


いつもと違う周囲の反応。 王宮に蔓延する張りつめた緊張感。

母を亡くしたショックと悲しみに押しつぶされそうな状態なのに、ピリピリとした空気の中では声を上げて泣くことも憚られた。

24時間絶え間なく監視がつくことになってしまったから、隠れてこっそり落ち込むことさえ難しくて。

周りの大人たちが放つ息苦しさにも耐えられなくて、不安定なロザリアは壊れてしまいそうだった。



でもセインだけは、相変わらずロザリアを馬鹿だと言って、頭を小突いてきたのだ。

ロザリアを思いっきり怒らせたり、うっかり言い過ぎて泣かせたりと、心の中にたまった色々なものを吐き出させてくれた。

セインがああやって発散させてくれなければ、ロザリアは今のように奔放な性格のままでは絶対にいられてなかった。


(そう言えば、セインがことに意地悪になったのってあの頃からだったわ)


考えてみれば幼いころのセインはただ大人しくて無口な子だった。

わざわざ嫌なことを言うためにロザリアの居る所に足を向けてきたような覚えは無い。

今でこそすらすらと湯水のごとく溢れでてくるあの憎まれ口の最初は、ロザリアを元気づけるために始まったのだったのだ。


「助けて…」


もしかしてまた今回も救ってくれるのではと期待してしまうのは、浅はかな望みだろうか。



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