16 再びの悪夢
(よく分からないけれどアーサーは私を目の敵にしているってことよね)
彼はなんだか難しいことを目をつり上げて話していた。
けれどその話が重要なことでないと言う事は、その場にいた誰の反応からみても明らかだったから、もう面倒くさすぎて途中から理解するのは諦めた。
(お説教なんて日頃から聞きなれているのに。その上、身に覚えのない意味不明なことで怒られるなんて堪らないわ)
医師や助手の女性たちが促してくれなければ、こうして着替えに自室に帰れたのはずっと後になってしまっていただろう。
「護衛ごくろうさま。宜しくね」
「は!何かございましたら直ぐにお呼び下さい!」
扉の前に立つのは2人の騎士。
事件の直後なだけに肩に力が入りすぎのようだ。
ロザリアは彼らの緊張をほぐせるように気楽に笑って声をかけてから、ミシャと2人で私室に入った。
「……?」
部屋の扉を閉じてすぐ。
何か音がした気がして、部屋の奥を思わず見つめる。
「ロザリア様?」
「何か、寝室から音がしたような…」
「本当ですか?」
ミシャは何も聞こえなかったみたいで首を傾げていた。
音がしたのはロザリアがくつろぐスペースとして使っているこの居間とは続き部屋になっている寝室だ。
厚い扉で阻まれているから気のせいの可能性も大きい。
だから気にする必要はないのだが、悪意を持つ者が王城にいる可能性が高い今、不安感はぬぐえなかった。
そんなロザリアの心境を読み取ったのか、ミシャがロザリアの背に手をあてて頷いてみせた。
「護衛の方に同行して頂いて、私が見てまいりますわ。」
「…えぇ。お願い」
ロザリアの許可を得たミシャは廊下側の扉を少し開けて、一人の騎士を呼び寄せる。
その騎士に寝室へ続く扉を開けてもらう。
顔だけを寝室へと入れて左右を見たらしいミシャが、一度体を戻してロザリアを振り向く。
「何も無いようですが、隅から隅まで調べて頂きましょう。姫様は既に調べ終わっているこの部屋でお待ち下さい。すぐに着がえを手伝う他の侍女も参りますし、ロザリア様は絶対に部屋からお出にならないように。絶対に、絶対にですよ」
「分かったわ」
廊下は騎士が見張っている上、ロザリアの部屋は3階だから窓からの侵入も難しい。
窓側から望める庭園にも兵が何人も張っている。そのうち何人かはロザリア付騎士団の騎士たちも入っているはずだ。
外からの侵入が不可能なこの部屋が一番安全だからと、ミシャは騎士と一緒に扉をくぐりながらも何度も大人しく部屋に留まるようにと言ってから、部屋を出て行った。
ミシャを見送ったあと、息をついたロザリアは髪から白いリフェルトの花を外す。
もう何時間もたっているのに切りたてのような瑞々しい純白を保っていて、痛みなんて一切見当たらない。
甘くて爽やかな、リフェルト独自の香りがふわりと香った。
「これが婚約の証…」
ロザリアは手の中にある白い花をなんだか落ち着かない気分で指先でくるくると回した。
(婚約したと言っても何も変わらないような気がするし、何かが変わったような気もする。とにかくこれからは人前では幼馴染ではなく婚約者として接さないといけないってことよね)
婚約者扱いと言っても具体的にはどうしていいのかはさっぱり分からない。
たぶん今までより仲良さそうに見せるべきなのだろう。仲良くないのに。と、そんなことを考えながら手元の花を遠くに持って来たり、近くで凝視してみたりと、なんとなしに観察した。
着替えをここでするわけにもいかないから、ミシャが帰って来るか手伝いの他の侍女が来てくれるまでは手持ちぶたさなのだ。
--------一輪の花を眺めているロザリアの背後から、気配を消していた何者かの手が忍び寄った。
「っ?!」
その手はロザリアが気配を感じるより早く、後ろから彼女の口元を抑えてしまう。
室内の確認はすでに済ませてもらっていたから、部屋のどこかに潜んでいた可能性はほとんどないはずだ。
全ての出入り口は騎士が張っていて、侵入なんてできないはず。
なのにどうして、こんな状況にロザリアは追い込まれているのか。
口元へあてられた手に布が挟まれているのに気がついて、息を止めようとしたときにはもう遅かった。
ぐっと鼻と口にそれが押さえつけられた瞬間。
布きれに塗布されていた何かの効能で急速に意識が遠のいていく。
「っ……」
-----数分後にミシャが帰ってきた時には、すでにロザリアの姿は王宮内のどこにもなく。
室内に残されていたのは、絨毯の上で踏みつぶされたリフェルトの花だけだった。
*************
「ロザリア様が居ないだと?!」
「は!不審な人物が城壁近くで確認されたらしいのですが、見失ったようです。おそらくその者に…」
「連れ去られたと、言うのか」
緊急招集を受けた重臣たちが、円卓にずらりと並び腰かけている。
「いつものように自ら抜け出された可能性は…」
「この様な状況で場を離れるような無責任な方ではございません。そもそもいつもの城下への外出も遊びで行っているのではありません」
「えぇ…ではやはり、その不審人物に連れ去らわれたと言うのが濃厚ですね」
扉の脇で青い顔押した伝令役に報を受けた彼らは皆、それぞれにため息を吐き、5年前の誘拐事件を思い出した。
王妃が悪意のある者の手に落ちた凄惨な事件。
酷似したこの状況に、もし亡き王妃と同じ状況に第一王女が落とされたならばと、全員が重苦しく厳しい表情で唸る。
もう直系の子どもはロザリア王女しかいないのだ。
通常何十人もの側室を迎え、多くの子孫を作ることが必要であるはずの王族なのに。
直系が一人と言う王家断絶の危機に重臣たちは何年も頭を悩ませていた。
さらに今、その最後の一人さえ失うかも知れない事件に直面している。
彼らの額にはうっすらと冷や汗がにじんでいた。
「…5年前は王妃の第二子懐妊の報がされた直後でしたか」
そして今回は、ロザリアの婚約が正式になったと同時に事件は起こった。
時期からみて王家に何らかの私怨を抱き、王家繁栄を阻止しようとしている者以外に考えられない。
「おそらくあのときと同じ方法で同じ人物が行ったものではないかと」
「そんなこと言わんでも分かっている!」
どんっ、と机に拳が叩きつけられた。
「扉も窓も見張りがいたのだからな」
出入り口には騎士が護衛をしていて、侵入は不可能。
だとすると可能性は一つしかなかった。
「どうして対抗策を講じなかった?!」
「あれについては王族の方々しか詳細を知りません。我々では把握不可能ですし」
「王女が脱走する時の抜け道になっているって噂くらいしか…」
おそらく犯人が使用したのは王族しかしらないと言われている抜け道だろう。
王族が親から子へと極秘裏に受け継がせているもので、5年前に捜査の為だとエリック国王に公表を促しても存在自体を否定されてしまっていた。
建国以来、何十代と言う王族が守り抜いてきた秘密だ。
たった一つの事件の為に表に出すことは出来ないのだろう。
たとえその事件が王妃の誘拐殺人事件であったとしても、エリックは王として絶対に守らなければならない秘密を守ったのだ。
その判断が間違っているとも思えないから、更に詰め寄ることはできなかった。
しかし5年前の事件の解決を望む民の声は未だに大きい。
それほどに王妃は影響力のある人物だった。
「…今度こそ、逃がすわけにはいかん。ロザリア様は必ず無事にお救いする」
唸るような声が室内に響き、誰もが同意するように頷いた。
…王族のみが知りえる抜け道を知っているであろう人物。
直系の血筋が途絶えたあと、利益を得ることが出来る者。
5年前も怪しい行為を繰り返していたが、結局証拠を得られず地方へ追いやるくらいしか出来なかった。
「王弟、トーマス公爵殿から絶対に目を離すな。どこの部屋にいらっしゃる?」
大臣の一人が控えてきた伝令役に、厳しい表情でそう訪ねる。
しかし伝令役の青年は眉を下げ、困惑した表情でうつむいてしまう。
「それが…婚約の義が終わった直後から姿が見えないらしく…」
「なっ…!!」
どうしてそんな大事なことを早く言わないんだ!と、全員が声を張り上げそうになった。