12 幼馴染が婚約者になった日 その3
クリスタルで出来たシャンデリアが天井で煌めき、反射した七色の光が床を照らして繊細な模様を形作る。
大広間の上座に設けられている王座の数段下の左右では、王族専属の楽団がずらりと並んでいた。
客人たちの歓談の邪魔にならない程度の音量で、楽団による心地の良い音楽が奏でられはじめた。
「……逃げたい……」
華やかな大広間を、ロザリアは半円状の3段の舞台で出来た上座の袖幕からこっそりと覗いていた。
極上のもてなしを受けてリラックスした様子の招待客たち。
ロイテンフェルトの主だった貴族や近隣各国からの招待客は皆、今か今かと今日の主役の2人の登場を待っているのだ。
「姫様姫様、ここ。俺ら護衛がこっそり控える場所なんだけど。裾すっげぇ引きずってるぞ。こんなとこに居たら埃まみれになるって」
今日の主役であるのに裏方でこそこそしているロザリアの背後から声がかかる。
振り返ると珍しく着崩していない紺色の騎士服を纏ったジンだった。
戦いに向かうときの鎧作りのものとは別の、王宮での式典用にあつらえられたタイプの礼装だから、立ち襟にアスコットタイを巻き、金糸の刺繍や金釦などでも飾られていて華やかな印象を受ける。
いつもなら邪魔だと着けていない副隊長職を示す腕章、胸元にはこれまで授かったいくつもの勲章もつけていて、完璧な正装のいでたちだ。
「今日は髪まで整えているのね」
乱雑に逆立っていた赤髪も後ろへと撫でつけられていて、それをジンは得意気に胸を張って見せつけてくる。
「どうよ。いつももワイルドで格好いいけど、今日はインテリな感じで更に恰好いいだろう?」
「…そうね。確かに格好いいわ」
けれど見慣れなすぎて違和感満載だ。
どうせ明日には『やっぱ楽なのが一番だよなー』と言って着崩しているのだろう。
ジンの正装は一晩も持たないと、何年も一緒にいるのだから知っている。
「トーマス公爵がなんか言って来たんだって?」
髪形の話をしていたのに突然に話題を変えられていて、ロザリアは驚いて顔をあげる。
何もかも分かった風にしたり顔でいるジンをじとっと睨んだ。
「ついさっきの話なのに、もう知っているなんて。…情報がはやすぎるわ。間諜でもつけてるんじゃない」
「さすがに姫様にはそんなの付けられませんって。まぁそりゃあ副団長ですし?そういうことについては寝てても報告が上がってくるからな」
ジンは数十人いるロザリア付き騎士団員の中でも特別だった。
副団長と言う立場でありながら、団長である男よりよっぽどロザリアと近いところに彼はいる。
それは彼がロザリアが13歳の時に剣を捧げてくれたから。
生涯をかけて忠誠を誓う主として、ジンはロザリアを選んでくれた。
だからロザリアもジンには絶対の信頼を置いているし、周囲の者達もロザリアに関するすべての情報をジンの元へ報告するのだ。
「んで?トーマス公爵からの援助を受けるのか?姫様、今回の縁談すっげぇ嫌がっていたもんなぁ。破断してもらえるなら願ったり叶ったりだろ。良かったなぁ」
確かにロザリアはセインのことなんて大嫌いで、婚約の次にくる結婚なんて考えれば憂鬱すぎて叫びたくなる。
「ジンまで意地の悪い事言わないで。分かっているくせに……」
ロザリアはわずかに目を伏せて、小さくつぶやいた。
「叔父様の手を借りるのは、違うと思うもの。確かにセインとの婚約を破断にしてくれる手があるなら嬉しいことだわ。だって私はこの婚約を望んでいなかったから…そうやってもお父様とお母様みたいなあったかい家族を作れる気がしないもの」
けれど、願いを叶えるためにトーマス公爵の手を借りるのは嫌だとロザリアは思った。
あの欲に満ちた目では、きっと何か良からぬ手段を考えての提案だろうと誰であってもわかる。
誰かを傷つけたり、どこかに被害を出す形で婚約を保護に出来ても全然嬉しくない。
それどころか罪悪感で落ち込むだけだ。
「…要らないわ。叔父様にはお断りの返事をするつもり」
顔を上げてはっきりと首を横へ振ると、ジンは嬉しそうに笑って頷く。
どうやらロザリアの出した答えが彼のお気に召したらしい。
「しっかしあの人も懲りないよな。目に余る行為が増えてきたってんで地方に飛ばされまでしたのになー」
「えっ、そうなの?」
「王弟って立場だし、それに変に用心深くて実刑に出来るような証拠も出なかったらしい。 だから処罰は難しいけど、どうにか目の届かないところに送ってやろう!って感じで大臣さんたちが結束して遠くに追いやったんだってさ」
「私、まったく知らなかったわ。王弟が飛ばされるなんて結構な騒ぎになったはずなのに」
「いやいや、ちょっと他のことで世話しなかった頃だから。陰になっちゃってあまり世間に知られてないんだ。だから知らないのは当然だって」
「そう、なの…?」
「そうなの」
王弟でありながら地方へ左遷されるほどの行い。
一体何をやらかしたのだろう。
「大臣の方々が結束したと言うのだから、よほどなのね。…私の知っている叔父様は、厳格で厳しいお方だったのに」
「あー…長く生きていれば色々あるからなぁ」
腕を組んでしみじみと言うジン。
何か思い当たるふしがあるのかと尋ねてみれば、大人ってのはそんなもんなんだよと苦笑して返されてしまった。
子ども扱いされているみたいでちょっと気に入らない。
「あんまり良い印象受けない人だから会いたくないだろう?でも悪い。こう言う大きな式典に王弟が出ないってのはなかなか体裁が悪くて、欠席させるのは難しいみたいなんだ」
後頭部を掻いて詫びるジンに、ロザリアは笑う。
そんな事を気にしていたのか。
「大丈夫よ。ジンが守ってくれるのでしょう?」
ジンが側で守ってくれるなら何も怖いことはないと、気持ちを込めて笑ってみせる。
「当ったり前だろ」
幕裏の薄暗く狭い場所で、顔を寄せ合って2人で微笑みあう。
そんなやり取りをする彼らに向けられていたのは、渡り廊下の向こう側からこちらへと歩いてくる金髪の王子様からの、射殺すような強い視線。
これは主にジンヘと向けられた殺意だろうと、気配を読むのに優れたジンは直ぐに気づく。
ロザリアはいまだに彼が近づいて来ているのに気づいていない。
「ロザリア」
「…う、え?」
ロザリアの名を呼びながら近づいてきたセインを振り返ると、明らかに怒っている。
今日はじめて会ったのだから、怒らせるようなことなんてしていない。
まったく全然身に覚えがないのに、どうしてセインがこんなに不機嫌なのか。
ロザリアにはさっぱり分からなかった。
戸惑うロザリアの隣にいるジンはセインへと意地悪く笑ってみせる。
まるでロザリアとの仲のよさを見せつけてやるかのように。
するとセインは案の定さらに機嫌を悪くしたようで、眉間にしわをよせた。
「ったく。そんなに大事に思ってるなら、優しくすりゃあいいのになぁ」
「何?」
ジンの小さな呟きの意味がロザリアは理解できず、首をかしげた。
小さな声だからセインにまでは届かない。
そもそも不機嫌なセインが1歩1歩こちらに向かってきているのが怖くて、動揺してしまって普段以上に頭が回らなかった。
「一方は国宝級のニブニブなお子様。もう一方は素直になれない意地曲がりなやつときた。ものすっげぇ面倒臭いなぁって」
ジンが呆れたようにロザリアを見て言うけれど、意味が分からない。
ただ脈絡のない意味不明な台詞に怪訝に首をひねるだけだ。
着々と近づいてくるセインは相変わらず厳しく細めた目で睨みつけている。怖い。
薄暗いこの場ではセインの薄い金色瞳はうっすらと光っているようにも見えて、それは獰猛な獣の瞳にも似ていた。
「…ジンってば何言ってるの?」
「あぁ。もういいんだ。あと10年くらい自覚ないままでいきそうだし。かみ合わないお子様たちを遠くから眺めてるのも楽しそうかなぁって思えてきたわ」
「ジン?」
ロザリアに理解できない言をぶつぶつ言っている騎士の頭がどうかしてしまったのだろうか。
よく分からないけれど、とりあえず体調をたしかめようとジンの額に手を伸ばした。
しかしジンの額に届く前に、横から伸びたセインの手に掴まれてしまう。
驚きで目を丸めながら掴まれた手とセインの顔を交互に見て首をかしげる。
「セイン?」
「ロザリア、もう時間だ。行くぞ」
「え、でもジンが…」
「いいからっ…」
苛立った風に手を引かれてしまうと、長いドレスのすそが足にからまる。
生まれ育ちから裾の長いドレスには慣れてはいても、さすがにパンツ姿のセインと同じ速さでなんて歩けなくて、ロザリアは足を踏ん張って慌てて声を上げた。
「セイン!ちょっと待って…!」
「おいおい王子様ー。姫様の格好考えてやれよ。あんたが選んだドレスなんだろう?」
横からジンに差し水をかけられて、セインは苦虫をつぶしたような顔をしてジンをキっと睨みつける。
次にその意味を理解したようではっと瞬きしてから、彼はロザリアへとゆっくりと視線を移した。
金色の目でじろじろと上から下まで眺められてしまい、結構頑張ったお洒落をしているつもりのロザリアは、思わず背筋を正してしまう。
どうしてセインに見られて緊張するのかなんて、考えもつかないけれど。
ロザリアはただ彼の目に自分がどう映るのかだけが気になって仕方がなかった。
「悪い…」
「え。う、ううん?」
瞼を伏せて小さな声でわびるセインに、ロザリアは驚きつつ首を振った。
(セ、セインが素直に謝ってる?)
「っ………ほら」
差し出された手と、どうしてか機嫌の悪そうなセインの顔。
「ありがと、う?」
ロザリアは不思議そうにそれを交互に見ながらも大人しくその手に自分の手を置く。
(からかわれない…?)
きっとロザリアをからかう為だけにセインはこのドレスを選んだのだと思っていた。
裾に足をもつれされた今の出来事は、からかうのに絶好の機会だったのに。
考えていた意地悪な台詞が浴びせられるどころか、何故か親切に手まで貸してくれているこの状況。
予想していなかった事態にロザリアは混乱して、どう反応すればいいのかわからない。
ただセインとつないでいる手がなんとなくむず痒くて。
ロザリアの混乱は余計に深くなるばかりだ。