10 幼馴染が婚約者になった日 その1
「はあぁぁーーーーー」
鏡台の前に座り、髪を結って貰っているロザリアが盛大なため息を吐いた。
「まぁまぁ、ロザリア様。そんなに大きなため息を吐いては幸せが逃げてしまいますわよ」
「……それって『セイン王子との幸せな結婚生活』を指しているのかしら。だったむしろそんな幸せには大急ぎで逃げて欲しいわ」
着替えと化粧をしているときにはもう数人の侍女がついていたけれど、髪を結う役目はいつも彼女に任せているので今は2人きり。
入れ替わりで常に10人ほど居るロザリア付きの侍女は年のころもロザリアに近い10代の女性がほとんどだった。
その中ではミシャは古株で、記憶がただしければ22歳。
花嫁修業のための礼儀作法習得と言う意味合いの強い職だから、すでに退職していて当然の立場だ。
「旦那様は元気?」
「あら、ご自分の結婚生活の参考に?」
「ただの世間話よ」
相思相愛の仲睦まじい夫婦は見ていてほほえましい。
そしてミシャがなかなか会えない旦那様を恋しがっていることをロザリアは知っていた。
(王女付の侍女になんてなったら、生活の全部が王宮になるものね)
なのに彼女はロザリアを心配して退職する時を伸ばしているのだ。
さすがにそろそろ退職を促すべきなのだろう。
「ふふっ。手紙では鬱陶しいくらい元気にしておられるようですわ。それより……今日のドレスだと髪は全てまとめ上げてしまった方が宜しいでしょうか」
「そうね。一緒につけるジュエリーも華やかなものだし…ポイントに一束だけリボンと一緒に編み込んで、全部一つに纏めてちょうだい」
「かしこまりました」
今日は朝からずっと不貞腐れているロザリアをよそに、ミシャは鏡に映る主の姿を嬉しそうに見つめている。
ミシャが主の婚約を喜んでいるようにみえて、その事実に反したいロザリアは特に気に入らないドレスの裾を摘まみあげて睨んで見せた。
この婚約披露の場のためにあつらえられたドレスは薄紫色。
胸下の白いリボンを境に切り換えがあって、そこからドレープをつけられた何重もの柔らかな布地が床へ落ちる、あまり体型が出ないものだ。
指先でつまんで広げればしなやかな生地が美しい光沢を見せる。豪奢ながらも可憐なドレス。
普通ならきっと可愛い可愛いと喜んでいただろう。
でも素直に喜べないのは、深い深い理由があるのだ。
「この長い裾が今日は大人しく座って居なさいと言う無言の重しの様に感じらるわ。せめてもう少しスカートを抑えめにしてくれれば撒くし上げて逃げられたのに。これではいくら持ち上げたって足に絡みついて走れないもの」
色々理由をまくし立ててみるものの、本当のところつまり…このドレスの送り主が問題だった。
「しかもこれを用意したのが…」
「ふふ、セイン殿下からの贈り物ですわ。素敵ですわよねぇ」
「…………絶対に嫌がらせよ」
そう言ってロザリアは子供のように頬を膨らませる。
摘まんでいた長い裾を放り投げて、ついでに勢いのまま拳も振り上げた。
「これで私が転んで恥を掻くのを期待してるのよ、きっと!」
「あらあら、本当に?」
こんなにロザリアの気分は最悪なのに、側にいるミシャはにこにこ笑顔。
いつもは癒される優しい笑みも、今日ばっかりは何だか恨めしく思える。
彼女はロザリアにはとても出来ない器用な手さばきでドレスと同じ薄い紫色のリボンと共に髪を結ってくれたあと、傍らに置いてあった小箱から出したネックレスを首元へ飾る。
ロザリアの瞳の色とよく似た色のアメジストを中央にした装飾のネックレス。
これもドレスと共にセインから贈られたものだ。
ネックレスの留め金を止めたミシャが一歩下がり、準備が終わったことを示すために腰を落として礼をする。
「本当に似合ってらっしゃいますわ。きっと凄く凄く考えてデザインや装飾をお選びになったのでしょうね」
「………まぁ、センスは悪くはないのだけど…」
鏡に映る自分を見て、ロザリアは複雑そうにぶつぶつと呟いた。
柔らかなふんわりとした生地は心地よく、コルセットをやたらと締め付ける必要のないデザインは長時間のパーティーにも負担をかけにくい。
それに身体に沿ったようなラインのドレスよりもこちらの方が可愛らしい印象を見せる。
同時に送られたアメジストのジュエリーと薄紫のドレスを合わせてみると、ロザリアの持つ少女めいた愛らしさとちょうど良くバランスがとれていた。
成長期で目まぐるしく大人の女性の身体に変化して来ているロザリアだから、これがもう1年先になるとおそらく違和感が出てしまうようになる。
セインがロザリアに会うのは数か月ぶりだったろうに、ここまでぴったりと合うドレスを仕立ててくるとはと、これを見た誰もがひどく驚いたものだ。
「ロザリア様と会うたびに嫌味を言って怒らせてらっしゃって。なのにこの贈り物ですものねぇ…」
「嫌なやつでしょう?!これだって自分は何でもお見通しなんだって言う、頭の良さを見せつけるためなのよ!」
「……えぇっと?…ロザリア様は、もう少し殿方の感情に機敏になるべきだと思いますわ」
「…?どういうこと?」
「セイン王子殿下はおそらく違う意味でこのドレスを用意されたのでしょう」
「違う意味?よく分からないのだけど」
二の腕まである白いドレスグローブの片方に手を通しながら首をかしげる。
(…だって、セインは意地悪だもの。嫌がらせに決まってるわ)
ロザリアを喜ばせたいとか。
ロザリアの為を想ってとか。
そんな風に良い意味でこのドレスを贈ってくれたとはどうしても思えない。
(…っていうか、思いたくないんだもの。うっかり良い方向での期待をしてしまって、もし違ったら恥ずかしすぎるじゃない。それに、セインの性格を考えたら悪い意味の可能性の方が大きいわ)
絶対に期待なんてしないと、ロザリアは何度も自分に言い聞かせた。
「…まぁ、セインに会えばわかるでしょう」
贈り主の本人にこれを着た姿で会えば、ロザリアをからかうための贈り物だとすぐに分かる嫌味な発言をしてくれるだろう。
そう納得したロザリアと、複雑そうに苦笑するミシャの耳にノックの音が滑り込む。
「…?宜しいですか?」
「えぇ」
「どうぞお入りください」
「…失礼いたします」
ミシャが返事をすると、ロザリア付きの侍女の一人である女性が入室をしてくる。
彼女がひどく困惑した様子であるのに気づいたロザリアは首をかしげた。
「どうしたの?」
「申し訳ございません。あの、トーマス公爵様が今すぐロザリア様にお目通りかかりたいといらっしゃっておられるのですが」
「叔父様が?」
トーマスは、現国王エリックの弟にあたる人。
ロザリアにとっては父方の弟で叔父と姪と言う立場だ。
「ロザリア様は本日は全ての面会をお断りしていたはずですが…」
入室してきた侍女と同じように、後ろに立つミシャも困惑して眉をさげる。
第一王女の婚約披露という一大行事は、準備から本番まで一日かかるためロザリアのその他の予定はすべてキャンセルされている。
そんなことは誰もが理解していることで、わざわざこの日を狙って面会を申し込むなんて非常識すぎる行為だ。
「…いいわ。お通しして」
「宜しいのですか?」
「まだ時間はあるのでしょう?それに久しぶりに叔父様に会えるは嬉しいもの」
にっこりと笑うロザリアに、侍女は安心したように肩の力を抜いて頬を緩ませる。
無理押しされれば強く言えない立場ゆえに困っていたのだろう。
「でも、何の用かしら」
トーマス公爵とは小さいころに何度か会った記憶がある。
けれどここ数年は遠い場所に屋敷を構えて田舎暮らしを楽しんでいた人だから、王宮にいるロザリアとはほとんど交流していない。
王族の縁戚なのだから今日招かれているのも当然だ。
でも『今』を指定して会いたいと言われる理由がわからなかった。
おそらく何日もまえには王都入りしていたのだろうし、パーティーが終わって落ち着いた頃でも良かったはず。