第二話 物語は仲間を巻き込む
どうしようもないこの状況を打開する方法を教えてくれる人など誰一人居ない。
この悪夢を見ている当事者である俺ですらもわからないのだから。
逆に分かった奴が居たらすごいよ、うん。
……そろそろ時間的に限界だ。
俺は仕方なしにトイレから出ることにする。
なんか、トイレから出たのが実に一日ぶりのように感じる。
よっぽど緊張していたんだろうな。
今は随分と落ち着きを取り戻している。
男子トイレは女子トイレの真正面に設置してある。
勿論、外から中を覗くことは出来ない。
入り口には扉があるし、入ってすぐに半透明の強化プラスチックの板で視界を遮るからだ。
トイレは方角的に東と西に分かれている。
男のトイレは東、女のトイレは西側に設置してあるが、深い意味は無いだろう。
俺の高校は一学年全部で八クラスある。
昔は十クラスあったそうだが、少子化の影響で志望数が減少した。
それでもあの騒がしさは筋金入りのようで、どの高校に行こうが変わらんようだ。
俺は一年一組であるから校舎の最東端。東から西に自然数で増加する。
だから女である姿を見られはせんかと脈打つように緊張していたのだが、
何故かしら生徒の姿はない。
嵐に前の静けさとはこのことだろうか(いや、たぶん違うと思う)。
まあ、呼び鈴なった後だからクラスには居るだろう。
現に、一つ一つの蛍光灯が付いているし、何より騒がしい。
着いた。
教室に入った。
質問攻めになるかな、と思ったが皆いつも通りでした。
はて? これはどういうことだろうか。
どんなに感心のない人間であろうと、俺は男から女に変わったことは全世界中を驚かすと思ったんだが。
「授業始めるぞ~。おい、富美風。何真剣そうな顔で突っ立っているんだ。席に着け」
物理教諭が俺の名前を呼びながら、持っていた出席表の端で頭をこづかれた。
痛い。
いくら材料が厚紙であっても鋭利な部分を最大限に使った攻撃はなかなかの威力だ。
しかし、先生までが俺の変わったことに気づいていないらしい。
どうやら気づかぬ振りであったということはないらしい。
あれ、俺って性別覚えられてなかったのか?
いやいや! さすがにそれはないだろう。
ていうか俺、今だぼだぼの制服着てるのに(しかも男物)注意されないで済んだ。
あれ? これ全面的に気づかれてない?
一体全体どうなってやがるんだ?
それから何事も無く昼休みが始まる。
俺はいつも通り、教室の隅で本を読んでいた。
他の連中は一つの机に集まって弁当を食べていたり、遊んでいたりで、まあ、いつもの通りか。
特に変わった様子もないが、一つ疑問が解決した。
女子の服装にはスカートとズボンの二種類が用意されているのである。
いや、これは女子である限りは見落とすポイントであろう。
現に今居るクラスでそんな奴は俺しか居ない。
たまに上級生がそういう姿で居たのは何となく覚えている。
そんなことを考えながら本に熱中する。
ちなみに今読んでいるのは「クルシャスの夕暮れに」という一見難しそうだが意外に読みやすく……
「ねえ、優~。ちょっと話を聞いてくれない?」
「……」
「ねえ、優ってば~!!」
「……ペラ(本をめくる)」
「おーい! ほんとにちょっとで良いから…」
ん? 本がまるで人間に光が遮られたかのように暗くなった。
俺の目はこの眼鏡の度ももう合ってないのかもしれない。
「このやろ、無視すんな!」
がん!!
机を蹴られた。
はて、俺は机の蹴られるほどの大罪を犯したのだろうか。
はたまた、こんなことをされるようなことを他人にしたことがあっただろうか。
いくら俺が、無口眼鏡であろうとも、こういう輩は好きではない。
言いたいことははっきり言う。それが俺の人情である。
俺は視線をその影を遮っている野郎に移す。
ワァオ、美少女やん。
少し巻き毛気味な髪に、俺の身長を越す背丈に、ナイスなまでの大きな胸。
艶やかなの瞳に、少しばかり涙を浮かばせ、小さな口はあたかも「怒ってますよっ」というかのように尖っている。同時に薄く赤みがかった頬には何とも愛嬌がある。
これがまだ成長盛りだとすれば大いに将来を期待できそうだ。
はっ! いかんいかん。
俺がこんな美少女に声をかけられるわけがない。
きっと理由があるのだ。
例えば、某ライトノベルでは背の小さなのをコンプレックスとした少女が、主人公を踏んだり蹴ったりしているものがあるが、もしかして、そんな風に俺に金を要求するのだろうか? しかし、この麗しき乙女はそんなことをするのだろうか。
いや、同じ小説で、友達付き合いが上手でいかにも優等生な雑誌モデル女子高生が実はめっちゃ怖かった多重人格の持ち主なのか? 影の薄い俺を狙って日頃のストレスを発散するのだろうか。
……でもそんな風に見えないけれど。
「……ちょっと来て」
「は?」
「早く!」
ぐいっと手を握られ、まるで生前男であったかのような腕力を駆使し俺を無理矢理立たせる。
……大きな音を立てたせいだろうか。
クラスの奴らがめっちゃ見てるよ!! 緊張するよ!
人に見られると緊張で顔中に血が集まる。身体が熱い!
そこの男子! 見るな、ていうか何故に俺の方を見る!
ていうか、細い手ですげぇ力だ。
柔道で言う、引き手だ。
ほとんど俺は引きズリ出られながら体育館のうらに来た。
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なるほど。状況は理解した。
んで、俺はすっかり忘れていたのだが。
目の前にいる飛び切りの美女も元は男であったらしい。
何でも朝の部活が終わり、腹痛でトイレに駆け込んだらしく、トイレから出て鏡を見るとこの姿だったそうだ。
そんな馬鹿なと言われそうだが、実際に体験したのだから本当なのだろう。
状況も目の前にいる男もそうだ。
ここでこの俺のことと、目の前にいる奴の関係を説明しよう。
俺の名前は富美風 優。
無口で眼鏡の本好きだ。彼女はいない。
トイレで腹の暴れ馬を治めた後に性転換、つまり俺は女になったということだ。
今の姿は、黒髪をバサーと垂らした眼鏡無口。
影薄い読書家に見えるだろう。
目の前に居る美少女は、俺の数少ない友人の一人である。
本名は村井 未来。
彼が所属している部活は柔道部。黒帯で力も強い。
だが、こいつは気が弱く、何でも頼まれたら役を買って出てしまうこともしばしばで、クラスに一人はいるいじりキャラと化している。
で、元から気が弱い為か、自分の姿を見た途端パニックに陥り、この四時間ずっと体育館のトイレに籠もっていたらしい。
「それで、なんで俺の所に来る。ていうか今の俺の姿はどこからどこまで別人だぞ。よく分かったな」
ある程度俺に感情をぶつけた(泣いたり、喚いたり、髪の毛ひっぱたりで大変だった)為か、ある程度は気が落ち着いたらしい未来が答えた。
「……あの教室で読書に耽る奴なんて君ぐらいだろうと思ったんだ」
成る程。
「自分の教室に行っても弄られるだけだし、それ以前に信じてなんかくれそうにないだろう? でも君だったら他の奴よりもちゃんと聴いてくれそうだったからね。まさか君まで女の子になっているなんて思ってもいなかったけど」
さっきまで女子になっていたことなんて忘れていたけどな。
でも、そうなると……
「お前は、俺の男姿をはっきりと覚えているのか?」
「勿論」
つまり、他人は違和感がない。
が、違いをちゃんと理解出来る人もいると。
他にも俺や未来のような人が居るのだろうか。
「なあ、未来」
「ん?」
「俺らの他にその時間帯トイレに入った人はどれぐらいいるんだろうか」
「さあ? 朝って混むときは混むけれど今日は空いていたしなぁ。少なくとも、僕の入っていた体育館トイレは僕一人だったし」
俺のトイレも朝はその時間帯誰もトイレに入っていない。
「なになに? 閃いた? この事態の解決策は」
「今のままでは情報不足だな。今手がかりになるのはトイレに入った男子生徒が朝、大を催すと女体化するということしかないからな」
そうか、としょんぼり花がしおれたようにうなだれる未来。
端から見ればとっても麗しい乙女だが、元は男だ。
「まあ、とりあえず俺とお前で他の被害にあった人が居ないか探ろう。念のため他学年でもだ」
「わかった……。けど恥ずかしくない?」
「まあ、変人扱いされるだろうがこの際考慮しない。ていうか考えたら負けだろう」
「それもそうだね。じゃあ、早速始めよう」
俺は腕時計を確認する。
うん。時間は問題ない。あと三十分は残っている。
「ああ。時間は昼休みが終わるまで。見つかったら放課後にでも集まってもらおう場所はここでいいな」
「一つ、言っていい?」
おや、人に意見を言うのは珍しい。
未来が意見を言うとき、そういう意見はなかなか鋭いものだったりする。
「なんだ」
「質問するときは女口調? それとも男口調?」
「……成る程」
そう来るか。
確かに男口調の女子は見たことがない。
もしも、普通に訊くとき、男口調だった場合、「こいつは変な奴だ」と見られたら面倒だ。
質問するよりも先に警戒心を生む可能性がある。
「じゃあ、女口調でいこう」
分かったといって、未来は校舎に入っていった。
あいつ、女口調出来るのか。
ていうかやばい。あいつ真面目にかわいいと思ってしまったよ。
俺は女口調は出来んぞ、恥ずかしい。