①
黄金色の、柔らかな長い髪を靡かせた可憐な少女。
紫水晶の様な煌めきを放つ瞳は、空を仰ぎ微笑みを浮かべる。
「ほら、御覧下さいませ!
朱璃お嬢様!!
鎮耶様の御立派な事!」
側に控える女官達は、ほうっと羨望の溜め息を漏らした。
「本当!!
素敵だわ。鎮耶兄様!!」
長い身体を宙に躍らせ、時折、雲の切れ間を潜り抜ける龍体。
蒼の空を自由自在に泳ぐ姿に、一族の者は見惚れている。
数匹の龍の姿が躍る中、鎮耶の翔ける様は格別に美しい。
若き龍の長が友と共に、空を翔ける。
彼は雷雲を呼び寄せ、稲光が周囲の山を駆け巡り、昇龍する様を披露していた。
海底の龍の宮から、結界の張られた海の小島の館に、一族の者は集まっている。
真夏の眩い陽射しの中、雷雲から降り注ぐ強い雨垂れを合図とし、龍の宮の宴が始まった。
雅な大人達の中、一際目を引くのは凛とした少女。
無邪気さと利発さを兼ね備え、大人達の目尻を緩ませている。
母は頭の鋭さを認められ、家の世継ぎとなった麗人。
父は長の武技の相手に仕える逞しき武人。
恵まれた血筋を引く少女。
「私、鎮耶兄様達の手合わせが早く見たいわ。」
無邪気に微笑み、朱璃ははしゃいだ。
「もうすぐ、結界に戻って来られましょう。
でも、今回は武技の御披露目は短い様ですけど…」
周囲の大人は、物知り顔で互いに目配せしている。
「ええっ!何故?
いつも、皆楽しみにしてるじゃないの?」
訝しげに首を傾げて聞く朱璃に、笑みを浮かべる大人達。
「鎮耶様に御目通りしたい方々が、御待ち兼ねなのですよ。
西海の一族の御嬢様もいらっしゃっているのですもの。」
女官の一人が、朱璃の耳元で囁いた。
「ええ、私も御挨拶に伺ったわ。」
「若長も、そろそろ落ち着かれて良い頃ですからな。」
頷き合う大人達。
「あの方が、兄様の奥様になるの?」
「これ程良い縁組はございませんからね。
上手くいけばと皆、願っております。」
遠くから歓声が響き渡った。
若長、鎮耶が小島の館に姿を現したのだ。
彼は頭を下げる臣下達に労いの言葉を掛けながら、館の中に入って行った。
「さぁ、我々も中に参りましょう!」
庭園に居合わせ者は、いそいそと足を進める。
朱璃も促され、宴の席へ足を運んだ。
岩に砕ける波の音が、静かな夜に響き渡る。
年若い朱璃は、一足先に宴を退席し、離れに用意された寝室に戻っていた。
雅な衣装から気軽な部屋着に着替えた少女は、庭先から砂浜へと続く松林の小道を辿っていた。
側仕えの者も宴を楽しんでいるらしく、こっそり部屋を抜け出すのは訳も無い事。
月明りの下、淡い翡翠色の着物と、黄金色の髪が浮かび上がる。
白い砂をさくりさくりと鳴らし、朱璃は林を抜けて行く。
緑の闇を抜ければ、そこに艶やかな黒髪を靡かせ佇む一人の男の姿。
「…鎮耶兄様?」
振り返れば、彼の蒼の瞳が驚いていた。
「朱璃!
供も連れず、抜け出したのか?
…幾ら結界内で安全とは言え無防備だろう。」
朱璃は、慌てて駆寄る若長の姿に、思わず顔を綻ばせる。
「兄様こそ、御一人で抜け出して良いの?
あんなにたくさんの方に囲まれてて、私、お話する間も無かったのに。」
側まで来ると、彼は松林の入口に有る岩に腰を下ろした。
「一人の時間も欲しくなるさ。
ずっと、人に囲まれてたんだ。
だから、見逃しておくれ?」
くすっと笑う朱璃に、鎮耶はおどけた口調で懇願した。
「奥様候補の方も御見えになってらっしゃるのに、大丈夫かしら?
落ち着かない様子の、姉様方もいらした事だし…」
少し棘の有る言葉を返す少女に、鎮耶は苦笑いを返す。
「まぁ、そう言うな。
お前にまで大人びた口調で説教されると、益々気が休まらぬ。」
鎮耶は手招きをし、朱璃を隣りに座らせた。
「冗談よ、兄様。
目が覚めて寝付け無いから、散歩に連れて行って頂いたって言うわ。
それなら、良いでしょう?」
「あぁ、助かるよ。」
若長は、手足を伸ばし寛いだ様子で言った。
「ねぇ、誰にも言わないから聞いても良い?
鎮耶兄様は、伴侶にしたい方いらっしゃるの?」
紫水晶の瞳は、蒼色の瞳を見上げた。
「朱璃に、そんな事を聞かれるとはな…
…まだ…自分でも判らぬよ。一族の長の妻でも有るからには、血筋や人柄の善さだけでは俺には選べないからな。」
真っ直ぐに見つめる少女の瞳に、戸惑いがちに言う若長。
鎮耶は、先代がかなりの高齢になって生まれた、待望の男の跡継ぎだった。
姉達も龍の能力は高かったが、末子の鎮耶には敵わなかった。
先代の長は幼い鎮耶を慈しみ、成体となった事を喜びながら、寿命を全うして逝った。
家族と、一族の信頼と結束を一身に背負い、鎮耶は若くして龍の長となる。
だからこそ、彼は伴侶となる者に、自分を支えてくれる事を心の内で欲していたのだ。
「じゃあ、私、早く素敵な出会えます様にって祈っておくわ。
兄様が気に入った方なら、私も好きになれる筈だもの。」
真っ直ぐな瞳は、鎮耶の心を自然と和らげる。
「有り難い。
でも、俺は朱璃の相手には、意地悪をするかもしれないぞ?
大事な妹を娶るならば、それ相応の覚悟が無ければな。
まぁ、私以上にお前の父が試すだろうが…」
鎮耶は手を伸ばし、朱璃の頭を撫でる。
さらさらと風にそよぐ、柔らかな金糸。
人形の如く愛らしくは有るが、強い意思を浮かべる紫の瞳。
…さぞや、艶やかに咲き誇るだろう。
「兄様?」
「朱璃は…どんな相手を選ぶのだろうな?」
一瞬きょとんした表情は、少女そのものだったが、艶やかに微笑み彼女は言った。
「ずっと私と向き合ってくれる方よ!
良い事も嫌な事も、心を伝え合える方!」
月明りを受け、満面の笑みで無邪気に言い切る少女に、鎮耶は一瞬目を奪われた。
まだ子供だと思っていながらも、その正直な言葉は鎮耶の胸に深く残った。
「…そうか。
そうだな、朱璃が、互いに気持ちが通じ合う片割れと巡り逢う様祈ってるよ。
俺も、そんな相手と巡り逢いたいしな。」
微笑みながら頷く朱璃。
「やっぱり、散歩に出て来て良かったわ。
兄様とゆっくり話が出来て嬉しいもの。」
「俺もだよ…
さぁ、少し歩いたら部屋まで送ろう。
まだ、宴に残ってる者もいるし、もしかしたら、お前を探してる者も居るかもしれないからな。」
朱璃の華奢な手を握り、鎮耶はゆっくり立ち上がる。
白い砂浜には、月光に照らされた二人の足跡。
他愛ない話を交わし笑い合う、素顔の若長と少女の姿。
懐かしい夏の宴の想い出は、鎮耶と朱璃の心に刻まれる。