第六話
試合を終えたばかりの男が観客席を大きく仰ぎ見る。
二カッと笑った口から覗く歯が白く煌き、観客はもちろんのことオペラグラスで男の雄姿を見ていた貴族の女性たちまで色めきたった。
「さ、爽やか……」
「とっても強いのね! それになんて……雄雄しいのかしら」
「あいつ、これで何人抜きだ? 傷一つおってねぇぞ!」
「それだけじゃない! 剣も抜いてないぜ!」
出場者の出入り口にも男の戦いを見ようと人だかりが出来ていた。
そこにはジェラルドとレヴィの姿もある。
「……何なんだ、あいつ。でたらめな強さだな」
「……」
「お、無視か」
「うるさい」
気安く肩に手を置こうとしたジェラルドの手を振り払い、レヴィはこちらに戻ってくる男をにらみつけた。
(……どこのどいつだ)
どの名簿を探してもこの男に該当する名はない。
締め上げて吐かせればいい話なのだが、この闘技大会は国籍や性別、身分に至るまで無関係。
ただの力試し。
本当に自分の力だけのみがこの大会ではものを言う。
誰にでも与えられる出世のチャンスでもあった。
だからこそ、相手の素性を探ることは暗黙の了解でしてはならないこと。
有名なものや自ら名乗る者の方が多いためその必要もないのだが。
ジェラルドと同じく、肩に手を乗せてこようとした男の手を振りはらうが男は苦笑しただけだった。
「お~、お疲れさん。次お前だろ? 頑張れよ」
「言われなくとも」
「相変わらず顔怖いな、お前。そんな顔ノエルが見たらきっといい顔しないだろうな」
「貴様っ! 姉上を呼び捨てにっ……! っつ!」
いきなり男の大きくごつい掌がレヴィの眼前に突きつけられ呆然とその掌を見つめる。
冷や汗。
反応が遅れた。
否、反応できなかった。
掌をずらされ、そこから覗く男のにっと笑った男臭い笑顔にイラつくと同時に何かが引っ掛かる。
「……貴様」
その掌を頭にのせられ、ぐりぐりと頭を揺らされる。
(……なんだ? この感覚、昔どこかで……)
呆然とされるがままになっているレヴィに男は何が可笑しいのか笑い続ける。
「ま、俺とお前は最後まで当らねぇしせいぜい俺に負けるために勝ち上がって来い」
「って!」
まるで悪ガキを懲らしめるかのように額を弾かれて反射的に目を閉じる。
『って! 何するんですか、このくそおやじっ!』
『おやじだぁあ? 俺はまだぴっちぴちの二十歳だっ!!』
思い出したのはいつの記憶か。
レヴィははっと目を見開き、今度は唖然と男を見つめた。
「あなた、なんで……」
「お?」
ふざけた態度でいつもいいところを持っていくふざけた男。
「何で今頃っ!!」
見上げた男の凪いだ顔を見て、ぎゅっと唇をかみ締める。
「……姉上を、捨てたくせに」
「あー? ……あぁ、そっか知るわけねぇか」
苦笑する男をレヴィは睨みつける。
この男が好きだった。
だからこそ失望した。
「あのなぁ」
「俺だって遊んでたわけではありません」
昔、この男から剣を教わっていた。
「あなたにはもう資格はない」
ノエルの隣に立つ資格。
目を細めて、男を睨みつけるが男はそれをものともせずにっと笑う。
いくら自分が真剣にぶち当たってもいつもこのふざけた笑みで交わされていた。
「そんなの関係ないね」
男を無視して、レヴィは闘技場の中心へと向かう。
「……あいつを再びこの手に掴めると言うのならば、俺は」
これから始まる試合に上がった歓声で男の声は掻き消えた。
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一人で使うには大きすぎる机も積まれた書類で埋まり、一人で使うにも窮屈だ。
いつもは穏やかで優しいと評判のヴィンセントだがここ最近の表情は険しい。
怒った顔も素敵だけれど、いつもの柔らかい笑顔が拝見したいわ……と侍女達が愚痴を零していた。
そんなヴィンセントのイラつきの原因は闘技大会にあった。
長々と続く参加者のリストを確認していくうちに眉間の皺は濃くなるばかり。
まず第一に、参加者が多すぎること。
例年の倍……いや、三倍はいる。
確認するだけでも一苦労だ。
第二に、名の通った者達の参加。
この闘技大会は実力を有しているが身分や生い立ちから表に出にくい者達のために開かれていると言ってもいい。
過去の優勝者やすでに隊についている者など邪魔なだけ。
才能ある芽を摘んでしまうことになりかねないのだ。
「ジェラルドはまだ分かるが……レヴィに、アドレーまでか」
ジェラルドはティアラ付きの騎士だが、この国では実力がどれほどのものなのか全く知られていない。
いい機会といえる。
しかしレヴィは過去優勝経験があるし、アドレーに至ってはこの国最強と言われている。
ヴィンセントはさらに眉間の皺を深めた。
考えられることは一つ。
褒美だ。
レヴィは間違いなくノエル絡みだろう。
しかし、他の者達は?
「……金、か?」
自分で言っておいてその考えはありえないと首を横に振る。
彼らは誇り高い騎士だ。
かと言って地位もすでに得ている。
全くもって予測不可能、理解不能。
「一体、何なんだ……」
全身を駆け巡る不快感。
嫌な予感がする。
アドレーが参加する以上、レヴィの優勝は奇跡でも起こらない限りありえないだろう。
昔からノエルの取り合いを繰り広げていただけに、レヴィの言いそうなことは分かる。
きっと「返せ」だ。
「何が返せなんだ」
ノエルはもう自分のものだ。
誰にも渡さない。
拳を握り締め、前を見据えた。
すると目の前にもふもふとした白い塊が見える。
「……いつからそこに居たんだ、モントレ」
「初めからでございまする」
書類の山からひょっこりと姿を現したのは腰まで白髪を伸ばした老人。
腰と言っても、モントレはヴィンセントの胸よりも背丈は小さい。
「ふぉっふぉっ」と笑っているのか口を覆うようにして生やしている白ひげがわさわさと揺れている。
モントレは父王のころ宰相を務めていた古参の家臣だ。
今は代替わりして息子のミストレが宰相をしているが、モントレは相談役として城に残っている。
年若い王であるヴィンセントを導き、育てたのは間違いなくモントレ。
幼い頃から知られているだけになんとも罰が悪い。
机だけでなく床にまで積まれた書類を器用にすり抜けヴィンセントに近づくモントレは書類とヴィンセントを交互に見てため息を吐く。
「まだまだでございまするなぁ。速さは問題ありませぬが要領よくスマートにこなさなくては話になりませぬ」
「遅れているものはないはずだけど」
「そういう意味ではなく。……全く、一人でなんでも片付けようとするところは変わっておりませんなぁ」
「…………一人でもできるのだからいいだろう? 人員の無駄だ」
モントレはこれみよがしにもう一度大きなため息を吐く。
「あなた様が優秀なのは存じ上げてございまするが、もっと他人を頼るべきです」
「有能なものがいれば」
「陛下」
「……何かな」
何もかもお見通しだとでも言うような強い目線に気まずさを覚え言葉の歯切れが悪くなる。
「もっと信じなされ」
主語のないその言葉は無限の意味をもつ。
「もっと自信を持ちなされ」
「……モントレ、私は……」
自分の口から出た声の弱さに苦笑が漏れる。
今更何を問うと言うのか。
「私は……」
ああ、駄目だ。
崩れていく。
いつの間にか握った拳に力がこもる。
焦りと、苛立ちと、恐怖。
そんなヴィンセントの内心を知ってか知らずか、モントレは軽快に言葉を発した。
「そういえば、闘技大会のことでございますがもう結果は決まったも同然……する前から決まっていたようなものでございますが……いつものように王族は準決勝からしか観戦はできませぬ。あと決勝前の前夜パーティーですが今年の催しは如何いたしまするか?」
「……例年通りで構わないよ」
敗者を労い、勝者を奮い立たせる。
参加者にとっては雇い主が決まるかもしれない場だ。
多くはここで貴族に声を掛けられ、護衛などの職に付く。
「ふーむ。若いのに新しい案は出てこないので? ……お父上の生き方をなぞることはしなくても良いのでございますよ?」
「違うよ、そんなことは」
「ところで」
「……モントレ」
上げたり下げたり。
自分で問うておきながら答えを聞かない。
話をころころと変えるところは昔から何一つ変わらない。
ヴィンセントが頭を押さえていることを気にもせずモントレは話題を変える。
「ところで、ご側室様のことですが」
「っつ」
ただ、その存在を匂わせる言葉を聞いただけで鼓動が早まる。
会いたくて会いたくて、焦がれて止まない愛しい人。
「喧嘩でもなさったのでございまするか? いやはや、このような老人とお茶を飲んでくださるのは嬉しいことですが少々頻度が多い……」
「何っ!?」
がばりと椅子を蹴だおすお気負いで立ち上がったヴィンセント。
モントレはやはり、と意地の悪い笑みを浮かべた。
「私とは会えないと言って置きながら、モントレとお茶する時間はあるってどういうこと」
「乙女心と秋の空、と言いますゆえ……」
「……いくらモントレでも怒るよ?」
「おお、恐ろしい!」
わざとらしく震え上がってモントレがそそくさと退散していくのを見送りながら今度は脱力したように椅子に座った。
天井を仰ぎ見るその表情はどこか疲労を感じさせた。
「ノエル……」
手を伸ばせば温かな柔らかい手が添えられる。
「はい、陛下」
耳に心地よい女性にしては少し低めの澄んだアルトの声。
ヴィンセントはくっと口角をあげた。
「……ついに幻聴まで聞こえ始めたか。弱いな、私は」
「陛下?」
「…………?」
「陛下」
「…………」
どうやら幻聴ではなかったらしい。
身を起こし、握った小さく細い掌をさらに強く握り締める。
信じられない想いでノエルを見上げると、人をどことなく安心させる微笑を目にした。
「ノエル」
「はい」
「ああ、ノエルだ」
くしゃりと顔を歪め、少々強引に引き寄せノエルの腰に絡みつくように抱きつく。
すぐに回された腕はまるで幼子をあやすかのように優しく肩を撫でていた。
顔を埋めて、ノエルの香りをめいいっぱい吸い込んだ。
「……お疲れですね」
「君に会えなかったから」
拗ねたような声が出てしまい、しまったと思うがノエルはただヴィンセントの栗毛を優しく撫で続けていた。
甘やかされ、つい甘えた口調になってしまう。
「ノエル、どうして会ってくれなかったの?」
「……今とて、モントレ様に連れてこられなければ来るつもりはありませんでした」
泣きそうになった。
逃がすまいとさらに隙間なく抱き寄せるとノエルは苦笑してヴィンセントの頬を滑るように撫でた。
「陛下は御正妃様を娶られました。もう私と頻繁に会うのはよくありません」
「どうして? 僕が好きなのはノエルだし、ノエル以外いらないのに」
「……それが駄目なんです」
「ねぇ、何が駄目なの? ……その話し方、止めてくれる? 陛下って呼ぶのも」
ぐっと上半身を伸ばし、ノエルの腰に絡めていた腕を背に伸ばす。
唇に相手の息が掛かるほど至近距離に顔を寄せ、真剣みを帯びた視線でノエルを貫く。
「ヴィ……」
「ノエル……これ、邪魔」
すっと唇と唇の間に差し込まれたノエルの掌によって少し距離を取られてしまう。
「嫌なの?」
「……ね、ヴィ。私ねお願いがあるの」
「ノエルがお願い……? 珍しいね? 何かな。ノエルのお願いなら何でも叶えてあげる」
「あのね」
初めてかもしれない年上の彼女のお願いに心を弾ませた。
しかしそれも一瞬のこと。
ノエルの口から言葉が発せられ、ヴィンセントの表情がそげ落ちた。