第四話
「……今年は参加者が異様に多いな?」
参加者のリストを確認しながらヴィンセントは首をかしげた。
貴族でも平民でも他国のものでも参加できる大規模な闘技大会。
上位者には褒美が用意されるし、認められれば隊に入ることも許される。
そこで貴族の目にでも止まれば雇ってもらえるし経歴に箔がつく。
毎年その参加者は多いが、過去最多とも言えるリストの長さだ。
ちらりとリストを作成してきたアドレーに目を向ければ非難の眼差しを返してきて訝しげに顔を顰めた。
「……何かな? 不愉快なんだけれど」
「いえ、何もありません」
「じゃあそんな目で見ないでくれないか」
「申し訳ありません」と謝るがその態度はでかく、全く謝っていない。
ヴィンセントは目を眇め、アドレーを睨みつけるがアドレーはその視線を真っ向から受け止め、平然とするばかりか睨み返してくる。
どろり、と醜い感情が湧き上がってくる。
「もう一度言う、不愉快だ。仕事に戻れ」
「……御意」
まっすぐとヴィンセントを射抜くような視線。
それでも王の命令に頭を下げ、退出する。
扉に手をかけ、振り返りもせずにアドレーが呟いた言葉はヴィンセントに届くことはない。
「……誓ったんじゃなかったのか、小僧」
閉ざされた扉と共にその言葉も吸い込まれていった。
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ジェラルドは前を走るティアラに「面倒くせぇ」と首をかきながらついていた。
「姫~迷惑ですって。やめときましょう」
「だめよっ! 正妃として、ご側室に挨拶をしとかないと!」
はーっと大きなため息を吐く。
可愛らしい顔を昂揚させ、はりきるティアラ。
その顔は期待に輝いている。
「だって、ノエル様ってとっても素敵な人だって聞いたわ。きっといいお友達になってくださると思うの」
「……あちらはあなたに会いたくもないんじゃないですか?」
その証拠にノエルからのコンタクトは一度もない。
そこを指摘するとティアラはおかしそうに笑った。
「まぁ! それは当たり前だわ。身分の低いものがわたくしを呼びつけるわけにもいかないでしょう?」
「……はぁ」
ジェラルドはティアラを好ましく思っている。
大切に育てられて。
皆から甘やかされて育てられた割には素直でまっすぐに育った。
だが、ふとした瞬間思う。
身分が高いものにとっては’当たり前のこと’。
仕方ないとは思うが、自然に出て来る言葉は残酷で無邪気だ。
自分が一番だと疑わず、自分がしていることが正しいと信じて疑わない。
それでも、ティアラはいい子なことには変わりは無い。
「ねぇジェラルド、ノエル様はお優しいかしら? 早く会いたいわ」
「姫」
「皆口をそろえて言うのよ。ノエル様は素晴らしい方だって。楽しみだわ!」
「姫」
「もう、何?!」
「前」
「は? え、きゃぁ!」
ぶつかる前にジェラルドはティアラの腕を引きよせた。
後ろに転倒しそうになったティアラは跳ね上がった心拍数をなんとか抑えながら、たった今ぶつかりそうになった障害物に目を向けてぴきんっ……と固まった。
ぎろりと見下ろして来る冷たい視線。
まるで毛虫でも見るような視線にティアラは怯えて、後ろのジェラルドにしがみ付いた。
今だ活でこのような視線に曝されたことのなかったティアラにとってそれは恐怖でしかない。
「レヴィ、そんなところに突っ立って何をしているの?」
「姉上」
振り返ったレヴィの声は以外にも優しく、ティアラは驚いた。
あの冷たい視線からは想像も出来ない柔らかな響きだったから。
レヴィが身体を反転させたことによって現れた女性が見えた。
ノエルだ。
ノエルはジェラルドにしがみ付き怯えるティアラを見て軽く目を見張り、そしてゆっくりと微笑んだ。
慈愛に満ちたその笑みに、ティアラとジェラルドは心に何か暖かなものが広がっていくのを感じた。
これがあの……と思っていると、ノエルは腕を広げ、静かな流れるような動作でその場に膝をついた。
一つ一つの動作が優雅で、つい見入ってしまう。
隣で「姉上」と不機嫌そうな声が振っているが、ノエルは顔を伏せたまま。
ジェラルドに突かれてはっとしたティアラは、声をかける。
「……あなたが、陛下のご側室のノエル様?」
「はい。……正妃様、私に敬称は必要ありません」
「では何と呼べばいいのかしら?」
「ノエル、とおよびください。もしくは側室で構いません」
「……顔をあげなさい」
「はい」
ぐっと上げた顔はどこかが秀でて美しいと言うわけではない。
ただ、醸し出す雰囲気が暖かく、優しい。
そして、妖く、麗しい。
じっと見入るティアラとジェラルドに渋れを切らしたのはノエルではなく、レヴィだ。
「姉上をいつまで跪かせておくつもりで?」
「あ」
そういえばそうだ、と思うが声の冷たさにまた身体が固まるティアラ。
「レヴィ、失礼よ。……申し訳ありません、正妃様。弟がとんだ失礼を」
「い、いいえ。こちらこそ……。ノエル、立ってちょうだい。一緒にお茶でもいたしませんこと?」
「ええ」
にっこりと優しく微笑まれ、頬を赤らめてしまう。
何故だろう。
色素の薄い茶髪にも金髪にも見えるその長くまっすぐな髪に包まれた小さな顔にある二つの灰紫の瞳に全て丸裸にされるような気分になる。
ぽーっとその笑みに見惚れているとすっと立ち上がったノエルの顔がティアラの少し上になった。
首を少し傾けて笑みを向けてきたノエルにティアラは満面の笑みを返した。
「よろしくね!」
「ええ」
ティアラの部屋に場所を移し、多くの侍女が代わる代わる現れ紅茶をお菓子を配膳していく。
「本当に噂どおりなのね! 私、あなたが気に入ったわ、ノエル! これから仲良くしてね」
「有難きお言葉です、正妃様」
「いやだわ、ティアラって呼んでちょうだい」
「では、ティアラ様」
ティアラの澄み切ったソプラノ声とノエルの落ち着いたアルトの声が室内に響く。
ちらちらと振り返ってくる年若い侍女達が色目を使う中、ジェラルドとレヴィは壁にもたれかかって二人の様子を眺めていた。
「陛下って本当に素敵な方よね! お優しくて格好良くて凛々しくて雄雄しくて……」
「うふふ」
ティアラの話にノエルは相槌をうち、時には同調する。
そんなノエルをジェラルドは感心して、レヴィは誇らしげに見つめた。
「……なんと言うか、噂に違わぬお人だな」
「その噂がどんなものかは知らんが、俺の姉上は世界一だ」
ふふん、とニヒルな笑みを浮かべるレヴィにジェラルドはさもありなん、と思った。
正妃と側室と言う立場から何かしら確執が生じてもおかしくないはずなのに、ノエルはまるで元気のいい妹の話を楽しげに聞いているのだ。
そんなノエルの態度に元から人見知りをしないティアラはどんどん懐いてしまった。
「……参加登録しといてよかったな」
ぼそりと呟いたジェラルドの声をレヴィは聞き漏らさなかったばかりか鼻で笑って答えた。
「ふん、お前など俺が叩きのめしてくれる。姉上は俺がつれて帰るんだ」
「俺が負けるとでも?」
自信満々なレヴィの言葉にジェラルドは挑戦的な笑みで答える。
レヴィはその答えも鼻で笑った。
年下のくせにこいつ……と言い返そうと口を開こうとしたとき、ティアラの侍女の一人が慌てて入室してきた。
息を一息つくと緊張した声で報告する。
「陛下がいらせられます」
「まぁ、陛下が?! 席を早く用意してちょうだい! 紅茶もすぐに新しいものを入れなおして! ~~~ノエル、このドレスおかしくないかしら?!」
「とても可愛らしいです」
「本当? ……でも、やっぱり着替えるわ。この前新調した新しいドレスを出してちょうだい!」
「「「はいっ」」」
慌しく隣の部屋に移っていくティアラをみて残された三人は顔を見合わせて困ったように笑い合った。
「ごめんなさいね、レヴィ。立たせたままで」
「気にしないで下さい。これぐらい平気ですから」
「ジェラルド様も申し訳ありません。他に用事があったのでは?」
「私の仕事は姫のお守ですから、あしからず」
名前を知っていたのか、と内心驚きつつ「様はいりません」と進言したが直ることはなかった。
すっと立ち上がったノエルがレヴィに近づこうと距離を縮めた時だった。
先ほど侍女が入ってきた時に開放されたままになっていた扉がコンコン、とノックされる。
はっとして振り返った三人が見たのは扉にもたれかかるようにしてノエルを見つめるヴィンセント。
ヴィンセントはゆっくりとノエルに近づき両腕を伸ばすがノエルは一歩後ろに下がることでそれを避け、頭を垂れた。
「陛下におきましてはご機嫌麗しゅう」
「……機嫌が良いように見える?」
行き場をなくした両腕が下がることはなく、ノエルに再び伸ばされた。
「陛下、ここは正妃様のお部屋です。正妃様のお部屋で側室をその腕に抱くのはどうかと思われますが」
「ノエル……お願い、少しだけで良いから。……もう限界なんだ」
「駄目です」
「……」
縋りつくように弱弱しくノエルの腕を掴んでいたヴィンセントの手がやんわりと解かれる。
口を尖らせて拗ねるヴィンセントは子供らしく、とてもではないが王には見えない。
ただの青年だった。
「ノエル、どれだけ君をこの腕に抱いていないと思うの? キスだって、もう一月以上してない」
「陛下……」
こんなところでなんてことを言うんです、とノエルは顔を赤らめつつもきっとヴィンセントを睨みつける。
それでもヴィンセントは「お願い」と弱弱しい声で抗議し続け、ノエルが諦めたように小さくため息を吐くとぱっと顔を輝かせ、また両手を広げた。
ジェラルドは見てはいけない、とばかりに視線を窓の外にやっているし、レヴィは今にもヴィンセントに切りかかる勢いだ。
しかしそんなレヴィに加勢するかのようにティアラの喜色に染まった声が部屋に響き渡った。
「陛下! お待たせしてすみませんでしたわっ!」
その声に驚いてジェラルドは見てしまった。
ノエルを抱きしめようとしていたヴィンセントの手が思いっきり空ぶってしまったところを。
「まさか陛下が会いにきてくださるなんて、わたくし感激ですわ。どうぞこちらにお座りください。とっておきの紅茶がありますの」
「ああ」
当たり前のことのように席についたヴィンセントがノエルを振り返る。
ティアラも不思議そうに立ったままのノエルを見た。
「ノエル、どうしたの? 一緒に紅茶を飲みましょう?」
ティアラが無邪気に聞くとノエルは首を横に振った。
「私はそろそろ失礼します。美味しいお茶をありがとうございました。お菓子もとても美味しかったです。また誘ってくださいね」
「そう……それは残念だわ」
ちっとも残念そうではない、とジェラルドは思った。
陛下と二人っきりになれるのだから当たり前と言えば当たり前かもしれない。
しかし、それに焦ったのはヴィンセントだ。
「え!? ノエルが帰ったら、僕なんのために来た……」
「陛下」
きっとノエルがヴィンセントを睨むとヴィンセントはこほんと咳払いをし、「私」と言葉を正す。
またしても見てはいけないものを見てしまった気分のジェラルドの隣でレヴィがくつくつと笑っている。
「じゃあ、レヴィ。帰りましょうか」と振り返るノエルにレヴィは「はい」と声を弾ませた。
そんな二人をヴィンセントは唖然としたまま見送る。
二人が消えたことで一瞬シン……となった室内。
「あー……それでは私も失礼いたしますね、姫。仕事が残っていますので」
「え、そんな!? 今来たばかりではありませんか! ……せめて、紅茶一杯ぐらい」
「……」
うるうるとした大きな目に見つめられてヴィンセントはうっと詰まった。
そして渋々、といった風にもう一度席に着く。
嬉々として話し出すティアラはまさに氾濫した川のごとく。
結局ヴィンセントが帰れたのはそれから一刻ほどのこと。
げっそりとやつれてしまったかのような顔にジェラルドが噴出しそうになるのを我慢していたのは内緒だ。