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蛍光灯の下の倫理  作者: たむ


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第一章 八時三十二分の電車

目覚まし時計の音は、いつも同じところを切る。夢と現実の継ぎ目、まだ名前のついていない意識の膜、そういう曖昧な部分を、安い電子音がためらいなく裂いていく。佐伯健太は、目を開けてからもしばらく動かなかった。白い天井が見えていた。白い、というよりは、長く使われて少し黄ばんだ、光を吸い込みきれない壁紙の色だった。朝はまだ完全に部屋へ入ってきていない。カーテンの隙間から細い線のような光が差し込んでいて、その線だけが、この部屋の中に時間というものがあることを教えていた。


六時三十分。


健太は枕元のスマートフォンを手に取り、画面を見て、すぐに伏せた。時刻を確認することに意味があるのかどうか、ときどき分からなくなる。確認しなくても朝は進むし、確認したところで、今日一日が別の形になるわけでもない。ただ、時間を数えるという行為だけが、自分がまだ社会の内部にいることを示している。遅刻していないこと、欠勤していないこと、決められた順序から脱落していないこと。その確認のために、人は時計を見るのかもしれなかった。


布団から出ると、床の冷たさが足の裏に伝わった。冬はとうに過ぎていたが、朝の空気はまだ少し硬い。洗面台で顔を洗い、鏡を見る。顔は、毎朝少しずつ違っているはずなのに、結局いつも同じ顔に見えた。三十五歳。頬のあたりがわずかに痩せ、目の下にうっすらと色が沈んでいる。若い頃に思っていた三十五歳と、鏡の中の三十五歳は、あまり似ていなかった。もっと明確な輪郭を持った人間になっているはずだった。自分の仕事に名前をつけ、自分の生き方に理由を与えられるような。しかし現実の顔は、そういうものを持たないまま朝を迎える顔だった。


キッチンで電気ケトルのスイッチを入れる。湯が沸くまでの短い時間に、パンを一枚取り出してトースターに入れる。コーヒーはインスタントでよかった。湯気が立ちのぼる。黒い液体の表面に、窓の光がかすかに映る。その湯気を見ていると、いつも少しだけ落ち着く。湯気は形を持たない。立ちのぼったと思えば、すぐにほどけて見えなくなる。その曖昧さが、人の考えごとに似ていると思うことがある。たしかにここにあったはずなのに、手で掴もうとすると消える。仕事の意味について考えるときも、だいたい同じだった。


なぜ働いているのだろう、と健太は思った。


生活のため。家賃のため。食費のため。将来のため。親を安心させるため。社会人として当然だから。そういう答えはいくつでも並べられる。けれど、それらはどれも答えというよりは、答えの代わりに置かれている札のような気がした。本当の問いはその下に残ったままで、札だけがきちんと並べられている。健太はコーヒーを一口飲み、舌に残るわずかな苦味を感じながら、その問いをまた脇へ寄せた。朝に深く考えても仕方がない。考えたところで、八時三十二分の電車は待ってくれない。


テレビはつけなかった。ニュースの明るい声を聞くと、朝がよけいに作り物じみて感じられる日がある。昨日の株価、どこかで起きた事故、誰かの失言、季節外れの天気。それらが自分の生活と無関係ではないのだとしても、少なくともこの台所の静けさを破ってまで入ってくる必要はないように思えた。トーストを食べ終え、マグカップを流しに置く。シンクの中には、昨夜洗い残した小皿が一枚あった。洗えばいいだけのものを、なぜ昨夜の自分は洗わなかったのか、その小さな怠慢の理由を考えようとしてやめる。そういうことまで突き詰めて考え始めると、一日はすぐに濁る。


スーツに袖を通し、ネクタイを締める。結び目は一度で決まった。何年も繰り返していると、身体は先に覚え、意識の方があとから追いつく。靴を履いて玄関のドアを開けたとき、外の空気は思ったより乾いていた。アパートの廊下には昨夜の冷えが少しだけ残っていて、隣室のドアの前に新聞が置かれているのが見えた。この建物に住んでいる人たちの多くと、健太は顔を合わせたことがない。会っても軽く会釈をするだけだ。名前も、職業も、どんな部屋でどんな朝を迎えているのかも知らない。にもかかわらず、壁一枚向こうで彼らの生活が続いている。そのことは、考えてみれば少し奇妙だった。


駅までの道には、同じ方向へ歩く人がもう何人もいた。コンビニの前を通り、信号を一つ渡り、小さな公園の脇を抜ける。そのあいだ、ほとんど誰も口を開かない。イヤホンをしている人もいるが、多くはただ歩いている。歩幅だけが揃っているわけではないのに、全体として見ると一つの流れになっていた。魚の群れみたいだ、と健太はふと思った。群れの一匹一匹に意志がないわけではない。しかし遠くから見れば、それは一つの大きな動きとしてしか見えない。都市の朝も、たぶんそういうものなのだろう。


駅の階段を下りると、構内特有の空気が肌にまとわりついた。少し湿っていて、鉄と埃と人の衣服の匂いが混ざっている。改札を通る音、案内放送、足音、遠くで閉まるドアの警告音。それぞれは短く、断片的なのに、重なると一つの大きな背景音になる。社会というものがもし音を持つのなら、きっとこういう音なのだろうと健太は思う。誰か一人の声ではない。複数の細かな音が互いを打ち消しもせず、強調もしすぎず、ただ全体として鳴っている。


ホームには、すでに列ができていた。


人々は乗車位置の印の前に、きれいにとは言わないまでも、ある程度の秩序を保って並んでいる。誰が最初に教えたわけでもないのに、この並び方はどの駅にもある。日本人は列を作るのがうまい、と昔誰かが言っていたのを思い出す。だが、うまいのは列を作ることではなく、見えない境界を察することなのかもしれない。どこまで近づけば不快で、どこまで離れれば割り込みに見えるのか。そうした曖昧な線を、皆がほぼ同じように感じ取っている。社会とは、法律や制度だけではなく、たぶんこういう目に見えない距離感の総体でもある。


健太は列の後ろに立った。前にはグレーのスーツの男がいた。肩幅が少し広く、革の鞄を右手に下げている。襟元がわずかに擦り切れていた。年齢は四十前後だろうか、と健太は思う。だが、その推測に意味はない。名前も知らないし、この男がどこで働き、どんな話し方をし、誰に「おかえり」と言われる生活をしているのかも知らない。知る機会もおそらくない。こちらもまた同じだろう。健太という人間は、この男にとってただ背後に立つ一人でしかない。互いの人生は触れないまま並んでいて、それでも朝の同じ電車に乗る。その関係を無関係と呼ぶべきか、ゆるやかな共犯と呼ぶべきか、健太には分からなかった。


線路の向こう側のホームに、反対方向の電車が入ってきた。窓の中に人の顔が並んでいるのが見えた。こちらから見ると、その顔はどれも平たく、光に押しつぶされているようだった。自分たちも向こうから見れば同じなのだろう。電車という箱に詰められた顔。朝の都市を運ばれていく無数の匿名。学生の頃、通勤する大人たちを見て、彼らはもう完成した人間なのだと思っていたことがある。仕事に行くということは、自分の役割を持ち、それを迷いなく引き受けていることの証しに見えた。しかし自分がその年齢になってみると、完成しているものなどほとんどなかった。役割はある。名刺もある。部署も肩書もある。それでも、その内部にいる自分は、案外曖昧なままだった。


電車が滑り込んできた。先頭車両から風が流れ、ホームの端に落ちていたチラシの切れ端を少しだけ動かした。金属の擦れる音がして、ドアがホームの印にぴたりと合う。正確さというのは、ときどき暴力に似ている。数センチもずれずに毎日同じ位置へ止まること。何千人もの人間が、ほぼ決められた時間に同じ動きを繰り返すこと。その精密さの中へ、自分の身体も含まれている。そう思うと、安心より先にかすかな息苦しさがくる。


ドアが開く。降りる人が先に出る。待つ人が少しだけ左右に割れる。ごくわずかなよろめきやためらいを除けば、すべては滞りなく進む。健太も車内に入った。座席は埋まっている。吊り革を一つつかむ。肘が誰かの腕に触れ、すぐに離れる。その微かな接触にも、いちいち謝罪は発生しない。満員電車では、身体の境界が一時的に緩む。そのかわり、人は視線をうまく使って距離を保つ。見ないことによって、互いを侵さない。窓の外を見るふりをする。スマートフォンの画面に視線を落とす。広告の文字を読む。そういう小さな演技が、車内の平穏を支えていた。


窓ガラスに自分の顔が映っていた。外の景色と重なって、輪郭は少しぼやけている。健太はその顔を見て、これがいまの自分なのだと思った。どこにでもいる会社員の顔だ。疲れているわけでもなく、かといって充実しているようにも見えない。あらゆる感情が平均化されたような顔。朝の車内には、そういう顔がたくさんある。誰かを特別不幸に見せるほどの影はなく、誰かを特別幸福に見せるほどの光もない。蛍光灯のようだ、と健太は思った。感情を持たない白い光。物を平等に照らすかわりに、その温度差まで均してしまう光。会社の天井にあるあの光のことを考えるとき、健太はいつも少しだけ落ち着かない気分になる。明るいのに、救われる感じがしないからだった。


学生の頃には、もっと別の未来を想像していた。仕事はもっと劇的で、もっと明確な手触りを持つものだと思っていた。自分が何かを提案し、それが採用され、人の暮らしが少し変わる。あるいは、もっと小さくてもいい、自分でなければできなかったことを一つずつ積み重ねていく。そういうふうに働いていくものだと漠然と信じていた。しかし実際に会社へ入ってみると、仕事の大半は修正だった。誰かが作った文書を整え、数字の整合を取り、表現を丸め、余計な角を削る。何かを生み出しているつもりでいても、たいていは既にある流れを滑らかにするための作業だった。もちろん、それが不要だと言いたいわけではない。滑らかさがなければ組織は止まる。誰かが継ぎ目を消し、摩擦を減らし、紙の余白に正しい言葉を書き足さなければ、仕事は仕事の形を保てない。けれど、そのことと、自分が何者であるかという感覚は、きれいには結びつかなかった。


車内アナウンスが次の駅を告げる。少しだけ人が乗り降りし、また同じような密度に戻る。その繰り返しを見ていると、人間もまた液体のようだと思う。容器の形に従い、押されれば流れ、空きができれば埋まる。個々には意思があるのに、集まると別の法則で動く。社会が個人をすり潰す、という言い方はよくあるが、実際にはもっと静かなものかもしれない。すり潰すというより、少しずつ均していく。尖ったところを、痛みを伴わない程度に削り、全体の流れに馴染むよう整えていく。気づいたときには、自分が丸くなったのか、削られたのか、区別がつかなくなっている。


二十代の終わり頃、一度だけ本気で転職を考えたことがあった。もっと規模の小さい会社へ行けば、自分の仕事の輪郭が見えるのではないかと思ったのだ。求人サイトを開き、知らない会社の説明文を読み、履歴書の雛形まで作った。しかし結局、応募はしなかった。理由をうまく言葉にできない。ただ、いまいる場所から出ていくことが、より正しい選択に思えなかった。現状への不満と、変化への意志は、似ているようで違う。不満があるからといって、意志まで生まれるわけではない。多くの場合、そのあいだには長い空白がある。健太はその空白の中に何年もいた。


電車は地上区間に出て、窓に朝の光が少し強く差し込んだ。ビルの壁面が順番に流れていく。ガラス張りのオフィス、ベランダに洗濯物の垂れたマンション、古い看板の残る雑居ビル、駐車場、狭い神社、またビル。都市の景色は、統一されているようでいて、実際には継ぎ接ぎだ。新しいものと古いもの、きれいなものとくたびれたものが、互いを打ち消しもせず並んでいる。その不揃いさの中で、なぜか都市は機能している。人の働き方も、たぶんそうなのだろう。一人ひとりは不完全で、事情も動機もばらばらで、それでも全体として何かが動いている。会社も、駅も、町も、そういうふうにして保たれている。


不意に、向かい側に立っていた若い男が大きくあくびをした。口元を隠す手が少し遅れ、眠気をこらえきれない顔が一瞬むき出しになる。その顔を見て、健太はほんのわずかに安堵した。誰かが疲れていることに安堵するというのも奇妙だが、完璧に整った社会の中では、そうした隙の方がむしろ人間らしく見える。皆が平静を装って立っている車内で、一瞬だけ露呈した眠気は、都市の表面に入った細いひびのようでもあった。ひびがあるから、かろうじて息ができる。


ポケットの中のスマートフォンが震えた。会社のグループチャットに通知が入っている。健太は画面を見ずに、そのままにした。まだ始業前だ。見ようと思えば見られるし、返そうと思えば返せる。しかし、その「まだ始業前だ」という細い境界を、自分で守らなければならない時代になって久しい。仕事は会社の机の上だけに置かれているのではなく、ポケットの中にまで縮小して入り込んでいる。そのことに誰も大騒ぎはしない。便利になった、と言う。連携が取りやすくなった、と言う。たしかにその通りだ。だが、便利さはしばしば境界を曖昧にする。どこからどこまでが仕事なのか。どこからどこまでが自分の時間なのか。曖昧なまま、日々の流れだけが先へ行く。


目的の駅に近づくにつれ、車内の空気がわずかに変わる。この駅で降りる人間たちは、たいてい似た方向へ歩いていく。ビジネス街の名前を持つ駅。改札を出れば、高いビルが並び、地下通路が枝分かれし、各社のロゴがガラスの壁に貼りついている。仕事をするために設計された街。コンビニの棚も、エスカレーターの速度も、コーヒーの値段も、その前提に合わせて整えられている。都市のある一角全体が、労働のための器官になっている。その中へ毎日自分の身体を運び込むことを、健太は長いあいだ当然のこととして続けてきた。


ドアが開くと、人々は一斉にホームへ流れ出した。押し合うほどではないが、緩やかな圧力が背中にかかる。健太もその流れに乗る。ホームから階段へ、階段から改札へ、改札から地下通路へ。誰も走っていないのに、全体としては急いでいるように見える。群れの速度というものがある。個人ではなく、集団が決める速度だ。その中にいると、自分が何を急いでいるのか分からなくなる瞬間がある。ただ、遅れないために歩く。遅れることによってだけ、自分が集団と別の速度を持っていると知る。


改札を出る手前の柱に、春の新商品か何かの広告が貼られていた。笑っている女優の顔と、明るい色のコピー。前向きな言葉。新しい朝。新しい一歩。そういう種類の言葉を読むたびに、健太はどこか身体の奥が乾くのを感じる。朝はべつに新しくない。少なくとも彼にとっては、昨日の続きの朝でしかない。新しいという言葉は、商品を売るためには便利でも、人の実感にいつも寄り添うわけではない。むしろ、寄り添わないからこそ広告になるのかもしれなかった。


地上に出ると、ビル風がネクタイの先を少し持ち上げた。空は高く、雲は薄い。天気だけ見れば悪くない朝だった。オフィスのあるビルまでは徒歩で七分ほど。途中の横断歩道で信号待ちをしながら、健太は前に立つ人々の背中を見た。黒、紺、グレー。鞄。コート。革靴。都市の朝は色が少ない。個性はあるのだろうが、遠目には消えて見える。そのことを残酷だと思う日もあれば、救いだと思う日もある。目立たなくて済むというのは、ときに大きな恩恵だ。誰にも期待されすぎず、誰にも失望されすぎない場所に身を置ける。だが同時に、誰にも見つけられないということでもある。


会社の入るビルのエントランスには、もう何人も社員が吸い込まれていた。自動ドアの向こうには、磨かれた床と、静かな空調の音がある。受付の脇を通り、エレベーターへ向かう。鏡張りの扉に、何人かのスーツ姿が重なる。誰も大きな声を出さない。エレベーターを待つ数十秒のあいだにも、皆すでに会社の顔をしている。私語を慎み、姿勢を整え、余計な感情を表へ出さない顔。仕事とは、業務の内容だけではなく、そうした顔を保つ技術でもあるのだろう。


上昇する箱の中で、健太は自分の姿を再び見た。鏡はときどき残酷だ。同じ顔を、逃げ場のない距離で返してくる。だが今朝は、その顔に少しだけ別のものが混じって見えた。疲労でも、諦めでもなく、うまく名づけられない薄い感覚。今日もまた同じ一日が始まる、という思いと、同じ一日であるからこそ見えるものがあるかもしれない、という思い。その二つは矛盾しているようでいて、案外同じ場所から生まれているのかもしれなかった。


エレベーターの扉が開く。廊下はまだ人が少ない。オフィスのガラス扉の向こうに、蛍光灯の白い光が見えた。外の朝の光とは違う、感情を持たない均質な明るさ。その光を見ると、健太はいつも胸の内側に細い針を入れられたような気分になる。痛いわけではない。ただ、自分の輪郭が少しだけはっきりしすぎる。何をする場所で、何をするべき人間なのかを、あの光は静かに思い出させる。


健太は社員証をかざし、扉を開けた。冷えた空気が頬に触れる。机が並び、パソコンが眠ったまま口を閉ざしている。まだ会話の始まっていないオフィスには、独特の静けさがある。仕事のために整えられた空間が、人を待っている静けさだ。そこへ足を踏み入れた瞬間、通勤は終わり、労働が始まる。けれど本当は、その境界も曖昧なのだろう。電車に乗ったときから、あるいは目覚まし時計が鳴ったときから、もう仕事は始まっていたのかもしれない。


蛍光灯は、誰の感情にも関心がないように白く光っていた。

健太は自分の席へ向かいながら、その光の下で今日もまた何かを修正し、何かを見過ごし、何かに小さく加担していくのだろうと思った。そうした一つ一つの行為に、どれほどの意味があるのか、まだ分からない。分からないまま、それでも人は机の前に座る。


窓の外では朝の光がもう少しだけ強くなっていた。

だがオフィスの中では、その光はガラス越しに薄まり、蛍光灯の白さの中へ静かに沈んでいた。

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