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即興喜劇・物笑い  作者: alIsa


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9/30

中庭 その3

 白川は傍白を止めて立ち上がると、大きく伸びをした。西大路という目的を手に入れた青年は激しく奮い立っていたが、それと同時に、ほんの数時間のうちに多くの出来事と感情が目まぐるしく入れ替わり立ち代わりしたため、寝不足も相まって非常に疲れていた。その上、夏の強い日差しのために皮膚が過剰な信号を脳へと否応なしに送り、蒸し暑さのために肺から血液へ血液から脳へと熱っぽい酸素が送られ、青年からまともな思考力を奪っていた。

 彼はふらふらとベンチに座りこむ。《暑い。これじゃまんま地獄だ、亡者の喚きも聞こえて……。ほら、ちょうど向こうから鬼がやってくる。不思議そうなツラしやがって、相変わらずトロいやつだ、見りゃ分かるだろ、暑さに参っちまったんだ。おいおい、そんな心配そうな顔すんなよ、泣けてくるじゃないか。顔なんか近づけやがって、悪臭が!――あれ?すごくいい匂いだ。》

「あの、大丈夫ですか?もしもし、大丈夫なわけないか、どうしよ……」

 再び中庭に戻ってきた西大路は、白川の顔を覗き込むようにかがみこんでいた。

「……」白川は驚きで口を利くこともできないようだ。《おい、西大路さんじゃないか!でもどうして?いや、予想通りだな。にしてもなんて美しい声、なんて優しい香り、ああ、これを全て俺のものにできるなんて……、いや今はそれどころじゃない、早く返事をしないと失礼になっちまう。ええ、ええ!大丈夫ですとも、今の私なら、たとえあのアキレウスのやつが挑んできたってひとひねりですよ、背後に回り込んでアキレス腱を蹴飛ばして見せましょう、ゴツンとひと蹴りです。》青年はイガグリのような鼻をひくつかせて深呼吸する。

「大丈夫ですか?……熱中症かな、誰か人を呼んでこないと。」

 《大丈夫ですとも!あ、手を握ってくれたぞ、柔らかい!五感が焼ききれんばかりに喜んでいる!》

「大丈夫ですか!……とりあえず御陵(みささぎ)さんを呼ぼうかしら。」

 《なんだって?おい、それだけは勘弁してくれ、大丈夫だって言ってるじゃないか!……って、そうか声を出さなきゃな、あれ、声ってどうやって出すんだっけ?》女学生が慌てて携帯を操作して御陵と通話をつなげるその直前、大丈夫です!と白川はようやく声の出し方を思い出し、勢い余ってベンチから飛び上がった。それに驚いて西大路がしりもちをつく。

「ああ、すみません、お嬢さん。あまりにも元気にあふれて大丈夫だったので、つい……」

 そう言って白川は慌てて彼女に手を差し出した。

「あはは、よかった、大丈夫そうで。っと」西大路は白川の手を取って立ち上がった、のだが、バランスを崩してしまい、白川の方へ倒れこんだ。青年は思わず彼女を抱きとめる。

「大丈夫ですか?大丈夫ですか!」《俺は大丈夫じゃない、どうすればいいんだ!》

 西大路は恥ずかしそうに笑いながら謝ると、白川の体から離れた、がいまだに彼の腕をつかんだままだった。《どうして俺の腕をつかんだままなんだ!顔が近くて、いい匂いが、あっ、目が合った、あの羞恥が……一瞬よぎって……微笑と溶け合って……耳まで真っ赤だ、暑さのせいだよな……?なんて可愛い人!もうここで告白しちまおうか!》

「ごめんなさい、腕……」女学生は急いで白川の腕から手を放して一歩下がると、はにかみながら彼の目を見つめる。「ええっと、白川さん、ですよね。」

「私のことをご存じでしたか、そういうあなたは西大路さんですね?」《こんな切り出し方でよかったのか?「なんで名前知っているの気持ち悪っ」とか思われないよな?……ええい、もう遅い、止まれやしないんだ!》

「あ、やっぱり!その、みんなユニークな人だって――」

「しかし!しかしそれは私の真なる名ではないのです、それは浮世を渡る舟としての名。ですが、あなたには、天上から舞い降りてきたあなただけには、私の本当の名前をお教えいたしましょう。我が名はラ・モオル。大穴からあなたを一目見て以来、熱くたぎる衝動を抑えがたく、地獄の底からはせ参じてきた次第です。」

「ザ・モール?」

「いいえ、違います。もぐらなんかよりもずっと地中深く、この世の果てからやってきたのです。そう、我が名はラ・モオル。地上の迷える無神論者どもに安息と停止を授ける者。そして、心の底からあなたを慕って止まない者。」

 そう言いながら白川は得意顔で彼女の顔を見つめ、気障な動きで右手を胸にあてた。

「ラ・モオル……、死さんですか、よろしく。ふふ、ホントにユニークな人。」

「ええ、もぐらなんかでは決してありません。そんな名前、あの御陵のやつにでも、愚鈍にして軽薄な、あのペテン師にでもくれてやればよろしい。もぐらは盲目ですからね、愚昧なあいつにピッタリだ、はは。それに、あなたから賜った名となれば――」

「あの人のことを悪く言うのはやめてください、いつもお世話になってるので。」西大路が突然真剣な顔になって、ピシャリと言い放った。

 その声に白川はしどろもどろに口ごもり、目に見えて青くなる。ふと静寂があたりを満たしたが、彼は挫けずに話題転換を試みた。

「ええと、そういえば、御陵のサークルに入ったんでしたっけ?あのろくでもない……ゴホン!あの素晴らしいサークルに。鹿ケ谷(ししがたに)のやろ……鹿ケ谷君に誘われて?」

「誘われたっていうか、私からお願いした形なんですけど――」

「そう、あなたからお願いした。」

「最初は不安だったけど、皆さん優しくて、御陵さんも山科(やましな)さんも、他のみんなも。」

「ああ、ペテン……ハンサムの御陵に、瓜……美人の山科、それに能無し……愉快な他のみんなも、親切にしてくれてるんですね、それはよかった。すっかりなじんでいるようで私も嬉しい限りですよ。」

「はい、ホントに!ところで、白川さんはやっぱりサークルに戻ってくるんですか?」

「今日あるとかいうミーティングには出るつもりです。その後はどうしようかと考えていたんですがね、必ず復帰しようと心に決めましたよ。だって、あなたがいるから。」《「あなたがいるから」だって?いくらなんでも直接な口説き文句すぎるぜ!》

「あはは、変な人。」

《「変な人」であっさり流されたな。》「……ミーティングの場所を聞いてなくて、西大路さんは知ってますか?」

「もちろん。南構内の東棟三十一教室ですよ。」

 白川が一人合点の調子で、いつものあそこか、と呟くと、西大路も呼応して、あそこです、と言った。それから二人は顔を見合わせて笑った。初対面同士が何かの共通認識を得たときに起こる、ささやかな笑いだ。

《ああ、楽しいなぁ、この時間がずっと続けばいいのになぁ》「ところで――」白川は内と外の区別もつかないような、恍惚の表情をしていた。《もし彼女が恋人になってくれたら、毎日たくさんお話をしよう。そして、二人だけにしか通じない秘密の笑いをたくさん手に入れていくんだ……》「ところで、恋人はいるんですか、西大路さん?」

 周囲がまたしんとなった。熱した鉄を水につけるように脳が静けさに浸され、白川は次第に傍白と発言の区別を取り戻していく。《ひょっとして俺は彼女に恋人の有無を尋ねたのか?いくらなんでも脈絡がなさすぎる、どうして俺はまたこんなミスを……》恐る恐る西大路に目を合わせる。彼女は面食らったような、それでいて同時に何かを思案するような顔をしていた。しかし間もなく、その表情も消えて新しい表情が、あの羞恥などは一切含まれていない、不敵さにあふれた挑戦的な表情が、女性のする中で最も……、とにかくそのような魔性な表情が浮かび上がった。

「はい。いますよ。」

 返事の言葉は短かった。それから彼女は白川に背を向け、それじゃあ、とだけ残すと静寂とともに去っていった。

 《なんてこった、もうご破算だ……。ああいうことはもっと自然に、世間話のなかで何気なく尋ねるべきなのに、それに彼氏持ちだなんて。もういいや、もう誰とも関わらずに、粛々と単位をとって、卒業して、それで実家に戻ろう。家業を継いでのんびり気ままに生きながら、好きな本を読んで暮らそう。そうだな、きっちりフランス語を学んでみるのもいいかもしれない、そうすればモリエールを原文で読めるし――》白川は弾かれたように顔を上げると、握り拳で両の太ももを何度も強く殴った。

 《いや、いや!何を弱気になってるんだ、これしきのことで!俺の悪い癖だ、畜生、くそったれ!ドン・ジュアンが困難にひれ伏したことがあったか?いや、そもそもこんなの、彼にとっちゃ困難ですらない、むしろ好機ですらある。恋人の有る無しなんかで彼が惚れた女を諦めたことがあったか?突拍子もないタイミングだったが、いつかは聞かなきゃならないんだ。むしろあのタイミングがよかった、あれで明確に俺の好意は伝わったはずなんだから。恋愛において好意は伝えても伝えすぎるなんてことありゃしない、あれでよかったんだ。》数歩歩いてまた立ち止まる。

 《ふむ、となると、あの子の恋人は誰なのか、……いや、明らかだ、畜生、まんまと見落としちまうなんてな、クソ、御陵の野郎だ!そうだ、そうじゃないか!あいつは西大路さんとあんなに親密そうだったし、俺がやつを貶した時の西大路さんの態度だって――、そういえば、今朝だったか、御陵二号との会話で恋人がどうとか言っていたはずだ。クソ、あの野郎、本当に白々しい、何が「自分で聞けよ」だ!畜生、いちいちコケにしやがって。でも一番忌々しくて堪らないのは、あのドブみたいな薄汚れたもぐら野郎が、天使のように美しくて愛らしい西大路さんをまんまと手に入れやがったってことだ。あの色狂いがどうやって彼女を篭絡したか、想像しただけで体が怒りで燃えるようだぜ、あいつが清くまともなやり方で恋愛なんてできるわけがないんだから。畜生、ムカムカするぜ!》白川は居ても立っても居られず、法学部棟へと駆け出していった。


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