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即興喜劇・物笑い  作者: alIsa


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大講義室 その2

 長い九十分間は夏空の雲のようにゆっくりと過ぎていった。講義が終わるとすぐに、部屋は学生たちの会話や足音で満たされ、それに急かされた教授がいそいそと他人行儀に講義室から出ていく。白川は机に突っ伏した。《途方もなく長い九十分だったぜ、ありえないくらい疲れた、座っているだけだっていうのに。いや、いや、もう十分、もう今日は帰ろう、あの子を探すのはまた明日ってことで。》青年はのろのろと立ち上がり、例の封筒をポケットに入れた。その時、背後から呼び止める声がした。声の方へ顔だけ向けると、そこに立っていたのは今朝の女学生と一緒にいた男だった。

「なに、どうかしました?」白川は無愛想に返した。ちなみに今さらだが、彼だって見知らぬ相手に敬語を使うことくらいできる。

「白川さん、ですよね?」と学生が尋ね返した。

「ええ、いかにも。あなたは?」白川は傍白する。《こいつ、うっとうしい、迷惑な野郎だ。そこまでして俺の喜劇の登場人物になりたいのか。というかどうして俺の名前を?》

「やっぱり!ちょっと待っててください、すぐ戻りますから。」

 学生は言葉を終えないうちに小走りで去っていった。

 彼を呑みこんだ扉へ白川は疑り深い視線を送っていたが、すぐに目をそらすと、そちらへ背を向けて歩き出した。《帰るか。》彼の足は講義室の後方にあるもう一つの扉、外へとつながるもう一つの扉へと進んでいく。《にしても、さっきのやつはどうして俺の名前を知ってたんだろうか、それに、どこへ何をしに行ったんだ、わざわざ俺を呼び止めておいて。……ふむ?そういえば、あいつはあの天使と知り合いなんだよな、となると、俺とあの子をつなぐ存在は現状あいつだけなのか。ふむ、ひょっとすると、彼は思っていたよりもキーパーソンなのかもしれないぞ。》白川は一度足を止める。

 《いや、それどころか、彼はあの子を呼びに行ったのでは……。ふむ!そうなると話が変わってくる。彼は我々の恋のキューピットだったのか!なんてこった、それが初めから分かっていれば!分かっていれば、もっと丁重に迎えたというのに。だが後悔しても遅い、ここからの身の振り方を考えねば。》彼の横を通り過ぎる学生たちは、みな迷惑そうな顔をしている。

 《だとしても、差し当たっては帰るべきだ、それが最も効果的だ、ペースをこちら側のものにするんだ。あの子はきっと、俺がここで待ちわびていると考えてることだろう、実際、すぐにでも会いたくて堪らないしな。だからこそ帰るんだ。彼女の読みを外す、彼女は困惑する、「あの方は?あのいかにも大胆不敵で勇敢そうなあのお方は?」なんてお付きのキューピットに尋ねる、俺のことを想って一日中頭を悩ませる、ため息もついちゃう、夜だって眠れない、そして、明日にでも俺の方から彼女のもとへ出向く。あの子はもう驚いちまうだろうよ、喜びもするだろうよ、怒りもするだろうよ、だがそれらは全部、俺の予想通り、完全に俺のペースってわけだ、明日一日であの人を手に入れてやるぜ。はっはっは、天使様も人間の恋愛には疎かろう。完全に俺の作戦勝ち、そう作戦、恋愛は頭を使ってやるもんなんだ、フィーリングだとか、直感だとか、情熱だとか、そんなものばかり優先して恋愛した気になってるやつは、俺に言わせれば獣だぜ、全くのところ。》白川は再び歩き出した。

「ちょっとちょっと、待ってくださいよ、白川さん!」

 先の男の声だ。白川は再度足を止め、ため息をつく。しかし、その顔にはあきれるほど嬉しそうな笑みが浮かんでいる。《畜生、一足遅かったか、ままならないぜ。そう、恋愛ってやつはままならないものなんだ、恋愛に計算や予測を持ち出すやつなんてみんな馬鹿なのさ。恋愛は出たとこ勝負、なんてったって、トラブルが必ず起こるんだからな、いちいち頭なんか使ってたら、時間の無駄、競争相手に横からかっぱらわれちまうぜ。それに、経験豊富な人間はわざわざ頭を使わなくたって、常に最適な行動ができるものさ。俺に言わせれば、恋愛に脳みそを使うやつなんて、ろくに恋愛をしたことないか、黒星しかつかんだことのないやつだぜ、正直なところ。》

 立ち止まったまま、可能な限り面倒そうな雰囲気を醸して振り返ろうとする。《さて、あの子への第一声は何にするかな、当然あの美しい瞳は褒めるとして……。そうだな、「あなたのまなざしに浴する光栄に二度も与れようとは、本当にこれ以上の幸福は考えたって思いつきようがありません。ああ、美しい人、あなたの瞳はまた恥じらいで震えていますね、しかし、同時に熱い情熱で燃え上がっているのも、私にはしっかり分かっています、見えています。なぜなら、私の瞳にも同じ情熱が狂いたぎっているのですから。」――我ながら完璧だな。》

 白川はすっかり向き直ると、ゆっくり顔を上げた。そこにいたのは、男女ではなく、男と男だった。似た二人、健康そうで充実した雰囲気と整った容姿を持つ二人だが、学生の連れてきた男の方が、より洗練された顔つきと怜悧な目を備えている。白川は一切の感情を殺した表情で口を開いた。

「どうも最近寝不足でいけない。インキュバスが目の前にいるが、これは夢か?」《ちぇっ、思ってたよりずっと早い再会になっちまったな。》

「半年ぶりだってのに、ずいぶんなご挨拶だな。」新たに現れた方の男が言った。

「半年ぶりだからなんだっていうんだ、御陵、俺とお前はそんな仲じゃないはずだが。」

「みんな心配してたよ、失恋に苦しんで自殺でもしたんじゃないかって。」

《見え透いた挑発だ、アホらし、付き合ってられるか。》「……はぁ、そんなことを言いに来たのか、わざわざそっちから出向いてきて?なんつーか、変わんないな、そういう陰湿なとこ。変わろうとも思えないんだろうよ、気の毒なやつ。」

 白川がそう言うと、御陵は沈黙して一瞬だけ顔をしかめたが、すぐに申し訳なさそうに、愛想よく笑って謝った。

「半年ぶりだからさ、分かるだろう?つい憎まれ口をさ、本心じゃない。」

「前もって言っとくけど、お前の健全な大学生活を邪魔する気は毛頭ないから安心しろよ。」《むしろこっちから願い下げだぜ。》

「そんなこと言うなって。せっかく同じ大学いるんだから、その、昔のことはさ――」

《ふむ、こいつ、妙な表情をしているな、おそらく、俺が戻ってきた理由を知りたいんだろう。が、俺には関係ない、不安にさせておけ。》「ところでそいつは?まさか使い魔じゃあるまいに。」白川は御陵を連れてきた学生の方を見ながら尋ねた。

「なんだ、覚えてないのかい?鹿ケ谷だよ、一つ下の。」御陵が言った。

「あぁ、御陵二号か……。」と白川は独り言のように呟いた。《そういえばいたな、こんなやつ。どこにでもいるお追従が得意な世渡り上手だったか。》

「ちょっと、そのあだ名はやめてくれっていつも言ってるじゃないですか、恥ずかしいから!」突然会話に加わった鹿ケ谷の様子はいわゆるノリがいいというやつだった。

《わざとらしい喋りにうっさい声だ、相変わらずなれなれしい口を利くやつ。》

「ちょっと待て、恥ずかしいってなんだ、恥ずかしいって。」御陵が口をはさんだ。

「だって、こんな女たらしの後釜みたいに――」「コイツ、失礼な、誰が女たらしだ!――」

《鳥肌も飛び上がるほど薄ら寒いやりとりだな。アホらし、もう帰るか。》

「だって先輩、恋人いるのに――」「いやそれは誤解――」

 白川が彼らを後にすると、そこで御陵は鹿ケ谷との会話をあっさりと断ち切り、ちょっと話して行かないか?と彼の背に言葉を向けた。青年は思案顔に立ち止まっていたが、やがて振り返って、構わない、と無造作に返した。

 次の時間この講義室は使われないのだろう、いつの間にか彼らの他に誰もいなくなっていた。二人分の足音が部屋に響く。彼らはそのままの距離を保ったまま歩いていた。《あんなに大急ぎで会いに来たり、話をしたがったり、なぜあいつがそこまで俺を気にかけるのか?そんなの簡単さ、俺の復学に不吉なものを感じたんだ。自分に復讐でもしに来たのではないか、そうでなくとも、半年前みたいに、自分にとって不都合な出来事を起こすんじゃないかって。どうせここで逃げてもしつこく付きまとってくるだろうし、洗いざらい話して縁を切っちまうのが得策さ。》青年は前を歩く御陵の足もとを眺めていた。


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