大講義室 その3
「分かった、よく分かった。お前とは古い付き合いだから我慢してたけど、ようやく分かったよ。もうお前には付き合いきれない。」御陵は白川をにらみつけて言った。
白川は、あの雷のような憤怒の表情を見たにもかかわらず、いや、それを運よく目の当たりにすることができたからであろうか、得意げで満足そうな表情のままだ。
「『付き合いきれない』だって?まるで俺がお前にお世話されてきたかのような――」
「高校の時から、変わり者だけど決して悪い奴ではないと思ってきた。思い込もうとしてきた、とでも言った方が正しいのかもな。クラスで浮いてたお前をほっとけなくて、大学に入ってからも相変わらずだったから、同じサークルに誘ってやって、いろんな人と話す機会も設けてやった。もちろん僕の自己満足さ、でも心配だったんだ!」
「雑用を押し付けられていた記憶しかないが。あとお前の言うところの『心配』についてだが――」
「期末試験の時だって、いろいろ手伝ってやった!留年でもしたら大変だから!」
「あれは本当に助かった。さ、それじゃあそろそろ俺の質問に答えてもらおう――」
「でも僕だって聖人君子じゃない、普通の大学生なんだ!親切に対する見返りだって要求したくなるさ、せめてお前に真っ当になってほしかった!」
「なに?なんだって?きっと聞き間違えだと思うが、今ひょっとして聖人君子だなんて言ったか?はは、専制君主と言ったんだよな?専制君主の方がまだ――」
「でもお前は、恩を仇で返すどころか、一切を冷笑するかのようだった、僕の努力をあざ笑って……。仇を返されるんならまだいい、僕も違うやり方を考えるさ。でも、お前は僕のなすこと、とりわけお前のためにしてやったことは全て馬鹿にした。お前には分からないだろうな、僕の気持ちが、思いやりを踏みにじられたときのあの悲しさと屈辱が。」
御陵は次から次へと語を続け、白川が口をはさむ隙を与えなかった。そのうえ、努めて冷静な口調を保っていたため、彼の演説にはある種の効果、厳粛で静かな怒りのトーンが生まれていた。それに気づいた白川は苦笑しながら口を開く。
「なるほど、俺との対話を諦めたか、ペースを乱されないように。冷たい怒りってやつにシフトしたんだな――」
「もちろん、僕だけを馬鹿にするんなら、まだもうしばらくは耐えられたさ。でも山科に、大切な友人に、暴言を吐かれたんだ、これだけは見過ごせない!」
白川は言葉の終わりを待ってから、その上しっかり数秒待ってようやく口を開く。
「一区切りついたかい?それじゃあ、俺からも二、三言わせてもらうが――」
「確かにお前はこれまでだって、嘘や詭弁ばかりで周りを困らせてきたさ、でも今回ばかりは許されない。それに、お前は山科のことが好きなんだろ?フられたからって暴言を吐くなんて、どうかしてる。……ホント、どうかしてるよ、はは、なんだって告白が成功するなんて思ったんだ?」
「嘘?詭弁?俺が?まぁいい、それより看過できないのは――」
「鏡とこれまでの自分の言動をよく見直すべきだ、そうすれば、お前が山科どころか、どんな人間にも好かれるわけがないってことがすぐに分かるだろうから。いや、鏡を見直すべきってのはまあいいさ、容姿は加点要素に過ぎないものな、お前にとって大きな問題は、あのわけの分からん気取ったお芝居だよ。これで最後だから親切心で言ってやる、あれは今すぐやめろ。はっきり言ってダサいし、みっともないし、見てるこっちが恥ずかしくなる。」
「そう思ってるのはお前だけさ――」
「そう思ってるのがお前だけなんだよ!なぁ、山科もそう思うだろ?」
突然会話に引っ張り込まれた山科は、何やら考え込んでいたため、あいまいな返事をしながら反射的に頷いたのだが、それを横目で確認した御陵は得意になってさらに続ける。
「いいか?繰り返すぞ、親切心からだがな。お前は見苦しい。大学では何とかなったかもしれないが、社会に出ればお前みたいなやつ、すぐにはじき出されちまうよ。」
「親切心が聞いてあきれる、俺を煽ってるだけじゃ――」
「親切心だって言ってるだろ?親切心ついでに言わせてもらうが、お前の大好きな、あの喜劇の、ドン・ジュアンだったか、とにかく真似っこするにしても対象は選ぶべきじゃないか?何もあんな人間の屑を――」
「お前!撤回しろ!――」
「事実を言って何が悪い?あんなのに心酔するなんて、愚か者くらいさ!――」
「愚か者だって?ははは!そりゃお前のことじゃないか!――」
「いや、お前のことだよ、現実から目を背ける愚者、そうでなければ精神病患者だ!――」
「いいや、お前のことだ!親切のお返しにお前の正体を教えてやる、よぉく聞け!――」
「こっちこそ!お前の素顔はな!――」
「自惚れでプライドが高くてペテン吐きで賢しらで、失敗と拒絶を恐れてばかりいる、自分の非凡を信じて疑わない凡人で、愚昧で下劣な俗物、それがお前だ!」
「詭弁家で自分勝手で思慮が浅くて、その上自分の芯がないから、他人の生み出した空虚な偶像にすがることしかできない、永遠に笑いものにされる落ちこぼれ、それがお前だ!」
「ご忠言どうも!立派なはなむけの言葉じゃないか、くそったれ!鼻取りにでも使ってやるよ!」
そう怒鳴り散らすと、白川は再びずんぐりむっくりと通路を下りだした。つんのめってしまわないように胸を張りながら、大股で腕を振り回して歩く。ついに下りきってドアの前まで来ると彼は振り返った。真っ先に御陵の表情が、軽蔑とその奥にある勝利の色が目につき、ついにはそれしか見えなくなった。
「どうやら俺らはまた同じ女に惚れたようじゃないか、そして今度も俺が黒星を頂戴したってわけだ。」
それから白川はドアを開いたが、講義室を出る直前に再び御陵を振り返り、バーカ、バーカ、バーカ!とやけくそに吐き捨てていった。重いドアがゆっくりと外界を断ち切り、何事もなかったかのように大講義室は静寂に包まれる。御陵は体にたまっていた感情も一緒に吐き出すかのように大きくため息をつき、ようやく片付いたか、と誰に聞かせるでもなく呟いた。椅子に座ったままの山科が、怪訝そうに彼を見上げながら声をかけた。
「どうした?……ああ、そうか、ごめん、あんな大声出しちゃって。ビックリさせたかな?」
御陵は山科と目を合わせながら困ったように微笑む。
「そうじゃなくてさ。ずっと考えてたんだけど、『スイカオンナ』ってなに?」
「……くだらない言葉だよ。意味を知っても何の役に立たない、どうしようもない罵倒さ。」
「それなら……白川は本気で怒ってたんだね。本当に傷ついて……」
山科は深く考えこんで机に視線を落とした。御陵は彼女の長いまつげを眺めながら、どういう言葉をかけるべきか考えあぐねていたが、講義室の厚いドアの開く音で、ハッと顔を上げた。彼がドアの奥に見たのは……。先ほどまで怒声を交し合っていた宿敵、二人といない演劇患いの男、雄弁な詭弁家、ドン・ジュアンに心酔する青年、白川だった。不敵な笑みとギラギラ輝く瞳、攻撃的に見せつけられた歯、しかしその全貌は、宵闇を古ぼけたローブのようにまとっているせいで窺うことができない。御陵は気味悪さにすくみかけている足をどうにか自然に見えるように踏み出した。しかし、一歩が限界だった。それからは額に汗が噴き出してくるだけだった。その様子を見て、男はニヤつきながら口を開く。
「お疲れ様です、先輩。ちょっと遅れちゃって……、あ、やっぱもう少し遅れた方がよかったですかね?」
御陵は混乱で顔をひきつらせながら、まばたきを繰り返して正面を見据えた。
「なんだ、鹿ケ谷か。」
心底安堵したような、疲れ切った声だった。御陵は苦笑しながら汗をぬぐう。
「そうですけど、誰だと思ったんです?」鹿ケ谷と呼ばれた、御陵と似た雰囲気の学生は笑った。「どうかしました?顔色が悪いですよ。」鹿ケ谷が尋ねる。
「いいや!大丈夫。何も、何も起こっちゃいない、いつも通りさ。」
それに対して鹿ケ谷が気のない返事をして室内へ足を踏み入れると同時に、彼の背後、ドアの奥から複数の男女の談笑と足音が響いてきた。彼は音の方を振り返り、みんなちょうど来たみたいですね、と言った。
「そうか、それじゃあ、場所はいつもと違うけど、それ以外はいつも通りってことで。さっそくミーティングを始めようか。」御陵はもう普段の調子を取り戻していた。
鹿ケ谷は声の方へ向きなおったところで、思わず息をのんだ。最後列の席に座る山科と、そのそばで机に手をつきながら立っている御陵。その様子が、この二人の作り出す空気があまりにも様になっていて、まるで額に入れられた絵画のようだったからである。




