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即興喜劇・物笑い  作者: alIsa


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20/30

第八講義室 その3

「ボードレールも結構だけどさ、」御陵(みささぎ)が割って入る。「もっと僕らのタメになる話をしないか?愉快な話題でもいいけど。」

 彼が呆れ気味に肩をすくめながら横目で山科(やましな)の方を見ると、彼女はそれに気づいて小さな苦笑を浮かべた。

「ゴメンね。私、文学とかさっぱりで。感受性が鈍いっていうか、繊細さに乏しいっていうか、詩や小説を読もうとするとすぐ眠くなっちゃうんだ。二人みたいによく読めれば、きっと楽しいんだろうね。」

「別に気にしなくていいよ。詩は人を放埓に、小説は厭世的にしてしまうものだなんて言われるくらいだし、読めなくたって人生において大した損失でもないさ。それに、君は君のままで十分すぎるくらい素敵なんだから。」御陵は山科の方を向き、その顔を覗き込みながら優しく微笑んだ。

「そうそう。あんたは俺らなんかとは違って、詩やらなんやらから感受性だの繊細さだのを拾わなくたっていいんだ。何もしなくとも、ただ生きてるだけで磨かれていくものだからな、本当に繊細な人のそれってやつは。」白川は勝ち誇ったように御陵を見ながら言った。御陵はよく分からないといった表情で見つめ返したが、すぐに今朝の会話を思い出したのか、顔をしかめて、くだらない詭弁だとでも言いたげな色を示した。青年は続ける。

「そういう点では意外だよな、御陵が山科と付き合うなんてさ。もっと本の話ができるやつとくっつくもんだと思ってたぜ、てっきり。」

「言い方に棘がある気がするけど。でもそうだね、私なんかと一緒にいてもつまんないんじゃない?」山科もそれに乗っかる。

「山科まで、よしてくれよ。困ったな」御陵は戸惑った様子を見せたが、すぐに恋人の顔を捉えてその手をとり、ゆっくりと語りかける。「……僕は君との関係を単なる恋人じゃなくて、その先まで見据えてるんだ。だから趣味が合うかどうかなんて些細なことは問題じゃない、もっと広い視野で君のことを見てるんだ。一緒にいて居心地がいいかとか、尊敬できる人なのかどうかとか……、人生の長い時間を君と過ごしたいと思ってるんだ。」

「実家が太いかどうか、体の相性がいいかどうか、騙しやすいかどうか……。要検討項目はまだまだありそうだが?」

 誰も返事をしなかったが、白川自身、どうでもよさそうだった。彼の目はじっと山科に向いている。幸せそうな顔で御陵の目を見つめ返し、手を握り返しているその女を。《あの薄ら寒い空笑い、あれを崩さなければならない。さっきの苦しそうな表情を引っ張り出して、不本意だが、大泣きぐらいさせてやらないと、あいつの本音は聞き出せない。そいつが確証になるというのに!》白川はあくまで恬然としていたが、その実一瞬でも山科から注意をそらすつもりはなかった。

「もちろん、君が詩や小説に興味を持ってくれたら、僕だって嬉しい。でも、そうじゃないからと言って、君への愛が減ってしまうなんてことはありえないよ。」

 その言い方は、誠意を何重にも折り重ねたような、優しく愛情に満ちたものだった。だからこそ、白川にはむしろ浮ついた軽薄なものに聞こえ、癪に障った。彼はまた口をはさむ。

「趣味を語り合うのは愛人くらいがちょうどいい。誰か小説家もそう言ってたものな。」

 御陵が青年を一瞥する。邪魔をするな、と言いたげな、不快感に満ちた表情。と同時に、そこには探るような色も含まれている。それでも彼はすぐに視線を山科に戻して続ける。

「……まあでも、共通の趣味なんかがあってもいいかもね、そうすることで二人の時間が増えるのなら。とにかくさ、僕ら、もっとお互いのことを知らなきゃだろ?」

「なるほど、だから付き合う前に抱き合う必要があったのね、お互いのことを知らなきゃだから。あてくしったら、普通逆なもんだと、てっきり勘違いしていましたわ。」青年は口を隠しながらお得意の裏声でやじった。

「白川、悪いけど少し黙っててくれる?」

 そう言ったのは、御陵ではなく山科だった。無感動に発せられた抑揚のない声だったが、その奥にある悲痛と怒り、それも彼女自身に対する怒りを白川は確かに感じ取った。その無造作に放たれた言葉は、無造作であるがゆえに生の感情がむき出しになっていて、異様な圧迫感をもって白川のみならず、御陵まで黙らせてしまった。山科も俯いて沈思してしまったため、講義室は息をひそめた沈黙で満たされたのだった。

 数分の沈黙の間、さすがの白川もいくらか罪悪感を抱いていた。《俺に向かって怒鳴り散らしてくれりゃあ話も早かったのに、だんまり入道を決め込みやがった、これだからお人よしは困る。俺も俺だ、少し焦りすぎたな、反省だ……が時間もないと来てる、どうしたもんかね。》と、それまで彼の隣で居心地悪そうに顔をしかめていた御陵が、机上のトートバッグからスマートフォンを取り出した。青年は好機とばかりに身を乗り出して、それを覗き込む。御陵はすぐそれに気づいて身をのけぞらせ、白川を咎めた。

「ずいぶんと懐かしい写真を待ち受けにしてるんだな。」彼は平然と椅子に戻り、悪びれもせずに言った。

 御陵はスマホを再びロック画面に戻し、それに目を落とした。その写真はちょうど二年前の夏に、サークルの活動で伊豆半島を訪れた際に撮られたものだった。満月と月明りを受けて穏やかに光る海面を背に、気障な笑みを浮かべる御陵と楽しそうに歯を見せて笑う山科が写っている。この時カメラを構えていたのは白川だったのだが、当時の屈辱と怒りを彼は昨日のことのように思い出せる。どうにかして山科の気を惹こうとしたが、足を滑らせて崖から落ちたことも、後悔と羞恥をもって鮮明に記憶している。

「ああ。とてもよく撮れてたからさ、気に入ってるんだ。」御陵は視線を落とし、画像の中の男女に向かって目を細める。「懐かしい、僕らはまだ一回生だった。」

 なになに?どの写真?と山科が御陵の方へ身を乗り出した。その声は好奇心に満たされていて、何か楽しい話題の気配にじっとしていられない、といった風であった。白川は絶えず彼女に注意を払っていたからこそ、再度唐突に訪れた変貌に困惑した。一瞬前まではまさに意気消沈としていた女の雰囲気が、いつの間にか幻滅を知らない子供のように屈託のないものに変わっているのだ。もし彼女に大した注意を払っていなかったら、さほどの違和感はなかっただろう、現に御陵は彼女が単に元気を取り戻したものと思っているのか、調子に乗って口を回している。それがまた青年の気に障った。

「この時のコイツがなかなか壮絶だったよなぁ、足を滑らせて海に真っ逆さまだもの。」

 御陵がクツクツと笑いながらそう言うと、山科もつられて静かに笑った。御陵のその笑いの中にあからさまな嘲りを感じ取った青年は、彼に抱いていた苛立ちもあって、ついカッとなり、そして、迂闊にも御陵へと注意をそらしてしまった。

「おかげさまで滅多にない経験ができたぜ、まさか夜半中泳ぐ羽目になるとはな。どっかの人でなしどもが俺を放っておいてくれたおかげだ。」

 言葉を言いきらないうちに、白川は御陵の顔に広がる驚愕に気づいた。彼の視線を追って、青年もまた色を失った。


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