校門前広場 その2
「それにしても彼は、鹿ケ谷君は立派な方だ、傑物だ。本当に、尊敬しても敬意が底をつく気配がありません。高校時代からあなたと懇意だと知った時は大いに妬みましたが、いやはや、彼ほどの人物ならあなたの友人だとしても頷けますよ。」
「褒めすぎです。確かに鹿ケ谷君はいい人だけど、私はホントに大したことなくて――」
「ご冗談を。あなたほどに美しい人は、その場にいるだけで十分に優れているのです、花瓶に生けたバラのようにね。」
全然そんなことないですよ、と女学生が笑いながら首を振って否定したので、行き過ぎた謙遜はもはや嫌味に聞こえますよ、と青年は偉そうなことを言う。すると彼女は、ホントに鏡を見るのが嫌になるくらい、と少しムキになる。しかし青年は、あまりの美しさに見とれてしまうのでしょう?と笑って流すのだった。
「もう、いじわる言わないでくださいよ。だって私、よく気の強そうな顔だって――」
「まるで女王様のような顔!ああ、あなたの頭に王冠を載せてもよろしいでしょうか、あなたのつま先にキスをさせていただけないでしょうか?」
「体も小さすぎるって――」
「まるで小鳥のような体!ああ、もし私が鳥かごなら、あなたのもとへとすっ飛んでいくというのに!」
西大路は感嘆を漏らして青年を見つめたが、すねたようにそっぽを向いた。
「そうやって私をおだてて、喜ばせようとしてるんでしょ?その手には乗りませんから。」
「とんでもない!」白川もムキになる。「そういうことでしたら、例の美人のための三十の条件でもって、あなたが美しいということを証明してみせましょう!あなたは三つの黒いものを持っていますね、目とまつげと眉。三つの華奢なものを持っていますね、指、唇、そして髪の毛――」
「分かりましたから!もう……。」西大路は熱を確かめるかのように赤くなった頬に両手をあてる。「白川さんってホント変わってますよね、面白い人。私、面白い人が好きなんです。」
そう言われて、白川は一瞬表情を曇らせる、半年前の出来事が脳裏をよぎったのだ。しかし、すくに社交的な笑みを浮かべて、それはどうも、と簡素な返事をした。
「あ、でもそれ以上に優しい人だなって。」西大路は彼に半ばかぶせて言う。「私のコンプレックスもたくさん褒めてくれましたし。」
「コンプレックスを褒める?私はただ美しいものをそのまま美しいと言ったまで。むしろあなたの美しさに適う言葉がちっとも見当たらなくて狼狽してしまうくらいですよ。」青年は心底苦しそうに顔をしかめる。
「あはは、ホント優しい人。私、好きですよ、優しい人。」
西大路は「好き」という言葉をとりわけ強調して言ったので、どこか意味ありげに聞こえて、それが白川をどうしようもなく混乱させた。《どういう意味だ?そういう意味でいいんだよな?》西大路は続ける。
「恋人にするなら優しい人がいいなって、よく思うんです。」
《恋人だって?どうしてわざわざ俺の前でそんな……やっぱり俺のことが……。そういえば、恋人はいるって言ってたじゃないか!こんな大事なことを忘れて大団円とは笑えるぜ、冷静にならなきゃね、また手玉に取られちまう。》青年は微笑みながら、あなたの考えることは全部お見通しですよ的な笑みを浮かべながら、それを指摘した。しかし、
「……ごめんなさい、実はあれ、嘘だったんです!」
西大路は申し訳なさそうに俯き、唇をかんだ。嘘?と白川は小首をかしげる。
「ホントは恋人なんていないんですけど、その……、白川さんの反応があんまり素直で可愛くって……、つい、からかいたくなっちゃったんです。」
西大路が羞恥と後悔の混ざった視線を向ける。それは心から反省しているように見える目だった。《なんていじらしい仕草だ!こんなの神様のやつでもホロリとしちゃうぜ!》青年は安堵のあまり、むしろ喜ばしいくらいですよ、とかうっとうしいこと言いかけたが、西大路の言葉に遮られた。
「でも、好きな人はいるんです。」
彼女は白川の目を覗き込んだ。うるんだ瞳が日差しを受けてキラキラと輝いている。《ああ、なんて女だ、この人は!彼女の蠱惑的な……この瞳!俺はどうすればいいんだ、俺はまたからかわれてるのか?》白川は立ち眩みそうになるのを足に力を込めて踏みとどまり、思わず額に手をあてた。
「おお、よしてください、美しい人よ、またそうやって私に情熱の炎を灯そうとするのは!そんなことせずとも、私の全身は、魂は、すでにあなたへの情熱で今にも灰にならんばかりなのですから!」
「もっともっと狂い猛って、そのまま燃え尽きて死んでしまいなさい!」
「仰せのままに、小鳥の女王よ!『おお、美よ。お前の地獄のような神々しい眼は、善行も犯罪も混淆させて雑然と注ぎかける』のだ!」
白川の力強くて熱意のこもった声が、ほんの一瞬だけ構内を制圧したかのように思えた。それほどまでに周囲がしんと静まり返り、夏の太陽がアスファルトを焦がす音さえ聞こえそうな気がした。熱狂的な沈黙を破ったのは、西大路が楽しそうにクスクスと笑う声だった。
「ふふ、『地獄のような神々しい眼』、『善行も犯罪も混淆させて』かぁ。……素敵。」
「ええ。ボードレールの一節ですよ。」あまりの興奮で浅黒い顔を真っ赤にしていた白川は、落ち着くために肩で大きく息をしている。「お好きですか、ボードレールは?」《酸欠でまだ頭がクラクラするぞ……》
「講義でちょっとだけ読んだことがあります。でもホントに軽く触れただけだから、よく分かりませんよ。」西大路の目線が落ち着かなくなる。
「そうでしょうとも。あなたのような人が、こんなデカダン野郎に親しむものですか!あなたに理解できていいわけがないのです、神のそばから下りてきたばかりの天使のように純白なあなたに、いや、純潔で高貴で溌剌な天使そのものたるあなたに!」白川は呼吸困難のようになりながら叫び続ける。「あんなもの、あんなやつ、あの山科にこそ相応しいでしょうよ、言うなれば、『身を売る詩の女神』のようなあの女にね!」
喘ぎ喘ぎ言い切った白川は、不揃いな顔面に達成感を浮かべながら浅い呼吸を繰り返していたが、手ごたえを感じられず、チラリと西大路の方を見た。彼女は真剣なまなざしを青年に向けている。《マズい、またしくじった、あのまなざしは今朝彼女の前で御陵を馬鹿にした時と同じものだ。俺としたことが同じミスを……。》背筋にひやりと冷たいものが流れた。少しの間の後、今のってどういう意味ですか?と西大路は重々しい口調で尋ねた。