南構内東棟三十一教室 その3
試験前ということもあって、六人ぽっちしか集まらなかったらしい。ちょうど男女三人ずつだったので、先に座っていた白川と山科を中心に、男女で別れて座ることになった。
「そういえば、御陵は来ないんだったな。誰が進行するんだ?」
青年が左隣に座る鹿ケ谷にそう尋ねると、彼は照れくさそうに小さく手を上げた。聞くと、彼が次のサークル長候補だという。白川が思わず、やっぱり御陵二号じゃないか、と皮肉げに呟くと、だからそれはやめてくださいって!と鹿ケ谷は大げさに返した。
青年は会話の最中でも、鹿ケ谷の正面に座る西大路へとひっきりなしに視線を移していた。彼女は隣に座る山科と話したり、スマートフォンをいじったりしていたのだが、ふと前を見据えると自身のリュックサックをあさり始めた。《忘れ物か?おや何か取り出して……、あれは、ペンケース?しかしどうやら男物のようだが……》西大路はそれを鹿ケ谷へ差し出して口を開いた。
「ねぇ、鹿ケ谷君、これ、間違えて持ってきちゃったみたいで……」
《ペンケースを間違えるってどういう状況だ?》白川は不思議そうに首をひねって今度は鹿ケ谷の方を見た。
「あ、やっぱり!君のペンケースだけ部屋に置いてあったからさ。」
そう言って鹿ケ谷もトートバッグから女物のペンケースを取り出した。《お前もかよ。》
「ごめんね?寝ぼけててつい――」「いや、いいんだ。遅刻ギリギリだったし――」
二人は漠然としたやりとりをすると、顔を見合わせて笑った。白川は他人には、少なくとも彼には理解できないこの笑いをつまらなそうに眺めていた。
鹿ケ谷はペンケースの中身を一応確認した後、空気がダラけてきたのを感じたのか、口調を改めて場を仕切ろうとした。がしかし――、
「ごめん、鹿ケ谷君、もう一個忘れてた!」と西大路が流れを止めた。彼女は再びリュックをあさり、乳白色の小さなビニール袋を取り出した。
鹿ケ谷は渡されるがまま袋を受け取ったが、彼女は顔を赤らめながら黙って目を伏せるばかりだったので、不可解そうに中身を確認した。それから、
「ああ、下着か!どおりで一枚足りないと思ったよ。」とあっけらかんと言った。
《下着だって?》白川は愕然として鹿ケ谷を見る。《なぜ?百歩譲ってペンケースはありうる。でも下着だって?いや待てよ、そういえば御陵が言ってたな、二人はよく一緒に出掛けたり家に行ったりしてるって……》
「ごめんね?私の洗濯物に紛れてたのに気づかなくって。」西大路は申し訳なさと羞恥が混ざった顔色をしている。
《洗濯物に紛れる?どうすりゃあいつのパンツが西大路さんの洗濯物に紛れる?そんなの簡単だ、同じ洗濯機を使ったんだ!》動揺する白川に追い打ちをかけるかの如く、そういえば僕の方にも……、と鹿ケ谷がまた動き出す。《おい嘘だろ、まさかお前もか?お前も西大路さんの下着を引っ張り出してくるんじゃないだろうな?上か?下か?いや違うそうじゃない。ああ畜生!》
「はい、ハンカチ。アイロンはかけといたからさ。」彼は大事そうにハンカチを差し出した。
《なぁんだ、ハンカチか、よかった。……いや、だからどうしてそんなにホイホイ洗濯物が交ざるんだよ、洗濯ネットを使え。》あまりの衝撃に混乱し、視界も歪みつつあったその時、白川の耳にくしゃみをこらえたかのような、くぐもった音が届いた。見ると、正面に座る山科が、笑いを必死に抑えていた。
「白川……ひどい顔……」山科は息と交互に言葉を漏らした。
《この女、人の気も知らないで……、覚えとけよ。》白川は彼女をギッとにらみ、西大路たちの方を向いた。動揺を悟られまいと笑みを繕ったのだが、よほど引きつっていたのだろう、山科の方からしゃっくりのような奇妙な音の笑い声が聞こえた。
「なんだか愉快なやりとりをしてるじゃないか、ペンケースと下着を取り違えたんだって?滅多なことじゃないか。」と白川は頭の整理がつかないまま口を利いた。もう耐えきれなくなった山科が、机に突っ伏すのが視界の隅に映る。
「あはは、下着とハンカチですよ。」鹿ケ谷は苦笑しながら言った。
《こいつこの野郎、違うだろうが!余裕ぶりやがって……、もっと必死に弁明しろってんだ!》「そうそう、下着とハンカチ。ええと、こういうことはよくあるのかい?」
白川がそう言うと二人は顔を見合わせて笑い、よくってほどでもないですけど、とか歯切れの悪い返事をするだけだった。
――でも前にものすごいのがあったよな。白川の右隣りに座る、見知らぬ学生だ。その正面に座る学生がそれに反応する。――なんだったかな、歯ブラシだっけ?
《歯ブラシ……、歯ブラシ?だからどうして取り違うんだよ!同棲でもしてるわけじゃあるまい――、いや、まさかな。》
「なんだか同棲カップルみたいだね。」青年は地面に叩きつけられた生卵のような笑みをはりつけたままだ。《クソ、何が同棲カップルだよ!ああ、胸糞悪い、一つのコップの中に仲良く並んだ二本の歯ブラシを想像しちまった、泣きたい。俺も俺だよ、ニコニコしやがって、殴りかかるぐらいやってのけろってんだ……。》
白川に注目を向けていた二人は、視線を合わせ、そしてすぐにそらした。青臭い沈黙が彼らの間に下りる。西大路などは耳まで真っ赤だ。白川はそれを遠巻きに見ていた。《ああ、終わりだ畜生、鹿ケ谷で確定じゃないか!よりにもよってこんなやつに、西大路さんを奪われちまうなんて……。もう死のう!今日死のう!雷に打たれて今日死のう!》鹿ケ谷が、白川さんってば相変わらず冗談ばっかりだ!と言って無理に、それでいて嬉しそうに笑っている。《冗談?冗談だって?それはこっちの台詞だ!何がハンカチだ、何がパンツだ、何が同棲だ!全部冗談だよな?》
「そろそろ始めようか、昼休みも終わっちゃうし……。」鹿ケ谷が再度仕切りだす。
《ああクソ、まずはこいつをぶちのめさなくては!その次に御陵だ!こいつは西大路さんと付き合うどころか、同棲まで……、許せん!二度と外を歩けないくらい……、いや待てよ、もしかしたら付き合ってはいないのかも、その可能性も検討すべきでは?だとしても、いやむしろ、付き合ってないのに同棲してる方がマズいだろ!なぜかって……不純……、そう不純だ、不純異性交遊だ!まだ親元も離れてないくせに!俺は社会正義のために鹿ケ谷をやっつけるんだ!》白川は鹿ケ谷をにらみつける。
「前回のミーティングに出てない人もいると思うので、まずは――」
《さて、どうやっつけたものか……。なぁに、こいつも本質は御陵と一緒さ、あいつにやったように、煽って煽って、ボロを出させて、そこを抉ってやれば――》そこでふと西大路と目が合う。《西大路さん?なぜ俺をそんなに見つめて……期待と不安が混ざったような……、あぁ、なるほど、そういうことか。あなたは私に助けを求めていたのですね?今朝からずっと、目が合った時以来、この野蛮な情欲の徒から自分を救ってほしい、と。ああ、やはり運命だったのだ!その不安も無理ありません、あなたのよすがはこの運命だけなのですから!今朝我々を貫いた運命にしか、あなたは頼ることができなかったのですから!ですがご安心を、必ずや華麗に、力強く、勇敢に、あなたを助け出して見せましょう。大丈夫、半年前のようなヘマは致しません。……というか、あの時だって私が身を引いただけのことで、御陵をやっつけること自体は造作もないのです。だからどうか、そんな顔をなさらないで。あなたのために、あなたの真摯な愛情を守るために戦う私に、敵などいないのですから。》
白川が口火を切り、おい鹿ケ谷!と宣戦布告をしようとした、まさにその直前、部屋に単調な電子音が響き渡った。出鼻をくじかれた青年は、ムッとした顔で音の正体を探ろうとする。不意に音が移動し、より鮮明になった。