第97話 建国
年が明け、穏やかに冬が過ぎ去った後の、聖暦一〇四七年四月。ノイシュレン領の領都オストベルク――これからはノイシュレン王国の王都と呼ばれることになるこの鉱山都市で、建国の儀式が開かれていた。
ノイシュレン城の大広間。そこに集っているのは、ノイシュレン王国に参加する主だった領主家の当主たち。大広間の奥側を向き、列をなして立つ彼らの最前列を占めるのは、ノイシュレン家の姻戚など特に近しい家々の当主と、王国において侯の地位を賜る大領主たち。
大広間の最奥には一段高い上座が設けられ、そこに先の冬のうちに作られた玉座が据えられている。玉座の左右にはノイシュレン家の重臣たちや、オストベルクの神殿において最上位の立場にいる神官長が並ぶ。
鉄を権勢の源とするノイシュレン家にふさわしい、質実剛健な印象を示す漆黒の玉座。そこへ、当主ハインリヒ・ノイシュレンが深々と腰かける。
その表情に浮かれた喜色はなく、大領主らしい凛とした佇まいも合わさって、一見すると厳かな雰囲気を醸し出している。まさにこれから王となる人物にふさわしい在り方のようで、しかし実際のところは、内心に暗い心持ちを抱えているのだろうと、最前列から彼を見据えながらサンドラは考える。彼の表情に込められているのも、厳かな覚悟というよりは、静かな諦念か。
「――今日この日、唯一絶対の神が見守りし神聖な場において、ノイシュレン王国は誕生する。神に認められ、祝福されしこの国は、そこに属する全ての領主家の特権を守る聖域となり、そこで暮らす全ての民を庇護する安寧の地であり続ける。王の統率の下で、全ての領主家がとこしえの繁栄を得るであろう……我らが盟主たる王を称え、我らが同盟たる王国を称えよ! ノイシュレン王国に栄光あれ!」
「「「ノイシュレン王国に栄光あれ!」」」
神に仕える立場である神官長が、王と領主たちの繊細な関係性に配慮した文言をもってノイシュレン王国の誕生を宣言した後、領主たちは彼に続いて一斉に声を張った。皆の力強い声が大広間に響いた。
この唱和をもって、建国の儀式は完了となる。この後に行われるのは盛大な宴。空気はやや弛緩し、緊張から解放された領主たちは近くの者と話し始める。
「……ようやくここまで来たな」
「ええ。肩の荷が下りた思いだわ……とはいえ、これで全てがめでたしめでたしと解決したわけではないのでしょうけど」
「まあ、少なくとも今回の騒動ほどの面倒事はそうそう起こるまい。今日くらいは安堵して浮かれ騒いでもよかろう」
王国誕生に際して侯となったルートヘル・キーヴィッツがぼそりと呟き、同じく侯の地位を得たシュザンヌ・ミストラルが隣で答えた。さらにはヴィットーレ・ガリバルディが、楽しげに笑いながら言った。
ユーティライネン家の勢力圏で建国反対派による動乱が発生したように、彼らの勢力圏においても、さらにはノイシュレン家の勢力圏においても、建国という大きな現状変更に対する一部の領主たちの反発が起こったという。それに対し、各家の当主たちは武力や策略をもって鎮圧。皆が王や侯としての器を示した。
「そうだな。今日はただ無心で祝おう。我らの成した偉業を誇ろう……そして明日からは、未来を見据えよう。ノイシュレン王国が誕生したこの地以外にも、ダリアンデル地方の各地で事態が動きつつある。世界は急速に変わりつつある。この激動を生き残るために、この国を真に機能させていかなければ」
サンドラは語りながら、玉座に座るハインリヒを見据える。他の三人も、自分たちの戴く王に視線を向ける。
彼の方も侯たちに視線を巡らせ、そして微苦笑を浮かべた。口元の動きで、彼が小さく嘆息したのが分かった。
利益のために成り立った王国。打算の結果として生まれた表面的な主従関係。それでも国は国であり、主従は主従である。
始まり方がどうであれ、ノイシュレン王国はそこに生きる皆の故国として歴史を刻み始めた。
・・・・・・
「……今頃、サンドラ様はオストベルクで建国の儀式に出席してるんだろうねぇ。それか、もう儀式の後の宴が始まってる頃かも」
ヴァレンタイン城の広間。ミカは昼食後のお茶を飲みながら、呟くように言った。
「そうですね。我々が昼食をとっている間に、この村もノイシュレン王国の一部になったというわけですか」
「めでたいことですが……正直に言うと、あまり実感は湧きませんね」
「そりゃあ、パンを食ってスープを啜ってただけだからな」
ヨエルとマルセル、そしてディミトリの言葉を受け、ミカは思わず苦笑を零す。
「あははっ、気持ちは分かるよ。うちみたいな弱小領主家からすれば、なんだか掴みどころのない話だよねぇ。社会の枠組みが変わったんだって実感する機会も、しばらくはないだろうし」
オストベルクで開かれている儀式と宴に、ミカは出席していない。出席したいのであれば来ていいとサンドラから言われたが、ミカとしては必須ではないのに遠方まで出向いて村を留守にすることは避けたかったので、丁重に断った。
建国の儀式は侯となる大領主たちと、儀式を見届ける証人としてノイシュレン領周辺の領主たちが出席すれば十分に成り立つ。ミカが出席しようがしまいが、何ら影響はない。
ヴァレンタイン家はこの地域において一定の存在感を示してきたが、とはいえ王国全体から見れば、何百もある中小領主家のひとつでしかない。サンドラから見ればミカは有能な姻戚であり、ヴァレンタイン領は西のアルデンブルク王国に対する防壁としてこれから育てていくべき要地であるが、そうした事情もあくまでユーティライネン家にとっての話。現代日本から転生して領主に成り上がるという、まるで物語の主人公のような人生を送ってきたミカも、ノイシュレン王国の主人公というわけではない。それどころか、少なくとも今のところは主要登場人物ですらない。
なので、ノイシュレン王国建国の記念すべき日において、しかしミカたちの生活は何ら変わらない。ヴァレンタイン領は今日も平和を謳歌している。
「でも、ある意味では幸せなことね。子供たちのためにも、毎日穏やかな生活が保たれているのがいちばんだと思うわ」
「そうだねぇ。こうして皆で平穏に暮らすために、僕は領主として頑張ってるわけだから」
アイラの言葉に頷きながら、ミカは広間のテーブルの端、子供たちが座る方へ視線を向ける。
「俺、午後はヨエルさんに剣の稽古つけてもらうんだぜ! 今日は真剣を振らせてもらうんだ!」
「シリル、剣もいいけど、あなたはもっと農業の勉強もしないと駄目よ? お父様の跡を継げるようにならないといけないんだから。ねえイルメリ、あなたもそう思うでしょう?」
「え、えっと……あはは」
マルセルの息子シリルが自慢げに言い、彼の姉のエルゼが呆れ交じりに指摘する。彼女から同意を求められたヨエルの養女イルメリが、返答に困って遠慮がちに笑う。
城で暮らす子供たちのうち、年長であるこの三人は、家臣見習いとして熱心に仕事や勉強に励んでおり、日に日に頼りがいを増している。
「アンリエッタさま、おくちをふきましょうね~」
「あいあと、ナタリヤ」
一方で年少の二人――ミカとアイラの娘アンリエッタと、ディミトリの娘ナタリヤも、仲良さげにしている。そろそろ一歳半になるアンリエッタは拙いながら言葉も話すようになり、二歳半になるナタリヤは、アンリエッタに対してお姉さんとして振舞うことをいつも楽しんでいる様子。
「もう、ナタリヤったら。そう言うあなたの口元もパンくずだらけじゃない。ほら、こっちを向きなさい」
「ふふふ、アンリエッタ様はお手ても拭きましょうね。麦粥が指にもついてますよ」
ビアンカが微苦笑しながら娘の口の周りを拭いてやり、そしてアンリエッタの手を、マルセルの妻カルラが拭いてやる。ヴァレンタイン城で暮らす子供たちは、こうして大人たち皆に面倒を見られている。
「……ここが国の一部になっても、僕たちがやるべきことは変わらないね。毎日頑張って仕事に臨んで、着実に領地を発展させていくだけだ」
「そうね。皆で頑張りましょう……でも、無理はせずにね?」
アイラがそう言って、優しい笑みを浮かべながらミカの手を握る。ミカは彼女に笑い返し、頷いた。
少し前に、ユーティライネン領から移民の第一弾が送られてきた。エルトポリの貧民街から素行の良さそうな者を集めた三十人ほどの移民たちは、ひとまず旧領主館で寝起きしながら、自分たちが暮らすための家屋を建てたり、自分たちが耕すための農地を開墾したりと日々励んでいる。
また、昨年から今年にかけて、サンドラの計らいでユーティライネン領から農耕馬と犂を優先的に購入させてもらったことで、ヴァレンタイン領の農業体制も大きく発展した。いよいよ念魔法で犂を引く作業から解放されたミカは、森の伐採や家屋建設に専念できるようになり、村を囲む木柵の建造と空堀作りにも少しずつ取り組んでいる。
この村に暮らす皆が幸せでい続けられるよう、奮闘していく日々。地道だが、この地道さこそが好ましいとミカは思っている。




