第90話 動乱の始まり
エルトポリ城での会談を終えたミカは、ヴァレンタイン領へと帰還し、ひとまず日常に戻った。
「……あぁ、平和だねぇ」
「はい、まったく平和なもんです」
ヴァレンタイン城の主館の裏庭。ミカは長椅子に座ってお茶を飲みながら呟く。隣に座るディミトリも、お茶のカップを手に答える。
二人の視線の先では、アイラとビアンカが、アンリエッタとナタリヤを遊ばせている。
「わあ、ねこさん! ねこさんがいるよ!」
「あら、本当ね。またお城に遊びに来たのね」
ナタリヤが興奮した様子で指差す先には、白い毛並みに黒いぶち模様の猫が歩いていた。それを見たビアンカが微笑を零しながら言う。
村では鼠を狩らせるために数匹の猫が飼われており、猫たちは時おりこうして城の敷地に入り込み、うろうろと探索し、飽きるとまた村の方へ帰っていく。
「ほら、アンリエッタさま、ねこさんだよ!」
「きゃははっ! あーう!」
アイラに抱かれたアンリエッタも、ナタリヤと一緒に猫を見て楽しそうに笑う。
猫は四人の方を振り返ると、人慣れした様子で近寄る。ビアンカとナタリヤに撫でられ、そして赤ん坊のアンリエッタに興味を抱いたのか、好奇心旺盛な様子で匂いを嗅ぎ、ひげで触れる。
「ね、ねー」
「そうよ、猫さんよ。優しく撫でてあげて」
アイラが言いながら、アンリエッタを庭に座らせる。子供が育つのは早いもので、既に生後十か月ほどですくすくと成長を続けているアンリエッタは、危なげなく座って猫を撫でる。猫が気持ちよさげに目を細め、その様を見てきゃっきゃっとはしゃぐ。
「ふふふ、アンリエッタは本当に、ふわふわしたものが大好きね」
我が子と猫の微笑ましい触れ合いに、アイラは優しい笑みを向ける。
そんな妻子の姿を見守りながら、ミカも優しく微笑する。一か月ほど前のエルトポリでの殺伐とした一時も、この地域一帯の不安定な情勢も嘘のように、ヴァレンタイン領内は平和だった。
「この平和がいつまで続くか……なんて考えるのも、いい加減に落ち着かないものだねぇ」
「はい、一波乱が起こるなら、いっそとっとと起こってほしいもんです」
「あはは、同感だよ」
二人はため息交じりにそう語らう。ミカの傍らには、アイラに抱きかかえられる立場を今はアンリエッタに譲っているぬいぐるみのアンバーがちょこんと座っている。
ノイシュレン王国建国に反発している領主たちが、このまま大人しくしていることはあり得ないだろう。近いうちに、ユーティライネン家を打倒して自分たちの意思を押し通そうと行動を起こすはず。それが、会談の後にサンドラとミカが確認し合った共通認識だった。
ほぼ確実に動乱が起こると分かっていながら過ごす日常というのは、実に落ち着かない。なのでミカとしては、ユーティライネン家の勢力圏における建国賛成派と反対派の争いに、早いところ決着がついてほしい。もちろん賛成派の勝利によって。
「ミカ様!」
そのとき、裏庭にやってきた家臣ルイスが、ミカを呼びながら駆け寄ってくる。
「ルイス、どうしたの?」
「フォンタニエ家から遣いが来ました。急ぎミカ様に会いたいそうです」
「……そっか、分かった。すぐに行くよ」
ミカはそう言って立ち上がり、主館へ戻る。いよいよ事態が動くのだろうと考えながら。
・・・・・・
フォンタニエ家の使者が伝えたのは、ピエール・フォンタニエからの援軍の要請だった。
話によると、フォンタニエ領の東と南東に位置する二つの領主家――どちらも建国に反対の態度をとっているという――が、結託して兵を集め、西へ進軍してきた。両家の軍はフォンタニエ領へ直接攻め込むことはなく、フォンタニエ城のある本村のほど近く、街道沿いのやや開けた場所に陣取った。
そして、両家の当主はピエールに対して協力を求めてきた。共にノイシュレン王国建国に反対の立場をとり、そしてユーティライネン家の姻戚であるヴァレンタイン家と戦うよう要求した。
しかし、ユーティライネン家の側につく方が勝ち目があると考えているらしいピエールは、彼らの要求を拒否。一方でミカに現状を伝え、敵を打破するための助力を求めた。
要請を受けたミカは、即座に参戦を決意。可能性は低いが、敵に別動隊などがいてミカが留守となったヴァレンタイン領を攻撃しないとも限らないため、ヨエルとジェレミーを残して城と村の防衛指揮を任せることにした。
そして自身は、ディミトリとルイス、その他に領民の成人男子を十人ほど引き連れ、フォンタニエ領へと向かった。
「さて、ヴァレンタイン卿。此度はよく来てくれた。あらためて加勢に感謝する」
「恐縮です。敵の最終的な狙いは我がヴァレンタイン領とのことですし、領地を接する友人のために助力を為すのは当然のことです」
到着したフォンタニエ城の広間。情報共有のための会談を兼ねたお茶の席で、ミカはピエールとそう言葉を交わす。
「来てもらって早々で申し訳ないが、早速現状を説明させてほしい……使者からも伝えた通り、敵は我が領の東に領地を持つノディエ家と、南東に領地を持つカーサライネン家だ。両家の兵は総勢で四十人ほどと推測される。そのほとんどが民兵で、練度はたかが知れているだろう」
ピエールはそこで言葉を切り、お茶に口をつけると、また説明を続ける。
「ただし、この本村から東に二キロメートルほど離れた地点に陣を置き、それ以上に軍を進める様子は見せていない。逆に、私が両家への協力を拒否する旨の返答をした後は、木柵や空堀による防御陣地を築こうとしているようだ」
「なるほど……状況から考えて、建国反対派の領主たちがいよいよユーティライネン領へと攻勢を仕掛けるつもりで、ノディエ家とカーサライネン家は僕たちがユーティライネン家に加勢できないよう足止めするのが目的なのでしょうか」
「そうだろうな。より正確に言うならば、我がフォンタニエ家に関してはあくまでついでで、卿の率いる手勢を足止めするのが本命の目的だろう」
ミカの言葉に、ピエールも頷いて同意を示す。
反対派の領主たちが密かに連絡を取り合い、ユーティライネン領を攻撃する準備を進めているであろうことは容易に想像できていた。中小領主家とはいえ、多数の家が手を組めば、それなりの規模の軍勢を作ることもできる。それだけの兵力でユーティライネン領へ攻勢を仕掛ければ、彼らにも現実的な勝ち目が生まれる。
しかし、ユーティライネン家に近しい各領主家が賛成派として参戦すれば、反対派の軍勢は後方を突かれかねず、そうなれば勝利の可能性は大きく損なわれる。敵側としてはそうした賛成派の動きを封じておきたいはずであり、ノディエ家とカーサライネン家がこちらの足止めをするように防御陣地を築き始めたというのは、そのための行動である可能性が高い。
そもそも、ノディエ家とカーサライネン家の戦力では、領主が強力な念魔法使いであるヴァレンタイン領に真正面から攻め入って勝てる見込みは薄い。
仮にフォンタニエ家がこの二家の側についていたとしても、三家が外征に投入できる兵力でヴァレンタイン家を打倒できるかと言われれば、可能性は低い。ヴァレンタイン家が会戦にでも臨むのであれば別だが、ミカとしては正々堂々の戦いに付き合う義理はないので、ヴァレンタイン城を中心に守りに徹する。そうすればまず敗けることはない。敵対した三家は、どれほど本気で攻めても損害が膨らむばかりで何の成果も得られないだろう。
ノディエ家とカーサライネン家もそれは理解しているはずであり、そのことから考えても、敵側の二家の目的は積極的な攻勢ではなく、やはりこちらの足止めと考えられる。フォンタニエ家を味方に引き入れることができていれば、その兵力を加勢として迎えた上でヴァレンタイン領のすぐ東側に陣を敷くつもりだったのだろうとミカは考える。
「こうなると、ヒューイット家などに対しても足止めの軍勢が動いているかもしれませんね……このままだとユーティライネン家が孤立してしまいます」
「あのユーティライネン卿が寄せ集めの軍勢にそうそう敗けるとは思えないが、とはいえ数は脅威だ。おそらく積極的にユーティライネン家への加勢に動く賛成派の領主は少ない以上、彼女からすれば、近しい領主家の加勢が欲しいところだろう。強力な魔法使いの加勢は特に」
ノイシュレン王国建国への反対派は大半が強硬な姿勢を示しているが、賛成派に関しては温度差が大きい。姻戚をはじめユーティライネン家に近しい領主家は積極的に賛成する意思を示しているが、諦念交じりに消極的な賛成を示しているだけの家も多いはず。
となると、反対派の攻勢に対して、即座にユーティライネン家への加勢に動く賛成派の領主家はおそらく限られる。消極的賛成の者たちは、明確にユーティライネン家が優勢にならない限り動かない。
また、サンドラはこのように反対派が動くことを予想した上で、あえて先手を打って攻撃することはしなかった。反対派に先に一線を越えさせることで、武力をもって反対派を打倒し、周辺地域の意思を統一させるための正当性を得ようとしていた。後世で「ユーティライネン家は一方的な軍事侵攻によって意見を異にする領主家を排除し、侯となって周辺一帯の中小領主家を従えた」と悪しきように語られることを防ぎ、自身や子孫の侯としての立場が揺らがないようにするための判断だった。
多少の不利を承知で彼女が下したこの判断と、そして反対派が意外にも連携のとれた動きを見せたことの結果として、いよいよ始まった動乱の序盤に関しては反対派がやや有利になる。
その状況を逆転させるには、ユーティライネン家に近しい領主家が、反対派の足止めを打破して加勢に動くべき。
「そうですね。ユーティライネン家の政治的な庇護があってこそのヴァレンタイン家の安泰ですから、ここは助けに動かないと……足止めの軍勢に手間取っている時間はありませんね」
「フォンタニエ家としても、反対派に加わらない意思を明確にした以上、ユーティライネン家に勝ってもらわなければ困る。共にノディエ家とカーサライネン家の軍勢を打ち破り、そしてユーティライネン家への加勢を為そう。卿の力があれば、勝利は容易いはずだ」
「感謝します。当家はどうしても兵の頭数を揃えるのが難しいので、フォンタニエ家と共闘できるとなれば本当に助かります。一緒に勝利を掴みましょう」
ミカとピエールは協働の意思を確認し合い、握手を交わした。




