第89話 会談は荒れる、されど進まず
それから一週間後。ユーティライネン家の勢力圏内に領地を持つ全ての領主家から、代表者がエルトポリに集まった。
大半の家からは領主当人が。領主が高齢であったり病を抱えていたりする領主家や、今回の招集を軽んじているのであろう領主家からは、子女などが名代として。エルトポリ城の広間には椅子が円状に置かれ、そこに総勢で七十人ほどが並んだ。
そして始まった会談は――案の定、紛糾した。
「断じて認められぬ!」
分かりやすく怒気を放ちながら、一人の領主が立ち上がる。その勢いで、彼の座っていた椅子がけたたましい音を立てながら後ろに倒れる。
「何故、国などという枠組みに属さなければならぬ! 何故、王などというものを戴かなければならぬのだ! 冗談ではない!」
「そうだ! 我々は独立した領主だぞ! 領主としての特権は神より与えられしもの! 神以外の保証者など要らぬ! 神以外に上位の存在を戴くことはない!」
さらに一人の領主が声高に語り、それに賛同の声がいくつも上がる。
「……やっぱりこうなりますよねぇ」
「ははは、あまりにも想像通りで、いっそ笑えるなぁ」
ミカが小声で話しかけると、隣に座っていたローレンツは苦笑交じりに言った。彼の声はミカよりも大きかったので、ローレンツの隣、ミカとは反対側に座る領主が二人をじろりと睨みつけてきた。彼はどうやら、サンドラの建国の提案に反発を抱く側のようだった。
「しかし、神より与えられし特権ですか。また古い考え方を持ち出しましたね」
反対派の領主の一人が言った「領主としての特権は神より与えられしもの」という考え方は、「暗黒の百年」と呼ばれた混乱の時代の終盤に、ラーデシオン教の教えに対して新たな解釈がなされた結果生まれたもの。
混乱の時代の中で己の支配域を得た有力者たちは、その実力を神より認められ、己の支配域における特権を与えられたのだ。特権を得た自分たちは神の承認を受けた「領主」であり、他者が正当な理由なくその特権を侵害することは許されない。
ダリアンデル地方のどこかで生まれたこのような解釈を、当時の有力者たちは共有するようになった。そこへ長年の争いによる社会の疲弊も重なった結果、動乱の時代は徐々に収束した。それぞれ力の差も大きい無数の領主たちが、一応は対等な立場として共存する新時代が始まった。
当時の領主たちがこの解釈を本気で信じていたのか、あるいは面倒な抗争を避けて領地間の平穏を保つのに都合の良いお題目として語っていただけなのかは分からないが、少なくとも今この時代においては、これはミカの呟きの通り相当に古い考えと言える。自分たちが神より特権を与えられた存在などと、本気で信じている者はおそらくほとんどいない。
にもかかわらずこのような主張をするのは、自分たちの特権を守るために都合の良い考え方を歴史の中から引っ張り出してふりかざしているのか、あるいは本当にそのような考え方を今でも信じるほど保守的な気質なのか。
「諸卿、少し落ち着こうではないか。我々が受け入れるべきは、盟主としての王への従属と、侯となるユーティライネン卿への軍事指揮権の委任、その程度だ。我々の領主としての特権が脅かされるわけではない。我々の生活は、これまでと何も――」
「黙れ! ユーティライネン家の姻戚の言葉など聞く意味はない! どうせ貴様らは、最初からユーティライネン家と結託しているのだろう!」
パトリックが立ち上がってそう呼びかけるが、先ほど椅子を倒した領主から怒鳴られて思わずといった様子で黙り込む。
有力領主で、ユーティライネン卿ことサンドラの義理の叔父であるパトリックが一介の中小領主から怒鳴られるなど、普段であればあり得ない光景。
「当たってるけど……あんな言い方、凄いなぁ」
「反対派もそれなりに数がいるから、気が大きくなっているな。怖い怖い」
場の空気が急速に荒んでいく中でミカは表情を強張らせ、隣ではローレンツの笑みもさすがに硬くなる。ミカがサンドラの様子をうかがうと、それまでは冷静な表情を維持していた彼女も、義理の叔父を怒鳴りつけられてさすがに表情が少し険しくなっている。
場の全体を見回すと、サンドラの提案を現実的なものと見なして積極的に、あるいは諦念をもって消極的に、受け入れる姿勢を示している領主はおそらく半数ほど。
一方で、反発を見せる領主も少なくない。その数は全体の四割ほどにも及ぶか。領主の頭数ではその程度だが、領地の人口規模で見れば賛成と反対がどのような比率になるかは分からない。
「そこまでして今の立場を崩したくない人たちも、やっぱりいるものなんですねぇ」
ミカは腕を組み、難しい表情で言った。
大半の領主たちは、人口数百ほどの小さな社会の中で、他領との交流も限られる中で世代を積み重ねてきたはず。広く世界を見据えたり、他の価値観に触れたりする機会もないまま、自分たちは独立した一国一城の主であるという自負を百年以上も育ててきたはず。である以上、社会の変化を受け入れられない保守的な思考になるのも仕方のないことなのだろう。そう頭では理解しつつも、彼らの態度に疑問を抱かざるを得ない。
おそらく反対派の領主たちは、勝ち目があると考えている。ユーティライネン家は強いが、その領地人口は四千ほどで、反対派の領主たちが束になってかかれば絶対に倒せない相手というわけではない。ユーティライネン家さえ滅び、他の地域の大領主たちも同じような反対派に打倒されてしまえば、建国の目論見は瓦解し、自分たちの立場を守ることができると信じている。
それはそうかもしれないが、ではその後はどうするつもりなのだろうか。十年後や二十年後、例えば西隣のアルデンブルク王国などに対抗する現実的な道筋を彼らは立てられるのだろうか。彼らは未来をよほど楽観視しているのか。あるいは、百年以上も続いたこれまでの体制を維持することに固執するあまり、長期的な視点を持てずにいるのか。
「……やはり、戦いになるだろうな」
「ですねぇ。悲しいですけど、仕方ないですねぇ」
さすがに声を潜めて言ったローレンツに、ミカも頷く。
現実的に考えれば、ダリアンデル地方南東部の東側に領地を持つ領主たちが、各々の特権をできる限り守りつつ一国の同胞としてまとまり、共存共栄を目指すのは良い生存戦略であるはず。
今はまだひっ迫した状況ではないが、だからこそ今のうちに国を作るべき。でなければ、これから周囲に生まれる大勢力にじわじわと飲み込まれていき、十年後や二十年後にはどれほどの家が弱体化し、あるいは滅びているか分からない。
そして、国を作るとなれば、何百という領地の主たち全員が対等の立場のまま、それぞれ好き勝手に動くのは難しい。領主たちは基本的に独立心が強いからこそ、それをまとめ上げる権威が、すなわち王が必要となる。
なので、領主たちに王を戴くことを認めさせなければならない。その過程で血が流れるのであれば、それはこの地の領主家が十年後二十年後も生き残るために必要な流血と考えるべき。
とはいえ、流れる血は少ない方がいい。一人でも多くの領主をこちら側につけたい。そのために自分にできることはないか。いっそ近くに座る反対派の領主に話しかけてみるか。ミカがそのようなことを考えていると――
「ええい黙れ! かくなる上は――」
口論が白熱し過ぎたのか、先ほどから反対派の中心のような立場にいた領主が、なんと激高しながら腰の剣に手を触れた。
その様を見て、一同から大きなどよめきが起こった。剣に触れた領主と親しいのであろう何人かの領主たちが、さすがにまずいと思ったのか彼を押さえにかかった。
乱戦に備えるため、少なからぬ領主やその護衛たちが、反射的に自身も武器に触れた。巻き込まれてはたまらないと、席を立って護衛を盾にしながら下がる領主も多かった。
「わっ、うわっ!」
「おっとまずいぞこれは!」
ミカはローレンツと抱き合うようにして後ろに下がり、後ろに控えていたディミトリがミカを庇うように立つ。ローレンツの護衛も同じく乱戦に備える。
いざとなれば、念魔法で椅子でも振り回すか。そんな事態はできるだけ避けたいが。
「諸卿、落ち着け! 刃傷沙汰だけはならぬぞ!」
そのとき。広間を一喝したのはサンドラの声だった。その鋭い一声で、ひとまず場が鎮まる。
ユーティライネン領軍の騎士たちに囲まれて守られながら、サンドラは一同を見回す。
「意見がまとまらないのは仕方がない。だが、ここで殺し合っても誰の得にもならない。そのような事態になる前に、会談はここで終いとしよう……集ってくれたことに感謝する。諸卿が我が領内にいる限り、ユーティライネン領の法の下に全員の身の安全が保障される。たとえ我が提案に反対する者であってもだ。我が領内にいる限り、意見が異なるからといって他者を殺めることは許さない。法を破る者はユーティライネン領軍が斬る。それを心得よ」
その宣言で、領主たちは緊張をはらみながら帰り始める。サンドラの提案に賛成の者たちと反対の者たちが、それぞれ別の出口から去っていく。ユーティライネン領軍の軍人たちに守られ、同時に監視されながら。
ミカがサンドラを見ると、彼女と目が合う。微苦笑を浮かべた彼女にミカは頷き、自身もひとまずローレンツと共に退室する。
「……あぁ、怖かったぁ」
城内に与えられた客室に戻りながら、ミカは呟いた。
「しかし、反対派の数を減らすための立ち回りなど、とてもできなかったな」
「ですねぇ。正直、あそこまで荒れるとは思いませんでした……強硬な態度の領主たちに感化されて反対派に立つことを決断する人も多かったみたいですし、当初の予想以上に大きな騒動が起こりそうですね」
ため息交じりに言うローレンツに、ミカも同意を示す。
反対派をできるだけ減らし、今後起こる動乱をできるだけ苛烈でないものにする。それがミカたちの役割だったが、あの空気の中ではそれどころではなかった。乱戦寸前にまで至った騒動のせいで、こちらの目論見はご破算となった。
「だが、乗り越えるしかないな」
「はい……建国の計画が明かされた以上、もう後戻りはできないでしょうから」
言葉に諦念を込めながら、ミカとローレンツは客室へと続く廊下を歩く。




