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第9話 若き行商人①

 それからの数週間で、ミカはヴァレンタイン領での生活に慣れていった。


 農村の生活は、基本的に自給自足。ヴァレンタイン領は貧しい村だが、それでも夏の収穫期を終えてさほど経っていない今は、直ちに何か改革をなさずとも食うに困ることはない。

 そして、村の中にいても、今後の改革のために今すぐできることは多い。ミカはこの領地をより豊かにするための第一歩として、まずは森の開拓を進めることにした。


 ダリアンデルの地とは、すなわち森である。古典文学にそう記されているほど、ダリアンデル地方には森が多い。人間はこの森を少しずつ切り開き、そこに村や都市を築くことで、活動領域を広げてきた。

 このヴァレンタイン領も、北の丘陵以外は森に囲まれている。北の丘陵さえも、それなりの面積が木々に覆われている。まともに領有できているのは、人の管理が行き届く範囲――村と農地、そして領民たちが採集などのために出入りしている森の浅い部分だけ。それより外側には未だ手つかずの野生の森が広がり、そこに自然以外の支配者はいない。隣領との明確な境界も存在せず、間には細い道一本を除けば人間の気配はない。


 なので、村の周囲の森を切り開けば、その土地もまたヴァレンタイン領となる。木々を伐採して生まれた平地はヴァレンタイン家のものであり、新たな家屋を建てようが農地を開墾しようがミカの自由となる。

 だからこそ、森の開拓は領地発展の第一歩。マルセルの言った商人が来訪するまで、ミカは一本でも多くの木を切る。ミカの考えている農業改革を成すにしても、まずは森を削って新たな農地となる平地を確保しなければ始まらない。


「それじゃあいくよー……そぉい!」


 村の南に広がる農地、その西側に位置する森の入り口の辺り。作業を共にする領民の男たちに呼びかけた上で、ミカは斧を振るう。もちろんミカ自身の非力な腕ではなく、念魔法によって。

 魔法で操られ、空中に浮いた斧が、直径四十センチメートルを超える木の幹を打つ。幹に対して刃がしっかりと垂直に直撃する。この数週間でもう何十本も木を切っているので、この作業も既に慣れたもの。

 軽快な打撃音が連続して周囲に響く。木の幹は徐々に削られ、抉れていく。


「さすが、ミカ様の魔法は何度見ても凄いな」

「ああ、俺たちが手で斧を振るうよりずっと速い」


 人間の力では不可能なほどの高速で振るわれる斧を眺めながら、領民たちが言葉を交わす。


「あはは、ありがとう……もっと大きな斧が手に入れば、さらに効率を上げられるんだけどねぇ」


 振るう斧の大きさや重量に物足りなさを抱きながら、ミカは呟くように言った。

 ミカの「魔法の手」は成人男性の腕と比べて何十倍もの力があり、人間用の斧はあまりにも軽く感じる。まるで小枝でも振っているような感覚になる。

 商人との伝手ができたら、もっと大きく重い自分専用の斧を都市の鍛冶工房に発注したい。そんな道具があれば木の伐採も捗り、いざというときは武器としても使えるだろう。ミカはそう考えている。

 何十回と斧を叩きつけると、幹が抉れて自重を支えられなくなった木は、あらかじめ受け口を作ってあった方へ傾き始める。


「倒れるぞー!」


 ミカの傍らに立つディミトリが、大声でこの場の全員に注意喚起する。それから間もなく、木は鈍い音を立てながら倒れる。


「それじゃあ皆、続きを頼むねー!」


 ミカが呼びかけると、領民の男たちは威勢よく応え、それぞれ手斧を持って倒れた木に近づく。枝を手斧で切り落とし、木を丸太へと変えていく。

 枝を全て落とした後は、丸太を森の入り口あたりまで運ぶことになる。そのままでは長すぎてミカの魔法でも運ぶのが大変なので、また斧を操って数メートルずつに切り分けた上で運ぶ。

 領民たちが枝を落とす間、ミカは昨日伐採した木の切り株を除去しにかかる。シャベルを地面に打ち下ろし、固まった土を崩しつつ根を切断していく。このシャベルに関しても、より素早く切り株を掘り起こすために、もっと大きくて重いものが欲しいとミカは思っている。


 作業を続けるミカの傍らで、ディミトリは護衛として、戦斧を片手に周囲を見張る。

 この数週間、数人規模の盗賊が家畜や農具などを盗むために村に近づいてきて、領民から報告を受けたミカが丸太を振り回して追い払うという事態が何度か起こった。そうした賊がこの森の辺りに残っていないとも限らない。また、危険な魔物が森の奥深くから出てくることも稀にある。

 肉体的には脆弱なミカが賊や魔物に襲われ、もし死んでしまえばヴァレンタイン領はおしまいなので、万が一の事態に備えてディミトリは警戒を緩めない。結果として、ミカだけでなくこの場の全員の安全が確保される。


 ミカは木を伐採し、切り株を掘り起こす。領民たちは枝を落としたり、切り株が掘り起こされた後の根を除去したりと、人手の要る細かい作業を担う。ディミトリは周囲を見張り、作業現場の安全を確保する。そうして皆で働き、夕方には皆で村へ帰り、同じように仕事を終えて帰宅する他の領民たちとも言葉を交わす。お互いの今日の頑張りを労い合う。

 館に戻れば使用人のヘルガとイヴァンが出迎え、ミカとディミトリはヘルガの作ってくれた夕食をとる。その後は特にやるべきこともないので、ミカは明日の仕事に備えて早々に眠りにつく。翌朝、身支度を整えてディミトリと朝食をとり、また仕事に向かう。

 そんな、忙しくも平穏な日々を送りながら、ミカはこの数週間で領民たちとの信頼関係を順調に深めている。ディミトリとも、主従としての絆を着実に築いている。


「ミカ様、イヴァンさんがこっちに来ますぜ」


 と、そのディミトリが村の方を向いて言った。ミカもそちらを向くと、館の男性使用人イヴァンがこちらへ走ってくるのが見えた。

 イヴァンは齢六十を超え、この世界の平民男性としては長生きの部類。腰はやや曲がっているが足腰はしっかりしていて、老人らしからぬ軽快な足取りでミカのもとへ辿り着く。


「イヴァン、どうしたの?」

「ミカ様、商人のアーネストさんが来られました。今、館の前でマルセルさんが応対しておられます」

「……それはいい報せだね。早速会いに行こう」


 ミカは笑みを浮かべ、シャベルを切り株の傍らに置く。

 アーネストというのは、マルセルが語っていた若い行商人の名。ミカは森を開拓しながら、彼が来るのを心待ちにしていた。そろそろ来る頃だろうと思っていた。


 西から戦争の敗残兵が逃げ込み、その一部が盗賊化したことで一時的に治安が悪化したと思われるこの地域だが、そんな状況もそう長くは続かない。元が徴集兵の盗賊など、土地勘もない地域でさして長生きできるはずもない。

 数週間前にこの村を襲った五十人規模の大盗賊団は、手練れの職業軍人が頭領になったからこそ実現した例外的な存在。それ以外の凡庸な盗賊たちは、その後に村に現れた連中のように、少数で徒党を組んで下手な略奪をくり返すことしかできなかったはず。盗みが上手くいかずに飢えて野垂れ死にし、あるいは領主たちの手勢によって討伐され、この数週間で頭数は相当に減ったものと思われる。


 生き延びた賊たちも、多くは討伐の手から逃れるために余所へ移動していったか、あるいは都市などに入り込んでしれっと貧民として暮らし始めているか、ともかくいつまでもこの辺りで盗賊を続けるとは思い難い。そう考えると、治安はそろそろ通常と変わらない程度に改善している。

 となれば、アーネストがもはや危険は少ないと考え、来訪したのも納得できる話だった。


 作業を共にする領民の男たちに一度この場を離れることを告げ、ミカはディミトリを連れて領主館へ向かう。


・・・・・・


 領主館の前には、一頭立ての荷馬車が停まっていた。荷馬車の傍らで、マルセルが一人の青年と何やら話していた。

 ミカが来たことに気づいたマルセルが、青年に何か言いながらこちらを手で示す。こちらを向いた青年に、ミカは笑顔を作って手を振る。


「どうもこんにちは、初めまして。あなたが商人のアーネストさんですね?」

「……はい、仰る通りにございます。たった今、マルセルさんよりこのヴァレンタイン領の事情を伺ったところです。お初にお目にかかります、ヴァレンタイン閣下」


 見たところ、年齢は現在二十三歳のディミトリと同じか、それより何歳か上くらいか。その青年――アーネストは商人らしく、いかにも人の良さそうな笑みで答えた。


「マルセルからあなたの評判を聞いて、会えるのを楽しみにしていました。ひとまず館の中へどうぞ。お茶でも飲みながらゆっくり話しましょう」


 ヴァレンタイン閣下、という慣れない呼称に若干のくすぐったさを覚えながら、ミカはそう言ってアーネストを館に招き入れる。

 ミカとアーネストは居間のテーブルを挟んで向かい合い、マルセルもミカの隣に座ってこの場に同席。ディミトリは従者として少し離れた位置に控え、使用人ヘルガが座っている三人の前にお茶を置いた後、商談が始まる。


「まず確認ですが……以前この地の領主家だったドンダンド家の皆さんは、その義務を放棄して去りました。その後、僕が新たにこの地の領主となったわけですが、僕も前領主と同じように、あなたに取引をしてもらえると思っても大丈夫ですか?」

「ええ、もちろんです。この地のことはこの地に住む皆さんが決められること。閣下がこの村を領地として運営され、領民の皆さんも閣下が領主であると認めていて、商取引が可能な状況なのであれば、私としては何ら問題ございません」


 アーネストは思案の素振りもなく、当たり前のように言った。

 人里の領有者が変わることは、決して珍しくない。ミカの故郷たるカロッサ領の周辺でも、隣り合う領主家同士が争った結果、一方が滅亡してもう一方が領地を丸ごと吸収したり、領内の争いの結果として従士が主人を打倒し、下剋上を果たして新領主になったりする出来事があった。

 人里と取引をする商人からすれば、必要なのはその人里で生産されるものや、その人里に存在する商品の需要。まともに商売ができるのであれば、領主として出てくるのが誰だろうと関係ないというのは尤もな話だった。


「それはよかった。安心しました……では、この地の新たな領主として、早速ひとつ大きな取引をお願いしたいと思っています」


 ミカが微笑しながら言うと、アーネストは人好きのする笑顔のまま、しかし商談の本題を前にして僅かに身構えるような空気を滲ませる。

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