第87話 目指すは小都市
これからダリアンデル地方南東部の東側に築かれるであろうノイシュレン王国。その領土の西部を守るユーティライネン侯の勢力圏、その西端の国境地帯における防衛の一端を担うため、ヴァレンタイン領の領地人口を向こう数年で五百人規模に届かせる。
そのように大まかな計画が定まった後、ミカは領地人口の目標達成と西方に対する防衛体制の整備のため、さらに細かな計画を立てた。
一年あたりの人口増加の目標は、可能であれば百人、最低でも六十人。早ければ三年、長くとも五年で領地人口が五百人に届くことになる。建築資材の提供などの支援もユーティライネン家より受けられる見込みなので、前者の目標達成も決して非現実的なものではない。
食料生産の点に関しても、おそらく大きな困難は伴わないとミカは踏んでいる。森の木々の伐採と切り株の掘り起こしはミカと家臣ヨエルの魔法によって圧倒的に効率よく行うことができ、その後の細かな作業や農地の開墾は移民たち自身の手で行えばいい。元よりヴァレンタイン領の食料生産量には余裕があるので、ユーティライネン家からの支援も含めれば、最初の収穫まで移民たちを食わせることは十分に可能。
そうして移民を食わせるために余剰食糧を消費しても、領主家としての収入面についてもあまり心配しなくていい。ヴァレンタイン領には、砂糖生産という圧倒的な収入源があるからこそ。
領地規模の増加に合わせて甜菜の栽培量も増やせば、砂糖の増産は可能。サンドラ・ユーティライネンが王や他の侯たちとの結びつきを強めれば、商品としての砂糖の販路も拡大できる。砂糖産業はこれからもヴァレンタイン領を支える軸のひとつとなり、大きな収入源となりつつ、いざというときにヴァレンタイン領を政治的に守る切り札となる。
防衛に関しては、領地の人口規模の拡大に合わせて、家臣をさらに増やすことをミカは第一目標に考えている。
現時点での家臣家の家長は、ディミトリ、マルセル、ヨエル、ジェレミー、ルイスの五人。ミカが初代当主であるヴァレンタイン家には、家政を補佐してくれる分家の親族がいないため、二百人という人口規模に比して家臣家の数が多い。犂と農耕馬、三圃制とクローバー栽培のおかげで農業生産力が高いことも、これだけの家臣団を維持できる根拠となっている。
この家臣団を、最終的には十数家の規模まで増やすのがミカの計画。元よりこの村に住んでいる古参の領民たちの中から、残る家臣を登用するつもりでいる。
家臣候補として考えているのは、主に若い領民たち。ミカがマルセルを介して古参領民たちに探りを入れたところ、若者たちは新たな立場への出世に意欲を見せる者が多かったが、一方でフーゴのような中年以上の領民に関しては、何十年と続けてきた農民としての生き方を今になって大きく転換することに躊躇いがある様子だという。なのでミカとしては、中年以上の古参領民たちにはこのまま農民層の顔役を担ってもらい、その弟妹や子女である若者たちを家臣に登用することで、今後も古参の者たちに領内社会の支配者層を構成してもらおうと考えている。
増員された家臣たちは、平時はヴァレンタイン家による領地運営の補佐や領主一族の警護、ヴァレンタイン城の警備、領内の治安維持などの役割をこなし、戦時は領民たちによる小部隊の隊長格を担うことになる。
そうして戦時に備えた常備兵力を増強しつつ、領地そのものの防衛力も高める。城だけでなく村全体をも丸太柵で囲み、さらに周囲に空堀を巡らせる。一大事業となるが、十年後、二十年後、さらにその先を見据えれば、それだけの防衛体制を備えるべきだとミカは考えている。
五百人の人口、丸太柵に守られた家屋群、そして西に築かれる砦と東の各領地を中継するための宿屋をはじめとした施設を備えるとなれば、それはもはや小都市。北のメルダース領と繋がる街道も作られれば、機能面でもまさしく都市と呼ぶべき要地となる。
自分の代でこの村を小都市にまで発展させられたら上出来。元々そう考えていたミカとしては、予想外の早さで領地が発展していくことを喜ぶべきかと思いつつ、その背景にあるのが情勢の不安定化ということを考えると、単純に嬉しいと言うことも難しい。
これらの計画を実現するために春から早速動き出し、冬までと同じく忙しい日々を過ごしながら数か月が経った秋のある日。ミカはヴァレンタイン城の城門、その直上に置かれた物見台にいた。
「……我ながら、頑張ったなぁ」
しみじみと呟きながら見渡すのは、今年に入ってから随分と規模を拡大した村の景色。
ひとまず今年必要な分の家屋――旧コレット領民たちおよそ八十人を住まわせる家屋は、つい先日に最後の一軒が完成した。この世界のこの時代、農民の家屋は木の柱と荒土の壁と藁ぶき屋根の簡素なもの。昨年の末からミカの念魔法とヨエルの土魔法をフル活用し、新領民たちも精力的に建設作業を手伝ってくれたおかげで、必要数が揃った。
新たに十数軒もの家屋が建ったことで、村の面積は大きく広がった。ヨエルたち旧ストラウク領民の家屋も合わせて見ると、ミカがこの村に来た頃と比べて二倍ほどになっている。
「人口五百人を目指すってことは……人口に合わせて、村の面積もここから二・五倍になるってことですよね」
「あははっ、ディミトリも計算が速くなったねぇ。まさしくその通りだよ」
傍らに控えるディミトリが、これまで地道に勉強を続けてきた成果として、今後の人口増加の比率を素早く暗算しながら言う。この村に来たばかりの頃よりも聡明になった側近に、ミカは笑みを見せながら返す。
物見台には他にも、マルセルとヨエルがいる。側近たち全員を連れてここに来たのは、今後の村の発展計画について話し合うため。
「城の南側は土地が手狭になってきたから、今後は西と東に新しい家屋を建てていこうと思ってるんだ。城から広場まで続くこの通りの途中から、こう左右に道を延ばして、それに面するように家屋を増やして……そうすれば、城を北端にして家屋群が円状に広がることになる。西は、こないだアルデンブルク領軍の暴走兵を迎え撃った辺りまで。東は、鍛冶工房や水車小屋がある小川の前まで村を広げて、全体を丸太柵で囲むんだ。そうすれば、東の方は小川が敵を阻む障害になるから、空堀を築くのはそれ以外の三方だけで済む」
視線を村から周囲に巡らせながら、ミカは今後のさらなる展望を語る。
「なるほど、それなら土木工事の手間が減りますし、小川の前まで村を広げれば、いざというときは職人たちや水車の管理人もすぐに柵の中に逃げ込めますね」
「家屋を建てる土地も、そこまで村を広げれば十分に足りるでしょう。いえ、むしろ多少の余裕が生まれて、将来のさらなる人口増にも対応できそうです……さすがはミカ様のご計画です」
マルセルとヨエルがそれぞれ納得した表情で言い、ミカはそれに頷きながらまた口を開く。
「この計画に合わせて、農地も広げていこう。これからは村の北側も開墾していって……南に古参領民たちの農地、西や北に新領民たちの農地が広がるかたちにすれば、それぞれの家と農地も近くなるから、上手く住み分けできると思う」
これまでヴァレンタイン領の農地は、村の南側に集中的に置かれてきた。村の人口が限られていたため、あちらこちらに農地を広げるよりも一か所に集約させる方が、集団での農作業がやりやすくなるという考えのもとで。
しかし人口が増えた最近は、農地は徐々に西へ広がっている。ミカはここからさらに、城よりも北の方へ開墾を進めることを考えている。そうすれば、城と村の西南北に農地が広がり、東に小川が流れるかたちで、人口五百人の村――もとい、小都市が完成する。
南の農地は元々からこの村に住む古参領民たちのもの。西の農地は、移民の中でも比較的早くに移り住んだ者たちのもの。そして北の農地は、これから移住してくる新参の領民たちのもの。それぞれの家屋もそれぞれの農地に近い位置に並ぶので、管理の面でも日々の農作業の面でも都合が良くなる。
「農業を統括する身としても、それはとても助かります」
「治安維持の点で考えても、その方が問題が起こる可能性が低くなるのでよろしいかと存じます……今後増やしていく家臣たちの家々は、やはりこの通り沿いに?」
ヨエルの問いに、ミカは首肯する。
「うん、そのつもりだよ。城の正面に家臣たちの家を固めておけば、皆も仕事の便利が良いだろうし、城を守る観点からも効果的だからね」
城門から南方向、村の広場へと続く道に面して、新たに家臣となったジェレミーとルイスの家がある。今後もこの通りに沿って家屋を建て、家臣となった者たちはそこへ引越しをさせる予定。そうなれば市域内において、ヴァレンタイン城は周囲を空堀と急斜面と丸太柵に、正面側を家臣たちの家々に守られることとなる。
そんなことは起きないとミカは信じているが、もし新領民の中によからぬことを考える者――城に侵入して何か悪さをしようとする者がいたとしても、城門へと続く通り沿いに家臣たちの家が並んでいるとなれば、多くの目に曝されるために城へ近づくことを躊躇する。防犯の観点からも、家臣たちの家を城の前に並べるのは理に適っている。
ミカはその後も側近たちと今後の領地開発の計画について話し合い、井戸を増設する位置や森林を切り開く場所など、より細かな事項を決めていく。
「……ミカ様、アーネストさんが帰ってきたみたいですよ」
主にマルセルとヨエルと話し込んでいたミカは、ディミトリの言葉を受け、彼が指差す方を振り向いた。するとその方向――東から、御用商人アーネストの荷馬車が近づいてくるのが見えた。
「おっ、本当だ。今回はどんな情報を持ち帰ってくれたかな」
キャンベル商会を経営するアーネストは、ヴァレンタイン領に置いている小さな商店の運営はほとんど妻に任せ、自身は専ら他領――主にユーティライネン領への訪問を務めとしている。
ヴァレンタイン家の代わりに砂糖をはじめとした生産物を輸出したり、交易都市エルトポリでなければ手に入らない物品を購入して持ち帰ったりする他に、ユーティライネン家からの伝言を預かったり、周辺の情勢について情報収集をしたりするのも彼の重要な役割。
特に最近は、サンドラが進めている建国計画の進捗について報告を受け、それをミカに伝えることが彼の主要な仕事のひとつとなっている。
アーネストの乗る荷馬車は村に入り、中央広場を抜け、そのままヴァレンタイン城へ向かってくる。ミカたちは物見台を下りて城門を開放し、長い移動を終えて無事帰ってきた御用商人を城へ迎え入れる。




