第85話 計画③
アルデンブルク領軍の襲撃によって滅亡したコレット領の跡地。ここに砦を建造することを、サンドラは考えているという。
今や廃墟となった旧コレット領だが、元々が村だったので開けた土地が残っている。また、建物の全てが焼かれてしまったわけではなく、残された建物を解体すればある程度の量の木材を得られる。領主館の基礎部分など石材も多少ある。
それらの土地と資材を活用し、追加で必要な資材は周辺の森を伐採して確保し、あるいは後方から運び込み、砦を築く。砦には食料などの物資を備蓄し、平時は少数の兵士が駐留する監視拠点として、戦時は兵力を集結させての防衛拠点――王家や他の候たちの率いる援軍が到着するまで、即応の軍勢を籠城させて時間稼ぎを行うための拠点として活用する。
敵対勢力がノイシュレン王国の内部へ侵攻する上では、大規模な軍勢の行軍や物資の輸送を行うために、道に沿って移動するしかない。敵の進路を塞ぐように砦を建造しておけば、砦が落ちない限り侵攻を食い止めることができる。
このような砦を、メルダース領などのある丘陵北側にも建てる。丘陵北側と南側それぞれから西へと延びる街道上に築かれた二つの砦を、西に対する防衛線とする。二つの砦から成る防衛線をより機能的に運用するために、それぞれの後方――ヴァレンタイン領とメルダース領を繋ぐ道も整備する。
砦の建造はユーティライネン家が主導し、平時の砦に駐留するのはユーティライネン領軍の兵力となるため、ヴァレンタイン家をはじめとした近隣の小領主家に大きな負担はない。また、戦時も最初に敵の侵攻を受け止めるのは砦であるため、現状では最前線の位置にあるヴァレンタイン領の安全性は、砦ができれば飛躍的に高まる。
「その代わりに、ヴァレンタイン領には砦の後方支援を担ってもらいたい。食料の供給や人員物資の中継、そして戦時には、ある程度の即応戦力の提供を頼みたい。貴家の協力があれば砦での時間稼ぎが容易になる上に、こちらが事前に察知できないような小部隊による奇襲が砦に敢行された場合でも、ヴァレンタイン軍――特に念魔法使いである卿の助力があれば撃退できるだろう」
「なるほど……当家としても、大きな利のあるご提案だと思います」
ヴァレンタイン領が直接的に西の勢力と対峙するのではなく、その前に砦が築かれるというのはありがたい。その建造や維持をユーティライネン家が担い、さらにはメルダース領との道まで整備してくれるというのも、ヴァレンタイン家からすれば実に都合の良い話。軍事的にも経済的にも利点が大きい。ミカはそう考えながら答える。
「砦の建造と道の整備の際は、是非僕にも協力させてください。僕の念魔法や家臣の土魔法は、土木作業をする上で何かと便利でしょうから」
「それはありがたい提案だ。人力だけでは手間のかかる作業など、助けが欲しい場面では是非とも頼もう……だが、どちらかといえば卿には自領の規模拡大に注力してもらいたい。ヴァレンタイン領を砦の後方支援拠点や即応兵力の供給源とするのであれば、やはり人口がものを言う。今のこの領地の人口は二百人ほどだと聞いているが、それでもまだまだ心許ない。五百人に届かせることをひとまずの目標として、発展に努めてほしい」
サンドラの言葉を受け、ミカは少しの思案の後に口を開く。
「確かに、五百人の人口を抱えながら現状の農業生産力を維持できれば、砦の後方支援は十分に果たせるでしょうし、戦時には数十人程度の即応兵力を供出することもできますね。それに、それだけの人口があれば、当家は常備兵力となる家臣を増やすことも叶います」
「ああ。諸々の事情を考えると、人口五百人というのは丁度よい目標になるだろう……領地規模の拡大に関してはユーティライネン家も全面的に協力する。エルトポリはかねてからの人口増加や、ここ数年の争乱によって発生した難民の流入などで、貧民街が手狭になりつつある。そこからまともそうな人材――犯罪歴がなく真面目な者を選び、ヴァレンタイン領に送ろう。食料や生活物資の面でも支援する」
そう語ったサンドラは、そこで軽く姿勢を正した。
「以上が、私の考えた計画だ。ヴァレンタイン家は西の砦という防壁を得て、ユーティライネン侯として強い権限を手にするこの私と、さらにはノイシュレン王国という巨大な共同体の庇護を受ける。一方で、王家と侯が上位を成す社会階層に組み込まれることで、領主としての支配権に多少の制限を受ける。貴家にとっては、良くも悪くも大きな変化となる……この案を受け入れてもらえるだろうか?」
「もちろんです。喜んでお受けします」
ミカが一切の迷いなく答えると、サンドラは微苦笑を零す。
「卿はそう言うだろうと思っていたが、即答だったな」
「私としても、新たな変化が始まっているダリアンデル地方において、ヴァレンタイン領のような弱小領地が現状のままで生き残るのは難しいだろうと考えていました。国という大きな枠組みに加わり、その中で重要な立ち位置を得るサンドラ様に守っていただくことが、当家と我が領の生存率を最大限に高める選択だと確信しています」
サンドラの語った構想において、各領地を治める領主の権限はそう大きく制限されない。ヴァレンタイン領のような弱小領地は、元より戦争に巻き込まれれば生き残ることが難しく、外交においても自由度が低い以上、その二点において侯や王といった上位の支配者に従属することになったとしても、実際の不利益はほとんどない。特にヴァレンタイン家は、侯となるユーティライネン家の姻戚で、砂糖生産という重要産業を握っている以上、冷遇されたり見捨てられたりする心配はほぼしなくていい。
たとえ上位の支配者層に従うかたちとなったとしても、自身が一国一城の主、ヴァレンタイン領という社会の頂点である事実は変わらない。なのでミカとしては、彼女の提案を受けることに感情的な忌避感はなかった。ミカにとって何より大切なのは、この村の安寧が保たれ、自分たちが幸せであり続けること。
「……それに、そもそも今のような状況がいつまでもは続かないだろうと、個人的には考えていたので。ダリアンデル地方に再び国という大きな共同体が生まれるのは必然でしょうし、自分のような小さな存在がその歴史の波に逆らえるとは思っていません」
ダリアンデル地方ほど広い土地に、国家と呼ぶべきまとまった勢力が存在しない時代が、いつまでも続くはずがない。古の帝国が滅びた後の衰退と停滞の時代が終わり、これからますます権力や人口の集約が進んでいくことだろう。
これは昨年、アイラの実家であるヒューイット家への救援に赴いた道中でミカが考えたこと。やはり社会は、己の予想通りの方向に進んでいくらしかった。
「きっと、ロメル帝国が崩壊してから現在までの時代は、後世では『過渡期』と表現されるのだと思います。そして今は、次の時代への入り口なのだと」
「なるほど、面白い表現だ。大小の領地が無数に並び立つダリアンデル地方。我々にとっては当たり前であったこの状態も、大きな歴史の流れの中で見れば、ひとつの大国が滅びて次の国が生まれるまでの過渡期に過ぎないのだろうな……この歴史の波に沈むか、あるいは波を乗り越えて次の時代へ進むか、これからの我々の行動で決まるのだろう」
サンドラはそう言って、椅子の背に身体を預ける。
「では、私はこの計画を実現するために、引き続きノイシュレン家をはじめとした他の大領主家との対話を進めていく。大きな進展があり次第、卿にも知らせよう。それと並行して、西に対する備えも進めていくつもりだ……砦の建造はできるだけ早く開始する。そしてヴァレンタイン領への移民の件は、今年は旧コレット領民たちの生活基盤を整えることに卿も忙しいであろうから、具体的に動くのは来年からになるだろうか」
「分かりました。僕も己の役割を果たすために努めます」
サンドラの言葉にミカも頷き、それで話し合いは終了となった。




