第84話 計画②
以前から――サンドラの父がユーティライネン家の当主を務めていた時代から、ダリアンデル地方南東部の東側において大領主たちが手を組み、国を興すという構想自体は存在していたという。
「当家を含むこれらの大領主家は、互いに比較的良好な関係を築いてきた。いずれダリアンデル地方が新たな変化の時代を迎え、各領主家が独力で生きる状態を続けることが難しくなれば、共に国を作ることで生き延びるのもひとつの選択肢だろうと話し合っていた……とはいえ、あくまで選択肢として話題にされていたのみで、それ以上に踏み込んだ議論はなかったようだが」
国を作ることの利点は理解されながらも、必要に迫られない状況で建国を急くことは誰も望まなかった。下手に具体的に話を進めれば、揉め事の種になりかねないために。サンドラは父からそう聞かされていたという。
その話を聞いたミカも、内心で納得を覚える。何代にもわたって国という枠組みを持たなかった地で、各領地の独立性に制限を加えかねない建国に着手する決意は、建国しなければ乗り越えられないような事態に直面しない限り領主たちもそうそうできないものだろうと考える。
「しかし、状況は我が父の時代から大きく変わった。今こそがこの選択肢を実際に選び取るべきときだと、私はユーティライネン家当主として考えた。この冬のうちに他の領主家に呼びかけ、何度か書簡を交わし、いずれの家からも好意的な反応を受け取った。詳細を詰めるのはこれからだが、国を作ること自体については大まかな合意が得られた」
サンドラが他の大領主たちに提案したのは、ダリアンデル地方南東部の東側において最も領地規模の大きな領主家――ノイシュレンという名の家を王家にすること。
地理的には、ダリアンデル地方南東部の東端。山脈に面して広大な領地を有するノイシュレン家は、一万に届くとも言われる領民を抱え、領内には大規模な鉄鉱山と、山脈の向こうに通じる細い回廊を擁している。
「ノイシュレン家を王家とすることについては他の大領主家の同意を得る必要があるが、最終的には可能だと思っている。説得材料は多いからな」
「説得材料、ですか?」
ミカが首を傾げると、サンドラは頷く。
「ああ。かの家は領地規模に関してだけでなく、政治的にも経済的にも王家とするに都合が良い……まずは政治的な面について言うと、ノイシュレン家には、古の帝国の皇帝家の血統が受け継がれている」
意外な話に、ミカは目を丸くした。
かつてこのダリアンデル地方をはじめ、広大な領域を支配していた古の帝国ことロメル帝国。当時はいくつもの部族が争い合っていたダリアンデル地方を征服した時の皇帝は、降伏した各部族の族長たちを引き続き各地の支配者と認め、自身の息子や娘を伴侶として与えた。数十人もいた皇子や皇女から適当な者を嫁や婿として迎えさせ、各部族を帝国に同化させる第一歩とした。
ノイシュレン家は、そのときに第十九皇女を迎えた族長の末裔なのだという。
「……なるほど。偉大な皇帝家の血統を受け継ぐ一族となれば、王家を名乗る大義名分として都合が良いでしょうね」
「それに加えて、他の大領主家との関係性を考えても、ノイシュレン家は王家として担ぐのに丁度いい。ノイシュレン領の主要産業については、卿も知っているな?」
「鉄の採掘と輸出ですね?」
ミカは即座に答え、サンドラはそれに頷く。
「その通りだ。ノイシュレン領の輸出する鉄は、ダリアンデル地方南東部の需要の過半を満たしていると言われている。鉄の輸出によってノイシュレン家は経済的に大きな力を持ち、鉄鉱山を守るためもあって領地規模に比して多くの兵を擁しているが……鉄の輸出が滞れば経済力や軍事力を維持できず、ノイシュレン領の社会そのものが立ち行かなくなるという弱点も抱えている」
ノイシュレン領の社会は鉱業に特化し、その代償として食料自給率が低い。食料以外にも、様々な必要物資を鉄と交換しての輸入に頼っている。
王家となったノイシュレン家が、もし横柄な振る舞いをして支配下の領主たちと敵対したら。鉄の輸出を断ったとしても、鉄は再利用できる上に、かなり割高となるが他の地域から輸入することも可能なので、領主たちは直ちに行き詰まるわけではない。一方でノイシュレン家は、鉄と交換しなければ食料をはじめとした多くの必要物資を輸入できなくなる。どちらが先に統治を行き詰まらせ、音を上げるかは明らか。
「そもそも我々が穏やかな関係をこれまで維持できたのは、一際強いノイシュレン家にこのような弱点があったからだ。食料をはじめとした様々な物資を欲するノイシュレン家も、鉄を欲する他の大領主家も、互いがいてこそ繁栄を成せる。そのような共生関係のもとで、我々は友好を保ってきた……なので、ノイシュレン家が王家になったとしても、その権力は自然と限られ、強権的な振る舞いはできない。王家を名乗るにふさわしい格を持つが、強くはなり過ぎない王家。言い方は悪いが、これほど担ぎやすい家は他にないだろう」
「確かに、仰る通りですね」
サンドラの言葉に、ミカは微苦笑交じりに同意を示す。
「そのようなわけで、ノイシュレン家を王家として穏便なかたちで国を築くことは、最終的には可能だと私は思っている。その上で、どのような体制の国を作るかの具体的な計画だが……ここからは、ヴァレンタイン家も関わる話となる」
そう前置きし、サンドラは説明を続ける。
彼女の計画では、これから作られる国――ノイシュレン王国において、領主層の特権はほとんどそのまま保たれる。王家に忠誠を誓った各領主家は、対価としてその領地を安堵され、徴税や徴兵や裁判など支配に必要な権利を認められる。王家でさえも各領地の内政には口を出せない。
一方で、外交と軍事に関しては、王家に従うことを求められる。
ノイシュレン王国内での各領主家の付き合いは自由だが、国外の領主家や他の王家に忠誠を誓った場合は反逆と見なされる。また、ノイシュレン王国が国外の勢力との戦いに臨む場合、各領主家は王家の求めに応じて兵を出さなければならない。
ひとまず、各領主家が王家に負う義務は、外交姿勢の追従と軍役のみ。国とはいっても実質はノイシュレン家を盟主とする軍事同盟に近い枠組みであり、あまり最初から多くの制限を加えては反発する領主家も多くなるであろうことが予想されるため、これが現実的なかたちだろうとサンドラは語った。
「この集団防衛の体制を機能させるために、領主家を二つの階層に分ける……ユーティライネン家のように、自前の勢力圏を築いている大領主家の当主は『侯』と称され、他の領主たちより一段高い立場とされ、勢力圏内の領地に兵の動員を命じる権限を王家より与えられる。外敵による攻撃があった場合は、まず攻撃を受けた地域の候が周辺の領主たちを動員して防衛を成し、その間に王家が他の地域の軍勢をまとめ、救援に駆けつけるというわけだ」
「なるほど……よく練られた機能的な体制ですね。さすがはサンドラ様のお考えです」
「私が一から考えたわけではない。帝国時代の体制を参考にした」
そう謙遜するサンドラだが、実際彼女の構想は見事だとミカは本心から思っている。一定の権限を与えられた諸侯が各地を守り、王家は本隊となる軍勢を集めてそこへ救援に向かう。古の帝国の時代においても、ミカの前世においても似たような仕組みの防衛体制は実在しており、その有効性を理解した上で現在のダリアンデル地方に当てはめて実現しようとしている彼女はやはり聡明だと考える。
「ユーティライネン家当主である私も侯となり、現状では西のアルデンブルク家に対する守りを主に担うこととなるだろう。ヴァレンタイン家は当家の指揮下で、引き続き最前線の守りを担うことになる。とはいえ、後方にユーティライネン家と勢力圏内の全ての領主家が控え、さらに後ろにはノイシュレン王国全体が控えているとなれば、アルデンブルク家もそうそう手は出せまい。国という枠組みが実現すれば、ヴァレンタイン領の安全性もより高まる……さらに、実際に防衛戦闘を担う最前線自体は、ヴァレンタイン領とは別で構築したいと私は考えている」
「当家の領地とは別で、ですか?」
サンドラは頷き、さらに説明を続ける。




